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[ 冒険/スリラー/スパイ小説 ]
誘拐部隊
マット・ヘルム、部隊シリーズ
ドナルド・ハミルトン 出版月: 1964年01月 平均: 5.50点 書評数: 2件

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早川書房
1964年01月

早川書房
1979年06月

早川書房
1979年06月

No.2 6点 人並由真 2020/11/03 05:14
(ネタバレなし)
 1959~60年の、ニューメキシコ州。第二次世界大戦中に、米軍の凄腕の諜報工作員として活躍した青年マット・ヘルムは、戦後は平穏な市民生活を営む。ヘルムは愛妻ベスとの間に、新生児の長女ベッシーをふくむ三人の子供を設けて、ウェスタン作家兼フリーカメラマンとして活躍していた。ある日、ヘルム夫妻は近所に住む年上の友人・原子物理学者エーモス・ダレルのホームパーティに招かれるが、そこでヘルムが再会した美女マドレーン・ローリスは、彼の大戦中の相棒だった工作員ティナであった。さらにヘルムには、作家志望だと自称する若い娘バーバラ・エレラが接近。バーバラは自作の原稿の講評をヘルムに求めるが、それに応じたヘルムはやがて無残な死体となったバーバラに出くわす。そしてそこに現れたティナは、ヘルムに裏の諜報世界への復帰を促した。

 1960年のアメリカ作品。
 日本では全12冊も翻訳刊行されたマット・ヘルムシリーズの第一弾。ハミルトン作品はだいぶ前にノンシリーズ長編を何か1~2冊読んだ覚えはあるが、このシリーズはたしか完全に今回が初めての付き合い。

 そもそも本シリーズ、いくらスパイブームの渦中だったとはいえ、それなりに評価され、相応に好評だったからこれだけ(12冊も)刊行の運びとなったのだろうとも思う。
 が、まあちょっと考えてみれば、のちのちの「マルコ・リンゲ」ほかのシリーズなんかもかなりの数が翻訳刊行されたのだから、数が多く出た=秀作シリーズの公式はそうそう成立しない(個人的にはマルコ・シリーズそのものは、たまに読みたくなるくらいにはそれなりにスキだが)。
 
 ちなみに「マット・ヘルム」の名前を聞くと、世代人として先にどうしても頭に浮かぶのはディーン・マーティン主演のおちゃらけたコメディ・スパイアクション映画シリーズの方であり、これは遠い昔にテレビの名画劇場で全4本のうちのいくつかを、家族といっしょに楽しんだ記憶がある。
 とはいえさすがに長らくミステリファンをやっていれば、例によって中身も読まずにポケミスの古本を集める(汗)傍らで、どうやら原作のマット・ヘルムシリーズは、映画とは全然別ものらしいという事実も自分なりに見えてきた。

 そして、このマット・ヘルムシリーズは、確かにそんなに高尚な内容とはいえないし、また骨太なエスピオナージュでも決してないらしい。だがそれでも、職人作家ハミルトンの手による<それなり以上に読み応えを保障された、スパイ・スリラー&キャラクタードラマ>らしいという噂も聞こえはじめてくる。

 さらに数年前、評者がこの書評サイトに出入りするようになってから読んだフランク・グルーバーのノンシリーズ編『愚なる裏切り』の作中でも、主人公が本シリーズを3冊まとめて購入して耽読する描写とかあり、おお、と驚愕。
 こういう事実にもじわじわと背中を押されて、積ん読のポケミスに、そろそろ手をつけようかともしばらく前から思ってはいた。
 しかしそのつもりになったらなったで、シリーズ第一弾のこの『誘拐部隊』が蔵書の中から見つからない(少し後の巻は見つかった)。
 というわけで確実にまだ購入していないHM文庫版『誘拐部隊』(すでにポケミス版は持ってるハズなので)をネット経由で入手。
 割とすぐに(本が届いてから1週間目ぐらいに)読んだが、これが期待通りかそれ以上に、なかなか面白かった。
 
 本作『誘拐部隊』のマット・ヘルムシリーズ上のポジションとしては、先のminiさんのレビューにあるように、主人公ヘルムの闇の世界への復帰編であり、同時にリハビリ編。そしてその方向性を認めた上で、リアルで乾いた筆致が実に心地よい。

 まずは中盤、ヘルムが自分に不利な「コーパス・デリクタイ」の死体を心ならずも処理する辺りから緊張感が高まるが、続く後半の展開も(ある程度は先読みできるとはいえ)二転三転の筋運びの末、ついに平凡な市民の座を捨てて野獣の諜報世界に戻るヘルムの心の悲痛さ、そしてそれと裏表に湧き上がる、いいようのないある種の高揚感がかなりの迫力をもって迫ってくる。
(なお本作の原題は「DEATH OF A CITIZEN」。これは作中で、現実に死を遂げる表向きは一般市民だった某スパイキャラのことをさすと思うが、同時に、15年間の平穏な市民生活を奪われて闇の世界に戻るヘルムの立場をも表意。そういうダブルミーニングであろう。)
 うん、確かにこれは小鷹信光たちその筋の人間が揃って惹かれた訳だ。米国流ペーパーバック・ノワールのある種の風格が、スパイ・スリラーのなかに見事に融和している。
(ちなみに、この数年後に書かれたジョン・ガードナーの『リキデイター』って、本作のパロディの側面もあったんじゃないか、と思うよ。物語の設定的な文芸がほぼ同じなので。) 

 しかし物語そのものも途中から加速度的に歯ごたえを増していくが、特に最後の2章分には軽く魂が痺れた。
 いやストーリーそのものは決して練り上げられたものでも精緻な仕掛けを持つものでもないんだけれど、実に職人作家らしい凄みがある。

 以下、自分でも妙な物言いだと思うけれど、あのハドリイ・チェイスが米国本家のハードボイルドとノワールを睨みながら英国でああいう萌芽をしていったというのなら、このハミルトンのマット・ヘルムシリーズの方は、英国のボンドブームやその基盤となるバカンなどのスパイ・スリラーをチラ見しながら、アメリカでこういうものを書きました、という感じか。これはそういった感覚の差分のなかで登場してきた作品&シリーズだと、私見する。
(とはいえ、まだシリーズの一冊目なので、即断は早すぎる・汗。)

 このシリーズもちびちび読んでいくのが、楽しみではある。
 そのうちどっかのタイミングで、マンネリやパターンに流れた作りになっていくかもしれないけれど、それはそれでまた賞味要素になるだろう。

【追記】
・これだけインプレッシブな内容ながら、評点は気がついたら6点をつけていた。面白い、手応えがあると感じながら、どっかにまだプロットの骨組みだけが見えるような荒々しさを感じたからか(その辺もまた、この作品の味だとも思うのだが)。
 あと後半のある場面というか展開は、部分的に非常に(中略)。そしてそれはその分、最後の主人公の行動の肯定に繋がる。やっちゃえ、やっちゃえ、マット・ヘルム。

・この邦訳シリーズの総称を「~部隊」で括ったのは、映画との連動を考えた商売的な戦略だったとは思う。その功罪は相半ばじゃないか、と見るのだが、漢字熟語2文字が毎巻のキーワードになるという縛りの趣向は、これから面白い効果になる……かもしれない?
 少なくとも今回の「誘拐」の意味は、後半になって「あ、そっちかい!?」であった。

・最後に大事なこと。本シリーズはスパイ小説ブームのなかで、すでに本国では冊数がたまっていた巻数を早めに翻訳刊行していく流れにあり、当然、翻訳者も分担。そこで文庫版巻末の訳者(田中小実昌の)あとがきによると、当初、主人公の一人称を「おれ」にするか「私」にするか翻訳者同士の協議があったという。フェアのラムシリーズなどの一人称がバラバラなことなどを踏まえての協議と思うが、これは早川の翻訳ミステリ史において、かなり興味深い証言だ。
 それで本作『誘拐部隊』翻訳担当の田中小実昌は、ほかの面々が「私」押しなのに対して、ただひとり「おれ」を主張。結果、この本では地の文に一度も一人称(おれも私も)を使わずに済ませるという実験小説的な翻訳を実行している。
 正直、読み手としては違和感を抱かないでもなかったが、まあ、小説作法のひとつのトライとしては面白い? かもしれない(とはいえたぶん類似の前例は、どっかの創作物にあるのだろうけれど)。

No.1 5点 mini 2016/04/16 10:00
* 私的読書テーマ”生誕100周年作家を漁る”、第3弾はドナルド・ハミルトンだ

60年代はスパイ小説の時代である、60年代は他の全てのジャンルが停滞していた
本格派しか読まない読者だと、60年代は本格派不毛の時代だったとすぐに嘆くが、違うよ、そうじゃないんだな
本格派”だけ”が不毛だったのではなくて、スパイ小説以外のどのジャンルも不毛だった、例えばハードボイルド派もただ1人ロスマクだけが気を吐いていただけで、60年代が最盛期だった大物ハードボイルド作家ってロスマク以外に誰か居る?答えられるなら誰か答えてみてよ
ハードボイルド派が劇的な復活を果たすのは70年代のネオ・ハードボイルドの登場以降である
要するに60年代ってスパイ小説だけの1人勝ちだった時代なのだ

じゃぁ何故60年代がスパイ小説ブームだったのか?そりゃもちろん55年体制以降の東西冷戦時代の影響だろう、そしてイアン・フレミングの007シリーズの流行である
007以前からエリック・アンブラーも活躍してはいたが、やはり地味な作風のアンブラーではブームの火付け役にはならなかった
大抵がこうしたブームが起きると模倣者が現れるのが世の常である
伝統の英国では後継者ではあっても作風的に全く模倣者とは言えないジョン・ル・カレやレン・デイトンなどが登場して、007とは違うリアリズム・スパイ小説という分野を開拓するが、アメリカでは事情が違った
英国のような伝統に乏しいアメリカでは、単に流行だけを追いかけたようないかにもアメリカらしいB級スパイ小説が次から次へと登場する
ドナルド・ハミルトンの『部隊シリーズ』、E・S・アーロンズの『秘密指令シリーズ』、リチャード・テルフェアの『作戦シリーズ』などである
尚リチャード・テルフェアの本名は、後に「摩天楼の身代金」を書いたリチャード・ジェサップである
これらは通俗ハードボイルドみたいなユーモア調のおちゃらけた内容では決してなくて結構硬派だったみたいだが、やはりどこかアメリカナイズと言うか、そこはかとなくB級感が漂っているらしい
中でも後年までシリーズが続き人気を博したのが、ドナルド・ハミルトンの部隊シリーズ、別名マット・ヘルムシリーズである
シリーズとは言っても原題に部隊の意味は無く、おそらく早川が勝手に付けたものだろう

シリーズ第1作「誘拐部隊」は、完全にシリーズ化を計算して書かれたフシが有り、大戦中のスパイ工作員から引退して一般の市民生活に順応していたマット・ヘルムが何故再びスパイ要員として要請を受ける事になったのかという事情に内容の半分以上が費やされている
だからこの第1作では本題の話はかなりシンプルで、スパイ小説らしい捻りはあるものの、マット・ヘルムとはいかなる人物かの方が主題となっている
したがって「誘拐部隊」だけを読んでシリーズ全体を類推するのは誤りと思われ、他のシリーズ作も読んでみる必要が有りそうだ
内容的には先にも述べたようにかなり硬派ですよ、いや007よりも硬派なくらいで決してユーモア調ではない
ただたしかに真面目に書かれているのだが、ル・カレなど英国流の格調の高さとは比較にならない、硬派なのにどことなく通俗的で完全に庶民の為の読み物である
しかしまぁこれがアメリカ流なのでしょう、そう思って割り切って読むべきシリーズである


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ドナルド・ハミルトン
1981年08月
殺人部隊
平均:6.00 / 書評数:1
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1964年01月
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