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505さん |
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平均点: 6.36点 | 書評数: 36件 |
No.4 | 6点 | 壺中の天国- 倉知淳 | 2015/10/29 20:36 |
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やや間延びしている印象は拭えず、第1回本格ミステリ大賞を受賞した作品であるが、ミステリの味わいは深いものがあるとしても、〝本格ミステリ〟という部分は弱い気がする。法月綸太郎は、倉知を〝天然カー〟と評していた。この作品もその傾向は御多分に洩れず。
構成としては日常パートと被害者視点のパートと謎のオタクによる記述と電波怪文書が順番に並べてある。構成の妙によって、ほのぼのとした雰囲気が漂う作品となっているが、〝次に誰が狙われるのか〟が分からないサスペンス調が実に中和されている。倉知淳の味といえばそれまでであるが、日常の描写と非日常の描写を分けたことによって、緊迫感はやはり薄らいでいるので、電波系連続通り魔事件という殺伐としたサイコ的雰囲気が無いのは、もしかしたら読者を選ぶ要因となるかもしれない。 事件自体は怪事件である上に、容疑者が絞り込めないサスペンス度の高いものではあるが、日常パートの安心感が奇妙な落差を生むために、不思議と事件の凄惨さが遠い出来事に思える。探偵役たちも事件から〝離れた位置〟にいるように思えるために、日常パートと非日常パートのメリハリが付きすぎている。その辺を〝天然カー〟の醍醐味だと表現しても問題はないだろうが、薄いものは薄いと感じた。 本編全体にあるのは、ミッシングリンクとしての魅力にある。そして、その真相は実に単純明快かつ挑戦的である。風刺的と言っても差し支えないだろう。 しかし、フーダニットの弱さは否めず。〝通り魔〟という特性を存分に活かしたフーダニットであることには違いないが、エンタメ性はなく、カタルシスも欠けている。 とはいっても、探偵役の圧巻のプロファイリングといった解決篇の勢いは凄まじいものがあり、堅固なミッシングリンクを強烈に公開する流れは満足感の高いものがある。おばさん怪文書といった最初から提示されていた手掛かりから導かれる犯人像の絞り方をベースとした怒涛の推理はミステリパートのオチに相応しい巧さ。なかでも第2の被害者でもある甲斐靖世が出演していたビデオの使い方と人間心理は絶妙である。 また、犯人の独白にある、電波系要因の大きな仕掛けは大きな拍手を。ここまであからさまに提示されていたとは思いも寄らず。被害者目線で描かれているパートなので、巧妙に錯誤を生みだしている。言葉の受け取りによる認識のズレが秀逸。 さらに、〝閉鎖型の本格〟ではないところからの作品としての拡がりが、電波系連続通り魔事件にそれなりのリアリティを生み出している部分は評価すべき点である。作中に一度も描かれていない人物が犯人という可能性すらも〝有り得る〟空気感を醸し出すことには成功しており、容疑者が〝不特定多数〟という『クローズドサークル』には相容れない要素を〝天然カー〟の味付けで料理している技術は確かなものである。荒業でありながらも、ギリギリとしての線を残しつつ確立している意匠。作家としての引き出しを感じさせる作品となっている。 |
No.3 | 8点 | 過ぎ行く風はみどり色- 倉知淳 | 2015/10/29 14:01 |
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傑作。
人を食ったように飄々と生きる猫丸先輩の長編推理小説。法月綸太郎曰く〝天然カー〟というのは思わず膝を打つ巧さがあり、オカルティズムに不可能状況の組み合わせが、本家のカーを彷彿とさせる。オカルト絡みの連続殺人ながら事件自体に暗く壮絶な雰囲気は漂うことなく、作者の倉知淳特有な『ロジック&ユーモア』な筆運びで魅力を引っ張っていく力強さがある。 事件の大枠自体は不可能犯罪がメインでありながら、事件の真相はシンプルの一言に尽きる。降霊会のトリックや毒殺トリックはよく練られている上に、〝傍目八目〟的な要素も欠かさないので、1つの事象が有無を言わさず明かされた際に、連鎖的に犯人像が浮かび上がるカタルシスがある。それらを根幹として支えているのが、ミスディレクションとして効きつつも、巧妙に張り巡らされていた叙述トリックのバランスがあるからこそ。その叙述トリックが、混ざり合っていたアリバイトリックを支えることで、不可能状況をシンプルに構築する。 勿論、そのミステリとしての仕掛けが、探偵役の猫丸先輩によって瓦解する様も、呼応するかのようにシンプルに力強く崩れるので無理のないもののように思える。 メイントリック自体は、大胆不敵かつ綱渡り的なトリックであるにしても、人物の行動原理や心理描写を考慮すれば、それ相応の説得力がある。また、細かい部分にもアイデアが組み込まれており、独特な空気感の中にも、技巧が光るのは天然なのか作為的なのかは判然としないが、恐ろしいまでの意匠を感じさせる。 本家カーのようなおどろおどろしさは皆無であり、やや超然的な趣きが否定できないが、この味わいこそが倉知節だと言えるので、〝天然カー〟というのは正鵠を射てるのだろう。 解決篇以外にも至る所に、登場人物の印象がガラッと変わる仕掛けや記述があるが、猫丸先輩の言うように『それはそれで一面性』でしか無いものである。何事も多面性を含むことは、宿命的なものと言えるだろうが、読後に爽やかな余韻を齎す本書の『一面性』は絶対的なものである。文句なしの傑作であり、倉知淳の代名詞と言える作品と言って大袈裟ではないだろう |
No.2 | 5点 | シュークリーム・パニック 生チョコレート- 倉知淳 | 2015/10/27 11:47 |
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本書は、短編が3作収録されているが、どれも倉知特有のユーモア&ロジックというわけではなく、ミステリの技法をストーリーに絡ませているモノが多い。ガチガチの本格ミステリというよりかは、『日常の謎』に分類される癖のある短編集と言うべきだろう。
『現金強奪作戦!(但し現地集合)』は、一癖ある銀行強盗モノであるが、このトリックを使うにはやや〝説明〟が弱いと感じることも。サクラダから銀行強盗を持ち掛けられた主人公は、それ相応の葛藤の中、強盗をすることを決断するのだが、サクラダからの説明がシンプルすぎる。 ①モデルガンで脅し、3分以内に金を運ぶ ②4人体制 ③1人1億円の分け前 といった概要をサクラダが話すのだが、主人公が現場でやるべき事についての〝説明〟が薄い。一世一代の大勝負、一蓮托生するには計画犯罪のわりに杜撰なのでは?という疑問を読者に植え付けるところがあり、これはただの強盗モノではないという警戒心を与える。このトリックを純粋に読者に仕掛けるには、主人公同様の〝真っ新な〟状態が好ましく、純粋な倒叙モノだと錯覚させる必要がある。その点が弱いと感じた。しかし、伏線やオチは上手く練られており、ただでは転ばない作風を如実に表現している。そういうこともあって、癖のある倒叙モノを読みたい方には自信を持って勧められる。 『強運の男』は、とあるバーにて隣の男から何気ない運試しゲームを持ち掛けられるという話。この短編は、構造が構造なので、オチが見えやすいのが瑕である。ゲームが進む毎に徐々に高くなっていくレートであるが、主人公にとってはノーリスクという点を丁寧に描かれている。それが一種のミスディレクションとなり、オチに繋がる流れであるが、平均点の域を出ない。話が話なだけに小粒であり、これ以上に話自体を膨らませることは難しく、構造とスケールの問題であり、これ以上苦言を呈するのは無粋かもしれない。しかし、読みどころと言うと、ゲームを仕掛けてきた紳士から出る〝狂気性〟とも取れる運への飽くなき欲求だろうか。その姿勢はギャンブラーの極致を示しており、力説する様は鬼気迫る力がある、この話は、〝馬鹿げた話を如何に説得力をもって信じ込ませられるか〟に限っており、その部分についての評価は高い。 『夏の終わりと僕らの影と』は、端的に言うならばジュブナイルである。ミステリ要素としては、〝監視下における人間消失〟であるが、その謎自体はかなり小さいものである。〝どうやって人間が消えたのか〟というよりも〝なぜ消えたのか〟が問題であり、その意図にこそ作者が描いた一夏の思い出に掛けた青春グラフィティが展開されている。探偵役が怒涛の推理をするシーンがあるが、そこの徹底した部分はミステリとして評価されるべきものではあるが、あくまでも推理シーンは〝ミステリの手法を借りた〟程度のものであり、それが本質ではない。結末を敢えて描かないリドル・ストーリー風になっているところが、爽やかな余韻を齎す。青春物語として構えることが肩透かしを食らわない近道だと言えよう。 |
No.1 | 5点 | 猫丸先輩の空論 超絶仮想事件簿- 倉知淳 | 2015/10/09 19:55 |
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謎そのものの魅力としては「何故、毎日ベランダにペットボトルが置かれるのか」が白眉。しかし、空論としては平均点以上な感じで無難に収束した、と思いきや連作短編の味わいを堪能できる構成を含めれば、より昇華出来る。しかし、あくまでも単体として評価するならば普通の出来と言っていいだろう。日常の謎そのもので引っ張るだけの力強さはあるが、ここまで落とすと苦しいものはある。
謎の魅力と猫丸先輩の「空論の域を飛び出した発想」のセットで考慮すれば、マイベストはスイカ割り大会を描いた『な、なつのこ』。主人公へのオチと犯人の目星が付き易いのが瑕だが、その動機面に至る伏線が丁寧。犯人の心理が共感できるからこその説得力がある。煙に巻かれる快感が真髄なら外れるかもしれないが、この飄々とした猫丸先輩の存在感こそが『ユーモアと論理』の倉知節を前面に出している面もあるので、なかなか外れることはないと思う |