皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
鳴門 冬扇さん |
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平均点: 7.00点 | 書評数: 4件 |
No.4 | 4点 | ようするに、怪異ではない- 皆藤黒助 | 2015/12/07 12:26 |
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皆藤黒助の『ようするに、怪異ではない。』はミステリの本質を突き過ぎて逆に引くわ。
と書くと多分10人中10人が「またミステリのMの字も分からないラノベ厨が何か書いてるよw」と思われるかもしれませんが、まあそのセリフは最後の楽しみにとっておいてもらうとして本論に入りたいと思います。 本作は何か事件が起きると妖怪の所為にする高校の先輩に、事件の真相は人間の所為であり妖怪は関係ない、と水木しげるロードがある境港市に転校してきた主人公が明らかにする、と言う構成が続く連作です。 筆者はそれぞれの話に文句を付けようとは思いませんが、陰惨な事件はないのに何故か読後にもやもやとしたものが残るのです。それは何故だろうと考えると、第一話で作者がミステリのあられのない姿を読者にさらしてしまったからではないかと思うのです。 ネタバレあり 第一話で先輩が持っている将棋の駒を主人公が当てるゲームをする場面があります。主人公はそのすべてを当てますが、実はそれは先輩の近くにいる主人公の従兄弟が先輩にわからない合図を送っていたからなのです。 しかし最後の勝負で、その合図をある理由で出せなくなり、そこで主人公は従兄弟が合図を出せない理由を推理して、確率1/2までもっていってその勝負に勝ちます。でもこの勝ちは勝負をコイントスでつけるのを認めさせるまでは推理の力ですが、その後の展開は偶然で勝ったのです。それはミステリで有りでしょうか? そう、実はミステリのほとんどは裁判で勝てるだけの証拠を見つけることではなく、探偵役が犯人の動機や犯行方法を推理することによって犯人を特定します。しかし推理から出る類推や仮説が100%出尽くしているとは証明されていません。私たちが納得しても他に可能性があるかもしれないからです。 仮に探偵が9つの仮説のうち1つが正しいと推理しても、もう1つの仮説を見落としていて精度90%だとすると、同様の二つの推理をつなげただけで仮説の精度は81%に落ちるのです。 それを防ぐために通俗的なミステリが行うのが、 「犯人はお前だ!」と言う探偵の決め台詞と、 「みんなあいつが悪いんだ!」という犯人の自供です。 確かに犯人が自主的に罪を認めたらこのやり方でも問題はなさそうに思えます。でも犯行を認めた人物が誰かをかばっているだけの可能性もあります。そう思わせないために探偵と犯人は歌舞伎の見得のようにパフォーマンスを繰り広げている。そう思ってしまうと、たとえ非才の身で矛盾を指摘できなくても「ホントにこいつがやったのか?」と思ってしまう自分がいるようになってしまうのです。 と言う訳でこの作品を読んだおかげで「真実はいつもひとつ」と言う信念が揺らいでしまいました。 そのために評価点は「イマイチ」の4点にしましたが、話が面白くないとかそういう意味ではなく、物事を理詰めで考える主人公や自分の髪をバッサリ切っても友達をかばおうとする先輩には共感が持てますし、話の持っていき方も特に違和感は感じませんでした。 そう言えばこの本を買ったのは「『氷菓』『ハルチカ』に続く……」と言うアオリ文句のせいだったけど、『ハルチカ』シリーズは来年アニメになるのであえて読んでいません。視聴中に我慢できなくてつい読んでしまうことを切に願っています。 |
No.3 | 7点 | アクロイド殺し- アガサ・クリスティー | 2015/09/25 21:42 |
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ネタバレのようなもの有
アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』は叙述トリックの黎明期の作品ながら、すでにその本質を明らかにしている作品である、と書くと多分20人中1人が「またミステリのMの字も分からないラノベ厨が何か……ってこれクリスティじゃない?」と思われるかもしれませんが、ご安心ください、ラノベつながりです。 前回『愚者のエンドロール』の感想を書きましたが、作中で叙述トリックはクリスティの『アクロイド殺し』に始まる、と言う意味の事が書かれていたので、本当かな? という軽い気持ちで読み始めました。 『アクロイド殺し』を読むにあたり、普段の「とりあえず最後まで読み進める」は封印して「叙述トリックを探しながら読む」と言う形に変え、気になる記述に遭遇すると読み返したりしながら問題の記述は見つけたものの、評者はポアロに犯人を指名してもらうまで自分の推理に疑念を持ったままだったのです。 だってヘイスティングスが犯人だって誰が思います? 評者はポアロの「モナミ(わが友)」と言う言葉をずっと信じていましたよ! つまり叙述トリックはそれ自体のみでは駄目で、それを成立させるためにクリスティは叙述トリックを仕掛ける人物は読者に信頼されていなければならない、という原則をも確立していたのです。本作を読んで当時の読者が「アンフェアだ」と怒ったのもわかる気がします。 しかしこれは諸刃の剣です。本作以降の読者は叙述トリックだと思えば作中一番信頼できる人物の叙述をチェックすればいいのですから。 もちろん現代の作者側にもそれはきっと織り込み済みで、叙述トリックにはミスリードや信頼できる人物の設定等のトラップを仕掛けて来るでしょう。 つまり、本作でクリスティは単に叙述トリックを仕掛ける人物は読者に信頼されていなければならない、という原則だけではなく、ミステリのトリックは一つに限らないほうが、複数の仕掛けによって獲物(読者)をより多く狩ることが出来るというアイデアを読者と作者に提示した最初の一人、と言えるのではないでしょうか。 |
No.2 | 8点 | 愚者のエンドロール- 米澤穂信 | 2015/08/22 09:56 |
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米澤穂積の『愚者のエンドロール』は日本最高峰の青春ミステリである。
と書くと多分10人中10人が「またミステリのMの字も分からないラノベ厨が何か書いてるよw」と思われるかもしれませんが、まあそのセリフは最後の楽しみにとっておいてもらうとして本論に入りたいと思います。 まず青春ミステリとはミステリが絡む青春群像劇と定義させて頂きます。何故ミステリがメインではないかと言えば、単純にそれがメインならばその作品は「本格の亜流」でしかありえないからであり、群像劇でなければならない理由は、一個人の人生の断片は単に未熟な青少年のそれでしかなく、青春は複数の未熟な青少年の人生が交差する中でしか生まれないと評者が思うからです。 話は「古典部」という自分達でさえ何をするのか分からない部活をしている主人公達に、ある上級生が相談を持ちかけます。クラスで自主制作ミステリ映画を撮っていたが脚本担当が倒れてしまい続きが撮れない。これまでの内容からこれからの展開を推理してくれないか? それからは主人公達を含めて推理大会が始まるのですが、 ここで作者の秀逸な点は、そこから 青春群像劇⊃青春の挫折(せいしゅんぐんぞうげきはせいしゅんのざせつをふくむ) という式を導出したことです。 本作は最後に真実(事実とは限りません)が明らかになりますが、この物語の狂言廻しである主人公の姉を除き、推理大会の参加者(作中にそれとわかる描写がなくても推理大会には負けたので)はおろか先輩まで何らかの形で挫折を味わいます。しかしその挫折でさえ私達読者の眼には青春の特権に見えてしまうのです。確かに評者のような大人には間違えるという選択は恥という観念を逆手に取って真っ直ぐぶつかっていく主人公達に青春の熱いほとばしりを感じました。道場の床に尻餅をついて 「参った」と言ってしまった気分です。 と言う訳で評者はこの作品の比率を青春群像劇7にミステリ3と判断したので評価を7×9点+3×6点/100=8.1点 と言うことで8点にしました。 後これは単なるグチですがミステリの読者は少なくとも文章は最後まで読む人だと思っていましたがどうやらそれは違うようですね。まあ読者はミステリを選べてもミステリは読者を選べませんからねえ。 |
No.1 | 9点 | 涼宮ハルヒの消失- 谷川流 | 2015/07/20 00:05 |
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「涼宮ハルヒの消失」(以下「消失」)は日本最高峰のミステリである。
と書くと多分10人中10人が「またミステリのMの字も分からないラノベ厨が何か書いてるよw」と思われるかもしれませんが、まあそのセリフは最後の楽しみにとっておいてもらうとして本論に入りたいと思います。 さて皆さん、現代のミステリの本質的な問題点とは何でしょう。筆者は「読者が作品をミステリであると事前に認識してしまう点」にあると思います。つまり読者はミステリのレーベルや帯のミステリの文字で事前にその作品が謎を内包していることを知ってしまっているのです。 もちろんそのやり方が間違っているとは思いません。もしそれを知らずに作品を選べと言われたら全ての本を読まなければいけなくなり事実上それは不可能だからです。 では現状で一番理想的なミステリとは何か? それはミステリの形式を取りながら表面上のミステリとは別にミステリを内包している作品ではないでしょうか。 筆者はそれが「消失」だと思います。「消失」はライトノベル涼宮ハルヒシリーズの4作目で、主人公で語り手のキョンが登場人物の設定が今までと違うことで今までと違う世界に存在することを認識して元の世界へ戻ろうとするお話ですが、世界を改変したのは誰か? というミステリが軸となっています。最後にその謎は解けるのですが筆者にはそれが真相とは思えません。何故ならばその解答では本当は登場すべきではない存在が登場しているからです。そして「語り手」と言う言葉で解るように叙述トリックが使われていると思いますが、キョンの叙述自体のミスリードではなく前作との差異が鍵となると思われます。 最後にこの作品の批評に問題があるとすると2点、 1)この謎に対する言及は本文、後書きには有りません。つまり筆者の妄想かもしれないのです、って言うかその匂いがプンプンするんですけど。 2)語り手のキョンが登場人物の設定が今までと違うことで今までと違う世界に存在することを認識した、ということは今までの設定を知っていなければなりません。つまりそれ以前の作品(すくなくとも第1作「涼宮ハルヒの憂鬱」)を読んでいなければならないのです。 が挙げられるので採点も満点にはしませんでした。それでも「そんなに言うなら騙されてやるよ!」と言う勇者のみ4作(若しくは2,3作)をお試し下さい。 |