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人並由真さん
平均点: 6.32点 書評数: 2051件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.1011 8点 脱獄九時間目- ベン・ベンスン 2020/11/09 15:17
(ネタバレなし)
 1956年1月9日。未明のマサチューセッツ州の州立中央刑務所。服役中の大物ギャング、ダン・オークレーと、殺人罪で終身懲役のスティーヴ・ランステッドが、かねてよりひそかに入手していた拳銃で脱獄を図る。両者は脱獄に消極的な仲間ピーター・ゾルバを半ば強引に同道。脱獄する3人の囚人は、退職間際の老看守ボブ・バーネーと、社会勉強で看守仕事についていた大学生ケン・グリントリー、そしてランステッドが遺恨を抱く囚人の青年レッド・フォーリーを人質とした。だが逃走の算段は失敗し、バーネー老人が足を骨折したまま、囚人たちは刑務所の敷地内に立て籠もる。突然の事態に苦慮する刑務所所長カースン・クレイのもとに、応援に駆けつける州警察の刑事部長ウェイド・パリス警視。だが凶暴さで鳴らすランステッドは、かつて自分を逮捕したそのパリスへの復讐の機会をうかがっていた。

 1956年のアメリカ作品。
 おなじみウェイド・パリス警視シリーズの一本で、日本では最初に邦訳されたシリーズ内の作品。

 本来、脱獄ものの警察小説ならモーリス・プロクターの『この街のどこかに』みたいに、脱獄あるいは護送中からの逃走後、市内に潜んだ犯罪者と捜査陣のサバイバルラン&マンハントという緊迫戦となるのがセオリーだろう。だが本作は、前半の発端部でその定石をあえて外し、重傷者を人質にとった大物犯罪者と司法側の対峙という構図のみを明確に際立させる。この辺は、作者ベンスンのあざやかな構想の妙だ。
 
 オークレーとランステッドが立て籠もった刑務所敷地内の一角でのサスペンスドラマを軸としながら、物語を映すカメラアイは、刑務所の外へも自在に移動。主人公パリスと彼が率いる、または連携する州警察の機動力を、読み手に叩きつけるように活写。脱獄計画に関わった協力者や、今回の事件で立場を揺さぶられる関係者たちの境遇を並べ立てていく。このあたりの話の広がりぶりも、実に小気味よい。

 二転三転する刑務所内のメインストーリーも絶妙だが、小説としての主題(文芸的なテーマ)として「人間は他人の一面しか見ないもの」を描き抜こうとしたフシもうかがえる。
 たとえば刑務所所属の老医師アーネスト・マールボローなどはまぎれもなく善人ではあるのだが、息子を若死にさせてしまった辛い過去ゆえ、つい人にやさしくしよう、人間の善性だけを見よう、という切なくもいびつな一面があり、そういう対人面でのゆがみを、かねてより気安く言葉をかわしていた元ギャングの大物ランステッドによって、狡猾に利用されてしまう。
 そもそも錯覚の目で見られるのは、主人公のパリス自身からしてそうである。彼が今回の事件のなかでとる対応は、時に英雄的だとも、時に冷血非情だとも周囲からみなされるが、本当のところはそのどちらでもない。彼は最初から最後までごく普通の一人の人間であり、そして職務と司法の精神に忠実であろうとする一介の警察官、ただそれだけなのである。
 本作が本当に面白く見えてくるのは、この辺の文芸が身に染みてくるそんな瞬間だ。

 登場人物の素描の積み重ね、起伏に富んだ展開と、実によくできた作品だと思うが、あえて弱点をあげるなら目次が一種のネタバレになってしまっていること。

 あと、評者は今回、創元文庫版が見つからず、世界名作推理小説大系版で読んだけれど、邦題も一部のトンチンカンな読者に「脱獄してないじゃん」と言われそうな『脱獄九時間目』よりも最初の邦訳タイトル『九時間目』の方を文庫でも通した方が良かったかも(原題はシンプルに「The Ninth Hour」だ。)
 
 あと、評者はまったくの偶然というか成り行きで、このシリーズは邦訳された作品のなかでの原書刊行順通り『あでやかな標的』『燃える導火線』を先に読んでから、これを手にしたのだが、これは本当にラッキーだった。
 この作品(『九時間目(脱獄九時間目)』は十分に秀作~優秀作だと思うけれど、パリスシリーズの中で最初に読んでいい作品じゃないよね。パリスの通常の職務からいえば明らかに変化球の事態であり事件だろうし。87分署ものでいえば(いかにサスペンスフルで面白いからといって)ビギナーにいきなり『殺意の楔』から読ませるようなアレだ。

 世界名作推理小説大系版の巻末解説で厚木淳は、本作をアメリカ本国での高評も引用しながら激賞しており、たぶん当時はそのノリでこれから出しちゃったんだろうけれど、もうちょっとシリーズ展開の戦略は考えてほしかった(涙)。ああパリスシリーズが「87分署」や「マルティン・ベック」シリーズみたいに全部邦訳されている並行世界があるというのなら、ぜひとも数か月だけ行ってみたい!
(なお本作で、ゲストヒロインの娘ローリー・バーデットがパリスに接し、35歳の魅力的なエリートなのに、なぜ独身なのかと思った、しかし当人は何も語らなかった、というくだりなど読むと、評者なんか胸が張り裂けそうに切なくなるよ。作者ベンスンは、ちゃんとパリスの内面に(中略)……と。)

 未読のシリーズ邦訳が二冊。ゆっくり大事に、味わっていこうと思います(笑)。

No.1010 7点 五月はピンクと水色の恋のアリバイ崩し- 霧舎巧 2020/11/08 04:09
(ネタバレなし)
 私立霧舎学園に転校してきた美少女・羽月琴葉とその級友・小日向棚彦が、学園を現場とする「密室殺人」を解決してからひと月経った五月。二人と、そして自称・名探偵の先輩、頭木保は、また新たな事件に遭遇した。それは学内のコンピューター室で発見された、半ば密室の中の若い女の変死死体で、しかもその全裸の体にはなぜかピンクのペンキが塗りたくられていた。事件は警察の捜査が進む中でその様相を変えて、やがて現場の状況から容疑者のアリバイが取りざたされるが……。

 中盤までは派手なようで小粒な謎という印象で、二作目で早くもトーンダウンかと思ったが……。後半~終盤の謎解きでの、仕込まれていたミステリギミックの連続技には、嬉しい方向に裏切られた。ひとつひとつのネタの中には推理クイズ的にシンプルなものも若干あるが、総体的な手数の多さでは、前作以上であろう(半ばメタ的……とまではいかないにせよ、妙なトコロに仕込まれた手がかりの面白さも、このシリーズならでは)。

 特に<容疑者を絞り込んだアリバイ崩しでは、フーダニットの面白さが殺される。自分はあくまで犯人探しパズラーの醍醐味にこだわりたい>という作者の気概にも好感は大。
 さらに本サイトのレビューでもまだ誰も言ってないと思うが、本作の「意外な犯人」のポジショニングは(中略)。(中略)っぽいと言うなかれ。ミステリというのは古来より、<こういう部分>に執着し、そしてうっちゃりかえすことで成熟してきた文化なのだと信じる。
(まあ本書の場合、その仕掛けがミステリの幹の部分に食い込んではいない、とも思うけれど。この趣向の深化は、本シリーズのこのあとの続巻にさらに期待することにする。)

 あとかねてから予期していたことながら、作品世界が<向こうのシリーズ>とさりげなく、しかししっかりとリンク。この辺の世界観も楽しい。
 数時間でぱぱっと読めるが、ライト級の上質なパズラーではあろう。

No.1009 6点 帽子屋の幻影- ジョルジュ・シムノン 2020/11/07 05:11
(ネタバレなし)
 フランスはシャラント地方の中心都市ラ・ロシェル。そこでその年の11月13日からほぼひと月の間に、6人の女性が相次いでヴィオロンセロの糸(チェロの弦)で絞殺される事件が起きる。正体不明の殺人鬼「絞め殺し屋」の標的にされたのは、そろって60歳前後の老女だった。そして殺人鬼の正体は、病気の妻マチルドと同居する60歳の帽子屋の主人レオン・ラベ。だがそのラベ氏は、自分に疑惑の目を向けるような隣人の仕立屋カシウダスが気になり始めた。

 1949年のフランス作品。1948年12月にシムノンがアメリカのアリゾナで書き上げたノンシリーズのクライム・ノワール長編。
 ちなみに評者は原型の短編『しがない仕立屋と帽子商』は、まだ未読(所収の短編集『メグレとしっぽのない小豚』は持っているが~汗~)。

 当初から謎の殺人鬼=主人公と読者に明かしており、もちろんフーダニットではないし、かといっていわゆる倒叙ミステリ的なパズラーの要素もない。ラベ氏に標的にされた女たちの関係性も早めに明かされるので、ミッシングリンクの謎も成立しない。
 とはいえ人間の内面の闇とある種の情念を探る意味でのミステリとしては、それでは何故、ラベ氏が<そのグループの女性たち>に次々と凶行を働いたのか、という広義のホワイダニットの謎が最後まで残される。
 そしてもちろん、その決着については、ここでは書かないし書けないが、ラストまで読んで言いようのない思いが評者の胸に去来する。そういうことなんだろうね。そういうことなんだろうか。
 
 秘田余四郎の翻訳は個人的にはそんなに負担ではなかったが、本文中の登場人物の名前に一部表記のミスがあるようなことは気になった。それと巻頭の登場人物一覧はおそろしく丁寧だが、その分、中盤と終盤の展開(とサプライズ)を一部ネタバレしてしまっている。これからシメノン選集版で読む人(といっても邦訳は現状、これしかないが)は注意されたし。
 
 全体的に、どこかグレアム・グリーンあたりの諸作に近しい、宗教的な匂いも感じさせる作品。それがシムノンの意図かどうかはわからないが、言葉にしにくい余韻を与えるのは間違いない。
 評点は本一冊のズッシリ感から言えば7点でもよいのだが、あともうひとつ、こちらに響くものが何か欲しかったということで、この点数で。

No.1008 6点 『クロック城』殺人事件- 北山猛邦 2020/11/06 19:59
(ネタバレなし)
 太陽黒点の異常で、地球の終末といわれる1999年9月。世界の各地では人類救済の大義を掲げた集団「SEEM」が強攻的な手段で、独善的ともいえる活動を行っていた。そんな中、27歳の民間探偵・南深騎(みなみ みき)は、美しい令嬢・黒鴣瑠華(くろう るか)の依頼で、彼女の自宅である不思議な城館「クロック城」に、幼なじみの志乃美菜美とともに乗り込む。幽霊「スキップマン」が跋扈するとされるその城では、やがて不可思議な殺人事件が。

 文庫版で読了。
 読む前はかなり複雑な構造の城館をなんとなくイメージしていたが、意外にシンプルな造りなのね。
 トッぽい(中略)トリックはなかなか愛おしいが、皆様のおっしゃる通り、そのあとの「なぜ(中略)」のホワイダニットの方でぶっとんだ。

 個人的には『地上最後の刑事』みたいな世界の行く末も、謎の組織の実情もどっちかというとそれほど興味を感じなかったが、主人公と(中略)の関係性だけは……という思いであった。
 ある意味じゃ、この得点だけで勝負する、減点部分は気にしない、という作者の思い切りの良さには感心する。

 私的には、後続の『アリス・ミラー』の方が、そのイカれたミステリとしてのパノラマ的な広がりゆえにさらに惹かれるが、これはこれで楽しめた。
「城」シリーズの未読の残り2冊も楽しみにしよう。

No.1007 7点 モルダウの黒い流れ- ライオネル・デヴィッドスン 2020/11/06 14:20
(ネタバレなし)
 1950年代の末頃のロンドン。「ぼく」こと24歳のニコラス(ニッキー)・ホウイッスラーは、小規模なガラス製品貿易商社の社員。もともとこの会社はニッキーの父がチェコスロバキアで創業したが、ナチスの侵攻でプラーハの本社をたたんだ。それとほぼ同時に、父は現在の社長「小豚」ことカレル・ニメックに、ロンドンに移した会社経営の権利を譲り、1941年に病死した。ニッキーの後見を引き受けたはずのニメックだが、戦後はこずるくも本当に形ばかりその任をこなし、ニッキーは正当な利益も得られずにいた。そんな矢先、カナダの叔父ベラ・ヤングが巨額の遺産を残したという知らせが舞い込み、有頂天になるニッキーだが。

 1960年の英国作品。1961年のCWAゴールデン・ダガー受賞作。
 アンブラーの戦前の諸作、あるいはグレアム・グリーンの作品などを思わせる王道の巻き込まれ型スパイ・スリラー。
 結構、大きな謀略にのちのち主人公は関わり合うが、あくまで受け身で窮地に陥り、そこから脱出するまでのサスペンス行を描く物語なので、これはスパイ・スリラーではあってもエスピオナージュとは言い難いな……。そんな傾向の作品である。

 本作を楽しめるかどうかは、ひとえに読み手が主人公ニッキーの心情にシンクロできるかにかかっている感じ。
 本当なら父親が残してくれた会社を相続してそれなりの暮らしができるはずなのに、好きに酒も呑めない、恋人とのデートもできない、ドライブもできない、というのなら、薄給の現状よりもっと良い職場を探せば? という気もする。
 ただし一方でニッキーには、本当に温室育ちの極楽トンボなチェコスロバキア人のお嬢様だった母親マミンカがおり、その母が後見人のニメックのもとであなた(ニッキー)はうまくやっていけるはずぐらいの、世間知らずで頭がお花畑なことをのたまう。
 こうなると読み手は自然に(?)、親から、あなたは恵まれていると実情も知らずに勝手なレッテルを貼られるニッキーの方に同情してしまう。この辺の小説作りはうまいものだ。
 そんなお嬢様マミンカに生涯をかけてつくしてきた老人ガブリエルや、ニッキーの恋人のアイルランド系の娘モーラ・リーガンといった主要なサブキャラたちもよく描き込まれており、やがて物語の場がチェコスロバキアに移ってからもニッキー視点で出会う登場人物たちの叙述は絶えず瑞々しい。

 後半はとにかく(中略)のサスペンス・スリラーだが、一人称一視点の叙述が緊張感に満ちた物語の臨場感を高めている。
 ニッキーが体験する終盤の展開は妙なリアリティにあふれていて(「そういう状況の流れ」になったら、そうなってしまうのだろうかな……という感じ)その辺のいかにもなソレっぽさはなかなか興味深かった。クロージングは良くも悪くもお約束でまとめた感じもないではないが、エンターテインメントとしてはこれでいいだろう。

 黄金期のヒッチコックに映画化させたかった、いや、あまり付け加えるところもないかも? 大幅にいじくるならこれを原作にする意味もないし、という、上質なサスペンススリラー編を読んでタマに抱く種類の感慨を、今回も抱かされるような一作。

No.1006 7点 [映]アムリタ- 野崎まど 2020/11/04 14:59
(ネタバレなし)
「僕」こと、井の頭芸術大学の役者コースに在籍する二見遭一(あいいち)は、学友で撮影コースの美人・画素(かそ)はこびから、学内サークル「キネマ・マグラ」での映画製作企画の主演男優にと誘われた。遭一は「天才」と噂される年下の美少女で、今回の映画『月の海』の監督を務める最原最早(さいはらもはや)と対面。その彼女から、この映画の全編の絵コンテを渡されるが、自宅のアパートで気がつくとそのコンテを二日間以上にもわたって熟読していた。言いようのない体験を経て、映画制作に没頭する若者たちだが。

 異才・野崎まどのデビュー長編。
 評者と野崎作品との接点は、しばらく前に題名とその設定に惹かれて『死なない生徒殺人事件』を読了。あとはテレビアニメ『正解するカド』を観たくらい。本作の存在は数年前に本サイトで知って「この作品がミステリ?」と興味が湧き、ブックオフで100円均一の状態の良い本(旧版の初版で帯つき)を購入しておいた。

 それで昨夜、その前に読んでいた長編がやや早い時間にかたづいたので、何かもう一冊と思い、ページ数そのものは少なめ(本文250ページ前後)な本書を読み出す。
 いや、たぶん長さに見合わない何らかのインパクトがあるだろうと予期はしていたので、これまでは読むタイミングをうかがっていたところもあるのだが。

 それで一読……。
 ……ああ、こういう話ね、という割と冷静な感覚と、かなり心の原初的な部分で衝撃を受けた感触があい半ば(どちらかといえば後者)。
 これから読む人のネタバレになるので、感想の方向やジャンルの確定すら言わない方がよい種類の作品だが、ネタそのものよりも、小説作りの技巧と語り口の練達さで勝ちを取った一冊ではある。読後、就寝して起床して、まだ余韻が残っている。ああ……(以下略)。
(ちなみに本サイトの先行するみなさまのレビューを読むのは、誠に恐縮ながら、ネタバレになる危険性を踏まえた自己責任でお願いいたします。……警告はしたからね・汗。)
 
 なお読後にAmazonのレビューを覗くと、本作の世界観はのちのちの野崎作品『2』で先述の『死なない~』をふくむ野崎著作の諸作と統合的にリンクするそうである(これは『2』を先に読まないように、という老婆心からあえて書かせていただく)。
 評者はこのあと、どうこの作者の作品と付き合っていこうか、そもそも……と思案中(汗)。

No.1005 7点 検死審問 インクエスト- パーシヴァル・ワイルド 2020/11/04 03:12
(ネタバレなし)
 その年の7月2日。コネチカット州トーントーンの町で、大人気女流作家オーレリア・ベネットの70歳の誕生パーティが彼女の自宅で開かれる。親類縁者や出版界の知己などのゲストが参集するが、その周辺で一人の人物が頭部に銃弾を受けて死亡した。土地の検屍官リー・スローカムの采配のもと、惨事の状況を判定する検死審問(インクエスト)が進行するが。

 1940年のアメリカ作品。
 前から読もう読もうと思っていたが、ブックオフの100円均一で購入した新訳の文庫版がどっかにいってしまい、それが少し前にようやく見つかった。

 ワイルド作品は数年前に長編第一弾『ミステリ・ウィークエンド』を読んでいる。
 ただし作者の素性などはまったく失念して、カントリーハウスもの風の設定から、なんとなくこの人は英国作家だと勘違いしていた(汗)。
 とはいえ今回、実作を読んでもなんか全体的に英国のドライユーモアっぽい香気が漂う作風ではあり、公費として支給される日銭を目当てに集まってくる検死陪審員たちの描写とか、いきなり笑わされる。
 本文の随所に戯曲風に会話を並べる手法も、小説として独特の形質を獲得。適宜にサプライズを設ける作劇とあわせて、最後までまったく退屈しないで読み終えた。
 というか地方カントリーものの小説と謎解きミステリの融合として、かなりレベルが高い。複数の登場人物の証言の積み重ねで、事件と物語の実情を外堀から埋めていく構成が効果を上げている。

 最後に明かされる真相と動機に関してはリアルな現実の場なら思うところもアレコレだろうが、それまでに登場人物のキャラクターが丁寧に描き込まれているので、あー、このキャラならこういう状況にもなってしまうのかな……と、妙に納得させられてしまう。

 そんな一方、某登場人物のミステリ全域を揶揄するようなメタ的な物言いなど、作者がいかにもハイソな作品の仕上げぶりを誇っているようで、個人的には鼻につくところもなきにしも非ず。
 だがまあその辺は本当なら、スナオに気の利いたブンガク的な視野の表明として受け取るのが吉なのではあろう。

 ただまあ、よくできた面白い作品と思いつつ、なんとなく8点をつけたくないのはどういう訳か? 正直、自分でもよくわからない。まあ今は自分の気分に素直に従っておく(笑)。

 最後に、この作品は旧訳(創元の世界推理小説全集版)も大昔に買って例によって死蔵していた(汗)が、本サイトの先の皆様のレビューで語られているとおり、たぶん確実に21世紀の新訳で読んでよかったとは心から思う(黒沼健の旧訳も味はあったかもしれないが)。
 なにしろ新訳文庫版の解説で杉江松恋氏も書いてるとおり、後半のオーレリアの独演シーンを、流れるような弾みまくるような日本語で読ませる越前訳は、正に神がかっているよね。

No.1004 6点 誘拐部隊- ドナルド・ハミルトン 2020/11/03 05:14
(ネタバレなし)
 1959~60年の、ニューメキシコ州。第二次世界大戦中に、米軍の凄腕の諜報工作員として活躍した青年マット・ヘルムは、戦後は平穏な市民生活を営む。ヘルムは愛妻ベスとの間に、新生児の長女ベッシーをふくむ三人の子供を設けて、ウェスタン作家兼フリーカメラマンとして活躍していた。ある日、ヘルム夫妻は近所に住む年上の友人・原子物理学者エーモス・ダレルのホームパーティに招かれるが、そこでヘルムが再会した美女マドレーン・ローリスは、彼の大戦中の相棒だった工作員ティナであった。さらにヘルムには、作家志望だと自称する若い娘バーバラ・エレラが接近。バーバラは自作の原稿の講評をヘルムに求めるが、それに応じたヘルムはやがて無残な死体となったバーバラに出くわす。そしてそこに現れたティナは、ヘルムに裏の諜報世界への復帰を促した。

 1960年のアメリカ作品。
 日本では全12冊も翻訳刊行されたマット・ヘルムシリーズの第一弾。ハミルトン作品はだいぶ前にノンシリーズ長編を何か1~2冊読んだ覚えはあるが、このシリーズはたしか完全に今回が初めての付き合い。

 そもそも本シリーズ、いくらスパイブームの渦中だったとはいえ、それなりに評価され、相応に好評だったからこれだけ(12冊も)刊行の運びとなったのだろうとも思う。
 が、まあちょっと考えてみれば、のちのちの「マルコ・リンゲ」ほかのシリーズなんかもかなりの数が翻訳刊行されたのだから、数が多く出た=秀作シリーズの公式はそうそう成立しない(個人的にはマルコ・シリーズそのものは、たまに読みたくなるくらいにはそれなりにスキだが)。
 
 ちなみに「マット・ヘルム」の名前を聞くと、世代人として先にどうしても頭に浮かぶのはディーン・マーティン主演のおちゃらけたコメディ・スパイアクション映画シリーズの方であり、これは遠い昔にテレビの名画劇場で全4本のうちのいくつかを、家族といっしょに楽しんだ記憶がある。
 とはいえさすがに長らくミステリファンをやっていれば、例によって中身も読まずにポケミスの古本を集める(汗)傍らで、どうやら原作のマット・ヘルムシリーズは、映画とは全然別ものらしいという事実も自分なりに見えてきた。

 そして、このマット・ヘルムシリーズは、確かにそんなに高尚な内容とはいえないし、また骨太なエスピオナージュでも決してないらしい。だがそれでも、職人作家ハミルトンの手による<それなり以上に読み応えを保障された、スパイ・スリラー&キャラクタードラマ>らしいという噂も聞こえはじめてくる。

 さらに数年前、評者がこの書評サイトに出入りするようになってから読んだフランク・グルーバーのノンシリーズ編『愚なる裏切り』の作中でも、主人公が本シリーズを3冊まとめて購入して耽読する描写とかあり、おお、と驚愕。
 こういう事実にもじわじわと背中を押されて、積ん読のポケミスに、そろそろ手をつけようかともしばらく前から思ってはいた。
 しかしそのつもりになったらなったで、シリーズ第一弾のこの『誘拐部隊』が蔵書の中から見つからない(少し後の巻は見つかった)。
 というわけで確実にまだ購入していないHM文庫版『誘拐部隊』(すでにポケミス版は持ってるハズなので)をネット経由で入手。
 割とすぐに(本が届いてから1週間目ぐらいに)読んだが、これが期待通りかそれ以上に、なかなか面白かった。
 
 本作『誘拐部隊』のマット・ヘルムシリーズ上のポジションとしては、先のminiさんのレビューにあるように、主人公ヘルムの闇の世界への復帰編であり、同時にリハビリ編。そしてその方向性を認めた上で、リアルで乾いた筆致が実に心地よい。

 まずは中盤、ヘルムが自分に不利な「コーパス・デリクタイ」の死体を心ならずも処理する辺りから緊張感が高まるが、続く後半の展開も(ある程度は先読みできるとはいえ)二転三転の筋運びの末、ついに平凡な市民の座を捨てて野獣の諜報世界に戻るヘルムの心の悲痛さ、そしてそれと裏表に湧き上がる、いいようのないある種の高揚感がかなりの迫力をもって迫ってくる。
(なお本作の原題は「DEATH OF A CITIZEN」。これは作中で、現実に死を遂げる表向きは一般市民だった某スパイキャラのことをさすと思うが、同時に、15年間の平穏な市民生活を奪われて闇の世界に戻るヘルムの立場をも表意。そういうダブルミーニングであろう。)
 うん、確かにこれは小鷹信光たちその筋の人間が揃って惹かれた訳だ。米国流ペーパーバック・ノワールのある種の風格が、スパイ・スリラーのなかに見事に融和している。
(ちなみに、この数年後に書かれたジョン・ガードナーの『リキデイター』って、本作のパロディの側面もあったんじゃないか、と思うよ。物語の設定的な文芸がほぼ同じなので。) 

 しかし物語そのものも途中から加速度的に歯ごたえを増していくが、特に最後の2章分には軽く魂が痺れた。
 いやストーリーそのものは決して練り上げられたものでも精緻な仕掛けを持つものでもないんだけれど、実に職人作家らしい凄みがある。

 以下、自分でも妙な物言いだと思うけれど、あのハドリイ・チェイスが米国本家のハードボイルドとノワールを睨みながら英国でああいう萌芽をしていったというのなら、このハミルトンのマット・ヘルムシリーズの方は、英国のボンドブームやその基盤となるバカンなどのスパイ・スリラーをチラ見しながら、アメリカでこういうものを書きました、という感じか。これはそういった感覚の差分のなかで登場してきた作品&シリーズだと、私見する。
(とはいえ、まだシリーズの一冊目なので、即断は早すぎる・汗。)

 このシリーズもちびちび読んでいくのが、楽しみではある。
 そのうちどっかのタイミングで、マンネリやパターンに流れた作りになっていくかもしれないけれど、それはそれでまた賞味要素になるだろう。

【追記】
・これだけインプレッシブな内容ながら、評点は気がついたら6点をつけていた。面白い、手応えがあると感じながら、どっかにまだプロットの骨組みだけが見えるような荒々しさを感じたからか(その辺もまた、この作品の味だとも思うのだが)。
 あと後半のある場面というか展開は、部分的に非常に(中略)。そしてそれはその分、最後の主人公の行動の肯定に繋がる。やっちゃえ、やっちゃえ、マット・ヘルム。

・この邦訳シリーズの総称を「~部隊」で括ったのは、映画との連動を考えた商売的な戦略だったとは思う。その功罪は相半ばじゃないか、と見るのだが、漢字熟語2文字が毎巻のキーワードになるという縛りの趣向は、これから面白い効果になる……かもしれない?
 少なくとも今回の「誘拐」の意味は、後半になって「あ、そっちかい!?」であった。

・最後に大事なこと。本シリーズはスパイ小説ブームのなかで、すでに本国では冊数がたまっていた巻数を早めに翻訳刊行していく流れにあり、当然、翻訳者も分担。そこで文庫版巻末の訳者(田中小実昌の)あとがきによると、当初、主人公の一人称を「おれ」にするか「私」にするか翻訳者同士の協議があったという。フェアのラムシリーズなどの一人称がバラバラなことなどを踏まえての協議と思うが、これは早川の翻訳ミステリ史において、かなり興味深い証言だ。
 それで本作『誘拐部隊』翻訳担当の田中小実昌は、ほかの面々が「私」押しなのに対して、ただひとり「おれ」を主張。結果、この本では地の文に一度も一人称(おれも私も)を使わずに済ませるという実験小説的な翻訳を実行している。
 正直、読み手としては違和感を抱かないでもなかったが、まあ、小説作法のひとつのトライとしては面白い? かもしれない(とはいえたぶん類似の前例は、どっかの創作物にあるのだろうけれど)。

No.1003 6点 オーデュボンの祈り- 伊坂幸太郎 2020/11/02 13:43
(ネタバレなし)
 伊坂作品とはあまり縁がなく、まだ数冊しか読んでいない。
 ただこの作品に関しては、異世界? 設定で被害者がカカシという変化球のフーダニットらしいということで以前から気にはなっていた。今回は文庫改訂版という、新潮文庫版で読了。

 一読して、実に雑駁な感慨が残る作品で、これが作者の狙いのひとつなら、その意味では成功していると思う。

 まずサイコ悪役の反吐が出そうなイカれた描写は、作中でのポジションを考えれば当を得るものなのだろうが、個人的にはとにかく読んでいて不快。先述のようにまだ伊坂作品の読破数は多くないので、ここでこういう感じのものが出てくるとは思わなかった(現役作家なら前川裕か宇佐美まことあたりなら、心の構えもできていたと思うが)。ほかの旧作の伊坂作品もどんなものなのであろう。

 それで肝心の本作の大きな謎「なぜ未来を予見できるカカシが殺害されたか」に関しては、大枠で語ってしまえば(中略)のようなものなので、あまり衝撃も驚きもなかった。もちろんそこにいくまでの状況を支える当該キャラの内面とかはよく練り込まれているのだろうが、一方でそういった思考が基本的には作中人物サイドのものであり、読む側としてはいまひとつ共有できなかった。これは最後の<島に本当に必要とされたもの>の説明も同じ。なんというか、それはこちらと関係のない、あなたたちの希求であり願望だよね、という思いが先立つ。
 もしかしたら当方は、この作品の悪い読者かもしれない(汗)。

 世界観の独特な雰囲気は、現実世界と近いような遠いような絶妙な距離感という意味でかなり魅力的。
 その一方でキャラクターたちは主人公や相棒格の日比野ををふくめて、ほぼ全域にわたり「どういう感じで、毒のある裏側がいつ暴き出されるのか」という緊張感が最後までつきまとい、あまりなじめなかった。結局(中略)だったと言われても、そんなにサプライズも心のときめきもない。
 ただし、某・重要キャラの仕掛け……というより、その文芸の向こうにあった真相は、いかにも20世紀~21世紀の時代の変わり目のころの新本格という感じで面白かった。

 一読して、この作品の魅力の真価とは、たぶん縁がなかった感じ。
 嫌味や皮肉ではなく、もっとずっと深く楽しめた方がいたのなら、ちょっと羨ましい気もしないでもない。
 評点はとにかく攻めの姿勢は評価して、このくらいで。

No.1002 6点 フレンチ警視最初の事件- F・W・クロフツ 2020/11/01 04:41
(ネタバレなし)
 第二次世界大戦終結後のロンドン。人望ある外科医バーソロミュー・バートの診療所で、受付兼秘書として働く30歳の独身女性ダルシー・ヒース。ダルシーは幼なじみだった33歳の青年フランク・ロスコウが6年間の兵役を終えて復員するのを迎えた。フランクとの幸福な未来を願うダルシーは彼のために、バート医師の助手の仕事を紹介する。だが長い軍隊生活でやさぐれていたフランクには賭博の借金があり、彼は表向きは真面目に勤務しながら裏では不正に小金を着服し続けた。しかもダルシーも強引にその悪事にひきこまれていく。やがてフランクは、ステインズ地方の館「ジャスミン・ロッジ」の主人である元外交官で、69歳の富豪ローランド・チャタトンの秘書に転職。そのままローランドの26歳の娘ジュリエットと恋仲になり、ダルシーを袖にする素振りを見せる。そんな矢先のある日、ジャスミン・ロッジでは銃声が鳴り響いて……。

 1949年の英国作品。フレンチものの長編、第27弾。
 大人向けの長編としては、シリーズの最後から3本目の事件。

 周知の通り21世紀になって新訳(復刊)が出た本書だが、評者は今回は20世紀、何十年か前に某古書店で100円で買った旧訳の初版で読了(そーいやたしか、新訳の方も一応は買っているハズなんだけど、そっちはすぐに見つからない~汗~)。
 しかしこの旧版、一時期は、一万円前後のプレミアがついていた稀覯本だったなあ……(遠い目)。
 旧版の翻訳は、専業? 翻訳家の松原正が担当。この人はこれ以外にも創元社の翻訳ミステリを何冊か手がけているが(ほかのクロフツの諸作とか、ドイルの『クルンバー』とか、アイリッシュの『夜は千の目をもつ』とか)、実にこなれた訳文で旧訳ながらとても読みやすかった。

 ダルシーとフランク、本作のゲスト主人公といえる小市民の若い恋人コンビが(彼らが100%のワルでないとはわかって? いながら)、ズルズルと悪の道にはまっていく話の流れは、地味な物語ながら実にぐいぐいと読ませる。
 国産ミステリで一番近いティストを例えるなら、好調な時期の清張みたいな感じか。本作の執筆当時、すでに完全に大家になったクロフツの円熟ぶりをとくと実感させられた。おかげでこの邦訳題名にも関わらずフレンチの登場はかなり遅めだが、ちっとも退屈しない。

 ただし謎解きミステリとしては存外に裾野が広がらず、良くも悪くもこじんまりとまとまってしまったのが何とも。
 フーダニットの流れについてはここでは書けないが、もうひとつのキモとなる(中略)ダニットの解法がサプライズを狙った割にちょっと雑すぎるのでは?
(最後の方で「そういう」驚きを語るのなら(中略)についての鑑識は、それまでどのようにされていたのであろう?)
 そういった意味では、パズラーとしてはあまり期待値が高いと裏切られる感じがする一作ではある。
 
 とはいえ、いつもながらのフレンチの紳士的な捜査官ぶり、ほかのスコットランドヤードの面々との連携の臨場感、ゲストキャラとの動的なからみ、そして最後の(やはり以前のクロフツ作品のラストを想起させる)余韻のあるクロージング……などなど、今回もこちらがクロフツのミステリに求める要素(特に小説的な味わいが大きいけれど)はしっかり受け取らせてもらった手応えがある。だから、これはこれでいいや。

 あーまだまだ読んでないクロフツの長編が何冊もあることは、幸福である。
 不幸なのは、それが家のなかのどこにしまいこんだのか、年単位で探しても見つからないこと(汗)。
 まあ書庫やあちこちに探しに行っては、別の作家の未読の作品を抱えて居間に戻ってくる、そんな日々の繰り返しなのだが(汗・笑)。

No.1001 6点 ラバー・バンド- レックス・スタウト 2020/10/30 14:40
(ネタバレなし)
 19世紀末。ネヴァダ州の鉱山町シルバーシティ。そこではメンタル的に弾力のあるタフガイ<「ゴム」のコールマン>をリーダーとする若き鉱山師たちが徒党を組み「輪ゴム団」を名乗っていた。だがある日、団のメンバー、ジョージ・ローリーがトラブルを起こし、仲間たちは、もう少しで縛り首にされかけた彼の逃走を補助する。ジョージは、実は今の自分の名は偽名で、本当の出自は英国の名門貴族だと告白。いずれ爵位と財産を継承した暁には、仲間たちに大枚の謝礼を支払うと約束して去った。やがて時は流れて1930年前後のニューヨーク。団員のひとりギルバート・フォックスの遺児である美人クララは、父の遺言を足がかりに当時の輪ゴム団のメンバーおよびその家族を召集。現在、アメリカに国賓の英国貴族クリヴァース侯爵として来訪中のジョージに、かつての謝礼の請求を試みる。だがそんな彼女は、勤務先の大手物産会社で窃盗の容疑をかけられていた。それぞれの案件に別口の流れから関わり合うネロ・ウルフ一家だが、間もなく殺人事件まで発生して。

 1936年のアメリカ作品。ネロ・ウルフシリーズの長編、第三弾。
 寝床の周囲の本の山をかき回していたら、新訳のHM文庫版が出てきた。そこでタブレットで本サイトのレビューを拝見するとnukkamさんの本作評、雪さんの『毒蛇』評で、それぞれこの作品に好意的。先日読んだシリーズ第二弾『腰ぬけ連盟』はややキツかったが、これは楽しめるかと期待を込めてページをめくり始めてみる。
 
 それでほぼ一日で読み終えての感想。メインゲストのクララを軸にして、二つの無関係っぽい事件がからんでいく話の流れは思ったほどややこしくならない。というかハイテンポでぐいぐい読ませる。おなじみのクレイマー警部をはじめとしてNY市警の刑事たちがかなりの数、捜査に動員されるが、これは国賓でもあるクリヴァース侯爵への対応も込めてのこと。大物がらみの事件の描写、演出としては理に叶っている。
(しかし、デキる美人OLとして当初は登場したはずのクララが段々と、ぽんこつヒロインとしての馬脚を現していく流れは実に笑わせる。少女アニメ「プリキュア」シリーズでの毎回のお約束ヒロイン描写みたいだ。)
 
 謎解き作品としてはある大きなカードが卓上でずっと裏側に伏せられていて、それがいつ表を向くかがポイント。まあその辺りは、ちょっとミステリを読みなれた人なら大方意識するだろう。もしかしたら、nukkamさんが「シリーズ入門編」とおっしゃっているのは、そのあたりのことだろうか?
 後半、事態の流れの急転に際して冷静にかつ合理的に対応するウルフの柔軟さも、なかなか頼もしい。

 失点が少なく、細かい得点が多いという意味で、これまで読んだ長編ウルフものの中では一番面白かったかも。もうちょっと何かひとつふたつお気に入りの場面とかミステリ的なギミックとかあれば、文句なしにもう1点いくんだけれど。まあかなり7点に近い6点ということで。

No.1000 6点 鷗外の婢- 松本清張 2020/10/29 03:38
(ネタバレなし)
 カッパ・ノベルス版(初版は1970年。現行のAmazonの登録データはどっかおかしい)で読了。収録は『書道教室』と表題作の中編二本で、のちの新潮文庫版も同じ内容のようである。
 評者は家にあった(たぶん亡き父が買った)一冊を読んだが、これが昭和45年5月15日刊行の第12版。初版が同年4月30日で、(とりあえず奥付再版の可能性など考えなければ)ほぼ毎日重版していたわけである。いかにネットとかテレビゲームとかまだ影も形もない、娯楽の種類の少ない時代だったとはいえ、これはスゴイ。当時の清張の人気の凄さのほどが窺える。
 しかしカッパ・ノベルスということで恒例の挿し絵を期待したら、実際には皆無で残念。出せば売れる清張ということで、一刻も早く発売したかったか、あるいは無駄に編集費(イラスト代)をかけなくてもベストセラー確実なのだから本文だけでいいやと、編集部が割り切った判断をしたか。

 実は『書道教室』は何年か前にすでにとっくに読了。『鷗外の婢』の方が主題となる近代史や古代史の話題がシンドそうなので、その『鴎外』だけ手つかずのまま、読むのをとめておいた。

『書道教室』は死体処理のとあるアイデアがケッサクというか、あるいはあまりに人間のいやらしさを感じさせるというか、いずれにしろそれだけで印象深い一編。刊行当時のどっかの書評をあとから見て、誰かがそのポイントについて、かなり褒めていた記憶がある。

『鷗外の婢』に関しては先述のように、評者はもともと日本の古代史~近代史にそんなに詳しくない人間なので、書かれていることに「はあはあ、そうですか」という感じで、ひとえに頑張って付き合う。
 むろん作中の登場人物が語る見識に対して異論を挟む余裕なんかあるわけもない(高木彬光の『成吉思汗の秘密』もまだ未読なので、義経=成吉思汗説を言い出した者のルーツがどこら辺にあるのかの説明とかは、ちょっと面白かった)。

 それでも後半になってようやくミステリらしくなるが、その頃には「なんかなあ、無理して、現代ものの推理小説仕立てにせんでも……」という気分であった。しかも殺人の動機というかその事情が安っぽい(中略)で、話のお手軽感もかなりのモンだったし。

 そんな風に舐めていたら、終盤の展開で軽く泡をくった(!)。そうかこっちも(中略)。クロージングの独特な(ある意味で妙な)物語の納め方も鮮烈だし、なんのかんのいっても最後に上がる時には、しっかりと腰の座ったミステリになっている。さすが清張、お見それしました(汗)。とにもかくにも食いついて読んで、良かったとは思う。

No.999 7点 生霊の如き重るもの- 三津田信三 2020/10/29 02:20
(ネタバレなし)
 以下、メモ&感想(寸評)

・死霊の如き歩くもの
……民俗学見地による怪談を並べるくだりは、この短編集ぜんぶがこういう作りのエピソードかと思わず腰が引けたが、そうではなくて良かった。トッポいトリックが楽しいといえば楽しいが、真相で思い切り作品の格が下がった感も。

・天魔の如き跳ぶもの
……これと並行してアリンガムの長編『判事への花束』をたまたま読んでいたので、双方ともに<天空に消えたがごとき人間消失>という主題が共通していたのに苦笑。本書のなかではいろんな意味で無難な出来では。

・屍蝋の如き滴るもの
……二転三転する真相の解明が鮮烈。(中略)トリックの組み立て方は、それで成立&関係者に公認されるか微妙な気もするが、一方で<そういうロジック>が通用してしまう話の流れは好み。

・生霊の如き重ぶるもの
……いかにも表題作らしい、量感の豊かな一編。もう少し話を膨らませてキャラクターを足して長編にしても良かったかとも思った。まあ実際に長編化したら水っぽくなってしまうかも知れないけれど。いくつかの細かい伏線の張り方など、そういう面でも評価できる。

・顔無の如き覆うもの
……真相が暴かれると海外の某・名作短編の影がよぎるが、それだけに終わらない凄みを感じさせてくれたコワイ話。最後を締めるに相応しい一本。これも長編にしても良かったかもしれないねえ。

 個人的には結構、楽しめました。

No.998 6点 同名異人の四人が死んだ- 佐野洋 2020/10/28 02:43
(ネタバレなし)
 日刊新聞「中央日報」の社会部に届いた手紙。それは入院中の青年・塚越英介からのものだった。そしてその内容は、人気作家・名原信一郎の中編小説「囁く達磨」のなかで絶命する主要人物たちとそれぞれ同じ名前の実在の人間が二人、相次いで変死を遂げているという奇妙な事実の指摘だった。社会部の記者・鳥井から相談を受けた学芸部の記者・米内はくだんの作家・名原と面識があり、彼のもとに向かう。だが名原本人は当然のごとく、現実の事件への関与を否定。さらに作中人物と現実の死者の名前の符合を認めつつも、結局は狐につままれたような表情を見せる。そんななか、さらにまた「囁く達磨」の登場人物と同じ名前の死者が現実に……。

 1973年の11月に、当時の講談社の叢書「推理小説特別書き下し」シリーズの一冊として刊行された作品。評者は今回は、講談社文庫版で読了。

 当初は自分も、先行の斎藤警部さんのレビューと同様<あちこちで相次いで、あるいはほぼ同時に●●●●なる同一の名前の人物が死ぬ>話かと思ったが、実際には違っていた。
 仮にそういうプロットが成立したとして、現実に刊行された本作とどちらが面白そうかと問われれば、ちょっと悩むところではある。
 なんにしろ実作となった本作の謎の訴求力は、なかなかのものだ。

 登場人物は名前のあるキャラクターだけで40人前後。とはいえ佐野洋らしく各キャラの人物像の掘り下げには拘泥せず、登場人物全般を良い意味で物語の駒的に配置するので、読んでいて胃にもたれることなどはない。ストーリーは好テンポに淀みなく進んでいく。
 
 フーダニットの謎と同時に、<なぜ作中の人物と同じ名前の現実の被害者が、複数生じたのか>というメインの謎は、一種のホワイダニットの興味として終盤まで引っ張られる。
 ただし真相を明かされると、それで一応は納得のゆく筋道は通るものの、いささか大山鳴動して鼠一匹の感は拭えない。もちろん、この辺はあまり詳しくは書けないが。

 あと、事件の事情のすべてが暴かれたあとで事態の流れを振り返ると、一部の登場人物のものの考え方の面で<それって不自然なのでは?>と思う箇所もいくつか出てきた。
 まあその辺は<とにもかくにも、その際に作中人物はそういう思考と決断をしたんだ>という納得で通らなくもないので、ぎりぎりか。
 全体的にはそれなり以上に面白かった。ラストの余韻のある幕切れは、一種の(中略)風のスタイルで印象に残る。 

 最後に、講談社文庫の巻末の解説は、北上次郎が担当。北上はちゃんと多数の佐野作品を読み込んでいるようで、諸作に登場する「中央日報」の関係性(各作品を同じ世界観と認識して構わないか)の検証をみっちり行っている。良い意味でのファン・スピリットに溢れた文章になっていて、実に素晴らしい。こういう原稿を見倣いたいもんだ。

No.997 9点 女王陛下のユリシーズ号- アリステア・マクリーン 2020/10/26 22:36
(ネタバレなし)
 第二次世界大戦ただ中の1942~43年。ドイツは4万2千トンの巨大戦艦ティルビッツを軸とする主力艦隊を、ノルウェー海域に配備。一方で英米海軍は独ソ開戦に際してソ連の支援を図り、北太平洋輸送船団を編成する。だがその船団を牽制していたのが、くだんのドイツ北洋艦隊だった。本国艦隊を維持する傍らで北洋輸送船団に大きな戦力を回せない英米海軍は、やりくりに苦慮。英国海軍は世界で初めてレーダー装置を完備したことで知られる老朽の軽巡洋艦ユリシーズを北洋輸送船団に配備。しかしユリシーズたちの艦隊「FR77」の本当の任務とはドイツ北洋艦隊をおびきだし、後続の主力艦隊で殲滅するための囮役だった。そしてこの囮作戦開始の直前、ユリシーズ艦内ではあまりにも過酷なこれまでの任務の連続から、一部の乗員の反乱事件が発生。反乱者への処罰の軽重をめぐって海軍本部との軋轢を抱えたまま、リチャード・ヴァレリー艦長と司令官ジョン・ティンドル少将率いるユリシーズの数百名の乗員は、僚艦とともに極寒の北洋に向かう。

 1955年の英国作品。はい、何を今さらながら、大傑作。
 いわゆる狭義の意味でのミステリ味はほとんどないが、評者は冒険小説もモダンホラーの一部も<ミステリ>として受け入れるストライクゾーンの人間なので、戦争海洋冒険小説としてこれもあり。
(ただしそんな柔軟なつもりの自分があえて言うけれど、これはもう正統派戦争海洋小説としての側面が一番強いような気がするけれどね。)

 大昔に購入したHN文庫の初版を書庫から引っ張り出してきたが、知ってる人は知ってる通り、初期のハヤカワノベルスやHN文庫には登場人物一覧が設けられていないので、いつものように自分で劇中人物のメモリストを作りながら読む。
 本当の主人公的なキャラクターはヴァレリー艦長と副長のビル・ターナー、それに青年軍医のジョニー・ニコルスあたりだが、そのほかにも物語に関わる名前のあるキャラクターは60~70人。しかもそのほとんどがユリシーズ内の乗員たちで、カメラアイがほぼ一貫して船内から移動しない。その辺りの徹底ぶりは、ある種の物語の力強さに転化している(僚艦の活躍や最期なども一部挿入されるが)。

 それでもってその登場人物たちが(ごくごく一部のメインキャラを除き)あえて立場のわかりやすい記号的なポジションを要求していないのは、それはひとえに、これがそういう小説ではないから。これに尽きる。
 ユリシーズに乗艦した乗員たち、それぞれがおのおのの責を負い、大半の者は最後までその使命をまっとうし、ごく一部の者は道を踏み外す。これはそういう群像を積み重ねていくことで形成される、海洋戦争海小説であった。
 評者的には、出番こそ少ないが印象に残る挙動を見せてくれたキャラクター、彼らひとりひとりの織りなした心に残る場面、もうそれがこの一冊のなかにはいくらでも見出せる。
 とはいえ本当に魂を顫わされ、心の中で号泣した場面といえば、ここはもうNV文庫版の447ページだな。
 マクリーン(初期の)、あなたはやっぱり本物の物書きだったよ。

 全編にみなぎる緊張感とか、戦争の過酷さの容赦なさとか、極寒の北洋の自然描写の迫力とかいくらでも語れるのだけれど、その辺はできるなら全部、自分の目で読んで確かめてほしい。
 いずれにしろマクリーンという作家は最初で最高・最強の作品を書いてしまっていたのではないかとあらためて痛感。
 これは冒険小説ジャンルにおける『月長石』みたいな一冊で、世の中の冒険小説ファンは本作を読んでいる人とそうでない人に二分されてもいいんじゃないの、という感じである。
(妄言多謝、ではあります~汗~。)

 ちなみにきわめて個人的な述懐になるが、実はこの本(NV文庫版)、宿泊先で読もうと思って高校の修学旅行のカバンに詰めたんだよな。実際には友人との付き合いなんかもあったし、こんな大部の作品(文庫版で500ページ弱)を旅先で読もうとか、今から思うと随分と「絶対に無理」な計画をしていた気がする。事実、ほとんど読めなかった(汗)。
(と言いつつ、もう一冊持っていった、クリスティーの『忘られぬ死』(ポケミス版)は、なんとか読了した。そちらが当時、かなり面白かった記憶はある。)

 何はともあれ、名作はやっぱり、名前負けしない名作であった。
 まあとりあえず、この一冊に限った話ではあるのだが。

No.996 5点 判事への花束- マージェリー・アリンガム 2020/10/25 05:00
(ネタバレなし)
 20世紀初頭のロンドン。19世紀初頭に創業の出版社「バーバナス書房」は、親族会社として順調に業績を伸ばしていた。だが1911年5月のある日、バーバナス一族の中年トム・バーバナスがロンドンの路上から煙のように消失。その後、20年後の現在まで、彼の行方は杳として知れなかった。そしていま、1931年の1月下旬、先代の「大社長」ジャコビイ・バーバナスの甥のひとりで会社の幹部ポール・レッドファン・ブランドが、ある日忽然と姿を消した。ポールの妻でアメリカ人の美女ジーナは、さほど慌てる様子はないが、会社の周辺ではこれは20年前の事件の再現では? と噂する者もいた。そのポールは失踪してから数日後に変死体で見つかる。ジャコビイの甥の青年マイク(マイケル)・ウェッジウッドの友人で、そしてジーナとも仲のいい名探偵アルバート・キャンピオンは、この事件に乗り出すが。

 1936年の英国作品。アルバート・キャンピオンシリーズの長編、第7本目。
 思わせぶりで格調のあるタイトル(日本語で頭韻を踏んでいるのもいい)が印象的な一冊だが、訳者が「あの」悪評の鈴木幸夫。こりゃ読むのがシンドイだろうなと思って、ついウン十年も積ん読にしてきたが、このたび思い立って一読してみる。そうしたらストーリーやキャラクター描写を味わう分には、ほとんど問題なかった(正確に日本語を添削するような読み方をすれば、また変わってくるかもしれないが)。
 
 ハーバート・ブリーンの『ワイルダー一家の失踪』(1948年)とか鷲尾三郎の『屍の記録』(1957年)に先んじた<とある一族のなかで複数世代にわたって生じる不可思議な人間消失の謎>パターンか? ……と、そう一瞬だけ思わせておいて、ポールの死体発見後は普通の殺人? 事件に転調する流れが、逆に新鮮。

 さる事情からより積極的にこの事件への介入を強いられたキャンピオンが、現在形の事件を暴くカギは20年前の怪異にあるのでは? とそちらに視線を向けるあたりの、良い意味でのお約束ぶりもたまらない。殺人容疑をかけられた某キャラの救済のため、一族のそれぞれが動き出すあたりの物語的な躍動感も悪くないし、少なくとも途中3分の2まではこれまで読んだアリンガムの長編(これで5冊目)のなかで一番面白いんじゃないか、と本気で思った。
 しかし、う~ん。後半3分の1の感想は、クリスティ再読さんにほぼ同意。え、いろいろ興趣ありげなネタをふっておいて、こういうレベルでまとめるの、もっと謎解きもストーリーも弾ませないの? という部分が多すぎる。

 これが乱歩の<1935年以降の海外長編ベスト10部門で、第3位>だそうで、実物を最後まで読んだのなら、そんなに高い評価いくもんか、という感じ。
(まあ、これもクリスティ再読さんの言うとおり、もうひとつの大きな謎解きからエピローグに流れる物語のまとめかたには、ちょっぴり余韻は感じたけれど。)

 しかしくだんの魅力的に思えた題名(日本語タイトルは原題のほぼ直訳)の意味も、実際のところ、よくわからないね。作中でこの題名に相応するのは、殺人事件を審理する法廷が終了して、壇上の花を裁判官が持ち帰る場面だが。とにもかくにもキャンピオンの奮闘のおかげで、事件に一区切りついたタイミング、という含意か?
 
 途中までは楽しめた。ラストも悪くない。でも肝心の山場はう~む……と、そんな作品。
 まあアリンガムは、またそのうち何か読むでしょう。

No.995 6点 アルキメデスは手を汚さない- 小峰元 2020/10/24 15:06
(ネタバレなし)
 1972年10月3日。大阪の豊中市で、豊能高校の2年生だった女子、柴本美雪の葬儀が開かれる。世間には病気による急死と公表されたが、実は子宮外妊娠で堕胎を行った中での頓死だった。その美雪は最後に「アルキメデス」という、謎の言葉を遺した。美雪を溺愛していた父親、大手工務店の社長・健次郎は、娘を妊娠させながら頬被りしているものが娘の学友のなかにいるのでは? と推察。ゴロツキ男・芳野宏六に金を渡して調査に当たらせる。だがそれと前後して、美雪が在籍していた豊能高校2年2組の周辺では、不可思議な砒素中毒事件が発生。やがて事態は、予想もしなかった殺人事件へと連鎖してゆく。

 第19回(昭和48年度)乱歩賞受賞作品。
 当時、結構話題になり、ベストセラーにもなった作品だが、たしかミステリマガジンの新刊書評でもSRの会の会誌「SRマンスリー」での合同評でも、ともに評価はさんざん。
 ミステリファンになりたてのコドモ時代の評者は、こういったマニア視点の批評? のインフルエンスをもろに蒙り、肝心の実作を自分の目で読みもしないまま、尻馬に乗って周囲に聞いた風な悪評をまき散らしていた記憶がある。今から思うとサイテーだわな(汗)。猛省の極み。
 
 それで数日前に仕事関連で駅二つ分くらい離れた場所に久々に行く機会があり、その少し先のしばらく覗いていなかったブックオフで、一番はじめの旧・講談社文庫版(1976年発売の第9刷目。状態だけはかなり良い)を100円均一の棚から買ってきた。

 前述のような過去の経歴というか屈託があったものだから、ほとんど買ってすぐ読み始めたが、ああ、なるほど、文章は平明でリーダビリティはかなり高い。当時よく読まれたというのは、分かるような気がする。
 メインキャラのひとりで半ば悪徳不動産屋の健次郎ほかの大人たちの何人か、さらに肝心の高校生たちのキャラクターは露悪的に書かれてもいるが、たぶんそれは作者の狙いとして読んでいくうちになれてゆく(一方で捜査陣の野村巡査部長ののほほんとしたキャラクターは、いい中和役になっている)。
 全体としては(スナオな)青春ミステリとはとても呼びたくないが、刊行当時に貼られた作品のレッテル「青春悪漢小説」ならそれは了解できる、という感じであった。
(ただし今の視点で見ると、高校生全般って、もうちょっと目上の者に対して敬遠的な言動をするだろうなあ、という印象もあるが。)

 ミステリとしては、冒頭の美雪の死は殺人でもなんでもなく、妊娠させた相手探しという謎の興味が小さいが、それが物語の段階的に中毒事件、そして殺人事件へと深化していく。このあたりの流れはうまいといえばうまい、かもしれない。ただし最後にはギリギリのところでまとめたものの、それぞれの大小の謎の提示が散発的で、(中略)事件の動機もちょっと……。
(……って、思い起こせば、のちのちの別の後年の乱歩賞受賞作品にもこのバリエーションがあるような?)
 アリバイトリック&~崩しの流れの方はそんなに手の込んだものじゃないが、その素朴さが嫌いではない。
 総体的な評としては昭和のこの時代に書かれたことを納得する一方、当方の抱く国産の昭和ミステリの主流のなかからはちょっと外れたところにある一作、という印象。ある面では昭和の後半~末期に向かう過渡期的な空気を感じさせる作品でもあった。

 ちなみにまだ読んでないけれど、望月あきらが本作をたしかコミカライズしていたと思う。ほかの望月あきら作品で知悉している絵柄だけいうと、意外に似合っているのではないか、という感じがする(メインヒロインのひとり、延命美由紀などどんなキャラクターデザインなのか、興味を覚える)。実物の方も、いつか読む機会があればいいとは思うが。  

 最後に、メインヒロインの名前が「ミユキ」でダブっているので、何かトリッキィな仕掛け? かと思ったが、特に意味もなかった。漢字表記の違いで同じ発音の名前が友人同士で並ぶというのもリアルといえばリアルかもしれないが、フィクションでは特に必要ない設定だろうし、むだにややこしいだけなのでは? と細かいところが気にかかった。

No.994 6点 ポーをめぐる殺人- ウィリアム・ヒョーツバーグ 2020/10/23 04:38
(ネタバレなし)
 1923年。ホームズ譚の大反響で世界的な人気作家となった当年63歳のコナン・ドイルは49歳の愛妻ジーンと3人の幼い子供を伴い、ニューヨークの港に降りる。訪米の目的は、ドイルが傾倒する心霊学を主体とする半年計画の講演旅行であり、同時に友人である当時40代末の大人気奇術師ハリー・フーディーニとの再会だった。かたやフーディーニは内心ではドイルの標榜する心霊術にぎりぎりまで疑念を捨てないが、一方で尊敬すべき年上の友人との友情を守りたいとも思っていた。だがそのころNYではエドガー・アラン・ポーの諸作に見立てたとしか思えない、正体不明の殺人鬼による殺戮事件が続発。そんななか、ドイルは1849年に他界したポーの晩年の姿の幽霊に出会う……。

 1994年のアメリカ作品。
 評者は若い頃に、作者ヒョーツバーグのミステリ・デビュー作でMWA処女長編賞の『堕ちる天使』(1978年)に遭遇。その衝撃的かつある種の情感に満ちた内容にいたく感銘した。数年前の「SRの会」のアンケート「マイ・オールタイムベスト10作品」の翻訳部門の一角にこれを入れたほどである(とはいえ初読以来、読み返してはいない。この作品に関しては再読して当時の初読時の衝撃の記憶が薄れるのがもったいないような、そんな種類の畏れがある)。

 そしてそれほどまでに(少なくとも評者にとって)印象的な一冊を書きながら、作者ヒョーツバーグについてはその後の1980~90年代には、新作を書いたという海の向こうの噂がまったく聞こえて来なかった(もしミステリマガジンやEQとかの海外情報記事で何か触れられていたのなら、自分は見逃しているか、その記事を読んだことを忘れている)。

 そんな訳で日本のミステリファン末席の当方はおよそ20年近く「ヒョーツバーグは結局は一発屋だったのかな?」ぐらいに思っていたのだが、そうしたら20世紀末の1998年に、この作品『ポーをめぐる殺人』がいきなり邦訳された。
 当然、その時はかなりびっくりしたが、一方で当時の評者は新刊ミステリ全般に関する興味(国内外とも)がかなり減退していた時期(汗)。その状態は2010年代の前半まで続いていたし、さらにこの作品『ポーを~』も相当にクセの強いらしいと予見されたので(まあそれはあの『堕ちる天使』の作者だから当たり前すぎるほどにアタリマエなのだが~笑~)なんとなく敷居が高くなり、つい数日前まで家の中で、積ん読本になっていた。

 それで例によって一念発起、弾みをつけて一昨日から読み始め、少し前に読了したというわけである。

 作品のスタイルは、現実の史実におけるドイルとフーディーニの親交とある種の軋轢を主軸に、そこに『モルグ街の殺人』や『黒猫』ほかのポーの諸作をモチーフにした連続殺人事件がからむストーリー。
 さらに「あの」デイモン・ラニアン(若き日の)ほか当時のアメリカ国内の各分野のオールスターが参集し、しかも別格的なキーパーソンとしてスーパーナチュラルな亡霊の形でポー自身が登場する(ポーの意識は過去の生前のもので、彼の方からは未来人のドイルに対面する構図になる)。
 最後まで読むと、作劇の構造としてこのポーの亡霊を登場させる必要があったかはいささか疑問だが、小説にある種の膨らみを持たせたのは事実で、これもまた「あの」ヒョーツバーグならやってもいいか、という趣向であった。

 なお主人公コンビのうち、ドイルの方はかなり真っ当に<みんながよく聞き及んでいる、大作家の晩年の姿>という趣で描写(ホームズの作者という称賛に飽き飽きしてるとか、そのくせ現実の犯罪への捜査介入には関心があるとか、歴史作家としての側面を評価されると喜ぶとか)。
 一方でフーディーニも基本は評伝などで語られる通り、マザコンレベルに亡き母を敬愛し、根は冷静で情に厚い紳士ながら、自分の芸には強いプライドを持ち、心霊術にはあくまで懐疑的……というキャラクター像ではある(まあ評者がまともに呼んだフーディーニの評伝といえば『栄光なき天才たち』くらいだが~とはいえこの作品はかなり好きだ~)。
 しかしフーディーニの方はドイルと違い、物語の上での扱いがかなり濃いめで、詳しくは書かないが、結構散々な? 事態に遭遇する。
 まあこの辺はかの『堕ちる天使』のヒョーツバーグのピーキーな作家性が、妙な形で発露した感じだ。

 それで総体としての評価になるが、まずミステリとしてはあれこれの面で「う~ん」。犯人は人物一覧を作っているうちに分かってしまうし、何より問題なのは、ポー作品の見立て殺人劇に(以下略)。うまく練り込んでいけば、もっともっと生きた趣向になったと思うのだけれど。

 一方で小説としては山田風太郎の明治ものやニューマンの『ドラキュラ紀元』風のオールスターものの趣で楽しかった。
 が、オリジナルキャラ? の警察官で、前半はいかにもクセのありそうなキャラ描写をみっちり書き込まれながら、いざ後半になるといかにも使いどころがなくなってしまったのでもう要らねェという感じであっさり物語の舞台から姿を消すNY本署の殺人課巡査部長ジェイムズ(ジミー)・パトリック・ヒーガンの扱いなんか実にヒドイ。
 このへんはなんか、一通り物語を書き終えてもあえて全体の推敲もキャラ描写を整合させる意欲もなく、放り出してしまった印象だ。

 読んでいて、ところどころ細部の面白さと楽しさはそれなりに与えてくれた一冊だけれど、全体的には出来のいい作品とは言えない。
 もちろん『堕ちる天使』の手応えには遠く及ばない。
 妙な魅力を感じる一面はあるので、0.5点くらいおまけしてこの評点。

No.993 7点 ハイヒールの死- クリスチアナ・ブランド 2020/10/20 18:49
(ネタバレなし)
 ロンドンの「クリストフ衣裳店」。そこは女好きと評判の中年紳士である店主フランク・ベヴァンが多くの美人スタッフたちをまとめる、大規模なファッション店だ。近日中にフランスに支店を開く計画があり、主要スタッフたちは誰が支店長に抜擢されるか噂しあう。だがある日、店内で配膳される昼食の際に、ひとりの主力女性スタッフが毒を飲んで死亡した。他殺の可能性を認めたスコットランド・ヤードは、ハンサムな青年警部チャールズワースとその相棒の部長刑事ビッドを捜査につかせる。だが入り組んだ人間模様のなか、事件はさらに新たな展開を見せていく。

 1941年の英国作品。ブランドの処女長編。

 しばらく前に一度読み始めたことがあったが、そのときは冒頭の20ページくらいでもう、次から次に出てくる主要ヒロインの多さにゲンナリ。キャラ配置も頭に入らず、そこで読むのを断念した(汗)。
 しかしながらこの5~6年ほどは登場人物メモをとりながら読むのが通例なため、そういう読書の仕方なら何とかなるだろうと再挑戦に臨んだ。結果、登場するキャラクターたちのメモ項目が、情報でどんどんうまっていくのが実に快感。しかし一方で、やっぱりこの読み方じゃないと付き合えない作品だとは、改めて実感した。

 巻末の訳者あとがき、さらに本サイトのレビューなどを見ると<ブランドらしからぬユーモアミステリ>といった見識が目立つようである。実際、ブランドの持ち味のある種の意地悪さは物語の底流に潜みながら、全体的にどっかクリスピンとかイネスとかに似通うような、英国流のドライユーモア味をあちこちに感じたりする。
 特に面白かったのは、ポケミス101ページ前後の害獣であるネズミへの対処ぶりでキャラクターの差異を語るくだり。さらには殺人事件が起きたあと、店全体で厚かましいマスコミや、厚顔な野次馬客たちなどに対して、逐次、対策案をはかるくだり。

 そんな一方で、愛らしいところと黒いところをあわせもった作中の女性たちの「願わくば、この機会にもっと友情を育てたい」という真情も語られるところなんか結構、泣かせる。
 うん、これは<女子交流ものの小説>としても面白いわ。

 とはいえそんな刹那のほのぼの感から巧妙に、後半のミステリ要素へと繋げていくあたりはさすがブランド。

 あれ? と思えるタイミングで、チャールズワースのライバル格の青年刑事スミザーズを登場させ、ケンケンガクガクさせながら二転三転の真相の暴露にもっていくあたりはデビュー作から堂にいったもんです。
(しかし主人公チャールズワースとの対比をまんま狙って登場してきたスミザースのほんのり凶暴で単細胞なキャラ、まさに20世紀終盤~21世紀の少年漫画のBLティスト風だよな。『らんま1/2』の良牙とか『炎炎ノ消防隊』のアーサーとか、あの辺のポジションまんまだわ。)

 あえて謎解きにおける不満といえば、この事件の状況における(中略)殺人の可能性をなかなか捜査陣たちが意識しないことで。スコットランド・ヤードの首脳陣も注目してる事件であり、結果としてムニャムニャ。
 最後に反転する事件の構図というか、真相は割と気に入っています。本サイトのなかでツメの甘さに不満? をおっしゃる方のお気持ちは理解できるけれど、この小説の決着としてはこれで良かったと思っている。評者が最後に真犯人に抱いた感情は(以下略)。
 
 やっぱいいよね。ブランド。どれでも一冊付き合えば、骨のあるミステリ(&小説)を読み通した充実感がある。
 さて『暗闇の薔薇』を読む準備もできました(笑)。

No.992 6点 おめかけはやめられない- A・A・フェア 2020/10/19 05:52
(ネタバレなし)
 ロスアンジェルスのとあるドライブインの周辺で、現金輸送の武装トラックから10万ドル(1000ドル紙幣が100枚)奪われる事件が発生した。容疑者の前科者ハーバート・バクスリィは証拠不十分なまま警察の監視下で泳がされるが、一方で盗んで隠匿されていた金は一応、発見される。だが見つかった現金は半額しかなく、未回収の5万ドルは捜査に関わったフランク・セラーズ部長刑事が横領したのでは? との嫌疑が生じる。バクスリィは事件の前後に若い娘ヘイゼル・ダウナーに電話連絡をしており、セラーズは自分の潔白を晴らす手がかりを求めてそのヘイゼルをマークする。だが当のヘイゼルは「ぼく」こと私立探偵ドナルド・ラムとそのパートナー、バーサ・クールの探偵事務所に接触してきた。

 1960年のアメリカ作品。クール&ラムシリーズの第20弾で、今回はおなじみセラーズ部長刑事が窮地に陥るのが最大の特色。
(とはいえ物語の上ではセラーズの逆境はさほどダイレクトには描写されない。ほぼ普段通りに、くだんの事件の捜査も続けている。)

 主人公ラムは事務所に現れた美女ヘイゼルの依頼を受けて、大金を持ち去ったという彼女の夫スタンドリイの行方を追う。ラムは、ヘイゼルが先の現金奪取事件にも関係するか確認しようとも考えている。だがそのうち、事態は殺人事件にまで発展してゆく。
 
 ハイテンポな筋運びはいつものこのシリーズらしくてよいのだが、関係者から芋づる式に得た情報が次々と、ちゃんと何かしら事件がらみの手応えに繋がり、それがほぼ100%ヒット。さすがにこの話の流れは、少しウソくさい(汗)。

 とはいえその辺は作者フェア=ガードナーもわかってやっているみたいで、作中で登場人物たちがテレビドラマの探偵ものを話題にして「向こうは番組によっては30分で事件が起きて捜査があって解決までしてるんだ」とうそぶく。つまり、少なくともこっち(小説のラム&クールシリーズやメイスンシリーズなど)は同じくストレスも淀みもなくストーリーが進行するにせよ、もうちょっと手の込んだことを毎回やっているんだぞ、というメタ的なアピールにも思えてくる(笑)。

 それでラム君が調査の対象を広げていくなかで、自宅でそんな探偵もののテレビドラマばかり観ていて、本物の探偵(ラム)に出会って目を輝かせる冴えないOL、アーネスティン・ハミルトンが後半に登場。
 この娘は物語のポジション的にはたまたま調査の上で出会ったサブヒロインだが、なぜか事件の流れにグイグイ引き込まれ、最後には主人公のラムから一種の社会リハビリ的な後見まで受けかける。
 この辺もなんか、テレビドラマの探偵ものがはやりだした時代? ならではの作者の含みっぽい(テレビのお手軽な探偵ものばっか熱中してちゃダメだよ、と暗に言っているような)。

 それで終盤、殺人の真相は、かなり斜めの方向から明かされる。まあそういう謎解きの感触はガードナー作品にはよくあることながら、今回は凶器の趣向というか素性もふくめて、ちょっとひときわ妙な印象のものであった。

 登場人物では、セラーズとは別の足場からラムと渡り合うサンフランシスコの警部ギャドセン(ビル)・ホバートの老獪なキャラクターがなかなか印象的。終盤にいきなり見せ場を用意されるバーサの扱いもなかなかのインパクト。作戦のためにラムと夫婦の真似事を演じ、その最中にあれこれと余計なことを考えてぼやく秘書のエルシーは可愛い(笑)。
 
 ちなみにタイトルは、ラムから「結婚して落ち着いた生活をしたら」という主旨の進言を受けた某ヒロインが「あたしは囲い者が辞められない女だから」とうそぶく場面から。邦訳の題名だけだとスレッカラシめいた強気な物言いっぽいが、実際には、そこはかとないペーソスがにじむ一言だ。

 シリーズのなかでは、中の中~中の上くらいの面白さだと思うよ。

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人並由真さん
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以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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