皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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小原庄助さん |
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平均点: 6.64点 | 書評数: 267件 |
No.2 | 7点 | ハーモニー- 伊藤計劃 | 2020/03/10 09:19 |
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SFは、「科学の発展」の良さを教えてくれるだけのものではない。この作品は、「科学の発展」「医学の進歩」「便利社会」に真っ向から喧嘩を売る、「科学の発展」を否定する物語だ。
未来の理想的な社会を描いている。「誰も病気になることも、傷つくこともない完璧な社会」。飲酒や喫煙などの不健全なものは一切存在せず、できるだけ怪我をしないように、病気にならないように設定された「健全で優しい社会」。そこに生きる人々は、リスクとともに生きる今の私たちの社会を嘲笑う。 一つの未来世界では病気も暴力も傷も放逐されていて、誰もが健康で天寿を全うできる。それでも、そんな理想の社会はユートピアではなくディストピアであると、本書では述べているのだ。優しさは人を殺す。健全であることを強要する社会、不健全さを許容できない社会では、どこかに閉塞感が生まれ、自分の身体を社会に奪われるような感覚を持ってしまう。それを10代の女の子の目線と成長した主人公の感覚を行き来しながら、丁寧に描いていく。 そしてこの物語の終局にあるのは、「人間は、人間であることをやめた方が幸せになれる」という恐ろしい真理。優しさで人を殺すディストピアも、人が人であることをやめてしまえばユートピアになる。その答えを前にして、主人公はどう折り合いをつけるのか。この物語の終りに待っている世界を知った時、読者一人一人、感じ方が大きく異なるはずだ。バッドエンドだと感じる人も、ハッピーエンドだと感じる人もいるだろう。それほどこの物語の幕切れは凄まじく、そしてすべての人の人生に一石を投じるものだと感じる。 |
No.1 | 8点 | 虐殺器官- 伊藤計劃 | 2020/02/28 10:06 |
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アメリカ同時多発テロ後、個人認証システムが普及した先進国でテロがなくなる一方、発展途上国では内戦や虐殺が急増。主人公は、そんなあながち「もしもの話」だと思えない、あり得そうな世界で、虐殺を止めるために現地指導者のもとに送り込まれる米軍暗殺部隊員。やがて、繰り返しその標的となりながら捕らえられない謎の男が浮上する。虐殺発生地を先取りし世界を転々とする男、ジョン・ポール。まるで彼が虐殺を振りまいているかのように。
脳医学的処置による痛覚や倫理観の調整、人工筋肉といった軍事を中心とするSF的技術、言語や意識・「虐殺器官」という表題に関わる人間への考察、さらに世界全体を俯瞰し、シュミレーションする規模の大きな世界観。さまざまな要素が豊富に盛り込まれ、読み応えたっぷりだが、しかしこの物語は、意外なほどに「内省的」だ。「ぼく」という一人称で描かれ、主人公の母への執着・精神的な未熟さが強調され続け、そしてラストの衝撃的な展開へと急転直下していく。 人間の存在に関わるテーマや世界全体を巻き込んだ戦争・虐殺といった非常に大きなスケールで語られる本作が、主人公というたった一人のちっぽけな人間によって語られ、そしてその一人が世界を変える。そのアンバランスさが、しかし「人間」や「戦争」というものも、一人一人の人間の存在によって引き起こされているということを思い出させてくれる。 |