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人並由真さん
平均点: 6.33点 書評数: 2034件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.854 5点 声優密室殺人事件- 幾瀬勝彬 2020/05/27 19:54
(ネタバレなし)
 その年の12月4日。荻窪のアパート「荻花荘(てきかそう)」の一室で、独り暮らしの25歳の女優かつ声優・松本三七子が死亡する。状況からガス中毒の事故死と公的には判断されたが、当人が幼少時から禁忌としていた北枕で死亡していたこと、さらには他の細かい事実から事故死や自殺ではなく、殺人ではとの疑いが持ち上がった。この謎に向かい合うのは、同じ推理小説新人賞に応募するミステリマニア有志で結成された「推理実験室」の男女6人だが。

 作者・幾瀬勝彬は、知る人ぞ知る昭和B級パズラーの書き手。
 第四(?)長編の『死のマークはX』(1973年)だったかその次の『殺しのVマーク』(1976年)だったが当時のミステリマガジンの書評で「デタラメ」な内容よばわりされたのに反発して抗議文を送ったものの、その書評氏から翌月か翌翌月かの号で作中の辻褄の合わない点を箇条書きにされ、返り討ちにあったのを記憶している(汗)。

 結局、パズラー作家としては大成せず、半ダースほどのミステリの著作を出したのち戦記系列の作家に転向したはずだが、今となってはこういう昭和のマイナーミステリ作家に妙な愛着を覚える面もあり(評者自身はこれまで、大昔にそのくだんの『X』だか『V』だかの一冊を読んだだけのはずだが)、ふと思いついて、比較的古書価の安いこの一冊を注文で買って読んでみる。しかし先のレビューのお二人、キビシイですな(笑・汗)。

 で、実際に読んでみると、まあ良くも悪くも本当に先に書いたとおり、額面通りの昭和B級パズラーという感じ。
 サークル推理実験室のメンバーそれぞれが各自の着眼点から事件の細かいポイントにこだわり、調査を進行。やがては該当の事件を事故死で済ませてしまった担当の刑事までを引き込んでいく流れは悪くはない。中盤まではそれなりに楽しく読めた。
 
 途中で、21世紀の今なら、出版社や編集部がコンプライアンスを気にかけてまず作家にそうは書かせないだろうな、というアレな描写が出てくるのにはちょっと鼻白んだ。だが一方で、そういったある種のがさつさみたいなのも、なんかこの作者っぽい。
 でもって複合的なトリックのひとつひとつがしょぼいのは確かにホメられたことではないんだけれど、妙なポジションで用意された「犯人の意外性」など、なんか心に引っかからないでもない。
 結論としては、個人的にはまあそんなにダメダメというほどでもないです。こういう作品にたまに付き合ってもいいよね、ぐらいの軽い親しみは覚えた。
 またいつかこの作者の作品は、そんなに期待をこめないで読むでしょう。

No.853 6点 殺人シナリオ- ハリー・カーニッツ 2020/05/25 20:52
(ネタバレなし)
 百万長者の女スザンと結婚した悪党ウィラード・モーレーは、相棒ロニー・シャイアズと組んで、妻を辻強盗事件に見せかけて謀殺。直後に妻殺しの罪状をシャイアズひとりに被せて口封じし、まんまと亡き妻の巨額の財産を手に入れた。多くの者がモーレーに疑惑の目を向けたが証拠は上がらない。やがて歳月が過ぎ、アメリカの「コンティネンタル映画」会社は、英国の新進女流作家シェリ・グレーの原作小説にもとづく新作スリラー大作映画『黒い天鵞絨(ビロード)』を製作中だった。ところが完成直前にこの原作小説そして映画の内容が、実際に起きたスザン殺害事件をモデルにしたもので、しかも犯人を噂のとおりに夫モーレーに相応する人物と断定していたことが判明する。疑惑を受けながらも有罪になった訳でもないモーレーとその代理人の弁護士たちがこの映画の内容を知れば、名誉毀損で莫大な慰謝料を請求してくるのは必至。コンティネンタル映画のニューヨーク支社の支配人マイケル・ズォーンは、さる目的があって訪米していたシェリに接触を図って善後策を図る。だが事態が紛糾するなかで、思わぬ殺人事件が。

 1960年代半ばの「ミステリマガジン」では、毎月のレギュラー企画「私の選ぶベストミステリ5本」とかなんとかいう常設コーナーがあり、ミステリ作家や翻訳家、ファンや関係者たちがそれぞれそれっぽい毎回のテーマで翻訳ミステリのマイベスト5を語っていたものだった(新聞記者出身の三好徹なら、新聞記者ものの作品のベスト5とか)。
 そんな中でこの作品を、小林信彦が「私の選ぶ映画界関連のミステリベスト5」とかなんとかそんな感じのテーマ枠のひとつに挙げていたのを思い出す(他はモイーズの『流れる星』とかデビッド・ドッジの『黒い羊の毛をきれ』とか)。そこでの紹介っぷりがエラく面白そうだったので「へえ……」と思いながら、実際に本を入手するのはしばらく後になった。ついでに言うと、本(古書)を購入してから実際に昨日~今朝読み終わるまでにさらに数年かかったのは、いつものパターン(私の場合、これでも早い方かも知れない)。

 でもって実作に触れてみると、確かにnukkamさんのおっしゃるようにフクザツめな筋立てなんだけれど、まあ理解できないことはない。
 物語の幹となる『黒い天鵞絨(ビロード)』のシナリオの内容は直接描写はされないけれど、ストーリーのプロローグで起きた事件がべースということは繰り返し語られるし。
 なんかアメリカ作品というよりは英国のドライユーモアに似た味わいのミステリである。
 主人公はコンティネンタル映画のNY支配人のマイケル(35歳で独身。28歳の美人作家シェリとラブコメ関係になる)だが、そのマイケルが辣腕家の社長ルイス・ストラッドリングから、事態を沈静化するようプレッシャーをかけられ、本当にモーレーが妻を殺してるなら名誉毀損が成立しない、と考えるあたりでニヤリ。これはかなり人を食った動機でアマチュア探偵が行動に出る倒叙ミステリか? と思いきや、さらに物語はひねりを見せて堂々たる? フーダニットのパズラーになる。
(主要キャラたちの群像劇っぽいドラマが前半で進行し、途中でメインキャラのひとりが殺されて後半は謎解き……と書いていくと、我が国の清張の一部の作品みたいだ。)

 でもってミステリとしての最後の真相は意外……であったが、後出しの情報が多めで、さらにこの人物が本当に真犯人だったとするなら、それまでの物語の道筋で辻褄の合わないこともあるような気がするが……。まあ、その辺は興味を持った方が読んで判断してください。

 ちなみに小説部分の賞味としては、映画界をネタにしたくすぐりというかシビアなジョークはさすがで、特に社長ルイス・ストラッドリングの語る
「シナリオライターを使うなら、ギャランティのランクの高い大家の方が結局は安上がりなのだ。まだランクの低い新人作家は作品をよくしたいとかほざいて自己滅私の安い稿料で何度も書き直し、結局は映画の制作の足を引っ張る。その点、すでに家やら高級車やら買い込んだ大家どもは、その支払いに追われて、監督やプロデューサーとケンカしたりしようとしないから手がかからない(大意)」などという皮肉(ウィット)は爆笑させられる。小林信彦がオモシロイと思ったのは、たぶんこんなところであろう。

 ちなみにこの作品は1955年のアメリカ作品で、主人公マイケルは共産主義者を国内から排斥したいと主張。
 みんな知ってると思うけれど、カーニッツは映画『影なき男』シリーズの第四作めからシナリオを(第二作まで脚本を担当したハメットの後任として)オリジナルシナリオで執筆。あんまり当時の事情を二分化、単純化してもいけないんだろうけれど、ハメットが赤狩りマッカーシズムに抵抗して投獄されているのと前後して、主人公にこういう台詞を言わせていたカーニッツはそのハメットが創造した人気シリーズの後釜に座ったわけだった? この辺はいつか、もっと詳しく、調べてみよう。

No.852 7点 審判- ディック・フランシス 2020/05/24 04:30
(ネタバレなし)
 久々に読んだ「競馬スリラー」(息子フェリックス単独の『強襲』を新刊で楽しんで以来、4~5年ぶり!)。

 後期作品にはまだまだ未読&積ん読のものも多く、今回もあくまで気が向いた一冊をつまみ食いでので楽しんだので、雪さんみたいなシリーズの流れを俯瞰したレビューはできないんだけど、単品作品として、とても面白かった。
 北方謙三か前川裕の(一部の?)作品みたいな、精神的にグロテスクな悪役が登場。生々しい暴力の恐怖に主人公が怯える辺りは、かつて『利腕』でシッド・ハレーが味あわされたストレスの再生のように見えたが、こちらは周囲の人間まで狙ってくるという執拗さと遠慮の無さにおいてまたちょっと差別化できた感触はある。

 とはいえ(ワケあり的な流れで、警察に救援を願うのが消極的になるのは仕方がないにせよ)、ブライアン・ガーフィールドの『反撃』とかケンリックの『バーニーよ銃をとれ』とか読んでいると、この危機的状況にあってなぜ主人公のメイスンはプロのボディガードや荒事師(人間的に一応はマトモなタイプの)に応援を頼まないの? という疑問も生じる。少なくとも中盤で自宅を狙われる時点では二週間の短期決戦とか想定してるんだから、カネのある弁護士先生なら少なくともそういう選択肢を一回は検討してもいいよね? 私立探偵を雇って張り込みさせて、悪事の証拠を押さえてもよい。この辺はお話作りの上で、都合の悪い要素にはあえて目を瞑った感じであった。あと自宅への奇襲が数回に及んで、その可能性もあらかじめ予期していたのに、何やら大事なものらしい書類とかをそのまま置いておいたってのもヘンだし。
 何より、スティーヴのアリバイを証言してくれる(中略)、物語の後半、事態がどんどん悪くなっていくなかで、そのまま放りっぱなしってのは、作中のリアリティとしてどーなんでしょうか(……)!?

 それでも良い意味で、競馬界のトリヴィア的なものを見せつけてくれた犯罪の真相はかなり面白かったし、何より最後の決着の付け方は他の英米作家のいろんな作品を想起しながら感慨深いものを抱かされる。完成度から言えば佳作、読み応えとしては十分に秀作であった。

 しかしこのお仕事とファミリーネーム(セカンドネーム)ゆえ、さんざ「ペリイ」とからかわれる主人公だけど、誰かひとりくらい「ランドルフ」と呼んで、主人公によくわかんないギャグだポカーン、という反応をさせて欲しかった。いやまあ、ぢつにどーでもいい話だけど(笑)。

No.851 4点 白妖鬼- 高木彬光 2020/05/23 17:35
(ネタバレなし)
 nukkamさんのレビューを拝見して「神津恭介シリーズ第4作」の長編だと改めて意識した。じゃあ『刺青』『呪縛』の流れを受けた初期作品できっと骨っぽくて読み応えあるだろうと期待してAmazonで古書(桃源社の新書・1977年の新装版)を注文したが……なんじゃこりゃ。

 文中の記述によると、神津の事件簿としてはこの直前に荊木歓喜との共演編『悪霊の群』(評者は大昔に稀覯本だった古書を購入したが、例によっていまだ積ん読……)が入るらしいが、そっちからの影響があるのかどうか、やたら無意味なスリラー臭が強く、しかも導入されたセンセーショナリズムの大半は、犯人の立場からしてもかえって無駄に事件をややこしくしてないか? といいたくなるものばかり。
 一応はフーダニットパズラーの枠内に収めようとした作者の矜持は認めるものの、それだからといって出来たものは面白くないし。

 とはいえ箇条書き風に記せばそれなりにネタの多い作品であり

・徳田球一の逃亡中の時期、半ばテロリスト予備軍のように一部の市民から扱われる日本共産党(神津の視線は冷静だが)。当時の世相がよくわかる。しかしこれだけ共産党がメインファクターになった作品ってほかにないね?
・松下研三とオールドミス劇作家の、友達以上恋人未満的なラブコメ模様が印象的
・前述の『悪霊の群』にからんでか、地の文で山田風太郎を「突発性痴呆症」と揶揄する記述あり
・しれっと作中に登場して、殺人鬼「白妖鬼」事件にコメントする作者・高木彬光
・神津恭介は31歳の現在まで童貞? まあこれは松下研三たちがそう言っているだけだが、シリーズの流れを鑑みるにさもありなん?

 昭和っぽい雰囲気は悪くないんだけどな。改めて全編を俯瞰すると褒めるところもほとんどない。という訳で、評価はこんなとこで。

No.850 7点 第二の銃声- アントニイ・バークリー 2020/05/23 16:49
(ネタバレなし)
 評者もどっかで大ネタはすでに聞いてしまっていた(涙)ものの、読み進みながら、あれ、本当にソレがこの作品? としばらく違和感がつきまとっていた(この辺の感覚は、たぶん8年前の臣さんのレビューといっしょだと思います)。そういう意味では、こういう状況ならではの妙なテンションを楽しめた。

 殺人ゲームの準備から、ラブコメチックになる中盤までは、なんと筆の立つ作家なんだろう、改めてバークリーすごい、と思わされた(まだそんなに冊数読んでないけど)のだが、殺人事件の確定以降はやや退屈。いや、周囲の登場人物ほぼ総勢が、ピンカートンに同じような視線を向けてくるあたりは笑ったけれど。

 終盤の真相はくだんの大ネタ如何よりも、いかに犯人が(中略)な心情で犯行を遂行していたのか、そのイメージに唖然となった。個人的にはこの作品のキモは、ずばりコッチの方です。
 シェリンガムの扱いはなあ……。この時点ですでにかなりシリーズが進んでいたんだけど、やはりしれっとこういうポジションに就かされるキャラクターか。シリーズの残りの未読作品をこれから消化していくのが楽しみ。

No.849 5点 アンクルから来た女- マイクル・アヴァロン 2020/05/22 16:43
(ネタバレなし)
 国際陰謀団スラッシュから世界を守る平和組織アンクル。その精鋭ナポレオン・ソロの後見を受けて現場で活躍する新鋭女性工作員エイプリル・ダンサーは、死線を超えて任務から帰還。パートナーの男性マーク・スレードのもとに向かうが、そこで彼女はスラッシュの女性幹部アーノダ・バン・アタに遭遇。敵勢との闘争の末に薬物を打たれたエイプリルは、先に捕縛されていたマークともども敵の俘囚となった。アーノルダ・バン・アタの目的は、アンクル本部に拘禁されている、驚異的な新発明を為した科学者でスラッシュの大幹部であるアレック・ヤコブ・ゾルキの解放。エイプリルとマークはその交換要員として人質にされたわけだが、スラッシュはさらに数段構えの作戦を用意していた。

 1966年のアメリカ作品。原典のTVシリーズ『エイプリル・ダンサー』は近年ではなかなか観る機会がないと思うが『ナポレオン・ソロ』正編のなかで作られたデビュー編のパイロット版は数年前に観た(ただしキャスティングは本番のTVシリーズ版で変更されたようだが)。

 邦訳があるノベライズ二冊はともにマイケル・アヴァロン(アヴァロニ)の執筆。アヴァロンは正編ソロの小説化は一冊しかやってないのだが、その一冊が好評で今回も開幕編を任されたという主旨の記述がポケミス巻末の解説にある。
 なお講談社のムック「フィルム・ファンタスティック」のどこかの巻に『エイプリル・ダンサー』の全話あらすじ紹介は載っていたと思うので確認は可能だけど、たぶんこのノベライズ一冊目の内容は小説オリジナルだろうね? たぶん映像化すると回数は使いそうだし、爆発シーンなどでお金もかなりかかりそうなので。

 ちなみに評者はアヴァロンの『ソロ』ノベライズ(『アンクルから来た男』)はまだ未読だが、作中で『チャイナオレンジ』ネタをやっていることだけは旧世紀からすでに耳タコ。だからもしかしたら職人作家(で、晩年は嫌われ者だったウールリッチの葬儀に参列した数少ない作家仲間)でもあるこの作者のこと、こっちでもそういうミステリファン向けのくすぐりとかを用意してくれているのではないか? とちょっと期待したのだが、残念ながらその辺は空振り(涙)。
 ただまあアンクル本部内での広義の密室的な殺人や、意外な(中略)パターンなども盛り込まれ、それなりにサービスはある。お気楽美人エージェントもので終わらせないビターな味付けも相応にあるし。
 それでネタバレになるのであまり詳しいことは言えないが、この幕の引き方は少し驚いた。『ソロ』と違ってこっちはノベライズ二冊目もアヴァロンがそのまま書いているので、そのシフトを活用したのであろう。
 
 おなじみウェーバリー部長はほぼ全編で活躍。肝心のソロもちょっとだけ出てくる。ところで『バイオニック・ジェミー』でオスカー・ゴールドマン局長が『600万ドルの男』と双方をまたに掛けたレギュラーというシフティングは、やっぱりこのウェーバリー部長に倣ったんだろうな? もしもこれ以前の何か前例があったら、旧作海外ドラマシリーズファンの方、教えてください。

No.848 9点 地下道- ハーバート・リーバーマン 2020/05/22 16:42
(ネタバレなし~途中からはややネタバレあり?)

 ある北の地方。森に囲まれた、古い館で慎ましやかな隠居生活を送る「私」ことアルバート・グレーブス(50代末)とその妻のアリス。子供もなく村の人々ともそれなりに温和な付き合いを維持する彼らは、ある日、給油に来た近所のガソリンスタンドのバイト青年リチャード・アトリーをなりゆきからお茶と食事に誘う。人好きのよいリチャードに好感を持ち、彼が関心を抱いた自分の稀覯本を貸与するアルバート。やがて日数が経ち、リチャードと顔を合わせる機会もないまま、二人はある夜、19世紀に建てられた自宅の広めの地下道に<何か>がいる気配を認めた。そこには捕食したらしい野生動物の食べかすが残り、そしてアルバートは地下道内に、少し前にあの若者に貸したままの自分の本があるのに気づく……。


 1971年のアメリカ作品。
 一言で言えば、スティーヴン・キングとハイスミスを融合させたような感覚で、非常に面白かった、そして素晴らしかった。

 ちなみに角川文庫のジャケットカバー折り返しのあらすじ内容を読むと、まるで地下道に『事件記者コルチャック』に登場する魔性のモンスターが出没しているように思えたが、実際にはそんなことはない。
 評者はこの記述のおかげで、何十年もそういう内容かと、半ばダマされて(?)いた。



【以下 もしかしたらネタバレかも~大筋の決着は書いてませんが】




 物語は割と早い段階から、村の流れ者だった孤独な青年リチャードを同居人に迎え、疑似家族的な生活を始める初老夫婦のドラマが開幕する。当初は結構うまく行くように思えた共同生活だが、なりゆきからの、そしてほぼいきなりの、少し前まではまったく見ず知らずの他人との同居ゆえ、少しずつその関係には綻びが生じていく。このあたりは作者の筆力を感じさせて、平明な叙述ながら実にうまい。
 やがて自分の行動原理と信念に準じてふるまい、村での問題児となっていくリチャード。だがグレーブス夫婦は若者の人間性に摩擦を感じながらも彼を半ば本物の息子のように庇い、ついにはそれまで仲のよかった村人たちからもたまに顔を出す親戚からも敬遠されていく。
 作中ではっきり語られるわけではないが、主人公夫婦の心の核になっていくのはかなり強靭なメシア・コンプレックスであり、実子もおらず人生でそれが得られないと思っていたのに急に降って湧いた、父性愛と母性愛の充足への欲求だ。
 さらに夫婦自身なんどもなんどもリチャードの半ば狂気といえる独特の<自分ルール>には手こずらされるが、それでも「ここで彼を追い出したら負け」なのである。こんな心情すべてが自分のことのように伝わってきて、評者的にはこれほど主人公たち(ある部分ではリチャードの思いまでふくめて)同一化できる作品はそうなかったかもしれない。実に心に響いてくる小説だ。いや、たしかにニューロティック・スリラーだし、サイコロジカル・ホラーではありますが。

 本が厚いので割と長めの物語かと思ったが、紙の斤量が高めだったようで、実際は約440ページと程よい長さ。これが最後の仕事になった翻訳家・大門一男の流麗な訳文(本書の巻末に、盟友ということで清水俊二が追悼文を寄せている)もあって、半日でいっきに読んでしまった。

 でもってラスト、こ、これは……! 正に『おそ松くん』「イヤミはひとり風の中」ではないか!?(あくまで原作版だよ! とりあえず『おそ松さん』版とOVA版は考えないで。)
 私の人生のなかで、一番痛いところを予想外に突かれた感じ。
(いや、裏読みすれば意地悪な読解も可能なんだけど、あえてそうしないでおく。)
 もうね、切なくってしみじみして、昨夜は眠りが浅かった。
 傑作です。

No.847 6点 万年島殺人事件- 舞阪洸 2020/05/21 17:02
(ネタバレなし)
 謎の組織・警視庁十三課の要請を受け、事件関係者の「妄想」を破壊する美女・沖田島翔子(おきたじましょうこ)。彼女は助手の萱島十河(かやしまとうが)とともに、とあるパソコンに残されていた「万年島」で起きた事件についての記録を読み始める。それは「ぼく」こと、樟葉学園ミステリー研究会の新入部員・外埜崎雪比古(とのざきゆきひこ)がしたためた、万年島で起きた惨劇、そしてひとつの島が丸ごと消え失せるという怪事件についての手記であった。

 ミステリーサークル「SRの会」の正会誌「SRマンスリー」誌上での特集<新本格発祥以後30年の間に書かれた、あまり話題になっていない気になる佳作・秀作>(といった趣旨の企画)のなかで紹介されていた一冊。
 同特集を一年以上前に読んで気になって本作の古書を通販で購入し、しばらく積ん読にしていたが、ついに昨夜、思い立って読んだ。あと誤解のないように言っておきますが、完全な小説(ラノベ仕様のパズラー)です。
 
 Amazonでも「いかにも」なレビューがされているけれど、大ネタのとっかかりの方はあまりにもあからさまに伏線が張られているので、これは誰でもわかるだろう。ただしそのあと、それがどう料理されたかはこの作品のポイントとなる。

 連続殺人劇の方はいろんなことを疑った方がいい仕掛けで、もしかするとアンフェアじゃないかとも一度は思ったものの、ほかの技巧派パズラーの作家のなかにはこんなことをしそうな人はいくらでもいそうで、そういう意味ではまあグレイゾーンのなかでセーフであろう。本シリーズの主旨もその担保となるし。
(ただし、一部の死体損壊については具体的な目的がよく見えないよね? これは単に(以下略)?)

 かたや唖然としたのは島の消失の真実で、これこそ(中略)だが、せっかくのこういうシリーズ、設定、世界観なんだから、これくらいやらなきゃソンだという作者の居直りも感じ取れて、その豪快さが快い。怒る人は、こういう作品に向いてないよね(笑)。

 ちなみに大きな物体の消失という主題から、作中(手記中)の登場人物たちはミステリファンらしくクイーンの『神の灯』に言及。ネタバレされてるので注意してください。さらにもうひとつ具体的な題名は書かずに、森博嗣にもこういう謎の設定に近しい作品があると言及。そのトリックにもほぼ触れている。
 森作品は前に読んだ&読みかけたいくつかの作品があまり肌に合わない感じで、ほとんど読んでないのだが、ファンの人ならピンと来るのであろう。
 今回、こっちはずばりそっちの方はネタバレをくらったわけだが、一方で「へえ、そういう作品があるの?」とちょっと読みたくなった(笑)。こういう機会でもなければ、ふたたび森作品に目を向ける機会はなかったかもしれない。
 以上、途中から余談でした。

No.846 7点 ゴースト・タウンの謎- フランク・グルーバー 2020/05/20 20:51
(ネタバレなし)
 ポンコツ車でカリフォルニアまで商売に来たジョニー・フレッチャーとサム・クラッグのコンビ。西部の僻地に向かう路上でガス欠になって難儀した二人は、サムに優るとも劣らない体格の男ジョー・カッターの世話になる。だが無償の善意で助けてくれたかと思いきや、カッターは過剰な謝礼を要求。ジョニーたちはスキを見て逃げ出そうとするが、ポンコツ車の中には見知らぬ男の死体が乗せられていた。やむなく車を捨て、徒歩&ヒッチハイクで旅を続けようとする二人だが、そんな彼らが泊まったホテルでは、銀鉱の鉱山所有権を巡る騒動が生じていて……。
 
 1945年のアメリカ作品。厳密には同年の何月頃の刊行かは知らないが、このタイミングで戦争の影もほとんどない内容なのに軽く驚き。辛く長い嫌な日々はあえて振り返らず、まずは一編のエンターテインメントを楽しんでくだされという送り手(作者&編集者&版元)の意向か?

 昨今の論争社の発掘新訳が好調な本シリーズだが、改めてまだ読んでない旧刊の方はどんなもんなんだろ? と思って手に取った本作。そうしたら、キャラの立った登場人物たち、休まることない馬鹿騒ぎ、間断なく生じる事件またはピンチ……と、これまで読んだこのシリーズの中では、一番スラプスティックコメディ&サスペンスとして面白かった。
 さらにkanamoriさんも書いておられるが、蟻の巣のようにはりめぐらされた地底の坑道の闇の中を、ジョニー&サム(それにゲストヒロインのヘレン)がうろつきまわる様は少し『孤島の鬼』『八つ墓村』的なティストもある(笑)。

 あと作者のグルーバー、こういうシリーズキャラクターものではたぶん暗黙の了解で普通はあんまりやらないんじゃないかなあ、とこちらが勝手にそう思い込んでいた<とある不文律>を、ごくあっさりと実践してしまっている。職人作家でも<そういうこと>をするんだなあ、と思うほどに。もちろん、あまり詳しいことは言えませんが(笑・汗)。

 ミステリとしては(いま言ったそんなちょっとした軽い驚きにからんで)最後に意外性が用意されているのはいいんだけれど、ソレがちょっと唐突というか、かなり乱暴。
 正直、今回は読者を驚かせるために、最後の最後でその効果を得る前提だけから始めて、逆算的に真犯人をそこにシフティングした感じがいつも以上に強いかも。

 あと、事件解決後の最後の人間関係のまとめかたもかなりイキナリ……なんだけど、こっちはまあ、シリーズキャラクターもののミステリの王道を突き詰めた感じもあり、ある種のメタ的な感慨みたいなものも抱かないでもない。
 出来がいいとか、完成度が高いとは決して言えないけれど、とにかく読んでいる間の楽しさは第一級。それだけで十分に価値のある作品であった。
 評価はそんなゆかしさに見合った、この点数ということで。

No.845 4点 ただ、それだけでよかったんです- 松村涼哉 2020/05/19 14:55
(ネタバレなし)
 久世川第二中学で、成績優秀でスポーツ万能、男女からも人気があった優等生・岸谷昌也が縊死自殺する。昌也は級友・菅原拓が悪魔で、自分を含む四人の生徒を支配していじめていたという主旨の遺書を遺していた。「わたし」こと大学三年生の姉・香苗は、弟の死に至る事情とくだんの菅原拓のことを探ろうと行動を開始。幼馴染みにして「秘密兵器」である「さよぽん」こと紗世に協力を願う。一方で「ぼく」こと菅原拓もまた、過酷な現実に向かい合っていた。

 早朝4時。本当ならいい加減寝た方がいいが、大雨の中を愛猫が外に散歩に出たので帰ってきたら体を拭いてやるためもうしばらく起きていようと思い、これを読み出す。(3分の2くらいまで進んだところで無事に帰ってきて、読むのは一時中断。そのまま最後まで読了した。)

 うんまあ、荒削りなところはあるし、お話をよくも悪くもドラマの枠内でまとめてしまったうそ臭さはありますが、その辺はさすがに作者も十分にわかっていたところであろう。
 主人公・拓の採った行動は、切実でたしかにある種のリアルさを感じさせながら、一方でかなりめんどくさい。しかしその面倒な迂路を語るためのストーリーという狙いはよく心に響いてきます。
 ただ事態の構成に関与した準・主要キャラ的な連中のキャラクターがほとんど見えてこないし、語られてもいないので(該当者のうちの一人だけSNSで表に出てくるが)、本当にそういうことになるしかなかったの? という印象もある。とはいえこういう作品の場合、外野の読者が聞いた風なことを口にすることはそれだけで作者の思うつぼ、というような怖さもありますが(笑)。

 終盤で表層に浮かんでくる意外なキーパーソンの正体は、つい先般、評者がかなり感銘した別作品のものと酷似しており、いささか慌てた。こっちの方がずっと先だったんだね。まあ、後の方がたまたま同じ着地点を踏んでしまったのか、それともこちらの本家取りをあえてしようとしたのか、そこまでは分からないが。こういうことがあるから、やはりミステリって多読が必須なんだよな。いや行き着く先は迷宮だけれど。

 ちなみに評点が低めなのは、作中である登場人物が轢死された猫の死体を嫌がらせに使うという不愉快な描写があるからです。そういう演出をした作者の狙いはわからないでもないが、いろんな意味でやめてくれ。 

No.844 6点 ジャックは絞首台に!- レオ・ブルース 2020/05/19 03:04
(ネタバレなし)
「ニューシスター・クイーンズ・スクール」の上級歴史教師にしてアマチュア探偵として実績を積むキャロラス・ディーン。校長ヒュー・ゴリンジャーは、キャロラスの探偵としての勇名ばかり特化して高まるのは、学校の評判によくないと考えた。そんな折、黄胆の療養のため、地方で静養する必要が生じたキャロラス。ゴリンジャー校長はキャロラスの主治医であるドクター・トーマスに手を回し、当初の静養予定地だった殺人事件が起きた海岸ではなく、閑散とした温泉地にキャロラスを向かわせる。だがそこでまたもキャロラスを待っていたのは、同一犯人による? または何らかの関連があると思われる? 二件の連続老女殺人事件だった。

 1960年の英国作品。
 謎解きミステリのお約束パターン、犬棒ならぬ<名探偵も休暇に出れば事件に遭遇する>をひねって開幕する導入部がいきなりケッサクで、評者なんか個人的にはコレだけでもうご機嫌になってしまう(笑)。

 さほど間を置かずに生じた二件の老婦人殺人事件。そして死体の脇にそれぞれ置かれた百合の花(マドンナ・リリーという品種)の謎。双方の被害者同士には互いに接点があるような、ないような? というミッシグリンクの謎……と、それなりのミステリギミックは用意されている。

 登場キャラクターたちもひとりひとりおおむね丁寧に語られ、田舎町でキャロラスが出会う多彩な人々も、キャロラスを追っかけてくる教え子で悪童のルパート・プリグリーや、ついに事件が起きた町にまで推参してくるゴリンジャー校長まで存在感は抜群。
 キャロラス・ディーンが有名なアマチュア探偵だと素性を認めた瞬間、いきなり現在形の殺人事件の話題をふっかけ、あれやこれやと多重解決を仮想するホテルのボーイ、ナッパーのキャラクターなんか特に笑わせる。
 162~163ページでキャロラス・ディーンと教え子プリグリーの会話の中、矢継ぎ早に飛び出すゴジラだのホームズだのポワロだのレイモンド・チャンドラーだのという固有名詞の波状攻撃も愉快であった。
 さらに182ページの、詐欺師まがいの商人を相手にしたキャロラスのメタ的なギャグにも爆笑。
 笑えるという点では、これまで読んだレオ・ブルース作品のなかでもトップクラスかもしれん。

 かたやミステリとしてのトリック……というか犯罪のコンセプトは、某大家の有名作品の変奏ではあるが、名探偵役であるキャロラス・ディーンの取り組み方までふくめて、本作独自のバリエーション感は認められる。しかしこれもまた名探偵もしくは捜査陣がある段階まで動いてくれることを期待しての犯人側の思惑だね。もちろんここでは詳しくは言えないけれど。

 なお巻末の小林晋氏の丁寧な解説でも指摘されているが、本作は得点要素は多い一方、最後の真犯人を絞り込んでいくキャロラス・ディーンの推理がいささか荒っぽいのが難点。特に281ページの後半である容疑者を圏外に外すあたりは「あのなあ……」という感じであった(苦笑)。
<犯人になりうる者の条件>を箇条書きにした演出も、本来ならその箇所で読者をゾクゾクさせるか、あるいは読み手をうまくミスディレクションに誘導すべきところ、かえって最後のサプライズの効果減でしかなかったし(……)。

 全体としては、あれこれプラスマイナスして、佳作というところ。
 ただしこのシリーズへの興味と好感の度合いは、さらに高まった。
 キャロラス・ディーンものの未訳作品はどしどし発掘してほしい。同人(「AUNT AURORA」叢書など)で翻訳されている数作の長編も一般販売の文庫にどんどん入れてほしい。
 関係者の皆様、なにとぞよろしくお願いいたします。

No.843 7点 ロールスロイスに銀の銃- チェスター・ハイムズ 2020/05/18 16:06
(ネタバレなし)
 ハンサムな前科者の若い黒人ディーク・オハラは、自らをディーク・オマリー神父と詐称。仲間とともに、ハーレム内の貧しい黒人に向けて「(黒人は)アフリカへ帰ろう」運動を扇動する。ディークは、先のないアメリカでの生活に見切りをつけてアフリカでの生活を希望する各家庭から準備金の名目で1000ドルずつ徴収。合計8万7千ドルの儲けを得るが、そこに別の犯罪者の横やりが入り、ディーク当人は逃亡、金の行方も不明となる。傷痍を経て半年ぶりに現場に復帰した黒人刑事「墓掘り」ジョーンズは、相棒の「棺桶」エドとともにこの事件を追うが。

 1965年のアメリカ作品。
 本シリーズはだいぶ前に『リアルでクールな殺し屋』(「なんじ、かぐわしくあれ」)を読んで以来2冊目だが、いや~、非常に面白かった。
 ハーレムに集う犯罪者、食わせ者、一般市民、そしてエド&ジョーンズをはじめとする捜査陣、それぞれの思惑が猥雑に絡み合いながら、実にハイテンポで物語が進行。そのくせどこか、冷めた品の良さというか格調を守る文体が堅持される(翻訳の良さもあるのかもしれないが)。
 ある意味では理想の、ハードボイルド風味の警察小説かもしれん。

 ところで前回『リアルで~』読んだときにはあまり意識しなかったんだけれど、ワイルドな黒人刑事という属性の方が、つい先に目についてしまうこのシリーズ。もしかしたら黒人とか犯罪スレスレのワイルド捜査とかを抜きにしても、アメリカ警察小説史上ではかなり初期の<バディものの先駆>だよね?
 長編が中途半端な紹介に終わってるローレンス・トリートとかジョージ・バグビィとかあるので(どっちも昔に読んでるが内容はほぼ忘れてる)、その辺まで踏まえてしっかり再確認しないと。うかつなことは言えないが。

 (ホームズ&ワトスン、モース&ルイスみたいな主と従ではなく)ほぼ均等に主人公キャラを二分して描かれた刑事コンビのシリーズというのは、あるいはかなり新鮮だったのかも(まあ50~60年代の時代はさらに、87分署みたいなチームプレイ、あるいはローテーション主人公ものの警察小説の隆盛に雪崩れこんでもいたのだろうが)。

 つまみ食いでシリーズを読んでるのであまり聞いた風なことは言えないが、人種を問わず同輩の警察官たちから憧れ&畏怖&敬遠の目で見られるエド&ジョーンズの立ち位置も、彼ら二人を「(手のかかる、しかし有能な)エース」として遇する白人の上司アンダーソン警部補のキャラもいい。
 そのうちまたタイミングを見て残りの作品を読んでみよう。

 最後に、嫌味や皮肉ではまったくなく、本作に9点をつけたkanamoriさん、心から尊敬します(!)。そこまで思い切り愛情を表現できる度量の大きさが素晴らしい。
 自分もこの作品をたっぷり楽しんだつもりだけど、8点にしようか迷った末に7点なので(残りのシリーズ未読作にさらにハマるものがあることも期待して、ではありますが)。

No.842 6点 カーラリー殺人事件- 石沢英太郎 2020/05/17 23:18
(ネタバレなし)
 日本自動車業界の「鬼」と言われる、斯界の黒幕的な巨魁・豪宮弥右衛門。齢80歳を過ぎた彼はこれまでの因業の贖罪のつもりか「日本列島縦断カーラリーレース」の企画に巨額を投じ、陰のスポンサーとなる。このラリー企画のコンペティションに応じ、見事に豪宮の眼鏡に叶った「カーマガジン社」の面々は、ラリー主催のメインスタッフまで務めることになった。多額の賞金が用意された3週間に及ぶラリーには、アマチュアレース界で話題の「人間コンピューター」こと21歳の盲人ナビゲーター・田浦二郎もその兄夫婦とともに参加。ほかにも多彩な参加者が競技を賑わすが、しかしこのラリーの陰ではある妄執を秘めた復讐者の殺意が渦巻いていた。そしてさらに、本ラリーにからむもうひとつの事件が。

 作者の初の書き下ろし長編で、ラヴゼイの『死の競歩』を思わせる(らしい・そっちは評者はまだ未読だが~汗~)競技と殺人事件の併走ストーリー。さらにもうひとつ、別の犯罪事件も複合的に話に関わり合ってくる。

 作中での全国からのラリー参加者は百組に及び、そのうちストーリーの表面に出てくるのは、探偵役の田浦二郎とその実兄・康雄、康雄の妻の芙美子の主人公トリオをふくむ十数チーム(基本的にワンチームは二人一組だが、田浦家は身障者の二郎のことを鑑みて、三人チームで出場)。

 この手の作品では、どれだけ主要参加チームのメンバー個々が書き分けられているかが重要な賞味ポイントの一つとなるが、本作はその点ではなかなか。
 優勝を競う者同士ではあっても、窮地や突発的な事態のなかで逐次協力しあうドライバー同士の矜持などもポジティブに描かれ、モータースポーツドラマとしての興趣にはことかかない。
 また、ラリーカーで巡る次の目的地が順次クイズ形式で提示され、インターネットも存在しない時代に、各地の図書館や事情通を訪ねて探り当てていく、この時代ならではのオリエンテーション方式のクェストの連続も、これはこれで楽しい。

 一方で肝心のミステリとしては、独創的なトリックを用意し、作品全体にもかなり強烈な反転の構図を設けている。
 ただその食い合わせが思ったほど生きなかったという印象なのは、長年におよぶ積ん読の日々のうちに、こちらの期待が高まりすぎていたためか(汗)。
 いや、力作だとは思うけれど、<最後のサプライズ>を効果的に見せるにしては、当該キャラの……(以下略)。

 ちなみに本作の名探偵役で、ミステリマニアでもある盲人ナビゲーターの青年・田浦二郎。当時の「ミステリマガジン」なんかでは、読者のアマチュア論考の場などで今後のシリーズ展開も期待されたほどの鮮烈なキャラクターだったが、結局はこれ一本の登場で終わったと思う。正直、シリーズキャラクターにするには難しい設定だったとは思うけれど、可能ならばまた別の事件での活躍も見たかった。その辺はちょっと残念。

【警告・注意】
 本作『カーラリー殺人事件』では田浦二郎の推理能力の描写として、チェスタートンの『奇妙な足音』、クイーンの『Yの悲劇』を義姉に朗読してもらう途中で当てたとして、それぞれの真相・犯人までネタバレしている。まあこんな作品に手を出すヒトで、この二作を読んでない方もまずいないだろうけれど、一応、注意しておきます。
(あと、ホレス・マッコイの『彼らは廃馬を撃つ』についてもなあ……。そっちも、原作も映画も、先に読んで観ておいた方がいいかも。)

No.841 6点 百万長者の死- G・D・H&M・I・コール 2020/05/17 13:52
(ネタバレなし)
 その年の11月のある寒い朝。ロンドンのサグデン・ホテルを、元内務大臣で現在は上場企業「英亜商事」の代表であるイーリング卿が訪ねる。訪問相手は、今後の事業の提携相手であるアメリカ人、ヒュー・レスティントンだったが、当人の部屋はすさまじく荒らされ、相手の姿は無かった。ついでホテルの従業員たちの証言で、レスティントンの秘書と称するロシア人、イワン・ローゼンバウムが人間が丸ごと入るような大型サイズのトランクを持って、少し前に宿から出ていたことがわかる。やがてロンドン警視庁から馳せ参じたブレーキ警部が捜査を進めるうちに、レスティントンの意外な正体、さらにイーリング卿とレスティントンの業務構想にからむロシアの過激派共産党の暗躍、いろいろな情報が集まってくるが……。

 1925年の英国作品。
 ……あー、ウィルスン警視ものでは本当は『ブルクリン家の惨事』(これはG・D・H・コール単独の執筆作品なので、本サイトでは「コール」標記の作家カテゴリーに登録)が先か。そっちも持ってるんだから、先にそちらから読めばよかったかも(汗)。

 それで今回、創元社の「世界推理小説大系」版(ミルンの『赤い館』と合本)で楽しんだけれど、これも少年時代に購入して何十年も寝かしてあった積ん読本。ようやっと読んだのだった(笑・汗)。
(挟み込みの月報とかを見ると、そーか、心の隅にひっかかっていた文言はこれだったかと、確かに昔、一度は手に取っていることを思い出す~といいながら、実は何年か前に初めて完訳版の『赤い館』もこれで読んだはずだが、その時に月報を見直した記憶はないなあ。なんでだろ?)

 でもって内容ですが、ああ、乱歩がいっとき高く評価していたのは、こんな話だったの? という感じです。
 前評判のとおり、相場の変動操作までを主題にした経済風俗小説の趣も強く、日本でいったら昭和30~40年代の社会派というか専門業界ものの要素が強い謎解きミステリ、あの路線の英国・1920年代版じゃないでしょうかね。
 昔「EQ」の翻訳ミステリの新刊評でたしか郷原宏あたりが「小説とは要は面白くてタメになる話のことだ」とかなんとか菊池寛の名言を例に引いていた記憶がありますが、本作は正にソレって感じ。今となってはどうということもない相場の情報だけど、少なくとも当時の英国ミステリの読者にとってはなかなか新鮮だったのではないかとは思える。その意味でキーパーソンといえるイーリング卿のキャラクターなどは、けっこうよく書けているし。
 
 一方で謎解きミステリとしては、怪しい人物ローゼンバウムが当初から設定されている分、よくもわるくも素直なフーダニットではない(最終的に彼がやっぱり真犯人なのか? それとも? については、もちろんここでは書かないが)。

 さらに英国ミステリの王道的な系譜といえる「それではここで読者に、物語の陰にあるもうひとつの逸話を語ろう……」形式の過去編にもストーリーが次第に雪崩こんでいくし、本作が面白いかどうかは、ここらへんの話の変化球ぶりを楽しめるか否かが大きいだろうね。評者の場合、ぎりぎりのバランスでまあ、これはこれでよし、という手応えであったが。 
 あーあと、本作のメイントリックは、乱歩の『続・幻影城』の「類別トリック集成」のなかではっきりとバラされていましたな。本作を読んで、クライマックスのその該当部分に近づくまで、そのことをすっかり忘れていた。ある意味では助かったけれど(笑)。

 それでたしかにミステリとしては、いささか「なーんだ」の出来ではあるものの、最後のドラマ的な決着は相応の軽いインパクトではある。黄金時代のパズラーの諸作をある観点から並べて整理していったときに、本作の狙いというか立ち位置も改めて見えてくるかもしれない。
 まあ名探偵キャラクター単体でいうならば、ウィルスンって本作を読むかぎり、フレンチ警部のデッドコピーというか、子供のいるフレンチ以上のものじゃないけれどね。むしろ家庭人の側面をやや強調されたという点では、意外にのちのジョージ・ギデオンあたりの先駆といえるかも。

No.840 7点 赤い熱い海- 佐野洋 2020/05/15 20:25
(ネタバレなし)
 196×年8月4日。羽田発函館行きの「東北航空」の航空機が飛行中の出火により函館沖に不時着。乗客18人と乗員3人のうち、前者の3名が海中に没して死亡と認定された。だが函館の企業「花井漁網」の専務である井波浩三の妻・昭子が、夫は乗客名簿に名前がないがもしかしたら誰かの名義で遭難機に乗っていたのでは? と疑義を抱いた。昭子の疑念を受けた東京と札幌に本社・支社を置く大手探偵事務所「全日本秘密調査網(AJSS)」の面々は、井波が乗っていた、そうでない状況をともに念頭に置きながら、死体の上がらない遭難者が本当に死んだのか、もし生きているならなぜ? とあらゆる可能性を追い求めるが。

 十数名の規模の民間探偵組織がほぼ一丸となって事件を追う(主要な探偵役はそのうちの4~5人だが)という趣向は独特のダイナミズムを感じさせるが、一方でこれなら、普通の警察捜査形式の謎解きでもよかったのではないか? という気もしないでもない。まあこの設定ならではの作中のリアリティのデティルもそれなりに書き込んであるので(いくらそれなりの規模とはいえ、あくまで民間企業である探偵社の弱みとか)、変わったものを読ませてもらった新鮮さは担保されている。

 主要調査員の動向だけ追っても並行して4つ5つのドラマが進むのだが、最終的にはその構成がうまく生きるあたりの手際はさすが。ここではあんまり書けないけれど。終盤の謎解きはやや強引で力業な感じもあったが、意外性としては十分に評価していいだろう。斎藤警部さんのおっしゃるとおりに企画と技巧が先行しすぎたきらいはあるが、力作なのは間違いない。
 
 作家としてのポリシー的に、長編ミステリでのレギュラー探偵をほとんど作らなかった作者だと思うけれど、このAJSSのシリーズはもう何作か読んでみたかったな。原島の成長譚なんか、連作の上で面白いファクターになった気がする。

No.839 6点 居合わせた女- クレイグ・ライス 2020/05/14 20:45
(ネタバレなし)
 ロサンゼルスの遊園地「波止場」。そこに設置された観覧車の中で、土地の賭博場のオーナーである顔役ジェリイ・マックガーンの刺殺死体が見つかる。以前のマックガーンの手下で、先週、二年間の服役を経て出所したばかりのハンサムな若者トニイ・ウェッブが近くで見かけられ、30代後半の堅物の独身警部アート・スミスは彼に嫌疑をかけた。そして殺人が行われたと思われる時刻、観覧車の傍で聾唖の似顔絵描きアンビイが、とある茶色の髪の美しい娘の肖像を描いていたことがわかり、この彼女が何か目撃していたのでは? と期待がかかる。トニイとスミスはそれぞれの立場から、この美女=エレン・ヘイヴンの行方を追うが、さらにスミスの座を蹴落として後釜を狙う野心家の部下ジャック・オマラ刑事も独自の行動を開始した。くわえてマックガーンの死にからみ、ニューヨークから殺し屋のコンビも出現。事態は緊張を高めていく。

 1949年のアメリカ作品。
 翻訳を担当した恩地三保子(クリスティーやブランドの諸作、「大草原の小さな家」シリーズの邦訳でもおなじみ)はポケミスの訳者あとがきで「(よくライスの作風の修辞に用いられる)クリスティーの巧みさ、ハメットのスピード感、セイヤーズのウィット」に加えて本作ではさらに「チャンドラーの影とカーター・ブラウンの鋭いカット」が付加されたと評しているが、いや、まんまこれはウールリッチでしょ、という一冊。
(読了後に小林信彦の「地獄の読書録」を紐解いたら、まんまその通りの物言いで苦笑した。)あえて言えば、あとどこかに、マッギヴァーンかフレドリック・ブラウン辺りの感触なんかも見やれるけれど。
 
 ひとくちにサスペンスといっても、さらに細分化してどういう方向のジャンルに流れていくかはネタバレになるのでここでは言えないんだけれど、まあ大方の読者は3分の1もしないうちにある程度の予想はつくでしょう。個人的にはポケミス107ページ目の過去の述懐のあたりでハッとなった。
 薄い作品(全部で本文は170ページ弱)なのに、なんかじっくりと読者にからんでくるような文体で、そこがこの作品の味わいのようなまだるっこしさのような感覚がある。
 それでも物語の後半、ストーリーのベクトルが見定まってくると話の加速度は倍加。どういう決着になるのかというダイレクトな興味で一息に読ませる。主舞台である遊園地「波止場」のロケーションを活用したクライマックスも実に視覚的で、印象深い。

 1950年台の(本書は厳密には1949年作品だが)この手のアメリカ・ノワール・サスペンス系の作品が好きな方、たまに読みたくなった人ならどうぞ、とお勧めしておく。
 あとちょっとした旧作・海外ミステリのファンなら、ライスについての地味にドラマチックというかなんというかの物書きとしてのエピソードは、黙っていてもいろいろと聞こえてくるんじゃないかと思うけれど、この本を読むと改めてそんな作者の現実の人生の方にちょっと意識が向かう。そんな一作でもあった。

 ところで今回、蔵書の山の中から引っ張り出してきた本書(ポケミスの初版の古書)を見たら、もう今は閉店してしまったはずの都内の古書店の800円の値札がついていた。たぶん今じゃ絶対に、この値段じゃ買わないな。昔、ライスの絶版品切れポケミスを集めていたころに買った本だな。
 これから読む方もそれなりの安いお値段の時に購読してください。ちなみに現在のAmazonなら、1980年台の再版版なら100円からです。

No.838 6点 宿命- 東野圭吾 2020/05/13 17:09
(ネタバレなし)
 さすがにありきたりの回春三角関係メロドラマには終わらないだろうと予期していたが、思っていた以上に斜め上の展開で軽くぶっとんだ。

 主人公三人の葛藤ドラマ、瓜生家とその親族&会社の内紛劇、さらに過去に向けて広がっていく一種の(中略)業界ものを三題噺風にまとめて、さらにフーダニットとハウダニットの謎まで物語の大きな軸のひとつとする。ネオ・エンターテインメントの文法じゃないの、これ?

 ミステリ的には謎解きの際の(中略)の分担という趣向がすごいお気に入りで、警察捜査小説の側面を十二分に活かした手ごたえ。
 反面、真犯人が暴かれる際の描写はよけいな演出をしないでくれた方が、サプライズが際立ったと思うのだが。

 最後の決着劇の力業はいささかゲップが出る思いだったが、そんなことを考える自分はあまりこの作品の良い読者ではないのかもしれない。それでも本作の売りである最後の一行は、ちょっとグッと来たけれど。

No.837 7点 死者の靴- H・C・ベイリー 2020/05/12 18:46
(ネタバレなし)
 英国の田舎の海沿いの街キュルベイ。その近海で、貧民街出身の孤児で居酒屋「三羽の雄鳥亭」の下働きをしていた16歳の少年ガセージの変死死体が見つかる。他殺、事故死、両方の可能性が取りざたされ、疑惑は酒の密輸の嫌疑がある「三羽の雄鳥亭」の主人ボブ・プライオニーにも及んだ。少年が主人の悪事を知って官憲に密告しようとしたため、口封じされたというのだ。だがガセージを可愛がっていた、自分は無実だと主張するプライオニーは、友人である骨董屋アイザック・コウドの助言を受けて、ロンドンの辣腕弁護士ジョシュア・クランクに救いを求めた。クランクのおかげで無罪放免となるプライオニーだがガセージの死の真相はいまだ未明で、キュルベイの町に何か不審なものを感じたクランクは助手の青年弁護士ヴィクター・ポプリーとその愛妻ポリーを静養・休暇の名目で見張り番に残した。やがてヴィクター夫妻が土地の人々と親交を深めていくなか、没落した名門の令嬢キャロライン・ブルーンと根なし草の成り上がり者の青年実業家トム・クラヴェルの身分違いの恋模様が人々を賑わす。だがこれはキュルベイの街で生じる新たな事件の前哨だった。

 1942年の英国作品。
 いやnukkamさんのレビューがあまりにきびしいので、おそるおそる手に取ったが、個人的にはメチャクチャ面白かった! 先輩と意見を違えて恐縮ですが、これはまあ作品との相性もあるっていうことで(汗)。

 大した儲けにも功績にもならないだろうに、未解決の田舎の少年変死事件に執着して、自分の会社の経費で(はっきりは書かれていないけれどそういうことになるんだろう)ヴィクター夫妻をキュルベイに数か月にわたって住まわせるクランク弁護士って何様や、という思いは生じたが、文句をつけるのはそれくらい。
 作中ではヴィクター夫妻とさらにもう一組の若いカップル、市議会秘書のアレクサンドラ(アレックス)・リンドと新聞記者のランドルフ・ハウが物語の狂言回しに近い役回りを務めるが、後者の焦れったいラブコメ模様も良い雰囲気で楽しく読めた。

 なによりミステリとしては少年ガセージの変死事件以来、およそ一年におよぶ長丁場でストーリーが語られるが、そのなかで大小の事件(一部は事故?)が5~6件。地方都市のなかで何が起きているのか、誰が黒幕もしくは各事件の真犯人なのか? その動機は? という興味でテンションが鎮まる間がない。地方都市を舞台にした一年単位の事件の謎という趣向は、あのクイーンのライツヴィルものでさえそう無かったと思うが(あえて言うならエラリーが出戻りしてくる『十日間の不思議』あたりか)、これはそういった大技っぽい筋立ての構成が見事に功を奏した印象。
  
 まあ終盤、語られ切らない事件の謎の分量に比して「これはいくらなんでも残りのページ数がなあ……」と思っていたら、案の定、いささか破格なクロージングになってしまったけれど、フーダニットの謎解きミステリとしてはまあギリギリ。のちのちの世代の英国パズラー大家の初期作品とかにもこういう作りのものはあったし、個人的にはごくタマになら、こーゆー変化球的な作品もアリでしょう、という感じです(ま、怒る人がいても止めはしないが~笑~)。
 少なくとも、作者が事件の流れを最後には一応は(おぼろげな物言いで)説明したことは認められるし。

 100%手放しでホメられないけれど、このレベルの長編がいくつかあるっていうんならベイリーの今後の発掘にも期待できるね。
(ちなみに自分は大昔に『フォーチュン氏の事件簿』読んであまりピンとこなかったけれど、本サイトの雪さんのレビューを拝見するとかなり面白そうで、そっちも再読してみたら、また評価が変わるかもしれない。)
 論創からも近々、新刊(フォーチュン氏の初めての翻訳長編)がひとつ出るとかいう噂もあるから、楽しみにしていよう。

No.836 6点 サイレント・スパイ- ノエル・ハインド 2020/05/11 18:53
(ネタバレなし)
 1977年のアメリカ、南ジャージーのデルウッド市。長年、中国方面で諜報員として活躍しながら、政治的な事情から現場を追われた37歳の元CIA局員ビル(ウィリアム)・メイスンは、遊泳場の監視員として有閑の日々を送っていた。だがそこにかつての恩師で自分を諜報の世界に引き入れた男ロバート・ラシターから呼び出しがかかる。これに応じたメイスンだが、彼を待っていたのは再会を待たずに転落死したラシターの訃報だった。メイスンのもとには、ラシターに代わって別のCIA局員デビッド・アワーバックが接触。やがてメイスンの前には、国防上の機密にからむ謀略の迷宮が広がっていく。

 1979年のアメリカ作品。翻訳刊行された第二作『サンドラー迷路』が日本でも相応の反響を呼んだ(しかし21世紀の現在ではほぼ完全に忘れられた)作者ノエル・ハインドの第三長編。
 本作は完全なノンシリーズ作品のエスピオナージュかと思いきや、訳者あとがきによると、本書のメインキャラクターのひとり(序盤で死んでしまうが)ロバート・ラシターは前作『サンドラー迷路』にも本当に一カ所だけ名前が登場。世界観は繋がっていたらしい。

 意に添わず現場を追われたスパイの復帰劇、その設定にからむ各陣営の動きを語るのが主題のエスピオナージュだが、一方で謀略の全容がなかなか見えないこと、さらには主人公メイスンが先輩ラシターを殺した黒幕らしき人物を追うこと、なども物語の大きな興味となる。
 さらに主人公メイスンの動向と並行して、ラシターの元妻だった36歳の女性サラ・ウッドソンの日々の描写までなにかいわくありげにカットバック手法っぽく語られ、読者はなかなかその意図が読めない(一部、予想できる部分はあるが)。この辺はちょっとB・S・バリンジャーっぽい感じもしないでもない。
 もやもやした筋立てながら小説としての語り口がうまいのでテンポよく一気に読めるが、この手のエスピオナージュにありがちな「なぜここで、この登場人物はこの選択をするのだろう」と思わされるところもなくはない。まあ、その辺は結局は、作中のリアルとして「そうしようと思ったからそうした」ということになるのだという感じでもあるが。

 終盤の波状攻撃的などんでん返しはなかなか強烈だが、やや舌っ足らずな感触もないでもない。ただまあ、当事者のそこに至った心情を察するに、結構深い感慨は抱かされる。その意味では成功した作品ではあろう。

 評点は7点に限りなく近いけれど、あえて、という感じでこの点数で。

No.835 6点 青じろい季節- 仁木悦子 2020/05/10 19:53
(ネタバレなし)
 理由あって、大学講師の立場を数年前に辞した語学研究家の砂村朝人。現在33歳になった彼は、二人の正社員そして複数の外注やバイトを使いながら、業務用の翻訳を主体に受注する「砂村翻訳工房」のチーフとなっていた。だがその年の6月の半ば、外注の大学院生・矢竹謙吾が、朝人に不審な文書を預けて行方を絶った。謙吾の母親・雪野から捜索の協力を請われた朝人は、謙吾の婚約者の畑真美枝、そしてその父親で朝人とも同業で交流のある陽一郎に接触する。やがてそんななかから、謙吾が私立探偵事務所にある件を依頼していたことがわかってくるが。

 仁木悦子の後期の長編作品のひとつ。主人公の知人の失踪から、実はかなり奥深い事件の迷宮に分け入っていく筋立てはたしかにロス・マクドナルドっぽい。角川文庫版ではクリスティー研究家の第一人者・数藤康雄氏が巻末の解説をまとめ、以前にご自宅にお伺いした作者の書斎にフランシスやらロス・マクなどのポケミスがずらりと並べられていた逸話を紹介しているが、さもありなんであろう。

 ネタバレにならない程度に筋立てのポイントを語ると、事件は3~4軒の家庭間の人間関係に深く関わり合い、さらに主人公・朝人の周辺でも相応のドラマが語られる。
 実は……(中略)パターンの反復がいささか物語の構造を狭くしている印象もあるが、そのうちのいくつかは事件や悪事の流れにおいて登場人物の方からまた別の人物にすりよってきている面もあるので、人間関係をきちんと整理していくと実はそんなに偶然や暗合には頼っていないのかもしれない。

 この時期の仁木悦子作品は、もはやベテランの域に達した書き手としての手慣れた、そのくせどっかに不器用さを感じさせる(伏線の張り方にある程度のパターンが見えたり、人物配置の狙いが察せられたり)おちつききらない成熟感みたいなものが見受けられ、そこもまた魅力ではある。
 砂村朝人の事件簿は、長編はこれひとつのみだが、短編はわずかだけ書かれたらしい。その辺は先輩格の、あの『冷えきった街』の主人公・三影潤を踏襲した(三影の方が短編の数はずっと多いはずだけれど)。

 しかし未読の仁木作品の長編もだんだんと減っていくなあ。まあ仕方ないけれど。大事に読んでいこう。

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人並由真さん
ひとこと
以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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