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[ SF/ファンタジー ]
日本沈没
小松左京 出版月: 1973年01月 平均: 9.00点 書評数: 1件

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光文社
1973年01月

光文社
1975年01月

光文社
1995年04月

双葉社
1996年11月

小学館
2005年12月

城西国際大学出版会
2011年02月

KADOKAWA
2020年04月

No.1 9点 人並由真 2023/10/19 04:46
(ネタバレなし)
 その年の夏。海洋事業関連企業「海底開発KK」に所属する潜水艇の操縦士で30歳の小野寺俊夫は、知己であるM大学の幸長助教授の恩師、田所雄介博士の依頼で、小笠原諸島北方の海域に調査に向かう。田所の専攻は地球物理学で、彼は同海域で短期間のうちに島が沈んだ怪事件を気に留めていた。やがて海底開発KKの誇る深海一万メートルまで潜行可能な高性能潜水艇「わだつみ」の中で田所と小野寺が見たものは、日本海溝の異常現象「乱泥流」。当初はまだ誰も確信に至っていないが、実はそれこそは、日本列島崩壊の序曲であった。一方、小野寺は上司・吉村の引き合わせで、名家の令嬢ながら自由奔放な美女・阿部玲子と見合いし、お互いを強く意識するが。

 今年の半ばまででの各社の各種の書籍版の総計を試算すると、すでに通算490万部(!)売れた小説だそうで(これから数年内には500万部いくか?)、図書館を利用したり当方みたいに古書で接した者まで勘案すれば、天文角的な数の読者に読まれた作品であろう。たぶん間違いなく、日本で最も多くの人々に幅広く浸透した長編SFなのだろうと推する。正に国民的作品。

 評者の場合、新旧の映画も二本のテレビシリーズも先に観た身であり、刊行後半世紀してからようやく初めて読んだ原作小説である。
 で、世代人としてはもちろん、元版のカッパノベルス版をネットで古書で入手して読んだ。その初版が昭和48年の3月20日。そして自分が今回手にしたのが、同年10月20日発行の……さんびゃくにばん!(302版!!)。いったい当時のわずか七カ月の間に、何十回・何十か所の印刷所と制本屋が、稼働したのであろう(大汗)。

 で、初読の小説版の感慨だが、とにかく情報量が多い。
 評者の場合、小松左京の長編は『日本アパッチ族』に続いて本作が二度目なので、長編作家としての作家性に関しては、ほとんど何も知らないようなものだが、いずれにしろ、この本作の中では、地球物理学、国家論に人種論、文明論、政治力学、グローバルな世界経済に宗教論、都市文化論……とにかく隙があらば、物語の流れに枝葉的に関連していく事項をすべてあまねく語り尽くそうという勢いで、あまりにも重厚な小説世界が紡がれていく。

 もちろん当時、各分野に子細なリサーチを行なったとはいえ、半世紀前の自然科学の見識で文明観であり、なかには「大事がなければ21世紀の日本は世界トップの経済大国となっているはずだ」などという、現実を鑑みれば苦笑ものの未来展望などもあるが、作中での主張のうちの相応のものが、時代を超えた普遍性を伴って読み手の胸に突き刺さる。

 改めて『日本沈没』という一大フィクションタイトルに関しては、映像作品だけ観て分かった気になっていたら、とんでもない勘違いだろうね(まあ、そんなのは『日本沈没』に限った話ではないし、一方で実は自分なんかは、新旧の映画も、同じく新旧のテレビシリーズも、別種の距離感と賞味の仕方でそれぞれにスキではあるのだが、)

 原作小説をしっかり読むと、旧作映画ではD1計画のなかで大きな役割を負いながら、時間の尺の事情からか人物像はさほど書き込まれなかった幸長助教授など、小説では小野寺との距離感や私生活の点描などもふくめてあざやかな存在感を見せる。
 さらにもうひとりD1の重要人物で、こちらは旧作映画では登場もしなかった(幸長にキャラクターを統合されたともいえる)天才数学者で情報工学の中田一成など、最大級の逆境のなかで自分の激情を押さえるその冷徹さを「あれならハードボイルド派の私立探偵だって開業できそうだ」と傍から評される。うん、実にカッコイイ。まさか『日本沈没』の中でこんな私立探偵小説好きのミステリファンが喜ぶレトリックが読めるとは思えなかった(笑)。
(なおミステリ的な側面としての本作は、物語の裏テーマの部分で、某主要人物の行動の真意が意外性として描かれる、ホワイダニット? めいた要素もあることだけ、ここでは最低限語っておく。)

 小野寺、玲子、田所博士、渡老人など、映像化作品の方で高名かつ人気のメインキャラクターたちも、それぞれ原作小説のなかでこそ見出せる叙述が豊富。
 特に物語の全編を通じ、D計画の周辺でほぼずっと活躍し続けた、特殊な立場の民間人青年=小野寺俊夫の軌跡は、確実にこの大作のひとつの軸となっている。
 中盤、多忙なD計画のさなか、小野寺が自宅のマンションに戻ると無法なヤク中の若者どもに自室を占拠されており、小野寺は一同を表に叩き出すのだが、最後になんとなくただひとり残ったわびしそうなたたずまいの娘にただの一言も具体的な事は告げずに「これで今のうちに平和な日本での楽しい思い出をつくっておけ」と心の中で叫びながら、当惑する相手にいくばくの金を渡す。そんな切ない描写が、すでにそこまでのヘビーな展開でかなりのサン値を奪われて疲弊しきっていたこちとら読み手の胸に、いっきに染みこむ。ずるいよ、小松センセ。こんなの、泣かないわけにいかないじゃないか。

 D計画が深部まで進み、小野寺が現場を去る時の描写、そして終盤のクライシスのなかでの各地での獅子奮迅の奮闘をふくめて、本作が500万部のベストセラーになった大きな要因のひとつは、小野寺という主人公の、そして何人かの彼の精神的分身的なキャラクターたち(国難の中での人間ドラマの群像劇)の描き込みだろう。それは間違いない。

 まとめるなら最大級のクライシスを主題に、大小の熱いドラマとクールでドライな無数の視線を織り交ぜた名作。
 当時のミステリマガジンでの国内新刊評「これは途方もない小説である」という一言は、改めて半世紀経って真実だったと実感する。
 細かい違和感(決して不満ではないが)を言うなら、クライシスに際してパニックに至り大小の犯罪を犯す者、自殺する者、そして……など、当然のごとく全国に星の数だけ発生しそうな日本人たちのアンダーな描写がほとんどないこと(後半、ほんの少しだけ言及されるが)。
 この辺はもう少し掘り下げてもよかった気もしないでもないが、一方でその種の描写を割愛した分、作品全編にある種の品格をもたらしている気配もなくはない。

 しみじみと幕引きになるクロージングの最後の2ページには、軽いフィニッシングストローク的な趣もあり、実は中学時代に、先にこのラストだけつまみ食いで読んでしまった評者は、その後、半世紀、心の奥底にごく軽いトラウマを秘め続けることになったのであった(……)。

 まあ、日本人なら、一生のうちに一回くらいは読んでおいて良い作品だとは思う。


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