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人並由真さん
平均点: 6.33点 書評数: 2106件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.166 6点 ニューヨークの野蛮人- ノエル・クラッド 2017/05/27 11:10
(ネタバレなし)
 時は1950年代。ネイティブ・アメリカンのショショニ族出身の青年ジョン・ランニング・トリー。彼は第二次大戦時にレインジャー部隊に所属し、部族伝来の絞殺術で多くのドイツ兵の命を奪い、銀十字勲章授与の栄誉に輝いた男だった。そんなトリーは33歳の現在、年長の白人の友人で暗黒街の大物フランク・ティーグのもとで殺し屋として働いていたが、次の標的「S・ハリス」のファーストネームがスーザン、つまり未亡人の女性と知ると二の足を踏む。暗殺者としてすでに十数人の命を奪ってきたトリーだが、女殺しだけはやったことがなかったのだ。フランクに仕事の辞退を申し出たのち、奇妙な関心からそのスーザンそして彼女の聾唖の息子ジェフと関わりあったトリーは、スーザン当人もその価値を自覚していない土地の利権事情ゆえに彼女が命を狙われているのだと察した。これと前後して交代の殺し屋コンビが到着。一方でトリーは、かつての恋人でやはりネイティブ・アメリカンの女性エリザベス・ウィンチェスターとも再会した。軍人だった夫を事故で失って以来、生と死の問題にセンシティブになるスーザン、物語上の英雄のインディアンの姿をトリ―に重ねるジェフ。そんな母子がやがて迎える運命を意識したトリーは、二人を守る闘いを決意する。

 1958年のアメリカ作品。日本では翌年の日本語版EQMMで原書を読んだ都筑道夫が熱い筆致で大絶賛し、本編そのものは64年にポケミスで訳出された(都筑のくだんの文章は名著「死体を無事に消すまで」に収録されてるから、そっちで読んだ人も多いだろうと思う)。
 今回は例によって未読のポケミスの山の中から引っ張り出して初めて読んだが、まあ途中までの大筋自体は非常にわかりやすい。設定だけ読んでもトリーがフランク(および彼に殺しを願った者)を裏切る形になり、スーザン母子のために戦うことになるのは見え見えだし、かつての恋人エリザベスがナイトクラブのダンサーとして姿を見せるあたりは、まんま往年の日活アクション風の定石である。
 とまれ小説としての賞味どころ、都筑が絶賛した魅力は、そういう定型的な大枠のなかでしっかり造形された登場人物の叙述や、独特の抒情を感じさせる文体の方にある。何より主人公のトリーには、作品のなかで少しずつ語られていくが、二十世紀のアメリカのなかで本来の矜持をすり減らしていくネイティブアメリカンの悲哀があり、その辺は英雄だったトリーの祖父トール・カイト、現実に負けて死んでいったトリーの父たちとの世代の対照でも語られる。主人公とヒロインの関係も、トリーとフランクの関係もそれぞれ一筋縄では行かず、さらには後半の事態に関わってくるジェフ少年の養護教諭である老女ミス・アダムズの思弁などもかなり印象的に綴られる。

 刊行後、半世紀の時の経過のなかでその後に続いたノワール・サスペンス系の類作に食われてしまった感じがまったくないわけでもないのだが、先に書いた独特の詩情を漂わせる文体(ウールリッチと評する人もいるようだが、個人的にはバリンジャーとかに近い印象だ)もあって色あせない魅力をもつ一冊でもある。
 
 ちなみに本書の翻訳を担当した宇野輝雄氏が今年の初めに亡くなられていたことを、今月発売のミステリマガジンで初めて認めた。本書はそのことを知らないで本当に何となく手に取った。クリスティーからシェル・スコット、ハニー・ウエストまで幅広く邦訳してくれた大ベテランの業績に深く感謝。

No.165 7点 贋作- パトリシア・ハイスミス 2017/05/20 03:52
(ネタバレなし)
 6年前になりゆきから友人の御曹司ディッキー・グリーンリーフを殺害し、その財産を手中に納める完全犯罪を為した青年トム(トーマス)・P・リップリー(リプリー)。31歳になった彼は新妻エロイーズとともに、フランスの片田舎で有閑生活を営んでいた。トムの今の収入源の一つは、異才の画家フィリップ・ダーワットの絵画を売買し、また彼が監修役を務める美術機関「ダーワット画廊」によるものだが、実は数年前に当のダーワットは溺死しており、その事実を隠したトムと仲間たちは若手画家バーナード・タフツにその贋作を描かせては利益を上げていた。そんななか、ダーワットの現在の技法に違和感を覚えた素人美術愛好家のアメリカ人、トーマス・マーチソンが来仏。マーチソンに真実を見破られたトムは彼を殺害し、仲間たちを巻き込んで事態の収拾を図るが……。

 リプリー(角川文庫の訳書ではリップリー表記)を主役とするピカレスクサスペンス五部作の第二弾。今回は以前から購入してあった1973年刊行の角川文庫版で読了(現状のAmazonには登録がないが、この角川文庫が日本初訳の元版である)。
 アマチュア~セミプロの犯罪者、リップリーの独特の魅力<まちがいなく悪人・でも破滅しないでもらいたいと読み手に思わせるあの奇妙な感覚>は前作同様、今回も健在。
 文体は相応に粘着質で、最初の内こそ疾走感は希薄だが、読みなれてゆくとそのじわじわ来るサスペンス味が実にたまらなくなる。その辺はいかにもハイスミス作品。リップリーの周囲に集う面々の誰がどのように重心を変えて事件に関わってくるか、読み手の想像力を刺激するその感覚が絶妙で、後半3分の1になってついにリップリーをおびやかすキーパーソンとなる人物が定まってからは、正にイッキ読みの面白さだった。
(なお作中でははっきり語られていないが、その登場人物のさりげない独白は、過去の語られざる事件性の一端を暗示させている…んだろうね。)

 ただひとつ残念なのは、本書の最初の翻訳が出たのが73年だったんだから、できればこれはその数年内に読んでおきたかったとも思った(筆者の場合、現実的にはいろいろ無理だが)。それはラストの演出でわかる。当時、リアルタイムで読めた人が少し羨ましいですな。

No.164 7点 ずうのめ人形- 澤村伊智 2017/05/16 14:22
(ネタバレなし)
 零細雑誌「月刊ブルシット」のバイト編集者・藤間洋介は編集長の戸波の指示で、学生バイトの岩田哲人とともに、連載ライター・湯水清志の自宅に向かう。目的は、締め切りが過ぎても原稿が届かず、連絡もない湯水が気になったからだが、そこで藤間と岩田が目にしたのは両目を抉られ、顔を切り刻まれた湯水の惨殺死体だった。岩田は現場から、湯水の遺稿と思える不審な原稿を独断で持ち帰り、その複写を半ば強引に藤間にも読ませる。だがそれこそが、藤間にとりつく怪異「ずうのめ人形」の呪いの始まりだった…。

 ホラーながらミステリとしても面白いという評判を聞いて初めて作者の著作を読んでみたが…しまった! 前作『ぼぎわんが、来る』の後を受けたシリーズもの(オカルトライターの野崎昆と、その恋人の霊能力者・比嘉真琴が活躍)だった! 
 まあたぶん単品で読んでも大きな問題はなかったと思うが、そっち(『ぼぎわん』)はそっちで面白そうだったので、シリーズの順番どおりに手に取ればよかったな、とも思う。
 超自然的な怪異そのものは厳然と存在する世界観だが、その上で過去の事態をめぐるホワットダニットや、錯綜した人間関係の謎がてんこ盛り。さらにはあの手の大技も出てきて、なるほどこれはミステリとしても十分に楽しめる。
 ちなみにJホラーはそんなに詳しくないのだが、終盤の「これはありか…」という展開も含めてそれらしい湿った怖さと不愉快さは感じた。
 あと本の厚みだけみるとハードカバーで300ページくらいかなと読み始める前は思ったが、実際には斤量の低い紙を使っていて400ページ近くあった。なんかその辺もこちらのスキを突いてくるようでコワかった。

No.163 6点 ミス・ブランディッシの蘭- ハドリー・チェイス 2017/05/16 07:51
(ネタバレなし)
 フランク・ライリー(37歳位)は、相棒のジョン・ベイリー(34歳)そして運転手役のサム・マッケイ(60歳位)と結託。荒事商売で糧を稼ぐギャングのトリオ。3人は、食品業界で「牛肉王」として知られる億万長者ジョン・ブランディッシの美貌の令嬢ミス・ブランディッシが身に着ける、五万ドル相当の価値の首飾りを狙う。だがライリーたちの悪事は成り行きで、首飾りの強奪から令嬢の誘拐へと発展した。4カ月後、ジョン・ブランディッシはいまだ落着しない愛娘の誘拐事件の調査のため、斯界で有名な私立探偵デイヴ・フェナーを雇うが……。

 1939年に書かれ、当時の異色の英国ハードボイルドとして大反響を呼んだチェイスの処女作(創元文庫版のあとがきで訳者の井上一夫は1938年の作品と書いてるが、現在のwebでの各種の情報を参照すると1939年の著作らしい)。ところが内容がバイオレンスに過激すぎてかのジョージ・オーウェルとかの批判を食らい、やや内容をマイルドにした改定版が1942年に刊行。創元文庫の翻訳はこちらをベースにしている。

 それで感想だが、すでに何冊か後年のチェイス作品を読み、自分のなかで最高傑作と信じる『射撃の報酬5万ドル』を頂点に、ほろ苦い文芸性が多かれ少なかれにじむ独特なノワール系の作風に楽しまされてきた身としては、ああ、本当に良くも悪くもこの手の方向としての直球勝負だな、という感じの一冊。
 後年の諸作がそれぞれひしひし感じさせる、筋運びの達者さを見せつける職人作家ぶりはいまひとつ希薄だが(それでも前半3分の1の展開など、これがほぼ80年前の英国でそれなり以上に衝撃的だったのは想像がつく)、その分、全体的に当時の作者の<この一冊で英国のミステリ界をひっかきまわしてやる>的な熱気は感じられ、そのエネルギッシュな感触は悪くない。
 ただまあ、さすがに過激さの点でも、小説技法の点でも、あまたのほかのノワール系の後続作家に抜かれてしまった感じもいくらかは覚えたが、それは仕方ない。この手の作品の新古典と思って読む心構えは必要だとは思う。

 なお本書の続編『蘭の肉体』はまだ未読だが、内容は改定版の結末を受けたこの物語の次世代編のようで、早くも本書の改定版から十年経たないうちに書かれている。設定を覗くと作中では最低でも二十年近くの時間は経っているはずで、その意味では本書を基軸とするなら一種の近未来編だね。いつかそっちも読んでみよう。
 また、中盤からもう一人の主人公的な立場となる私立探偵フェナーは、ほかにも活躍する未訳の長編があるらしい。興味があるので、いつか、本書の原型版とあわせて邦訳される日は来ないものか。切に希望。

No.162 5点 蒼ざめた馬- アガサ・クリスティー 2017/05/13 16:39
(ネタバレなし)
 クリスティー1961年の作品。今回は仕舞いこんであったポケミス版の重版を引っ張り出してきて読んだ。
 それにしても、うーん、登場人物が多い……。まともに付き合って、被害者のゴーマン神父が握ってたメモの名前までふくめて片っ端からリスト化していったら、最終的に60~70もの人名が並んでしまった。たぶんこの作者のなかでも筆頭格の多さじゃないかしらん。(そのくせ、ポケミス版の登場人物一覧に、主人公マークのガールフレンドのハーミアの名が無いのは解せない。)

 でもってこの作品でのクリスティーの狙いとしては、戦後すぐアメリカに行ってしまった盟友のカーとかが海の向こうで歴史ミステリ枠のなかでSFやらスーパーナチュラルな要素をぶっ込んでるのを遠目に、当時のミステリの女王が<一見オカルトものに終わりそうな異色作>をもくろんでみたような感じかと。その意味では全能感の強い名探偵であるポアロもマープルも出さなかったのは正解である。
(とはいえほかの方も指摘されているように、オリヴァ夫人とキャルスロップ(カルスロップ)夫妻の共演という趣向が、ポアロものとマープルものの世界観をさりげなく繋げていてファンには楽しい。)
 
 真犯人に関してはクリスティーの作劇の手癖で早々と察しがついちゃうのがアレだし、事件や物語の細部でいまひとつ未詳な箇所も残る気もする。
 でもちょっとラブコメ風味のサスペンス編としては、中盤で真打のメインヒロインが登場~活躍してからはそれなりに面白い。ジンジャは良い感じでクリスティーらしいエッセンスの詰め込まれた、当時の現代っ子ヒロインだったんじゃないかなと。
 まあ事件の真相については、とにもかくにも20世紀半ばの法医学だから成立した種類の作品だろうとも思うけど。

No.161 6点 あるスパイの墓碑銘- エリック・アンブラー 2017/04/23 13:57
(ネタバレなし)
 私事で恐縮ながら、先日掲示板に書かせていただいたように、このところ多忙で、好きな、または個人的に興味のある本が読めない。それで本日ようやくこの一冊を消化した。
 本作は、ポケミス(世界探偵小説全集)566番の北村太郎訳(邦題『あるスパイの墓碑銘』)で読了。
 ちなみに本書は何種類か翻訳が出ている、作者アンブラーの中でも特に知られた作品だが、この長編を読むのなら、このポケミス版『あるスパイの墓碑銘』を絶対にお勧めする。
 理由は、本書の原書には1938年に出版された本国英国版と、それとは別に刊行されたアメリカ版があり、後者の方は相当にダイジェストされているから。
 そもそも筆者は大昔に創元文庫版を入手し、さあ読もうかと思った矢先、たまたま古書店で日本語版ヒッチコックマガジンの一冊を購入。その同誌に掲載されていた、ミステリ研究家の田中潤司の連載エッセイのある回で、本書には英国版とアメリカ版があり、大筋としてはかわらないが、情報量の多さからやはり元版の英国版をお勧めする、といった主旨の情報を得た。
 そしてくだんの英国の元版をベースにし、さらにアメリカ版に後年つけられた作者アンブラーの自作を語るあとがきまで親切に巻末付録としてあるのは、日本ではポケミスだけのはずである。これが本作を読むのならポケミス版を推す事情だ(ちなみに英国版には各章のあたまに小見出しが設けられていたが、アメリカ版ではそれも割愛されている)。
 
 それでポケミス版の訳者解説によると、アメリカ版は日本語の原稿用紙にして約100枚分短くなっているとのことで、読む前、それはいささかオーバーなのでは…ともなんとなく思ったが、しかし実際に今回、ほかの翻訳書(創元のいくつかの翻訳版、そして筑摩書房の世界ロマン文庫版)などを脇に置いて読み比べてみたけど、英国(ポケミス)版の第16章「逃げてきた人たち」がアメリカ版ではまるまるカットされたほか、各章本文の随所の描写も巧妙に整理・短縮されている。たしかにこれなら全体の5~6分の1くらい、すぐ短くなっちゃうかもしれない。
(まあ日本語の読み物としては、アメリカ版ベースの翻訳書の方が、その分スピーディになった効果もあるかもしれないけど。)
 
 …というような事情で、いつか読むならポケミス版で…と大昔から思いながらも、先に購入しちゃった創元版が手元にあることもあり、同じ作品をまた買い直すのもなー、と思いつつ、長い歳月が経っちゃった一作だった。
 それで、これもまた、今回いつものように「一念発起して」念願のポケミス版で読んでみたというわけである(笑・しかし我ながら、このサイトに参加させて頂いてからもうじき一年。いままで何回「一念発起」して積読本を片づけたろう。たぶんまだまだこのパターンは続くだろうが)。
 まあこんなこと長々と書いたけど、すでに近年、改めてどっかで語られている有名な書誌的事実かも知れないけれど。

 作品の中身としては、久々のアンブラー(数年前に『ディミトリオス』を初読)だったけど、やっぱり面白いね。今までのアンブラーの個人的な最高傑作(というか大好きな作品)は『シルマー家の遺産』だけど、本邦では作者の代表作かのように言われる作品だけに、良い意味で一種の定食的な満腹感がある。(作中、不遇な運命を迎えた登場人物は気の毒だが。)
 ところで、上に書いた英国版の第16章がアメリカでカットされた事情ってなんだろう。やっぱりフランシスの初期作品にも登場するあの手の背徳性(を匂わせる描写)を誰かが規制したのだろうか? 

【2022年5月16日追記】
 上の本文で、「日本語版ヒッチコックマガジンの一冊」と書いたけど、この情報が書かれていた田中潤司の連載エッセイ(のうちの一回)は、正しくは「別冊宝石」の「鬼の手帳」だったような気がしてきた。たまたま「別冊宝石」を何冊か引っ張り出して読んでると、該当の号には出会わないが、この連載のなかでだったように思えるのである。

No.160 7点 レフカスの原人- ハモンド・イネス 2017/04/12 03:09
(ネタバレなし)
 「私」こと27歳の一等航海士ポール・ヴァン・デア・ブールト(旧名ポール・スコット)はある夜、暗殺者に狙われた同僚を庇って応戦。その乱闘の最中に正当防衛とはいえ人を殺したのではないかと心を苛んでいた。警察の追求を避けるポールは、不仲で8年間も会っていない養父で60歳の考古学者ピーター・ヴァン・デア・ブールトの留守宅に忍び込むが、そこでポールは亡き母ルースがピーターに当てた昔の手紙から、養父が実は本当に血の繋がった実父だったと認める。ポールは同じ夜、父の自宅をあいついで訪れた、ピーターを敬愛する21歳の女子学生ソーニャ・ヴィンターズ、そしてロンドン大学の考古学教授ビル・ホルロイドと対面。彼らとの会話のなかで、学会を追われた異端の老学者である父ピーターが今は地中海に発掘調査に赴き、現地で助手の若者との間にトラブルを生じているらしいと知った。なさぬ仲の父のことなど忘れて洋上の船員生活に戻ろうかと一度は考えるポールだが、就業直前に思い直した彼は父のいる地中海に向かう。そこに待つのは人類発祥の謎をはらむレフカス島の古代遺跡と、開戦の危機下にある現在のギリシャの政情だった。

 英国の自然派冒険小説の巨匠イネスの1971年の作品。筆者はこれまで読んできた何冊かのイネス作品(『キャンベル渓谷の激闘』『北海の星』『怒りの山』など)には、それぞれ重厚ながら同時にすごく骨太な小説的満足感を得てきた。
 それで今回は久々に作者の世界に浸りたいと思い、以前から気になっていた題名の一冊を手に取った。ギリシャの西の地中海にあるレフカス島が小説後半の主舞台であり、このタイトルからして考古学の発掘を主題にした冒険行と人間ドラマになるのは明白。実際に渋くて地味な筋立てだが、イネスの作品はそんな外連味のない大枠のなかで丁寧に綴られる人間模様が、厳しい自然との相克が、そして何故か飽きさせないストーリーテリングの妙が、それぞれ本当に素晴らしいのだからそれでいい。
(だから逆説的に今回は、イネスの未読作品の中でも特に地味っぽいこのタイトルの本書を、きっとこういうのこそとりわけ<イネスっぽい>のだろうと予見しながら選んだ思いもあった~笑~。)

 内容は予期したとおりミステリ味も希薄、活劇アクションなどもほとんどない渋い作りだが、主人公ポールが周辺の登場人物と絡み合いながら地中海に向かうまでの流れが丁寧に描き込まれ、読者の目線と合致した日常の場からの跳躍感がたまらない。これこそ自然派冒険小説の雄ハモンド・イネスの物語世界である。
 くわえて多様な登場人物たちもそれぞれなかなか魅力的で味があり、意外に早々と登場するキーパーソンの父ピーターも、その恩師の老教授アドリアン・ギルモア博士も、そしてピーターの研究成果の横取りを企むホルロイド教授も、それぞれ学究の世界に身を置く者の多彩で際立った肖像で描かれる。そしてそんな彼らを前に、ポールの目線につきあう読者まで本作の主題となる考古学の深遠さに啓蒙されていく感覚もとてもいい。(さらにはヒロインのソーニャも、ポールを中古の大型ヨットで現地に送り届けるバレット夫妻も、地中海現地の面々も手堅い存在感と個性を放つ。)
 あとあまり書かない方がいいけれど、後半の展開で、ある種のミステリ的サプライズが用意されていたのにはニヤリとした。

 しかしじっくり読ませるタイプの冒険小説ながら、あらすじの形ではその妙味を伝えにくい面もある作品。それゆえ邦訳のハヤカワノヴェルズ版の表紙折り返しにはなかなかドラマチックな展開が紹介されているが、実は該当の場面が出てくるのはおよそ全300ページの本文のなかの266ページ目。ほとんどクライマックスのネタバレである。いつか本作を読もうという人は、ここは先に読まない方がいいかもしれない。
 まあケレン味の乏しい(でも面白い)この作品の扱いに困った当時の早川編集部の苦労も察せられるけど(笑)。

 最後に総括するなら、イネス作品全般の英国王道自然派冒険小説流の渋さ・地味さに合わない人にはあえて勧めない。でもほかのイネス作品に触れてなんか独特の魅力を自分なりに感じ取った人なら、ぜひこれも読んでもらいたい、そういう秀作。

No.159 5点 墜ちる人形- ヒルダ・ローレンス 2017/04/08 12:13
(ネタバレなし)
 NYにある煉瓦作りの8階建ての「希望館」は、裕福な篤志家の後援で運営される独身女性専用の集合住宅。環境や設備は良好で部屋代も格安ながら、その分、約70人におよぶ住人への日々の規律は厳格という気風の寄宿寮だった。この「希望館」に近隣のブラックマン・デパートのやり手の店員ルース・ミラー(29歳)が入居するが、それから数日後の仮装パーティの夜、彼女は7階から墜落して変死を遂げる。ミラーをひいきにしていた実業家の若妻ロバータ・サットン(20歳)は、夫ニックの友人である私立探偵マーク・イーストに調査を依頼。同時にロバータの年長の友人コンビ、ベシー・ペティとピューラ・ポンドもアマチュア探偵として独自の行動を始める。

 ヘイクラフトやバウチャーにも称賛されたという1947年の新古典作品で、日本では20世紀の最後に発掘紹介された一冊。この作者のシリーズ探偵であるマーク・イーストものは、すでに1950年代の創元・世界探偵小説全集に『雪の上の血』が翻訳されており、本邦にはほぼ半世紀ぶりの再登場だった。
 ちなみに90年代~2000年前後の小学館はこの手の未訳の海外ミステリ古典発掘企画にも積極的で、以前に筆者は当時の担当編集者さん(今は別の出版社に移籍)にお話を伺う機会があったが、ご当人のあとは担当する後継者が小学館社内に育たなくてこの路線は途絶えたとのこと。返す返すも残念である。

 それで作品の中身は、アメリカの女流作家ながら、のちのレンデルやP・D・ジェイムズの重めの作品系列を思わせるみっしりした文体で綴られ、正直決して読み易い作品ではない。各章もそれぞれ中身の割に長すぎて息継ぎしにくいし、翻訳もところどころ気に障る。
 それでも多数の登場人物を一カ所の主要舞台に押し込めた設定に独特の緊張感と魅力があり、なかなか本が手放せない。ベシーとピューラの有閑おばさん素人探偵コンビも、読んでいるうちにその自在闊達な言動がじわじわ楽しくなってくる。個人的に、最近は長編作品はベッドではあまり読まないのだが、これは続きが気になって本を寝床まで持ち込んでしまった。フーダニットとサスペンスが融合した方向性でいえば、マーガレット・ミラーの諸作に通じるところもある。

 はたして最後に明かされる犯人の正体と動機に関しては面白い線を狙い、それをギリギリまで引っ張る演出も好感が持てるが、その分、解決のくだりなど少し舌ったらずな印象になった気もする。
 全体的には、一回くらいは読んでおきたい佳作。

No.158 4点 殺人狂時代ユリエ - 阿久悠 2017/04/04 10:18
(ネタバレなし)
 30歳のジャズピアニスト、阿波地明。彼は、婚約者の正田玲子を寝取って淫乱な女に変えたのち、彼女を自殺に追い込んだと思しき男=「悪魔」ことマイケル・落合の手掛かりを求めて全米を渡り歩いていた。そして日々の生活のため放浪の「サムライ・ピアニスト」として西部の田舎町を訪れた阿波地はそこで喧嘩沙汰を生じ、地元の留置場に拘留される。だがその数日後、近所のドライブインで、突如精神が一時的に幼児に退行したような30歳の高校教師デーブ・オリパレスがショットガンを乱射し、多数の死傷者が出る。現場にわずかに生き残った者の中に日本人らしい少女がいたことから、看守役の中年警官スチーブ・カークの依頼で臨時の通訳を務めることになった阿波地。彼は病院でその子と対面し、相手が一年と少し前に日本から突如失踪して世間を騒がせた中学生の美少女・西村ユリエだと気づく。これが阿波地と、彼の、いや全人類の運命を変える魔少女ユリエとの出会いだった。

 巨匠作詞家として高名で、ほかにも『瀬戸内少年野球団』の執筆など各メディアで文筆活動を行った著者の初期の長篇小説で、第二回横溝正史賞(現在の横溝正史ミステリ大賞)受賞作品。先日読んだ戸川安宣の「ぼくのミステリ・クロニクル」によると、当時の選考委員の一人だった土屋隆夫は本作の受賞に猛反対、結果、前回から同スタッフを務めていた土屋が3回目から外れ、さらに本書自体も何やかんやあって前回受賞の『この子の七つのお祝いに』(斎藤澪)のようにハードカバーでなく、カドカワノベルズの形で刊行されたという。(単行本での発売だと、本の巻末にその土屋の選評を載せざるを得ないからだろうか?)
 タイトルだけはなんとなく以前から気になっていた作品だが、実際に読んでみるとやはり通例の意味でのミステリではない(広義のミステリとしてもやや怪しい)。もし万が一、土屋隆夫が<せっかく創設したばかりの横溝先生の名を冠した賞が早々とこういう方向に行くのか!>と怒ったとでもいうのなら、その心情も十分に推される感じだ。

 内容そのものも、今となっては漫画やラノベを含めてよくありがちな悪魔少女ものになっており、21世紀の現代、歳月を経て残るものがあまりない。<見た目美しい幼い少女の中の魔性>という主題自体は時代を超える普遍的なものだから、あまりそこにばかり集中した作劇をすると、当時の昭和風俗の部分以外は小説の個性として後年に読む所が少なくなってしまうのが厳しいところである。

 ただまあ、さすがにヒットメイカーの作詞家だけあって、季節の推移や情景の描写などに費やすところどころの言葉の選び方はうまい、と思った。その一方で、それまでほとんどあるいはまったく登場していないハズの劇中人物が、いきなり読者目線ですでに見知ったキャラクターのように描かれるあたりは、妙に素人っぽかったのだけれど。

No.157 5点 幽霊殺人- ストルガツキー兄弟 2017/04/02 22:32
(ネタバレなし~少なくとも具体的な真相も犯人も書きません)
 「おれ」こと警察監査官のピーター・グレブスキーは家族を残して、冬山の渓谷「壜の細顎」にあるホテル「山の遭難者」に宿泊。二週間のスキー休暇を楽しむ予定だった。だがそのホテルで、密室状況の殺人と思われる事件が発生。雪崩の影響で平地との連絡も取りにくくなる。さらに同宿の者がもうひとりの自分を見たとか、室内の女性が人形に変わったなどと怪異を訴える。そんな一連の怪事の裏には、意外な真実が隠されていた。

 タルコフスキーのSF映画『ストーカー』の原作でも知られる、ソ連時代のロシアの兄弟SF作家アルカジイ&ボリス・ストルガツキーが1970年に母国の雑誌「青年時代」に連載した長編作品。
 設定も導入部も後半ギリギリまでの展開も純然たるオカルトミステリ風で、実際に作者コンビはミステリの意匠で読ませ、最後の最後で<読者があっと驚くどんでん返し>を狙ったようである。内容は正にその狙いに沿ったものなのだが、日本では本作が邦訳・収録された叢書のレーベルから、どういう方向のオチか待っているか大方読めてしまう。まあ本書の邦訳(1974年)以前からストルガツキー兄弟といえば日本でも当時のソ連SFの重要作家(の二人)といわれていたのだから、どういった叢書で出ても作者名を意識した時点で半ばアウトではあるが。
 訳者の深見弾は本書のあとがきで、日本の読者はあらかじめこの作品の「戸籍」がわかっている、その上でこの物語がどういう形でその戸籍に収まるのか、それを楽しむべし、という主旨の言い方をしているが、これこそ言い得て妙だ。

 素直に読むならたしかに<そういう方向>に行くまでの展開も、真相が発覚後の筋立ても、それぞれの味わいがある。
 でもまあやっぱり、ポケミスで<ソ連のSF作家が書いた異色の、雪山での謎の怪事件!>とかなんとか言われながら、読みたかったよなあ。
 いろいろ複雑な思いを抱きながら、この評点。

No.156 6点 狼のブルース- 五木寛之 2017/04/02 12:28
(ネタバレなし)
 大阪万博の開催を数年後に控えたその年の半ば。34歳になる歴戦の一匹狼の事件屋・黒沢竜介は、財界の大物でもある参議院議員・南郷義明のひそかな依頼を受ける。その内容は、毎年の大晦日に放送される公共放送協会(KHK)の国民的歌謡番組「東西歌合戦」を潰してほしい、というものだった。南郷の秘めた思惑も聞かぬまま、自分の丈を超えた巨大な仕事に闘志を燃やす黒沢はこの依頼を受けるが、そんな彼に南郷の娘で30前後の美人・由里が接近する…。はたして黒沢は、助手である19歳のハーフ美少女・水島マリや友人のトップ屋・露木の協力を得ながら、見知ったあるいは初対面の芸能界の大物を訪ね回り、今年の東西歌合戦への参加が噂される人気歌手が出場を辞退するよう工作を続けた。しかしKHK側は、特別待遇の<無籍局員>として米国の怪物的な芸能プロモーター、ウイリー・ムントと密約。アメリカのセクシー女優、キャシー・キャノンフィールドに同行して来日したそのムントとともに、大晦日の特別番組をさらに巨大化させる企画を進めていた。そんななか黒沢の周辺で知人が変死。謎の敵の妨害は、黒沢自身の近辺にも及んでくる。

 1967年の3月から9月にかけて「スポーツ・ニッポン」に連載された和製ハードボイルド。1980年に刊行された著者の全集に挟み込まれた月報では「いま流行のバイオレンス・ノベル(こういうと正鵠を射てませんが)の先駆をなす傑作です」(原文ママ)とカテゴライズされている。

 内容は、主に1960年代前半に放送作家として活躍した著者の素養が活かされた、芸能界内を舞台にした謀略もの。物語の核のひとつに、当時の音楽業界を、KHK(もちろん『紅白歌合戦』のNHKがモデル)と、レコード会社業界+民放連、どっちが牛耳るかという、現実を投影した熾烈な抗争がある。ちなみに現実世界の「レコード大賞」そのものは1950年代から設立されていたが、『歌合戦』と同じ大晦日にその受賞特別番組が放映されるようになったのは本作が執筆された2年後の1969年からだった。その辺を意識しながら読むとさらに興味深いかもしれない。

 さらに本作が執筆された67年といえば、わかりやすいマンガ・テレビ文化で言うなら、その年の最後から原作『あしたのジョー』の連載が始まる時節で、ブラウン管では『パーマン(白黒)』『キャプテン・ウルトラ』『ウルトラセブン』がまだギンギンの新作だったちょうど半世紀前である。当然ながら社会総体のテレビメディアへの依存や期待ぶり・注目度など、現在とは隔世の感があるが、一方で米国の干渉を受けながら大国の利用を図らんとする日本側の思惑、社会の裏で生きる者の世代交代の軋轢など、21世紀の現代にもなお通じる興味も多く、旧世紀の風物や文化の描写のなかからその辺の普遍性を拾っていく読み方が楽しい。

 まあ当時としてはかなり前衛的だったのだろう主人公の描写(少年時代に確率2分の1のロシアンルーレットを自分自身に行い、その結果、常人にはない達観した死生観を得るとか)が、今ではまったくの厨二ラノベ風になってしまったのは、その後半世紀にわたる後発の読み物文化全般が爛熟したからだが。

 とまれ昭和の旧作活劇小説としては、もろもろの興味も含めて総体的に楽しめた。苛烈な残酷描写などはほとんどないが、それでも抑制された筆致でさりげなくしたたかに人間の暴力性や裏切り・打算が描かれているのは、作者自身の資質とこの時代の規制が溶け合った感じでとてもいい。さすがに部分的には、よくも悪くも21世紀の新作なら絶対に描かれないという感じの、甘い描写や展開もあるけれど。

 登場人物も主人公の黒沢や彼の恩人である政界の黒幕・北波老人など印象的なキャラクターが少なくないが、特にダブルヒロインの片方のマリが魅力的。以前は横浜のズベ公のリーダーだったがまだ処女で、主人公の黒沢に恋焦がれながらも、やさぐれた自分を意識する黒沢の方は彼女を大事に思って手をつけないという、男性読者のある種の願望を充足(どっかミッキー・スピレイン風だ)。一方でマリの方はそれが悔しくて、暑い夏の日にわざとビキニの水着で事務仕事をして黒沢を挑発するあたりなど、読んでいて脳がとろける。ここはいやらしいオヤジの感想でした。

No.155 6点 ルパン、100億フランの炎- ボアロー&ナルスジャック 2017/03/31 23:08
(ネタバレなし)
 1919年の春。前年11月に終結した世界大戦の傷跡がまだ生々しいフランス。怪盗紳士ルパンは新たに部下に加えた青年ベルナルダンとともに、大物御用商人グザヴィエ・マンダイユの屋敷に忍び込むが、富豪のはずの同家はすでに凋落の気配が漂っていた。美しいマンダイユ夫人ベアトリスの肖像画に魅せられたルパンは、屋内の秘密の隠し場所に少額の50フラン紙幣が意味ありげに仕舞われていることに不審を抱く。だがそこに当主のマンダイユが登場。慌てたベルナルダンが主人に発砲し、負傷させてしまう。やがて警察内に潜入させている部下ドートビル兄弟の情報から、病院で治療中のマンダイユが奇妙な文句を口にしていることを知ったルパンは、同家の事情をさらに探ろうとする。しかしルパンを待っていたのは、シャンパーニュ地方の名家の主ベルジイ・モンコルネの遺産相続にからむ連続殺人事件だった。

 おなじみボアロー&ナルスジャック(本書の場合は、表紙周りと奥付が、ボワロ&ナルスジャックまたはボワロ=ナルスジャック標記)コンビによる、贋作アルセーヌ・ルパン路線の第四弾。
 本シリーズの以前の既訳3冊は新潮文庫で発売されたが、これのみ当時のサンリオの出版部から刊行。その結果、ファンにも入手困難な古書としてキキメになっているが、このたび借りて読んでみた(たぶん、実はずっと前に買ってあって、どっかに仕舞って忘れてるってことはない…ないだろう…けど…)。
  
 筆者は贋作ルパンの先行3冊はだいぶ前に読み、その良い意味でのモノマネぶり、原典からのネタの拾い具合の妙味、さらに20世紀70年代の新作ミステリと、それぞれの部分で楽しませてもらった記憶があるが、本書もそれらと同様の、上質のパスティーシュになっている。ルブランの原作世界の事件簿でいえば『三十棺桶島』と『虎の牙』の合間に位置する内容で、『8・1・3』で活躍したあのキャラやかのキャラの再登場や贋作第一弾『ウネルヴィル城館の秘密』との接点なども語られ、ファンサービスもぬかりない。

 またオリジナルの新作ミステリとしては後半にかなり大きなサプライズも用意され(分かる人は分かるかもしれないが)、さらに事件の主題が、現実の1912年に生じたかの歴史的海難事故にからんでくるなど、物語の広がり具合もなかなか印象的なもの。
 まあ個人的に、終盤のまとめ方はちょっと小ぶりな感じもあったが、たぶん作者コンビが本書で今回書きたかったのは、原典の佳作『金三角』のごとき愛国者ルパンの義侠心みたいだし、そっちの方はしっかりと実感できたので良しとする。
(ちなみに筆者は数年前に、南洋一郎による本作のジュブナイル翻訳(翻案)版『ルパンと殺人魔』はすでに読了済みで、今回本書を読んでいくうちにそっちの方の流れも次第に思い出した。それゆえ本書の名場面のいくつかは既視感もあり、『殺人魔』の大筋はおおむねベースとなった本作『100億フラン』に沿っていたような印象もある。)

 しかしこの作品、贋作ルパン路線の版元が変わって文庫オリジナルから単行本になったこともあって読者が離れ、当時は売れなかったんだろうなあ…。そのおかげか、シリーズの最終作である第5弾(仮題「アルセーヌ・ルパンの誓い」)は、本書の刊行から40年経った現在も、大人向けの完訳としてはいまだに日本で翻訳刊行されてない。
 幻の原典『ルパン最後の恋』が発掘されて怪盗紳士ルパンが21世紀の世を賑わした昨今、くだんの未訳のルパン贋作5作目も、どっかで普通に邦訳してほしいのだが。   

【2018年11月14日:追記】やっぱり自室の見えないところにあった。しかも帯付き。ダメじゃん(汗)

No.154 5点 マーティニと殺人と- ヘンリイ・ケイン 2017/03/29 19:49
(ネタバレなし)
「俺」ことピート・チェンバースは、元刑事である年長の共同経営者フィリップ・スコーフォールとともに、NYに事務所を構える私立探偵。複数の嘱託探偵を抱えて手広く仕事をしている。ある日、チェンバースは宝石流通界の大物ブレア・カーティスに相談を請われて彼の住居に向かうが、そこで遭遇したのはカーティスの妻ロシェル・ブラット・カーティスが路上で射殺される現場だった。現場から逃走したタクシーはやがて別の場所で発見されるが、その中からは別の2人の死体が見つかり、一方はチェンバースの知己である実業家マッティ・パイナップルの弟ジョオのものだった。カーティスとマッティの双方から依頼を受けたチェンバースは調査を開始。カーティス夫妻の周辺の上流階級の連中に対面するが。

 1947年のアメリカ作品。いわゆる50年代周辺の軽ハードボイルド私立探偵小説の一冊で、30冊前後の著作でチェンバースを活躍させた当時の人気作家ケインの初の長編にあたる。
 私的にケイン作品は大昔に日本版「マンハント」のバックナンバーを集めて中短編を楽しんでいた記憶があり、久々にこういうものも面白いかなと読んでみた。
 しかし改めて今回「うわあ…」となったのが、中田耕治の翻訳。つまり当時はイキ(なつもり)だったのであろう、過度のカタカナまじりの訳文。これがものの見事に現代とズレており、そんなに長くもなく本来はテンポの良い感触の一冊を読むのにえらくエネルギーを消費した。

 ちょっと例を挙げると
「まさか車のうしろをブチぬくかどうかわからない弾丸で、二人も死んじまつたチュウンじゃないダロ?」
(18ページ:たぶん「まさか車のうしろを貫通するかどうかわからない弾丸で、二人も死んじまったって言うんじゃないだろう?」)
「そいつはイイな」俺は優しくいつた。「イイじゃんか」(39ページ)
「すつかりゲッソリしちまつたミスター・ゴーリンに、サイナラをいつて、せいぜい長生きしてくださいと挨拶してから、とつととここから逃げ出した。」(100ページ)
 
 ……まあ、マトモなところは普通の日本語なのだから、これは悪い意味での演出の過剰さが時代を超えられなかったというところだろう。同じ訳者による第二長編『地獄の椅子』も買ってあるけど、そっちはどうなんだろうなあ。
 実は本書は日本語版「マンハント」に『ドライ・ジンと殺人と』の邦題で先に一挙掲載された長編を書籍化した(たぶん改稿を加えて)一冊だから、あえて和製「マンハント」調の威勢の良い日本語になってる可能性はあるけれど(そのへんは当時の日本語版「マンハント」の翻訳作品全般の雰囲気を察してください)。 
 ちなみに本作の原題は“Martinis and Murder”で「M」の頭韻を踏んでいた。それゆえ「マンハント」掲載時は原題を意識して「じん」の脚韻を踏まえた邦題だったが、ポケミス収録時により直訳に近いものになり、日本語タイトリングのお遊びはそこで消滅したという経緯がある。

 とまれ本作の肝心のミステリ部&ストーリーの内容としては、錯綜した人間関係に斬り込んでいくチェンバースの行動と推理が明快。しかも彼自身が手掛かりを掴むたびにこまめに動き回る一方、指揮下の探偵チームも自在に活躍し、お話としては結構よくできてる。このキツい訳文ながらなんとか2日で読了できたのはそのおかげだ(ただし劇中人物の総数はおそろしく多く、200ページちょっとのポケミスの中に約50名もの名前ありキャラクターが登場。巻頭の一覧表の中にも、この人物は入れておいた方がいいのでは? というのまで存在する)。

 あと、最後まで秘書を置かなかったマーロウやアーチャー、秘書がいてもヴェルダやフィリス、ルーシイなどの秘書ヒロインたちと精神的な蜜月関係にあったマイク・ハマーやマイケル・シェーンと違い(フィリスとシェーンは実際に婚姻までしている)、本作内の主人公の職場まわりは<中堅企業の実業家として麾下の民間探偵に采配を下すビジネスマン的な私立探偵ヒーロー>といった妙味も獲得。その辺はネロ・ウルフものやエリンの『第八の地獄』に通じる味わいもあり、そんな意味でのお仕事小説的な魅力も伝わってきた。
 はたして本書の評点は、翻訳で評価が下がってこの点数。

 んー、21世紀の新刊・新訳で、本シリーズの中の面白そうな未訳編とか出ないかな。何故かただひとり昨今も恵まれているシェル・スコットみたいに、こっちもワンチャンスくらいあげてほしい。

No.153 7点 嘘つきパズル- 黒田研二 2017/03/28 08:20
(ネタバレなし)
 本サイトでの評判が頗る良いので読んでみた。
 内容は『鷲見ヶ原うぐいすの論証』『臨床真実士ユイカの論理 文渡家の一族』などと同様に、特殊な設定のもとに登場人物の虚言に制約がかかる超論理ものだが、主題への取り組みではこの作品が、最も正面から勝負している。

 ロジックの立て方の精度に対し、最後まで謎となる非日常ギミックの正体がストレートな感もあるが、そこに至るまでの伏線・手がかりの出し方、さらにミスディレクションの話術がかなり巧妙で、そこら辺も評価の対象。
 あとあの『ウェディング・ドレス』の黒田センセだから、当然その手の仕掛けを…と思って読み、実際(中略)であった。その辺もなかなか。
 クロージングはキレイで、そしてこの特殊ロジックに満ちた作品らしくて良いね。仕様としてジュブナイルだからこそ似合う、ラストなんだけど。

No.152 5点 緑のダイヤ- アーサー・モリスン 2017/03/27 18:09
(ネタバレなし)
 1902年のインドのデリー。当時のインドが英国領になって初めてのインド皇帝の即位式が開催され、各地の王族がそれぞれ貴重な装飾品を携えて参列した。だがその式典の最中に、グーナ族の誇る長さ1インチ以上の緑色ダイヤ「グーナの眼」が模造品にすり替わっていたことが判明する。一方、冒険家兼ブローカーの青年ハーヴィ・クルック(35歳)は、知人の商人フランク・ハーンの依頼を受け、1ダースの珍しめの葡萄酒の瓶をインドから英国に輸送する。しかし英国に向かう洋上で米国の富豪ライアン・W・メリックと知り合ったクルックは、自分の判断でその葡萄酒のセットを丸ごとメリックに譲渡した。英国でハーンと再会したクルックは、先に聞いていた葡萄酒の価値よりもずっと高値になったとその売り上げを相手に渡す。しかしハーンは慌てて、各地に分散して売却された葡萄酒の行方を追いはじめる。クルックは、先日盗難にあったグーナの眼がその1ダースの瓶のどれかの中に隠されていたのだと察した。

 マーチン・ヒューイットもので有名なモリスンが1904年に刊行したノン・シリーズ作品。
 ちなみにミステリ資料サイトのAga-Search(いつも活用させて頂いている。しかし最近、情報の更新をしてくれないね…)では、短編集のカテゴリーに分類されているが、実際にはれっきとした長編。
(まあこういう内容だから、分散した葡萄酒の瓶の行方を追っていくつかのエピソードを串ダンゴ風に繋げる部分もあるのだが。)

 今回は、以前に購入してあった、旧・東京創元社の世界大ロマン全集で読了。同叢書の化粧箱の裏には「古典推理小説ベストテンの名作」と書いてあるが、もちろんこれはまったくの誇大文句(笑)。
 実際の中身は、ミステリ的には他愛無い、刊行当時のリアルなおとぎ話みたいな感触の作品。とはいえ中盤の瓶を追うくだりは構成上ファールに終わるのが見え見えながら、その上で該当部にはちょっとだけトリッキィな趣向も用意。そんな意味ではそこそこ楽しめる。
 クルックはハーンの計画を知って先回りし、ダイヤを見つけてインドの王族に返そうとする(ついでにあわよくばお礼も貰おうとする)が、ここで事情を知った初老の富豪メリックが積極的に追っかけの仲間入りを願うドタバタぶりもちょっと愉快。
 ただまあモリスン、時たまちょっとだけ輝きを見せながらも、やはり同時代のドイルやチェスタートンはもちろん、フリーマンにもフットレルにも及びもつかなかった作家だよね、というのも正直なところだった。評点は、この長編だけなら4点にかなり近い5点。

 なお本作は短めの長編(新書版変形の二段組みで、約180ページ弱)なので、世界大ロマン全集のほかの長めの作品に比してボリューム不足だと思ったのか、訳者の延原謙がセレクトしたらしい中編『霧の夜』(リチャード・ハーディング・デーヴィス作)と、短編『ある殺人者の日記』(マルセル・ベルジュ作)を併録してある(後者は化粧箱では「殺人者の日記」と中途半端な題名で表記)。
『霧の夜』は「千夜一夜物語」か、カーの『めくら頭巾』などを思わせる、語り部による奇譚風の作品。三部作構成の事件譚で、最後に意外などんでん返しもあり、正直ミステリとしては『緑のダイヤ』よりもはるかに面白い。『ある殺人者の日記』は殺人者らしき人物の手記形式で綴られる、クライムストーリー調のサスペンス編。小味な作品だか、これはこれで悪くなかった。
 ただなんでこの3作を組み合わせたかのイクスキューズは特になく、その辺は単に紙幅的な事情でもいいから、延原の一応の説明を聞きたかったところ。『霧の夜』にはキーアイテムとして高価な首飾りが登場するから、これは宝石つながりの三本セレクトかな、と途中で思ったけど『ある殺人者の日記』は、まったく関係なかったし。

No.151 6点 密室の鎮魂歌- 岸田るり子 2017/03/26 20:44
(ネタバレなし)
 密室からの人間消失~そのまま失踪? という怪異な状況から五年を経て、ある時、新規に再開される連続密室殺人事件。この蠱惑的な設定にまずゾクゾク。

 まあ、作者の何らかの意向か、あるいは不況時代のぬかみそサービスか知らないが、女性主人公(リストラにあった37歳のアートデザイナー)の悩みの種の貧乏ぶりがいささか度を越して辛気臭い感じはあったけど。

 それで肝心のミステリ部分は、二つ三つ反則的な箇所もあるが、真相の露見後に事態を整理していくと……うん、なかなかこれはよく出来ている。
(たしかにE-BANKERさんのおっしゃる不満のふたつめなど、そこはちょっと不自然な印象の箇所もあるが。)

 数を絞った名前ありキャラクターが総じて際立った個性を与えられ、こういうタイプの人物なら後半…になるんだろうな、と思いきや、良い感じにいくつか予断を外してくる。そういう手際も悪くない。
 事件の真相の相当部分が、作中人物の手記でいっぺんに説明されちゃう構成はちょっと乱暴な気もするが、終盤の物語の異形感は印象深い。
 日下圭介とかをもうちょっと悪趣味にしたような作風といえるかも。 

No.150 6点 伯母の死- C・H・B・キッチン 2017/03/24 12:53
(ネタバレなし)
「僕」こと、ロンドンで株式仲買を職業とする26歳のマルカム・ウォレンは、親類縁者の中で筆頭の金持ちである65歳の伯母キャサリン・カートライトに招かれ、投資の相談を受けることになった。大富豪だった亡き夫ジョン・デニスの莫大な遺産を継承したキャサリンは現在、彼女の愛車の元管理人だった38歳の男性ハンニバル・カートライトと再婚しており、マルカムはそのハンニバルともそれなりに仲が良かった。だがマルカムの訪問中、強壮剤の瓶に入った毒薬で叔母の命が絶たれる事件が起きる。

 正統派の英国風パズラーで、ポケミス200ページ弱という紙幅も手ごろですらすら読める。名前を与えられた登場人物(主に主人公の広義の親類縁者)は50人近いが、本当に重要なのはその内の10人前後。物語上で焦点を当てられたそれらの主要人物たちに関しては、なかなかキャラクターがくっきりと描き分けられて印象に残る。
(一方でマルカムの生意気そうな美人の従姉妹たちなど、もうちょっと活躍させればという面々も多いが。あと、前半でいかにも思わせぶりに登場しかけておいて、結局そのまま消えてしまう看護婦はいったい何だったのだろう?)

 なお解説で編集者のM氏(たぶん都筑道夫)が<本作の時代の先端ぶり>を謳っているものの、この点に関してはnukkamさんのおっしゃるように、実は特に際立った新しさは感じられない。むしろ伝統的な、人間模様の綾のなかにフーダニットを埋め込んだ手堅く愉しめる一冊という感じ。個人的には、真犯人もかなり意外である(伏線や手がかりもそれなりに用意されてはいる)。
 
 あと、これもまたnukkamさんの言われるとおりだが、13章での主人公のぶっとんだ行動にはかなり虚を突かれた。天然ボケのユーモアなら、これはこれで実に味がある。くわえて主人公がミステリファン(ゴア大佐もので有名なリン・ブロックを読んでいたり、ウォーレスを購入したりする)というのも微笑ましい。本作はシリーズものになってるらしいので、論創あたりでできればこの続きを今からでも出してほしい。

 ところで本書の翻訳は大ベテランの宇野利泰らしく、古い訳文ながら総体的にはとても読み易いのだが、名前や人称の表記などの面ではどうも杜撰。
 主人公の名前は、裏表紙のあらすじと登場人物一覧表代りの巻頭の家系図では「マルコム」表記なのに、実際の本文では全編通して「マルカム」だし(……)、一人称の「僕」が時たま地の文で「私」(P62、77)や「おれ」(P66)に変わったりもする。さらに端役の警察医マシューズがあとあとでマシウスと表記されたりしている(同一キャラだよね?)。
 こういうのは訳者ばかりでなく編集の責任でもあったのだろうけど、きっちりとして欲しかった(次の重版の機会がもしあれば、その時はよろしく)。 

No.149 6点 恐怖省- グレアム・グリーン 2017/03/23 13:31
(ネタバレなし)
 第二次大戦中、空爆下のロンドン。かつて難病の愛妻アリスをその病苦から解放するため、毒薬で<慈悲の殺人>を行った中年アーサー・ロウ。彼は情状を斟酌されて精神病院内で監察を受けていたが、現在は自由の身になり、町の片隅でひっそり暮らしていた。以前は辣腕ジャーナリストで資産にも多少の余裕があるロウは慈善市に赴き、戦時下では貴重な手作りのケーキを買う。そして自宅のアパートに持ち帰って大家のミセス・パーヴィスとともにそれを食べた直後、一人の男が現れ、そのケーキは間違って売ったものなので返してほしいと強行に訴えた。ロウは不審を抱くが、その時、爆撃でアパートは半壊し、訪問者の男は爆死した。ケーキにどのような秘密が潜んでいたのか。関心を覚えたロウは老舗の探偵社オーソテックス社に赴き、さらに自ら、かの慈善市に関連の慈善団体「自由諸国の母 後援会」にも足を運ぶが……。

 1943年の戦時下に刊行されたスパイ・スリラー。1980年の「グレアム・グリーン全集」版で読了(1959年の「グレアム・グリーン選集」版と同じ翻訳者ながら、訳文が推敲されている)。

 筆者的には以前に『拳銃売ります』を読んで以来、本当に久々のグレアム・グリーンである。『拳銃』の(もはや細部は忘れながらも)全編の詩情に満ちた雰囲気をうっすらと覚えているので、あの感覚にまた触れたいという思いで読み始めた。
 とはいえ実際に読み始めてみるとさすがに文芸性の高い内容で(グリーン自身は、本書をあくまでエンターテインメントとして著したようだが)、まず主人公アーサー・ロウの際立った設定とその内面描写の機微が相当の歯応え。

 <妻の苦しみを救うためその手を罪に染める>というある意味で最大のヒューマニズム行為(それは「毒殺」という法律上、もちろん許されない形だったのだが)を行い、ごく一部の世間からは同情と憐憫を受けながらも、それでも結局は「妻殺し」「精神病院帰り」というレッテルのもとに社会の枠組みから排斥されているロウ(彼は戦時下のロンドンの中で積極的にボランティア活動にも参加しようとするが、前述の事由から何度もやんわりとお断りを食らう)。
 この物語は巻き込まれ型スパイスリラーの大枠に分類される内容だが、一方で、そんな孤独なヒューマニストが謀略の中に(その概要も見定まらぬまま)あえて飛び込むことで自分の居場所を探そうとする、切なげな人間ドラマとしても読むことができる。
 まあ刊行時のリアルタイムの現実の敵であるナチス・ドイツへの協力者とそれに関連した事物に迫っていく内容そのものは、さすがに今となっては大時代な面もあるが、全四部に分かれた小説の構成は相応の起伏に富み(ソコはむしろ芝居がかっている印象もあるほど)、21世紀の今日でも普通に愉しめる。
 物語の流れや人間関係の変遷でそれなりに舌ッ足らずとも思える部分も多いが、そこらは読み手が想像で補うことで喰いつける。これはある程度はそういうことを要求する作品でもある。

 ちなみに本書の副読本として新潮選書のアンソニー・マスターズ「スパイだったスパイ小説家たち」、そのグレアム・グリーンの章を読むと、この作品は第二次大戦時、MI6に在籍していた当時の作者が赴任先の西アフリカで執筆。しかもその頃のグリーンは、のちに英国史に残る大物二重スパイ=かのキム・フィルビー(ル・カレの「スマイリー三部作」事件のキーパーソンのモデルであり、フォーサイスの『第四の核』にも実名で登場する謀略の仕掛け人)と懇意で、実際に彼の指示で動いてたというから色々スゴイ。英国スパイ小説史の裏側はフィクションと同様かそれ以上にドラマチックである。

 最後に題名の「恐怖省」とは、国家への無心な隷属か、あるいは反逆者としての破滅かの二択を迫る国家の行政上の観念のこと。作中では中盤の展開でロウが出会った青年ジョンズの口から、ドイツ人(ナチス)国家の暗部の意味合いでこの言葉が使われる。ただしグリーンの公正で理知的なところは、恐怖省はドイツばっかりじゃないだろ、と最後の最後にロウに実感させていること。
 そう、先述の「スパイだったスパイ小説家たち」を読むと、グリーン自身もMI6時代に、人間としてイヤなことを相当にさせられているのが分かるのである。   

No.148 6点 超高層ホテル殺人事件- 森村誠一 2017/03/21 12:35
(ネタバレなし)
 そのトリックのみ取り出してみればバカミスとしか言いようのないネタだけは昔から知っており、そのトンデモ無さに心惹かれて、いつか読もう読もうと思っていた一冊。
 しかし実際に通読してみると該当のトリックはあくまで謎解きのパーツの一つであり、ほかの複数の大小トリックや着想を組み合わせてあったのには、ここで初めて改めて認めて感銘。

 ここでちょっとだけ自分語りになるが、老舗ミステリサークル<SRの会>のメンバーである筆者は前世代の会員たちが本書の刊行当時の作者(森村氏)と悶着を起こしたという事情もあって、実は何となくそんな空気のなかで森村作品を長い間、敬遠していた(さすがにその頃、自分自身はまだ入会していなかったが)。
 そういう流れで森村作品は長編も数冊しか読んでいなかったが、さすがに今ではそういう考えもバカバカしくなって本書を手にした(そもそも当時の事情を再確認すると、SRの先輩方の物言いにも相応の問題はある)。思えばこの一冊を読むまで、ずいぶん時間がかかってしまった。
(大体、昨今ではSRの重要メンバーである山前さん自身が本書の光文社文庫版の解説を書き、その内容を褒めているのだ。)

 それで本書の私的な感想に戻ると、まず例の、あのトリックは<いや、それでも無理だろ! 可能と言うなら誰か実演してくれ!!(できれば若い頃の作者自身)>という感じだが、第二・第三の殺人は、アリバイトリックも密室トリックもそのベーシックさゆえに好感が持てる印象。この手堅さで本書の総体の評価は高くなった。
 ただし事件の構造はちょっとアンフェア…というか、まあギリギリありだが、作劇上の演出としては、捜査陣がもっと真相を知って驚くとか、そういう描写が欲しかった気もする。だってこれ、かなり偶然が作用した状況だよね。

 あとまた当時のSRの森村作品への攻撃の話題に戻って恐縮だが、その時の文句のひとつに<この作者は人間が描けない>というのがあり、まあ、これは分からないこともない、と本書を読んで思った。というのもキャラクターシフトの上では確かにそれなりの事情や立場に劇的なものがあり、苦悩や屈折も語られるのだけど、それがもう一歩踏み込まず総じて記号的なものになっている。この辺は同時代の笹沢作品とか清張の作品とか比べるとよくわかる。
 ただまあ、新本格の時代も迎えてミステリの作法も本当に自在に広範化したいま、こういう湿ったようで実はサバサバした書き方もアリだとは思うけど。

 最後に、すみません、E-BANKERさん、ひとつだけ客観的な作中事実の訂正。刑事が踏切前でインスピレーションを働かしたのは、アリバイトリックでなく、密室トリックの方です(第二十一章「分断された密室」)。

No.147 6点 死の逢びき- リー・ハワード 2017/03/20 10:28
(ネタバレなし)
1950年代のロンドン。新聞「デイリー・ガゼット」の社会部次長デル・モンクトンは、その日、自分の妻モヤに気づかれないようにしながら、タクシーを使い、途中からは徒歩で、コーシナ・ミューズ地区にあるアパートの二階に赴く。そしてそこで彼が出会ったのは…。

 1955年に原書が刊行された英国作品で、翻訳は創元の旧クライム・クラブの一冊。前半の主舞台となるアパートの一室と、後半の場となる某所。ほとんどその二か所だけで物語が展開され、全編を読みながらあたかも二幕ものの舞台劇に接しているような印象を受けた(正確には後半で少し、場面の転換はあるが)。
 最初の十数ページ目からいきなりギミックが動き出す感じの作品でもあるので、今回はあらすじも本当に最低限しか書かない。

 実は本書は、サスペンスものの某・歴史的大名作のある部分を拡大し、それだけで長編が成立するかという思考実験を実際の形にしたような内容でもある(さらに読んでる途中では、これは、また別のあのサスペンスものの名作の変奏か? とも思わされた)。
 本書のある種の前衛ぶりは終盤の決着にも感じられ、最後のミステリ的な決着はまた別の巨匠のある変化球作品の取り込みのごときだ(さらにはラストの主人公の行動は、もっと別の巨匠の某作品のクロージングを連想させた)。
 要するにあちこちのどっかで見たような部分は実に多い作品なのだが、まとめられたものは今読んでもある種の新鮮さとピーキーさを感じさせる、そんな長篇になっている。

 それで巻末の植草甚一の解説を読んでも作者リー・ハワードが本書の著述時にどのくらいミステリ分野に造詣があったかは未詳だが(ほかのこの時点での著作は二作の戦争小説のみ)、それなりに受け手としてミステリを楽しんだ素養のある人間が、従来の作品とは違う変わったことをしてみようと試みた趣は感じられた。
 ただしこういう傾向の作品だから、読者を選ぶのもまあ当然。解説に引用された当時の本国での書評などでは「リー・ハワードは、クライム・フィクションでは、まず不可能だと考えられていたような新機軸を生むのに成功した」と称賛される一方、翻訳当時の我が国の小林信彦のレビュー「地獄の読書録」ではケチョンケチョンである(なおこの小林信彦の書評自体はネタバレっぽいので、本書を未読のうちは読まない方がいい)。

 さて今回の筆者の感想&評点はうーん、まあ、ホメる声もケナす気分もどっちも分かるなあ…というずるい感じ(笑)で、本当にちょっとだけおまけしてこの評点。後半の展開など好きな部分も多いのだが、かなりぶっとんだものを期待したら、良くも悪くも意外に堅実な部分も強かった、というのも正直なところ。クライム・クラブの一冊だのの予見抜きで、さらにメディアを変えて、先に書いたように舞台劇の形で一見でこのストーリーに接していたら、かなり盛り上がったろうね。

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ひとこと
以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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