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[ サスペンス ]
あてどなき脱出: 土山秀夫推理小説集
土英雄 出版月: 2012年05月 平均: 7.00点 書評数: 1件

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長崎文献社
2012年05月

No.1 7点 おっさん 2026/01/19 11:21
土英雄(つちひでお)は、余技作家です。
本名、土山英雄(つちやまひでお)。1925(大正14)年、長崎市に生まれました。学生時代に入市被爆(原爆投下時は長崎を離れていたが、夕方に市内に戻り、残留放射能の影響で被爆)するも、病理学者・医師としての道を歩み、反核・平和運動推進者としての活動も続け、晩年は長崎大学名誉教授に就任、2017(平成29)年に92歳の生涯を閉じました。
1947(昭和22)年に土英雄のペンネームで推理雑誌『ロック』に公募当選作「恐怖の丘」が掲載されたのを機に、創作に打ち込むようになり、約12年間に短編ミステリ9作を『宝石』などに発表しました。
長崎文献社から2012(平成24)年に刊行された本書は、『宝石』掲載の4作に、未発表のまま眠っていた表題作(原稿枚数にして250枚ほどの中編)を配した、同氏の、ミステリ方面での唯一の著作ということになります。
第一部が「あてどなき脱出」、第二部が「短編集」という構成で、それぞれに著者の「まえがき」が付いています。

順番は逆になりますが、江戸川乱歩の想い出に触れた「第二部「短編集」まえがき」が心に残る、後半パートから見ていくことにしましょう。
「深淵の底」(1956.1増刊)は、複数の関係者の証言から、大学教授夫人の奇妙な転落死とそれに続くもうひとつの死の謎を、玉ねぎの皮をむくように明らかにしていく、木々高太郎ばりの心理ミステリの収穫で、選者だった乱歩の激賞を受け、第九回『宝石』短篇賞の第一位を獲得しました(ちなみにこのとき第二位となったのが、白家太郎――のちの多岐川恭――の「落ちる」です)。割り切れない疑惑を残すエンディングには、乱歩味もあります。ただ、最初の事件の、犯行の経緯が漠然としすぎているのは、やはり弱点でしょう。
作者は、前掲の第二部「まえがき」のなかで、乱歩と対面したとき「現在の日本では機械的(物理的)トリックが断然主流を占めているが、将来は必ず人間心理のナゾに行きつく日が来ると思う。その意味もあってあなたの作品を評価したのだ」と声をかけられたと記していますが……もしかしたらその “評価” は、一種の “呪い” として作用してしまったかもしれません。続く「影の部分」(1956.5)と「妄執」(1957.5)に顕現し続けるフロイトの亡霊を見るにつけ、そんな事を思います。ともにの密度の濃い短編で文芸味すら醸していますが(特に後者は、『宝石』誌には勿体ないくらいw)、作者が“心理学” に傾斜していくことでのマンネリズムも生じています。
その点で異彩を放っているのが、第二部のトリを飾る「切断」(1958.9)で、作者のホームグラウンドである病理学の現場を背景に、医療過誤を題材にしたタイムリミット・サスペンスの秀作です。当時『宝石』の編集長だった乱歩が綴ったルーブリック(紹介文)も再録されていて、「――この作の意外な結末は、運命というものの無情をずばりと描いて、見事な切れ味を見せている」と結ばれています(まことにその通りですが、ただ個人的には、こういう結末は勘弁してほしい、かな。あくまで好みの問題ですが……)。

で。
第一部「あてどなき脱出」という事になります。

時は1942(昭和17)年、所はナチスドイツの某強制収容所。人体実験についての情報交換のため派遣された、日本陸軍731部隊の外科医・宗像は、そこで使役されているロケット工学研究者のユダヤ人女性・クリスティーナと出会い、恋に落ちる。そして、彼女のガス室送りが決定されたとき、宗像は決意する。彼女を連れ、いまだ一人の囚人の逃走も許していない、強制収容所から “脱出” する事を!

いや~、素晴らしい設定。ナチスの強制収容所と日本の731部隊が交錯するという、こんな凄まじいアイデアをよく具体化したものです。
「第一部「あてどなき脱出」まえがき」によると、本業の合間を縫って細々と書き継ぎ、1975(昭和50)年4月には完成したが、発表の機会を得られず眠っていた作品であると(ちなみに、かのドキュメント『悪魔の飽食』がカッパ・ノベルスから本になったのは1981年です)。
う~ん、しかし250枚? 足りない足りない、原稿枚数も、筆力も。ホント、このお話を、もし『飽食』の森村誠一、あるいはのちの島田荘司あたりがたっぷりの枚数を使って(人体実験の描写もこってりに)長編化していたら、どれだけ凄まじい小説になっていたか。
もちろん、作者ははなから、センセーショナリズムを狙うつもりは無かったのですよね。そんな形で “反戦” を訴える事は恥ずかしいと、当然、心得ていたはずです。
ただ、地味な心理サスペンスの書き手が、一転、大きなカンバスに取り組んだ意欲は伝わってきますし、頑張ってアクション・シーンにも挑戦しているのですが、逆に短編時代の武器だった、密度の濃い人物描写が薄れ、ステレオタイプに流れているのが残念です。科学者は基本的にいい人で、軍人は悪い人、と、まあそこまで単純ではありませんが、それに近いものがある。
主人公もヒロインも、最初からメンタルが完成されていて、最後まで変化しないんですよね。
仕方ないこととはいえ、宗像を731部隊で人体実験に直接関与していない立場の人間にしてしまったことが、足を引っ張っている。
とはいえ。
悪達者なプロ作家の話題作・ベストセラーからは得られない成分が、本作には間違いなくあります。
生涯に一冊でも、趣味の分野でこんな本が出せたら、以て瞑すべし、なのかもしれません。


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土英雄
2012年05月
あてどなき脱出: 土山秀夫推理小説集
平均:7.00 / 書評数:1