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人並由真さん
平均点: 6.33点 書評数: 2034件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.874 6点 走れホース紳士- 石川喬司 2020/06/16 16:28
(ネタバレなし)
 のちのちまで日本競馬史にその名を轟かせる名馬ハイセイコーがまだ現役の昭和の時代。少部数のミステリ小説専門誌「推理マガジン」の編集部員である30歳の独身、泉大五郎はダービーで手痛い負けをこうむった。そんな彼はその夜、ひとけのない東京の本馬場で「増沢ハイセイコー」と名乗る、闇の中を奔馬のようにランニングシャツ姿で走る謎の老人に出会った。独特の競馬観とロジックをそなえた増沢老人に興味を抱く大五郎だが、増沢はNHK(ニホン・ホース・キチガイ連盟)の会長だと自称。増沢老人は大五郎に、わずか200円で馬主になれるというNHKへの入会を勧誘する。これが大五郎を伏魔殿たるNHK、そしてさらに競馬の世界の迷宮に引き込む事態の始まりであった。

 現状で本サイトにも、そしてたぶんAmazonにも、登録されていないが、元版は1974年4月号5日刊行のノン・ノベル(祥伝社)。
 もともとは「東京スポーツ」「大阪スポーツ」ほかに連載の『ウマの神様』を主体に、「報知新聞」に連載の別作品『明日の手帖』の一部を加えて大幅に加筆改訂、とある。主人公の大五郎が中盤で福島に競馬がらみで旅行に行ったり、やはり後半でパリに行ったりするので、もとはその辺りが別の主人公のストーリーだったかもしれない?

 大昔に古書店でかき集めた「ミステリマガジン」バックナンバー連載の新刊翻訳ミステリ月評「極楽の鬼(地獄の仏)」や「世界ミステリ全集」関係でさんざんお世話になった(もちろんあくまで一ミステリファンとして。一部、ネタバレで多大なメーワクをかけられたが・怒)石川喬司の実作長編。
 すでに大昔から短編は何作かミステリマガジン誌上で読んでいたが、長編は「そんな石川が書いたミステリ長編作品」ということで関心をいだいて何十年も前に購入しておきながら、ずっと家の中のコヤシであった(笑・汗)。
 だって作者が筋金入りの自称・馬家(「ばか」と読むそうな)なのは「極楽の鬼」を楽しんでいた当時からつくづく思い知らされていたけれど、こちら評者は競馬にまったく関心のない人生を送ってきた。そしてまさにこれは、ガチの競馬ネタのミステリなんだもの。あまりにも敷居が高かった。
 
 とはいえなんのかんの言っても、あれだけとにもかくにも当時のミステリを読み込んだ作者なんだからその辺の作法は心得て、シロートでも一見でもある程度のコトは解説してくれて、最低限は楽しめるエンターテインメント&ミステリになっているだろう? と予期しながらようやく、ウン十年目にしてページをめくる。
(思えば青少年時代にフランシスの競馬スリラー(競馬ミステリー)も、どこか似たような敷居の高さで、最初の一冊を手にしたのだった……。)

 それで読み終えての感想だが、競馬界のウンチクと当時の斯界への見識をたっぷり聞かされる前半は、門外漢にはほんのすこし退屈(汗)。
 とはいえ基本的にマンガチックな描写の連続するギャグユーモア作品で(ノン・ノベル版の肩書は「長編抱腹推理小説」!)、さらに明らかに「ミステリマガジン」をモデルにした「推理マガジン」編集部周辺のネタもちょっとだけ出てきて、その辺もふくめてそこそこ楽しめる(なお主人公・大五郎の恋人の野村マリは大学の後輩の27歳の娘で、「推理マガジン」に翻訳原稿を載せているミステリの翻訳家という設定。適度なお色気もある)。あのヘンリイ・スレッサー(O・H・レスリー)の競馬ネタの短編の話題とかが飛び出してくるのも、実に楽しい。もちろんフランシスの諸作についても言及される。
 ちなみに、もともとミステリファンだった大五郎が「推理マガジン」編集部に入った目的のひとつは、この職場でミステリの見識を高め、乱歩の「類別トリック集成」のアップ・トゥー・デート版を作ろうと思ったからというのも、ちょっといい話、ではある。

 物語が割と面白くなってくるのは大五郎が福島の地方競馬場に旅行にいく辺りから。さらに話が進んでどうやってNHKが奇妙なシステムで利益を上げているか、カモを食い物にしているかのロジックが小出しにされ、翻訳ミステリ風のコン・ゲームを裏から覗くような本作の楽しみ方が見えてくる。 
 一方で奇人変人の登場人物たちも賑わい(パリ編で登場する「映画版のクロード・ルベル警視そっくり」という設定のキャラクターがいろんな意味で特にいい)、後半はフツーに面白くなった。終盤の仕掛けも、エンターテインメント読みものとしての、ダメ押し的な快感がある(いかにも昭和ミステリっぽい感じではあるけれど)。
 総体的には佳作以上といっていいんじゃないかしらね。昭和の競馬好きはもちろん、歌謡曲などのネタも多いので、当時の昭和の風物が好きなら、さらに楽しめるだろう。
(ちなみにノン・ノベル版には挿絵が豊富に掲載されているが、これが往年のミステリマガジンでもおなじみの畑農照雄。本作の作風にマッチして、実にいい味を出している。)
 
 なお途中で競馬界の不正や妨害が話題になるシーンがあるのだが、そこで、ミステリのエチケットとして詳しくは書かないが、とかいいながら、フランシスの『興奮』の大ネタをかなり暗示してしまっているのがアレ。もっとポイントを曖昧にするとか、書きようはあったと思うヨ。いかにもこの辺は作者らしい(笑)。

 あと1987年の同じ作者の『ホース紳士奮戦す』は本作の続編なのかしらん? webで検索しても情報が出てこない。そのうちどっかで調べてみよう。

 最後に、作者の石川喬司ってまだ90歳でご健在なんだよね? 可能ならお元気なうちに60~70年代のミステリマガジンやミステリ全集などについて、当時のことをぜひとももっといろいろと語っていただきたい。

No.873 7点 牧師館の殺人- アガサ・クリスティー 2020/06/15 05:44
(ネタバレなし)
 久々にクリスティーを読みたくなって蔵書の中から未読の作品を漁っていたら、ポケミス版のこれがでてきた。ミス・マープルものの初長編。
 いやいくらなんでもコレは昔に読んでるはずだ……たぶん読んでる……おそらくは……もしかしたら……と、確信度が次第に十のうちひとつかふたつくらいに下がっていく。
 まあ万が一、昔に一度読んでいても、これくらいしっかり忘れてるんならいいだろと思ってページをめくったら……あら、完全に、初読であった(笑)。そーか読もう読もうと思って、そのままだったのだな(大笑)。
 さすがにのちのマープルものは、何冊も読んでるが。

 という訳で半日かけてしっかり楽しんだけれど、セント・メアリー・ミードをがっぷりと舞台にした箱庭的な感覚の作品で、予想以上に面白かった。
 
 しかし主人公クレメントの若奥さんグリセルダ最高だな。自分が選択の自由があるという権威を示すために、三人ものの他の求婚者をふってあなた(ずっと年長の夫クレメント)を選んだとかの呆れた悪態ぶり、水着で絵のモデルになるくらいなんですの、わたしなんかもっと……とか、若い男にとってあなたみたいな年上の夫がいる私みたいな若い美人の奥さんは最高の贈り物なのだ、とかの小悪魔的なエロい物言いの数々。それで最後には(中略)とくるか。あー、ズベ公萌えの評者(汗・笑)にとっては破格ものの、クリスティー史上のベストヒロインかもしれない(笑)。

 あと翻訳のせいもあるのかもしれないが、前半の叙述がところどころイカれてて素晴らしい作品であった。人食い人種ネタジョークの悪趣味ぶり(不発に終わること自体も笑える)もさながら、容疑者の拳銃の所在について証言するミス・マープルの物言いまで妙にエロい。

 ミステリとしては、ポケミス版の解説で乱歩はあんまり評価してなくて『予告殺人』の方がいいとはっきり言っちゃってるんだけど、個人的にはおお、そうきたか、という感じで結構スキである(自分は後半のとある叙述から、別の人間が犯人では? と推察していた)。
 最後で急にこの物語に出てくる某ガジェットへの細かい不満などはあるものの、ミスリードの仕方としてはかなり上策だったではないかと感じた(その一方で、フェアプレイにしようという恣意的に丁寧な描写が饒舌すぎて、あとから思うとかなりアレなところもあるんだけれど)。

 あと、かのキーパーソンの正体はのちの別シリーズでこの変奏をやっている感じで、そっちでの真相発覚がスキな分、ここに先駆というか原型? があったという意味で興味深かった。
 総合評価としての完成度(というより作品の格の結晶度)はいまひとつかもしれないけれど、クリスティー色は全開かその上で、好みの作品の一つになりそうではある。

No.872 7点 ハイスクールの殺人- イヴァン・T・ロス 2020/06/15 04:56
(ネタバレなし)
 1950年代末~60年代初頭のニューヨーク。「ぼく」ことベンジャミン(ベン)・ゴードンは「マーク・ホプキンス・ハイスクール」の英語教師として、様々な人種と階層の生徒たちにアメリカ市民として有為な英語を教えていた。だがその年の10月、ゴードンの教え子でプエルト・リコ系の少年ルイス・サントスが、拳銃を持って近所の食料品店に押し入り、逮捕されたという知らせが入る。ジャーナリスト志望のルイスは友人は少ないが、教師や学友たちからは一目置かれる秀才で、校内新聞の編集長。大学進学のための奨学制度にも認可されていて、日頃の素行からもこんな軽はずみな行為をするとは思えなかった。ゴードンは背後の事情を探ろうとするが、当のルイスは何かを隠し、一方で利己主義の校長ハーバート・アプルビーや警察の捜査陣は、いくら秀才といっても所詮は移民系なので、と不信の目を向ける。それでも半ば強引に調査を継続するゴードンだが、やがて彼の周囲で思わぬ惨事が。

 1960年のアメリカ作品。
 高校教師にして作者のレギュラーアマチュア探偵であるベン・ゴードンは、かの藤原宰太郎の「世界の名探偵50人」の後半パートの一角で紹介され、それゆえ評者の同世代のミステリファンと話をすると、意外にその存在を知っている人も一時期はいた。もちろん実作を読んでいる人間はさらに少ないが、それでもたまにそういう人に出会うとなぜか嬉しくなるような、そんな感じの妙にひと好きのするキャラクターなのだった。
 評者は大昔に先にシリーズ第二作『女子高校生への鎮魂曲(レクイエム)』を先に読み、相応に良かった、ベン・ゴードン、噂どおり素敵なキャラだったという印象があるが、かたや、なんせウン十年も前のことなので、ストーリー的にはほとんどもう何も覚えていない。(いや、印象的なシーンを、ひとつふたつ記憶してはいるか。)

 今回はじめて読んだ本作はシリーズ第一弾で、読み手のこちらはとっくに主人公ベン・ゴードン(朝鮮戦争から復員して教職の課程を終えて教師生活6年目というから20代の末~30歳くらい?)の年齢を越してしまったが、なんとなく高校のクラス会で旧友に再会するような気分でページをめくった。

 それで、しっかり検証した訳ではないが、本作が刊行されてから60年、高校教師のアマチュア探偵なんて、シリーズキャラクターだけに絞っても東西のミステリ界にいくらでもいるだろう。
 その意味では2020年の今日日ことさら掘り起こして喜ぶ文芸設定の探偵キャラクターでもないのだが、50年代末~60年代初頭の時代の空気込みで向き合うと、この時代ではちょっと新鮮なタイプのアマチュア探偵だったという感覚が改めて追体験できて、やっぱり心地よい。
(まあ、評者がこの時代のアメリカ作品をスキという前提はもちろんあるのだが。)
 ゴードンのキャラクターは、事なかれ主義や放任主義の外圧をうける中、彼なりの葛藤を感じながら、それでも不遇な生徒やその家庭を見捨てず、さらには不正に憤りを覚える正に古いタイプの熱血青年。この辺はいかにも60年代に照れずに語ることのできた理想主義という感じがしないでもない。
 ただし安月給に不満をもらしながら、スポーツカー(白いポルシェ)を取り回し、レアなレコード収集とハイファイステレオには散財する独身貴族でもある。キャラクターの個性を見せる記号的な設定という感じもあるが、50~60年代ハードボイルドミステリの趣味人志向に通じる趣もあって、個人的には微笑ましくて好ましい。校内で職場恋愛している彼女の美人カウンセラー、ルーシー・フェリスが朝鮮戦争での戦争未亡人(夫とは結婚後すぐ死別)というのも、いかにもこの時代っぽい。
 
 ミステリとしては秀才のルイス少年による強盗? 行為のホワイダニットが当初の興味になるが、さすがにこれだけで長編作品にはならないので、この事件に連鎖して殺人事件がまもなく発生。それと同時に、やはりこの時代のアメリカらしいある社会的な案件が次第に浮上してくる。この辺も当時のアメリカの国内事情を覗かせて、独特な手応えがある。
 ちなみにジャンル分類がしにくいタイプの長編だが(フーダニットのパスラーでもあるし、社会派ものともいえるし、広義の青春ミステリ……といっていいいかな)、本サイトで最初に登録された方(現在はこちらのサイトに不参加)は「ハードボイルド」に分類。評者は読んでいて途中まではこのカテゴライズに違和感を覚えたが、最後まで読み終えると相応に得心がいく。
 うん、終盤のベン・ゴードンの、そして本作の某メインキャラクターが選択した決着の道筋は正に(以下略)。
「それでも結局はアメリカベル・エポックの理想主義」と揶揄もされそうだけれど、いや、こーゆのが完全に忘れられた世の中も寂しかろう、とも思う(まだギリギリそこまでいってないとは思うけれど)。
 その意味では、最後にちょっと骨っぽい? ものを見せてもらっていい気分の一冊だった。

 評者にとっては再読になるが、ほとんど忘れている第二作『女子高校生への~』をそのうち読むのが楽しみ。ベン・ゴードンシリーズの第三作「Old Students Never Die(1962)」と第四作「Teacher’s Blood(1964)」がとうとう翻訳されなかったのが惜しまれる。

 あと原題の話題が出たところでさらに余談だけど、本作の原題は「Murder out of School」でホントーは「高校校外の殺人」なんだろうね? まあ作品のジャンルイメージ(学園ドラマミステリ)として、ストレートにこの邦題でよかったとは思うけれど。

No.871 6点 ドリームダスト・モンスターズ 白い河、夜の船- 櫛木理宇 2020/06/13 20:11
(ネタバレなし)
 シリーズ第二弾。幻冬舎文庫から2014年12月に文庫オリジナルで刊行。
 全四話収録。

 表紙(ジャケットイラスト)の描き手が交代したけれど、個人的にはこっちの方が一冊めよりも好みかも。
 中身の方は良くも悪くもシリーズ各編の定型を早々に固めちゃった感じで、無難さが過ぎる一方、安定感はある。

 とはいえ事件の方はエピソードによってはかなり陰惨で、高校生の主人公コンビ(おばあちゃんを加えてトリオ)が作中の現実でこういう事態に向かいあってるのかと思いを馳せると、かなりフクザツ。
 そうはいってもリアルは小説のなかでもそして現実でも時に過酷なのは事実なんだから、おじさん読者としては見守るしかない。いまのところ主人公たちは真っ当な道を歩み続けているし。

 シリーズが2015年刊行の第三巻で中断しているみたいだから、未読の分があと一冊しかない。これを読んでしまっていいのか、その辺もまたフクザツ。

No.870 7点 リーヴェンワース事件- A・K・グリーン 2020/06/13 19:22
(ネタバレなし)
 1876年3月4日。アメリカの大富豪でシナとの貿易で財を為した老人ホレイショ・リーヴェンワースが、自宅の豪邸で射殺される。「私」こと、富豪の顧問弁護士のひとりであるエヴァレット・レイモンド青年は、富豪の若き秘書ジェイムズ・トルーマン・ハーウェルの急報を受けて現場に赴き、そこで旧知である市警の捜査官エベネッツィア・グライス刑事巡査と対面した。子供のいない富豪リーヴェンワースは、互いに従姉妹同士の関係になる二人の姪で、ともに両親と死別したメェリイとエリナーを後見しながら同居。双方とも20代前半の大変な美人で、レイモンドはそのエリナーの方にほとんど一目惚れしてしまう。やがて事件の直前、屋敷に謎の? 訪問者があったこと、そして美人の小間使いハンナ・チェスターが行方をくらましていることが、明らかになってくるが……。

 1878年のアメリカ作品。作品と作者の詳しい素性は本サイトの先のお二人のレビューを参照願うとして、唯一の完訳である「世界推理小説大系」版の中島河太郎の解説によると邦訳して原稿用紙1000枚前後の大作だそうである。
 あと本作のメイン探偵エベネッツィア・グライスは、作者のレギュラー探偵。有名な邦訳短編では創元のアンソロジー『世界短編傑作集1』にも入っている(新版『世界推理短編傑作集1』にも収録の)『医師とその妻と時計』にも登場。
 ここでは以上の二項を補足。

 前述のとおり大部の長編クラシックミステリだが、古めの文調ながら丁寧な翻訳はけっこう平易で、二日間に分けて読み切ってしまった。特に前半、富豪が殺害されたあとのリーヴェンワース邸内での人間関係のシーソーゲームのありようは、良い意味で当時の大衆小説(はこんなもんだったんだろうな、という感じ)のテイスト全開でおもしろい。
 また前述の中島河太郎も指摘しているが、本作はアマチュア(もしくはプロでも若手の)探偵の主人公が率先して先に動き、最終的にプロ(またはよりベテランの)探偵がトリを取る作劇パターン(『赤毛のレドメイン』とか『学校の殺人』とかもろもろ)の嚆矢(のひとつ?)でもあるようで、その辺の観点から見た際の物語の組み立て方なども、なかなか興味深かった。
 さらに中盤から表に出てくる某キーパーソンの、お話が進むにつれての立ち位置の揺らぎ具合とか、まあとにかく読者を飽きさせないようにとの作者の筆遣いは強く感じられて、少なくともそういう意味では21世紀の今でも十分に楽しめた。
 客観的に一歩引いてみるならは、行方不明になった女子ハンナの捜索具合とか、公僕の捜査陣の動きが中途半端に思えたりするところもあるのだが、その辺はまあまあギリギリ。多様な登場人物たちを操って各章の見せ場を設ける作者の筆先に、乗せられてしまう面もある。
 
 それでも謎解きパズラーとしては定法の固まる前の時代の作品なのでかなり雑ではあり、ロジカルな推理の煌めきなどは希薄だが、個人的には真犯人の動機にかなり驚かされた。おっさんさんは横溝の諸作を想起されたそうで、それはそれでなんとなく分かるが、個人的にはシムノンのかの作品をズバリ思い出した。(こう書いても、どういう形でもまずネタバレにはならないと思うが。本作を読み、さらに当該作を実際に既読の人なら、なんとなく通じてもらえるかも?)
 そういう意味では、19世紀末にすでにこういう文芸がやはりミステリのなかにあったんだな、とスナオに感銘。真犯人の最後の叫びが心に残る。

 この数年のなかで何冊か読んだ、19世紀以前のミステリ史を刻むクラシック系長編のなかでは、個人的には得点評価の方を減点評価よりも優先したくなるような一編。
 スノビズムなのも自覚しつつ、こーゆーのはミステリファンの末席として嗜んでおきたい一作ではあります(笑)。

No.869 5点 死人狩り- 笹沢左保 2020/06/12 14:16
(ネタバレなし)
 その年の7月。西伊豆の下田と沼津を繋ぐ西海岸沿いの崖脇の道路から、運転手と車掌を含めて27人の男女を乗せた定期バスが墜落し、全員が死亡する。原因は何者かが走行中のバスの正面ガラスに散弾銃を撃ち込んだためだった。死んだ乗客の中に妻の和子と娘の千秋、息子の不二男を確認した静岡県警捜査一課の34歳の刑事・浦上達郎は、以前からの相棒の同僚・伊集院虎雄とともに「犯人は誰を殺そうとしていたのか」を最初に暴くべく、被害者たちの身元と当時に至る状況を洗い出す「死人狩り(しびとがり)」を開始するが。

 大昔にテレビドラマ版をちらりと観たような気がするのでwebで調べたら、1965年と1978年に連続ドラマ(前者は半年、後者は全5回の短期)になっている。評者が覗いたのは後者のショーケン主演版の方。トクマノベルズ版はこれに合わせて刊行されたのだろう。
(ちなみに1965年版は主演が車周作、相棒が江戸川総司令、交代で応援の若手刑事がキカイダー01ですって。こりゃ東映の製作だろと思ったら、まんまそうだった。一度観たい。)

 こういう派手で大胆な趣向で設定の作品だから、どうせ大半の被害者の調査が空振りに終わるのはわかっているのだが、とにもかくにも物語の勢いのなかで主人公がほぼ全員の捜査を相応に強引に貫徹(仕事の分担として他の刑事が一度調べた相手まで、一部、洗い直している)。その辺のリアリティに関してはまあギリギリ。
 その上で、真犯人の殺人計画に直接は関係なかった巻き込まれた被害者たちのプライバシーが、さらには「もしかしたら、こいつが犯人か?」と疑われた遺族や故人の関係者の内情までがひとつひとつ赤裸々に暴かれていく。この下世話な覗きストーリーの物量感がぢつに面白い(……といっていいのか?・汗)。
 これはすぐに連続テレビドラマ化されるわけだよ、だって毎回のエピソードがネタ話だもの(とはいえ当時、ネットの実況サイトとかあったら、どうせ今週も空振りだろ、終盤まで真相はわからんのだろ、と原作未読派からも軽口を叩かれそうな気もするが)。

 最終的な決着は予想の通りにアレでアレでしたし、その真相から逆算すると途中の筋運びも「うーん」という感じもあるんだけれど、まあこの作品は中盤の小エピソードのとてつもなく長めの串ダンゴ構成が身上でしょう。そういう意味では楽しめた(面白かったというには微妙だし、出来がいいとは絶対に言えないが)。
 なお、この作品のバージョンアップが天藤真の『死角に消えた殺人者』だというのは、nukkamさんがそちらのレビューで語ってられる通りですな。あとちょっと佐野洋の『赤い熱い海』にも通じるところのある設定だけど。

 気分的には6点あげてもいいんだけれど、こういう<ソッチの方向に特化して力入れた作品>をあんまりホメちゃいけないよね、ということであえてこの評点。良い意味で、退屈な時間に読むなら最適の作品かもしれない。

No.868 6点 階段- ヴィクター・カニング 2020/06/11 20:26
(ネタバレなし)
 誘拐団「トレーダー」が暗躍。一味は二回続けて英国政界の要人をひそかに誘拐し、そこそこの身代金を獲得しては人質を放免していた。世論の追求を恐れた首相はマスコミに箝口令を敷き、精鋭集団に捜査を任せるが、トレーダーは悪事の本命といえる第三の計画を企てていた。そんな頃、悪夢に悩む富豪の老婦人グレース・レインバードは、知己の仲介で自称・霊媒師の30代半ばの女性ブランチ・タイラー(「マダム・ブランチ」)と対面。マダム・ブランチは、グレースの亡き妹ハリエットの忘れ形見で、行方不明の遺児の存在を訴えるが。

 1972年の英国作品。
 ヒッチコックが晩年に本作を映画化した『ファミリー・プロット』は数十年前に一度観たきりで、細かいいくつかのシーン以外ほとんど印象に残っていない(どちらかといえば、あまり面白くなかったような記憶がある)。
 そういうわけで映画との比較はしないで単品の作品として読んだが、誘拐団「トレーダー」に振り回される捜査陣のハナシと、霊媒師マダム・ブランチおよびその恋人ジョージ・ラムレー、そしてそのブランチに相談を依頼したグレース老婦人たちのストーリー。その2つがほぼ平行的にカットバックで進行。
 ふむ、B・S・バリンジャーみたいだな、と思って読んでいくと、中盤で2つの話の相関は明かされて、あとはあるベクトルに向けて焦点が絞り込まれるサスペンス譚に転じていく。
 双方の話の関連具合は大方の読者に予想がつくだろうから、本当は最後までこの小説の構造そのものを謎として引っ張りたかった作者が、早々と途中で試合放棄したのかな? とも考えた。
 ただまあ、終盤の悪事の露見具合はヒラリイ・ウォー風というかロイ・ヴィカーズ風というか「ああ、そんなところから」という感じでちょっと面白い(いや、フツーでしょ、というヒトもいるかもしれんが~笑~)。
 でもって最後まで読んで……。あ~、まあ、こういう種類のミステリね、とちょっと軽く感銘。いい感じに(中略)になった。
 
 それなり、またはそれ以上に面白かったけれど、訳者・山本光伸のあとがきで「世界の推理作家のベスト・シックスに入るといわれる、ヴィクター・カニング」と書いてあり、いや、そんな高評、聞いたことねーよと思わず突っ込む。Wikipediaならその「~入るといわれる」の箇所に「誰から?」のマーキングを貼られるところだ。
 ちなみに本書が邦訳された74年はまだパズラー三巨頭(クイーンは片割れのみ)もロス・マクも健在だった。ビッグ4はその面々で確定として、あとの一人はシムノンあたりか?  

 舐めてかかると、いい感じで小技で返してくる。そういう意味では好きなタイプの長編。もう一度『ファミリー・プロット』を観返さなければ正確なことは言えないけれど、たぶん映画よりはずっと面白いでしょう。
 実質6.5点というところで。

No.867 3点 やぶにらみの時計- 都筑道夫 2020/06/10 19:17
(ネタバレなし)
 大昔に購入したままだった中公文庫版で読了。

 少年時代に最初に手にした際は、冒頭からの二人称記述で鼻白み「なんじゃこりゃ、こんな気味の悪い小説、カナワンヨ」と放り出したような、そんなような記憶がある。
 そしたら日本語版EQMMのバックナンバーを集めていくうちに、レイ・ブラッドベリの短編にこれと似たような二人称記述の作品があり、ああ、当時の編集長だったツヅキはこれにインスパイアされたのだなとひとり勝手に納得していた。
(といいつつ、中公文庫巻末の海渡英祐による解説では、本作を執筆時の都筑は別のフランス作品に影響されたのだと記述してある。ただまあ、くだんのブラッドベリの短編も、頭の片隅ぐらいには残っていたものと思うけれど?)

 刊行から半世紀以上を経ても普遍的にショッキングなシチュエーションだが、真相に関しては結局は無理筋だよね。単純に一言で言えば、ここまでうまくことが進む訳がない。ただしその難しい部分を、物語の向こうの事情を曖昧にすることでなんとなく読み手に納得させてしまった手際はうまいとは思うけれど。

 フランスミステリ風の小粋な作品ではあるし、作中のミステリマニアたちのお喋りも基本的には楽しいが、まだ未読だったクリストファー・ブッシュの『完全殺人事件』の大ネタをさほどの必然もなくバラされたのには立腹した。

 それ以上に腹が立ったのはキチガイ男による子猫の虐待、惨殺描写で、物語の筋立ての上で特に意味があるものとも思えない。作者の陰惨な実体験を読者に追体験させようとかその手の下らない叙述か?
 
 上の二項で大幅に減点してこの評点。感情的には1点でもいいかとも思ったが、そこまで振り切れない自分にちょっと自己嫌悪。

No.866 5点 黒い死- アントニー・ギルバート 2020/06/10 03:10
(ネタバレなし)
 第二次大戦を経た1950年代はじめの英国。第一次大戦での英雄だったエドワード(テディ)・レイン元大尉は、今は安宿「エリスン・マンション」12号室で暮らす56歳の孤独な麻薬中毒者になっていた。テディの収入源は二つ。ひとつは裏の世界に通じた薬剤師モォレルの麻薬売買を手伝うこと。もうひとつは知己や新聞などで見つけた相手の過去の秘密をネタに恐喝することであった。金に困ったテディはある日、現在恐喝中の四人の男女を同時に自室に呼び出し、その四人に一斉に金の無心を行う。だがこの状況は、テディにとって思わぬ事態を招き入れた。

 1953年の英国作品。恐喝者が被恐喝者の連携(?)によって反撃をくらい、やがてフーダニットになだれ込む(さらにまた後半にもミステリとしての趣向が用意されている)という筋立ては、確かにどこかクリスティーっぽい感じで面白かった。
 
 それで評者はまだギルバート作品は『灯火管制』しか読んでないんだけれど、そこではちょっとテクニカルな技巧を使っていたので、今回ももしかしたらこの辺はミスディレクションじゃないかしらとか、この辺の曖昧さは何らかの仕掛けじゃないだろうか、とかあれこれ考えながら読む。そういう作業はちょっと楽しかった。

 とはいえ(中略)が少ないくせに、これで最後に読者を驚かそうと不遜なコトを作者が考えているんなら、もう真犯人はあいつしかないよね、と思って、まんまと当たった。
 残念ながら今回も結局は『灯火管制』みたいな悪い意味での一回ヒネリみたいな感じ。
 ただまあ、その後のエピローグはちょっと気が利いてはいる。
 どうも全体的に不器用な感じなんだけれど、読者へのサービス精神みたいなのと、それを支える作者のミステリ愛のような感触は悪くはないです。

No.865 8点 悪魔とベン・フランクリン- シオドー・マシスン 2020/06/10 02:34
(ネタバレなし)
 1734年のアメリカ。植民地ペンシルヴァニア州の首都フィラデルフィアで、28歳のベンジャミン(ベン)・フランクリンは新時代の文化人となるべく地元紙「ガゼット」の編集と発行に励んでいた。彼は市民有志からなる文化サークル「同志会」に所属し、町の若き名士でもあった。そんなベンは、富豪で土地の実力者コリン・マグナス老人によるマグナス家の家族への封建的で横暴な振る舞いが目にあまり、自分の新聞に批判記事を掲載する。だがこれに怒ったマグナスは自分は神と悪魔の力に通じていると豪語し、ベンに必ずや悪魔の断罪が下るだろうと宣告した。やがてベンの周囲で殺人事件が発生。しかもその周囲には、悪魔の出現を思わせる割れたひづめの跡が残されていた。

 1961年のアメリカ作品。
 同じ作者シオドア(シオドー)・マシスンの『名探偵群像』は、ぜひとももう一度しっかり読み直したい短編集のひとつだが、本が家の中のどこにいったか見つからない。
 どうせなら現在の創元社で『名探偵ジョン・バリモア』とかの未収録分までを追加収録した新装・新訳版を出してくれないだろうか。

 それで本書はズバリその『名探偵群像』の長編バージョンみたいな内容で、気分的には小学生時代に図書館で借りて読んだ歴史上の偉人の伝記ジュブナイル、あの雰囲気を思い起こして実に楽しかった。
 サタニズムや魔女狩り騒ぎなど欧州からの迷信を引きずったまま新天地に来てしまった18世紀当時の移民たちの文化レベルもストーリーに絶妙に融合。カーの時代もののB級クラス、それにクイーンの『ガラスの村』みたいなスモールヴィルものの枠のなかでの連続殺人事件(フーダニット)劇が存分に楽しめる。
 登場人物ではフランクリンを囲む「同志会」の面々や、キーパーソンとなるコリン・マグナス老人の家族たちが丁寧に描きこまれ、終盤、フランクリンが暴徒に立ち向かう山場ではそこに至るまでのキャラクター描写の積み重ねが十二分に活きてくる。加速していくテンションの高まりは問答無用に面白い。
 中盤の展開は冗長という声もあるが、良い呼吸で次の事件がおこったり、ドラマ的な見せ場が用意されていたりで、個人的にはまったく退屈しなかった。 

 ミステリとしてはいくつもそれなりに丁寧に伏線を張ってある一方、良くも悪くも話を盛り上げるために、作中のリアルとして「?」となってしまうところが数ポイント。その辺はフツーだったら文句を言って減点の対象になるところなんだけれど、まあいいじゃないの、読み手の方でなんか屁理屈をつけて弁護してあげましょう、という気分になる。つまりそれくらいパワフルで楽しめた(笑)。
 マシスンがこの路線の長編をこれ一本しか書かなかったのは惜しまれるな。まあ生涯に長編作品はこれだけ? だったからこそ、これだけ剛球の一本を書けたのかもしれんけど。
 いつだったかのミステリマガジンで歴代ポケミス特集をしていたとき、誰かがコレを「ポケミスでしか読めない翻訳ミステリ」のマイベスト3に選んでいたよね。強くうなずける。

No.864 6点 ハードボイルドの雑学- 事典・ガイド 2020/06/07 03:46
(ネタバレなし)
 1986年5月にグラフ社から全書判サイズで刊行。同社の叢書「グラフ社雑学シリーズ」の一冊で、小鷹信光が本文の95%くらいを著述。一部の記事を木村二郎、宮脇孝雄、池上冬樹といういかにもな三氏が協力執筆している。

 帯には「ついに登場! ハードボイルド小百科/ビギナーには花も実もある入門書! したたかな読者には一味違う情報ファイル!」とあり、本文の内容は
・第一章 ハードボイルド小説ファン必携
・第二章 私立探偵紳士録
・第三章 ハードボイルド旅行案内
・第四章 ハードボイルド商品カタログ
・第五章 ハードボイルド犯人追跡
・第六章 ハードボイルド雑学の「雑学」
 の6パートで(大別して)構成。

 第一章は、ハードボイルドミステリの定義、文学史、現実とフィクションの相関、主要作家と関連雑誌などの記述で、ここをしっかり読むだけでもかなりの学習・復習にはなる
(国産ハードボイルドミステリの名作リストに一部間違いがあるのは惜しいが)。
 第三章は著者自身の訪米記をからめた、各作品の物語の場の探訪(いわゆる名所巡り)、第四章は銃器や衣装(トレンチコートとかソフト帽とか)やクルマなど。第五章が作中での探偵たちの捜査やそのあとの司法処理などにちなんだ実例(ミステリ内の)の網羅。
 最後の章がハードボイルドミステリ映画そのほかのア・ラ・カルト記事になっている。
 
 細部での情報のわずかな誤記を別にすれば、広くそれなりに浅くなくよくまとめた、トリヴィア読み物記事本という感じで十分に楽しめる。ただし本書の刊行以降に日本で発掘邦訳された作品(たとえばポール・ケインの『裏切りの街』などは何度か話題になるが、この時点ではまだ未訳扱い)や、その後、改めて注目度の高まった作家(トンプスンとか)などもあるので、21世紀の現代に読むなら受け手側のその辺の若干のアップトゥーデートは必要か。

 ちなみにライオネル・ホワイトの既訳作品という主旨で『メリウェザー事件簿』という聞いたことのない題名がいきなり出てきたので「え?」となったが、これは結局、角川で刊行されている『ある死刑囚のファイル』のこと(主要キャラの名前がメリウェザー夫妻)。こーゆーのはカンベンしてくれ。まだこちらの知らない既訳作品がどっかのマイナーな版元から出てたのか?! と思わず期待してしまったではないか(笑・涙)。

 あと、終盤に掲載の「『マルタの鷹』クイズ」を読んで、サム・スペードの作品世界とコンチネンタル・オプの世界が公式(?)にリンクしていると教えられて、愕然とした。この本で一番驚いたのはコレ! こーゆーことをいいトシになっても知らなかったとは、評者もまだまだ修行が足りない(汗)。

 まあ、総体的には、いろいろ楽しい本ではある。とにもかくにも全体的にお喋り本で、軽めなのは良かれ、悪しかれ(?)ではあるのだけど。

No.863 6点 修羅の向う側 志田司郎探偵事務所- 生島治郎 2020/06/07 02:47
(ネタバレなし)
 1999年12月に刊行のトクマ・ノベルズ。
 もう何冊目かわからない、私立探偵・志田司郎の事件簿(連作短編集)で、今回は8本の短編を収録。各編30~40頁の読みやすい紙幅で、ほとんどの内容が例によって暴力団からみ。悪質な組織から善良な市民を守ったり、ヤクザ内部の揉め事を鎮静化したり、裏の世界から足抜けしたい極道を支援したり、それなりに事件のバラエティには事欠かない。

 今回もミステリの謎解き以外の、人間関係の機微で勝負するお仕事連作みたいな味わいがあって、これはこれで楽しめる。20世紀終盤の都内を舞台にした捕物帖(そんなに読んでいる訳ではないが)みたいな感触だ。もしかしたらメグレシリーズにも通じる、人生の修理人的な趣も……といったらホメすぎか? 

 なお警察を退職して15年という志田司郎のキャラ設定はほぼ固定だと思うが、最後の話「チンピラのピラ」などは『追いつめる』以降の志田司郎主役の長編の後日譚のようである。志田ものの長編はその『追いつめる』しか読んでないから、具体的にどの長編かはわからないけれど。まだまだこのシリーズには未読の長短篇があるから、少しずつ読んでいけば、いずれ、ここで話題にされた過去の事件の情報も見えてくるんだろうな。楽しみである。

No.862 6点 検屍官- パトリシア・コーンウェル 2020/06/07 02:19
(ネタバレなし)
 私的に90年代と00年代の東西ミステリの素養が薄いので、タマにはその辺の話題作も読もうと思い、部屋の本の山の中から出てきた未読のこれを手に取った。
 奥付を見ると初版からほぼ一年目に刊行された第13刷。250円との古本屋の値段鉛筆書きがあるので、たぶん100円均一にならない20世紀のうちにいずこかの古書店で買っていたのだろう。もう、どこで入手したかの記憶は、全くないが。

 でもって感想としてはフツーにまあまあ面白かったけれど、人物一覧の某キャラの「容疑者性格分析官」って今でいうプロファイラーのこと? プロファイリングが一般用語化する直前の時代の作品だったのだな。さらにそれ以上に1990年前後のコンピューター環境の描写が当時はこんなもんだったのか、と、今となっては、ちょっと新鮮であった。

 リーダビリティーはおそろしく高いが、中盤であるキャラに傾けられた疑惑の着地点についてはやや微妙。まあある意味では、かなりリアルかもしれない。
 連続レイプ殺人において「なぜ彼女たちが選別されて狙われたのか」の謎を、一種のミッシングリンク的な興味に掲げてくるのは悪くなかった。その真相に向かう布石の張り方もなかなかウマイかとも思う。
 しかしこれ、シリーズが全部で24冊もあるのか(汗)。シリーズ途中の作品のつまみ食いは、やりにくそうな感じだなあ。どうしましょう(大汗)。

No.861 8点 傷痕の街- 生島治郎 2020/06/05 03:26
(ネタバレなし)
 元日本海軍・潜水艇の艇長で、戦後は横浜で貨物船相手のシップ・チャンドラー(航海中に必要となる食料や雑貨を船舶に調達する業者)会社を営む「私」こと久須見健三。彼は朝鮮戦争特需で横浜が賑わう中、悪質な同業者の恨みを買い、左足を膝下から失う重傷を負った。それから約10年後の1962年。戦争特需も去った横浜界隈には閑古鳥が鳴き、現在は39歳になった久須見は自分の会社「アッカー・トレイディング・カンパニィ」の金策に追われる。そんな中、戦時中の昵懇の部下で今は会社の専務を務める稲垣が、金融の当てができたと告げた。金融先は、久須見なじみのバー「どりあん」の美人マダム・井関斐那子の父で、高利貸しの井関卓也。井関は久須見が必要とする100万単位の金を用立てるが、期限までに返せなければ「アッカー~」を事実上、自分の傘下に置く約束をさせた。とにもかくにも当面の金策がついた久須見だが、その時、会社に、稲垣の妻・千代を誘拐したと称する者から、久須見が井関から借りたばかりの現金を要求する電話があった。

 言うまでもないが、早川書房の編集者を経て作家生活をスタートさせた生島治郎の処女長編。
 その昔、雑誌「幻影城」で、当時の各大学のミステリサークルが持ち回りで近況を語ったり、各組織ごとの国産ベストミステリを披露したりする連載コーナーがあった。その連載の何回目かで本作を「(当時までの)オールタイム国産ベスト10」のひとつに選んだサークルがあり、そのセレクトに添えられたコメント「生島治郎といえば代表作は一般には『追いつめる』だが、むしろこの作品や『男たちのブルース』の方が彼のセンチメンタル・ハードボイルドとしての持ち味がしっかり出ているのではないか(大意)」がとても印象に残った。
 それで評者は『男たちのブルース』の方は20年くらい前にすでに読んでいる(大好きな一冊になった)が、本書は読むのが惜しいまま、例によってずっと寝かし続けていた。いや、もしかしたら、その「幻影城」の記事に、原体験的に洗脳されたのかもしれんけど(苦笑)。
 それで評者がもともと購入していたのは1974年の講談社の文庫版だが、これが家の中でまたどっかに行ってしまい(汗)、今から数年前、行きつけのブックオフで1990年に新刊行された集英社文庫版を見つけて改めて購入。
 今回ようやく初めて読んだのは、この集英社文庫版である(なお現状で、この集英社版は本サイトに登録されてない)。

 その集英社文庫の巻末には北上次郎によるオマージュたっぷりの解説を掲載。それを読むと、もともと本作は早川書房の編集者時代に生島が担当した叢書「日本ミステリ・シリーズ」(『ゴメスの名はゴメス』『翳ある墓標』『風は故郷に向う』とか)に新世代の作家による国産ハードボイルドをいれたかったのだが、当時は適当な作家が存在しなくてその願いが叶わなかった、そんな無念の思いも踏まえながら、生島自身が2年後に講談社からこの作品を刊行したそうである。地味にドラマチックな話で、正にミステリ編集者の立場から書き手に新生した当時の生島の飛躍の具現ともいえる一作だった。
(……と言いつつ、前述の「日本ミステリ・シリーズ」でも河野典生の『群青』辺りは、和製新世代ハードボイルドといってもいいような気もするが……。北上次郎的には『群青』は「青春ミステリ」または「非行少年もの」カテゴリーになるのか?)

 なお以下のパラグラフは、あくまでハードボイルドミステリ全般についての評者の勝手でおせっかいなお喋りと思って笑覧願いたいが、評者は<正統派ハードボイルドミステリ(特にシリーズ探偵もの)とフーダニットの要素は実にくいあわせが悪い>と思っている。
 というのは、ハードボイルドミステリの定石のひとつは、事件を介して心にダメージを負い、そこからまた克己していつもの日常に戻る、あるいは次の事件に備える主人公探偵の軌跡の物語である。しかしそこで主人公にもっとも強烈な精神ダメージを与えるには、その主人公にとって特に大事な人間<恋人・親友・恩人そのほか>が実は……というパターンこそがなにより効果的だからだ。実際にハードボイルドミステリの名作といわれる<あの作品>も<かの作品>も……(以下略)。これではサプライズ感あるフーダニットなど、やりにくいことこの上ない。
 だからこそ(逆説になるが)、半ばカメラ・アイ的な視座で隣人の家庭の悲劇を覗き込むリュウ・アーチャーや、軽ハードボイルド作品として毎回の事件でメンタル的に傷を負う責任の軽いマイケル・シェーン(愛妻と死別した彼は別の部分で人生に大きな傷を負っているが)などの諸作群が総じてフーダニットの要素も強いミステリとして楽しめるのは、実はこのためである。その辺りの私立探偵たちは人物配置の上で、主人公と犯人とのそういった種類の関係性が必ずしも必要とされないから(?)。これはもう、正統派ハードボイルドミステリの構造的な弱点みたいなものなんだけどね。

 それで本作『傷痕の街』がそういう見地から実際にどうだかは、ここではもちろん書かないし、決して言うつもりもない。が、この処女作に当時、相当の精力をつぎ込んだであろう生島の「正統派ハードボイルドミステリ」へのアプローチは結構~かなり深い。早川書房の翻訳ミステリ編集部という苗床のなかで数年間にわたって感性を磨いてきた創作者だからこそ、当時ここまで高められたとは思う。
(具体的には第六章の前半辺りの叙述。ほとんど、数年後のフランシスの某作品だよね。)
 作中のリアリティとして、21世紀の今では絶対に通用しないミステリ的な部分もあるが、それはここで文句を言っても仕方ない。
(そういう意味では、旧作は得だな。)

『追いつめる』のあまりにフォーミュラー的な端正さがいまだもって馴染めない評者(まあ再読したらまた見方は変わるかもしれないが。実際にのちの連作短編シリーズを読んでいて今ではかなり志田司郎が好きになってるし)にとっても、確かにこっちの方がいい。もっとも『男たちのブルース』はこれに負けず劣らず大好きだが(笑)。
 評点は0.5点オマケ。

【余談その1】
本作では久須見の部下の社員で阿南(あなみ)敬介という男が登場。結構、印象的な脇役だけど、初登場シーンでは「敬介」の名前が集英社文庫版の116~117ページでは「亮介」になっている。誤植か?
(しかし「敬介」だの「亮(介)」だの……仮面ライダーX?)

【余談その2】
集英社文庫版の107ページで、久須見健三は『七人の刑事』の芦田伸介に似ていると言われる。これを読んでニヤリとした。というのも芦田は本作ではなく、前述の生島の代表作のひとつ『男たちのブルース』のテレビドラマ版で、主人公・泉一を演じていたので。Wikipediaにも現状で書かれていない情報だけどね。たぶん1960年代半ばのテレビドラマ。テレビ埼玉で1980年前後に再放送があり、終盤の回をちらりと見かけた記憶がある。その時はまだ原作も読んでなかったし、途中から観るのもナンだったのでそのうちまた再放送するだろと呑気に構えてスルーしたら、その後ウン十年、CSですらオンエアの機会がない(大泣)。当時、一応は家にビデオがあったので(生テープは高価だったが)、一本くらい録画しておけば良かったとつくづく後悔している。
 数年前にCSで『ゴメスの名はゴメス』の旧作ドラマ版が発掘されたみたいに、コレもどっかで見つけて放映してくれんかしら。『非常のライセンス』とかと合わせて「生島アワー」とか謳って企画プログラムを組めばいいのだ。

No.860 6点 告訴せず- 松本清張 2020/06/04 15:27
(ネタバレなし)
 大衆食堂の主人で46歳の木谷省吾は、義弟で選挙運動中の保守系議員・大井芳太が政党の中央から託された選挙資金用の裏金3000万円を盗んで蒸発した。口うるさい妻・春子と子供を残しての失踪だが後悔はなく、裏金だから大井や政党が警察に訴えられないのも承知だった。ただ警戒すべきは、大井の腹心の選挙屋で暴力団とも縁がある光岡寅太郎だった。光岡の追跡を逃れながら「山田一夫」の名で温泉旅館に泊まった木谷は、無為に過ごしていればこの3000万円を数年間で使い切ってしまうと目算。この金を元手に何か儲けたいと思うが、その一方で、旅館の二十代末の肉感的な女中のお篠と男女の仲になる。その篠からこの近所に、的中率の高い「太占(ふとまに)」を行う神社があると聞かされて。

 1973年1月12日号から同年11月30日号にかけて「週刊朝日」に連載された作品。
 最初の書籍元版は、1974年2月の光文社カッパ・ノベルス。

 中盤の内容は完全に、小豆相場を主題にした相場師小説で、後半はその株で得た利益を元手に木谷が当時流行のモーテル経営に乗り出す。
 かなりの部分が普通の中間小説みたいな筋立てで、21世紀の今となっては昭和時代劇に触れるような隔世の感もあるが、その一方で物語には勢いがあり、文春文庫版でおよそ400ページを一晩で読んでしまった。この辺はさすが清張、手慣れた一作である。
 そういう内容というか方向の作品なので、終盤に向かって次第に転調してゆくあたりのさじ加減がミステリとしてはミソだったが、良くも悪くも円熟の創作技術(当人にとってはすでに手癖に近い感覚だったかも?)でまとめてこなしたような感触も強い。
 フツーに楽しめるけれど、たぶん清張としては(A~D段階の出来の分類があるとして)B~Cクラスであろう。
 この時代の都市銀行の預金者への対応がまだまだ甘かったことなどは、昭和の風俗として再確認できる。
 その年に新刊で読んでいれば7点はあげられたろうけれど、清張の著作の一冊としてはこの評点でいいかな。いや、それなりに面白いけどね。

No.859 7点 棺のない死体- クレイトン・ロースン 2020/06/03 16:57
(ネタバレなし)
「ぼく」こと「ニューヨーク・イブニング・プレス」の若手新聞記者ロス・ハートは、アメリカの軍需工業界の大物ダドリ・T・ウルフを取材し、その一人娘ケースリン(ケイ)と恋仲になった。娘と若造記者の恋愛を認めないウルフは自宅に来たロスを追い返すが、その夜、ウルフの邸宅に謎の怪紳士「スミス」が来訪し、何らかのネタでウルフを脅迫する。激昂したウルフはスミスを過失で死なせてしまい、邸宅に来ていた医学博士シドニイ・ハガートや秘書のアルバート・ダニングに協力させてその死体を森の中に埋めた。だが間もなく、ウルフ邸のなかにそのスミスのものと思われる幽霊? が出没。やがて起きた殺人は、その幽霊の実態「死なない男」の仕業なのか?

 1942年のアメリカ作品。
 ロースンの短編は邦訳されたものはショートショートを含めて全部読んでるハズだが、長編を読むのは実はこれが初めて。だってロースンの長編って「ややこしい」「筋が込み入ってわかりにくい」とか、思わず二の足を踏んでしまうような悪評ばっかなんだもの。
 というわけで本来ならマーリニー(本書ではこの名前で日本語表記)の長編第一弾『帽子から飛び出した死』から入るべきなんだろうけれど、一番外連味が強そうに思えたコレを最初に。不死の男の殺人!? 聞くからに王道で面白そうでないの(笑)。
 
 でまあ前半はメチャクチャ快調です。大昔に短編で会ったこともある? ハズのロス・ハートってこんなキャラだっけ!? と思うくらいに、まるでアーチー・グッドウィンのドタバタラブコメミステリ風だし。
 その一方でウルフ邸で起きる小中規模の事件の積み重ねが、次第に非日常的なオカルトミステリ&不可能犯罪の世界に転じていく流れもハイテンションでもうたまらん。
 あとどうでもいいけれど、マーリニーの会話での一人称が「おれ(一部で「わし」)」なのには軽くびっくりした。
(ただし田中西二郎の訳文はあまりよくない。昔、小林信彦が「すごく読みやすい」とホメていた記憶があるが、今の目で見るとかなり雑である。あと、これは翻訳のせいではなく編集の手抜きと思うが、フリント警部補の名前がフリトンになったり、いくつか誤植も目立つ。)

 とはいえ後半、あーあ、やっぱりこうなるかという感じで、真相の解明の複雑さはかなりシンドイ。正直、ついていくのがやっと。これは空さんのレビューの気分がよくわかる。カーの長編の影響? もさることながら、凶器の隠し方についてはあの(中略)のかの作品もインスパイアの元に?
 あと、こういう作品だから仕方ないとはいえ、マーリニーのオカルトや奇術の歴史についてのペダントリーも楽しいような煩わしいような、いささか微妙。ホントーはもっと作家の作風・個性としてこの辺りを楽しむべきかもしれんけど。

 というわけでロースンの長編はやっぱウワサ通りのロースンの長編だった、という感じであった(笑)。ただまあこの猥雑さが味といえる一面もあるような気もするので、一概に否定はできない。最後の二転三転する真相への肉迫も、作者の十分なミステリ愛を感じるしかないし。
 それゆえ評点は0.5点くらいオマケ。

 しかし、とりあえずロースンの長編をコレから読んだこと自体はチョイスとしては悪くなかったとは思うけれど、次はどれを読めばいいのであろう。そのセレクトそのものもしばらく楽しもう(笑)。

No.858 7点 殺人の色彩- ジュリアン・シモンズ 2020/06/03 15:56
(ネタバレなし)
 1950年代のイギリス。「ベイリングス・デパート」のクレーム処理係で20代後半のジョン・ウィルキンズは、2歳年上の妻メイ、近所に住む母親メリー、メリーと同居するジョンの叔父ダン・ハントンたちと平凡な日々を送っていた。だがそんなジョンを悩ますのは彼自身に瞬間的に生じる癇癪と、さらにより重症な短期の健忘症であった。ジョンはその年の四月、図書館で働く娘シェイラ・モートンと出会い、妻帯者であることを隠して彼女をデートに誘う。しかしこれが、のちにジョンが殺人容疑をかけられて法廷に立つ事件の開幕であった。

 1957年の英国作品。石川喬司の「極楽の鬼」の書評の中のある記述に気を惹かれ、昔からメチャクチャ読みたかった作品。とはいえ古書価が高めだったのでガマンしていたが、Amazonでこないだ少し値下がりしたのですぐに注文。届いたらその日から読み出し、実質一日で読了してしまった。
 物語は三つのパートで構成。第一部「事件以前」と第二部「事件以後」で本文のほぼ大半を為し、最後のエピローグ「結末」で(以下略)。

 内容についてはあんまり書かない方がいい種類のサスペンス作品だし、法廷ミステリだが、個人的にはシモンズのこれまでの最高傑作と思っていた『二月三十一日』に匹敵するかいいところまで勝負を挑めるくらいに面白かった。今回もマーガレット・ミラー的な食感を感じさせる幕切れである。
 ただしあまりに強烈な『二月三十一日』のラストと違い、今回は最後の真相が(丁寧な伏線のおかげで)ある程度は読めてしまう面もあるので、その辺りは減点。その一方で小説としては『二月三十一日』よりもずっと読み応えがあった。

 しかし『犯罪の進行』とあわせて、この数年に読んだシモンズ作品で面白くなかったものはひとつも無いんだけれど、前述の「極楽の鬼」での石川喬司の物言いは(本作をかなり褒めながらも)「シモンズはしょせんは眼高手低の二流作家」なのね。
 評者の場合、本書を読んで、いやそんなことはないだろ、当たり外れは多少あるにせよ、シモンズはまぎれもない20世紀後半の英国ミステリ界のA級実作者だよと改めて実感したが、そうしたらTwitterで、あの川出正樹氏が2012年に
「『二月三十一日』『殺人の色彩』『犯罪の進行』『月曜日には絞首刑』『自分を殺した男』『クリミナル・コメディ』、どれも今読んで面白く眼高手低などとんでもない言いがかりだ。ちゃんと通読すれば解るけれど『ブラディ・マーダー』も単純な探偵小説排斥論の書ではない」
と喝破してるのを見つけて、大いに意を強くした(笑)。
 少なくとも石川喬司のシモンズへの物言いには、確実に問題があるよ。

 ちなみに本書ポケミスの裏表紙のあらすじだけど、記述の後半部分は実際の内容と似たようなことを書きながらかなりデタラメです。
 事件の起きる直前の経緯も違うし、殺人方法も裏表紙に書かれているような刺殺ではない。R・S・プラザーの『消された女』の裏表紙同様のいいかげんさ。
 本書巻末の解説でも『二月三十一日』を『二月十三日』と記述してあるし、責任者は署名「N」……つまり長島良三あたりか?

No.857 6点 伯爵夫人の宝石- ヘンリー・スレッサー 2020/06/03 14:59
(ネタバレなし)
『うまい犯罪、しゃれた殺人』『ママに捧げる犯罪』『夫と妻に捧げる犯罪』の短編集3冊でその軽妙洒脱なストーリーテリングと語り口に酔い痴れ、さらに『ヒッチコッック劇場』の再放送で、スレッサーは本当にオモシロイ! と実感した昔日。O・H・レスリーやジェイ・ストリート名義のものまで含めて上記の短編集3冊に入っていない邦訳短編を追い求め、日本版「ヒッチコックマガジン」や「宝石」「別冊宝石」でスレッサーの短編に出会える(「手長姫」とか)と、心の中で快哉を上げたものだった。
(のちに藤子・F先生をはじめとしてトキワ荘の面々もスレッサーを愛読していたのを聞いて、そうでしょう、そうでしょうと得心がいった。藤子・F短編、特に『エスパー魔美』とかのストーリーの組み立て方には、スレッサーに通じるものがある。)

 本書は日本でオリジナルに編纂されたスレッサーの短編集で、非シリーズものの短編集としては上記の3冊に続けて4冊目(1999年に光文社文庫から刊行)。
 全17本の短編が収録されているが、執筆時期は1970年代末~1990年代のものがほとんど(一本だけ1964年の旧作を収録)2002年に物故したスレッサーの作家生活のなかでは後期に書かれた作品群といっていいだろう。
 本書で初訳というものは一本もなく、ほとんどのものは雑誌「EQ」で一度読んでいる。そのために読んでいてオチを思い出すもの、当初から覚えているもの、最後になってああ……と思うものなど、印象はバラバラ。

 正直、この時期のスレッサーは作品の全般に小説的な贅肉がつきすぎた感じもあって、切れ味は最初に書いた短編集3冊のものに比べておおむねイマイチではある。
 あと、お話の流れとしては、順当にオチ・サゲを用意するあまりに真っ当で正当的なショート・ストーリーの作りが、なぜか古く見えてしまう感覚もある。たぶんこの辺は、勝手に書かれた時代を頭にいれながら読み過ぎる評者のワガママであろう。
 実のところ、そういった「スレッサー自身は基本的には昔ながらの彼らしい作りをしているはず(多少筆がゆるくなった感じはあるにせよ)」なのに「どっか時代と乖離している」違和感は1980年代に「EQ」を読んでいる頃からなんとなくあり、そのためこの第四短編集『伯爵夫人の宝石』もなんとなく買わずにいたのだが、数年前に近所のブックオフの100円棚で発見。一応は買っておくかぐらいの気分で購入して、少し前からチビチビ読みはじめ、つい一昨日読み終えた。
 でまあ、総体的な印象はこれまで書いてきたようなちょっと面倒でややこしい所感とあまり変わらないのだけれど、一方で期待値があんまり高くないところから入ったためか、それなりに(思ったよりも)楽しめた面もある。
 もしかしたらオレみたいなおっさんファンがあーだこーだ言わず、ビギナーの翻訳ミステリファンが手にしたらかなり楽しめる一冊なのかもしれない。
 
 万が一、この本がスレッサー短編集とのファースト・コンタクトでけっこう面白い、と思えた方がいたら、上記の短編集3冊を少しずつ読み進めることをオススメします。きっとかなり幸福な読書体験が待っている……と思う。 

No.856 7点 殺人をしてみますか?- ハリイ・オルズカー 2020/05/30 17:55
(ネタバレなし)
 アメリカ国内で大人気のテレビクイズ番組「ビッグ・クェスチョン」。この番組は問題の難易度は高いが高額の賞金が用意される。連続正解の回答者は、不正解の場合はこれまでの賞金が減額されるペナルティを覚悟してさらに難問に挑むか、あるいは現状の賞金を確保したまま途中で棄権するか、の二択権利が与えられていた。そして現在、16万ドルの賞金の次の難問に挑むか降りるか、カンザス州出身の回答者フィリップ(フィル)・エクリッジの選択を、無数の視聴者と番組スタッフが熱い視線で見守る。だがそのエクリッジが次の本番収録で表意をする直前、何者かに殺される。「ぼく」こと「ビッグ・クェスチョン」を製作するテレビ会社「ユナイテッド・ブロードキャステシング」の広告スタッフ、ピート・ブランドはこの騒ぎの中に否応なく巻き込まれていくが……。

 1958年のアメリカ作品。
 テレビ番組製作の裏面を題材にした業界風俗ミステリで軽パズラーだが、主人公ブランドの独白をふくめて会話がべらぼうに多く、さらに翻訳は名訳者・森郁夫。リーダビリティーは桁外れに高い。ブランドと美人秘書セアラとのラブコメ模様も好調で、読んでいるうちは本当に快感……というより「オレはなぜ、こんなオモシロイものを、本の現物(HM文庫版を新刊で購入。当時のレシートも挟んであった)を買ってからウン十年も放置していたんだろう……」といささか暗澹たる気分にさえなった(笑・涙)。
 
 というわけで作品の雰囲気は、ほかにクセのある対抗作品がなければそのままその年の乱歩賞をとれそうな<業界もの>であるが、50年代のテレビ文化には隔世の驚きもあれば、21世紀の今にも通じる普遍性もあってそのカオスぶりがとにかく楽しい。
 「ビッグ・クェスチョン」の番組形態は、まんましばらく前までみのもんた司会で放送されていた我が国の現実の番組「クイズ・ミリオネア」だが、きっとどちらも、そのモデルとなった昔からの番組があったのであろう。なお賞金の高額ぶりは、HM文庫版の解説でも少し触れられているが、いかにも70~80年代に(我が国の場合)公正取引委員会が干渉してくる前の時代の設定だな、正に。21世紀は不景気&合理化の世相だから、こんな番組はめっきり無くなったような。そもそもテレビに力がない。

 ミステリとしては後半の二転三転でそれなりに楽しめるし、さる事情からアマチュア探偵として内心で奮起する主人公ブランドの描写もいい。ただし本当のメイン探偵はフェルダー警部と当初から読者にもほぼお約束で見え見えなので(なんかシリーズが進行してからの一部のポアロの事件簿みたいな作りだ)、その辺はよろしいような、いや、これはこれで……(以下略)。

 真犯人は話の流れのポジション的には意外? ではあるんだけれど、とにかくこの作品では(中略)からだいたい読めてしまうんだよね。その意味では(前言をひっくり返すことになるが)意外性は薄いかも。ただまあ、作者のミステリ愛みたいなものは感じられて、キライにはなれない。

 途中の本当にハイテンポな時には8点あげてもいいかな、とおもったが、さすがにそこまではいかなかった。とはいえ十分に愛せる作品ではある。

※……最後にひとつだけ苦言。
  被害者エクリッジは31歳と記述されている(HM文庫版31ページ)のだが、その奥さん(最後までフルネーム不明)はのちに夫と同年代で45歳くらいと描写されている(同195ページ)。
 今後の再版や電子化の機会などには、確認の上で適宜に直しておいてください。

No.855 7点 彼の名は死- フレドリック・ブラウン 2020/05/28 08:23
(ネタバレなし)
 カリフォルニア州のサンタ・モニカ。印刷店に勤める若い美人の未亡人ジョイス・デュガンは、店の主人ダリュウス・コンの指示で、彼の留守中に来訪してきた客、クロード・アトキンスに90ドルを渡す。コンは昨夜、クロードと互いに合意の上でそれぞれが使っている中古車を交換したが、クロードの車の方がやや状態が良かったので、評価額の差額90ドルを払う約束らしい。ジョイスは小切手で支払うように指示されていたが、クロードはたまたま彼女と旧知の間柄だった。その彼ができれば現金が欲しいというので、ジョイスは店の奥にあった新券の紙幣10ドルを9枚、自分の判断で渡してしまう。だがそんなちょっとした独自の判断が……。

 1954年のアメリカ作品。
 蔵書の中から出てきた創元文庫版で読んだが、旧クライム・クラブ版も持っていたかもしれない。後者の方が植草甚一の解説も載っているのだろうから、そっちで読んだ方が良かったかも(まあその気になれば植草の解説は、『雨降りだから~』でも読めるんだろうけれど)。

 ここまで完全な倒叙……というよりはクライム・サスペンスとは思わなかった。
 犯罪の露見を警戒して早めに次の手を打っていくかなり慎重な主人公だが、各局面での判断はそれぞれ「それって考えすぎ?」あるいは「神経質すぎじゃ?」と思いたくなる段階に踏み込む一歩手前の連続という感じで、言いかえれば「ここで先手をうっておこう」という思考にそれなりの説得力がある。その辺は犯罪そのものに、当たり前に慣れていく人の心のヤバさもしっかり書き込んだブラウンの筆力の賜物でもあるが。

 かなりテンポの良い作品で、3時間であっというまに読めるが、ラストは……ああ、そういうオチね。
 大昔に、同世代のミステリファンと会話を交わして、このフレドリック・ブラウンの別作品『3・1・2とノックせよ』のラストのオチを相手が激賞。しかし当方はあのオチは(中略)だと思って、今でも大したことはない、と考えているんだけれど、この作品『彼の名は死』の方は、筋立ての流れとしては同作に通じる部分がある感じながら(こう書いてもネタバレにはなってないと思うが)割合、うまく決めた印象はある。
 まあ21世紀の今、国内の技巧派作家がこういう作品を書いてもそんなに目立たないとも思うけれど、当時としては割と切れ味のよい一品だったんじゃないかしらん。
 旧クライムクラブの柱にはまかりまちがってもならないだろうけれど、叢書全体のレベルの底上げに貢献した一作だったとは思うよ。

 最後に余談。創元文庫版の206ページに、登場人物の口を借りて、あのヒルデガード・ウィザースの名前(訳文では「ヒルダガード~」と表記だが)がいきなり出てきて、ぶっとびながらウレシクなった。もしかしたら、同世代の都会派軽量パズラーみたいな親近感で意識してたのかもしれないね。
 評点は0.5点オマケ。

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人並由真さん
ひとこと
以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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