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ミステリの祭典

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ちびの聖者
シムノン本格小説選

作家 ジョルジュ・シムノン
出版日2008年07月
平均点8.00点
書評数1人

No.1 8点 tider-tiger
(2016/12/18 16:48登録)
私の小説観に照らせば、これぞ小説と言いたくなるような傑作です。
人物描写は名人芸でしょう。少ない言葉で鮮やかに描く。その人をその人たらしめる要素の抽出。シムノンの最高の美点の一つです。
ただ、残念なことに本作はミステリではありません。
本書の大半は貧しい母子家庭の様子が描かれます。この家の末っ子であるルイが主人公であり視点人物です。彼は後に画家になります。
画家になるといっても、天才というわけではなく、いわゆるサクセスストーリーではありません。読者が期待するような筋運びとは言えませんし、一貫したストーリーすらありません。
シムノンは読者ではなく登場人物の意向に気を配りながら書く作家です。

ルイの一家はみんなバラバラで非常に問題のある家庭に思える。けして良い母親とはいえない母親、善人でも悪人でもないが、奔放な女性です。
以下の会話が妙に感動的でした。

「おまえは笑わないね。幸せかい、ルイ?」
「とても幸せだよ、ママ」
「他の家に生まれたほうがよかったんじゃないのか? 足りないものは何もないのかい?」
「ぼくにはママがいる」
 彼女はびっくり仰天してルイを見つめたが、その目は輝いている。
「本当に母さんが好きなのかい?」

他の子供たち(他に四人います)の描き分けもいい。
いわゆるいい子はルイくらいで、そのルイにしてもいい子だが、かなり変わった子供です。
ルイは『見る』子供です。その視点は個性的です。野心も欲望もない、ただ周囲をぼんやりと眺めている、頭が悪いのではないかと誤解されてしまうような、そんなルイは才能の有無はともかくとして、性向や興味の方向を考えれば、画家は天職だと納得です。
おそらくシムノンも周囲で起きていることを『よく見ている人』だったのでしょう。彼は画家ではなく、作家になりましたが。

読者が望むような天才エピソードも劇的な展開もありません。
ラストも、え? これでおしまい? って感じ。やはり主人公が画家であるロバート・ネイサンの『ジェニィの肖像』もカタルシスのない話でしたが、まだストーリーはありました。本作は根幹となるストーリーすらない。
それでも、芸術家を描いた作品としてモームの『月と六ペンス』にも比肩しうる傑作だと思っています。ミステリではないので8点としておきます。
ミステリ以外の小説もよく読む方なら本作でシムノンを知るというのもいいかもしれません。

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