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[ ホラー ]
オトラント城綺譚
別題『おとらんと城綺譚』『オトラントの城』ほか
ホレス・ウォルポール 出版月: 1972年01月 平均: 6.00点 書評数: 2件

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思潮社
1972年01月

牧神社出版
1975年03月

講談社
1978年02月

国書刊行会
1983年09月

研究社
2012年02月

No.2 6点 おっさん 2019/12/03 12:33
 マンフレッドの目をまず第一に射たものは、なんだか黒い鳥毛のように見えるものを、下人(げにん)どもの群れがエイヤエイヤと懸命になって持ち上げている姿であった。目をこらしてよく見たものの、自分の目が信じられなかったので、マンフレッドは怒気をふくんでどなりつけた。「ヤイヤイ、きさまら、何をしてさらす! 和子(わこ)はどこにおるのじゃ?」 / すると、異口(いく)同音の声がいっせいに答えた。「おお上(うえ)様! 若君様は! 若君様は! このお兜が! お兜が!」/ 涙まじりのその声に、あるじはギックリ。なんのことやらわからぬまま、こわごわ前にすすみ出てみると、こはそもいかに、わが子はグッシャリ、木っ葉みじん。さながら尋常の人間のためにつくられた兜の百層倍もあるような大兜の下にうち敷かれて、その上を、大兜にふさわしい山のごとき黒い大きい鳥毛が、くろぐろと蔽っていたのである。(平井呈一訳『オトラント城奇譚』第一套より)
 ――むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす (゜o゜)


古典的な作品の翻訳を「新訳」に移し変える風潮が強まるなか、逆に往年の「名訳」を復刊する試みも目につくようになり、たとえば、さきごろ創元推理文庫からは、藤原編集室の企画で『幽霊島 平井呈一怪談翻訳集成』が刊行されました。
平井翁の怪奇小説方面での業績に関しては、他言を要さないでしょうが、狭義のミステリの翻訳に限っても、カー(ディクスン)の『黒死荘殺人事件』やクイーンの『Yの悲劇』あたりの個性的な訳業は異彩を放っています。
ただ個人的には、文章表現の凝りっぷりが、ときに演出過剰に感じられ、敬して遠ざけるようなところのある訳者でした。
思えば学生時代、元祖ゴシック・ロマンスの誉れ高いホレス・ウォルポールの『オトラント城奇譚』(1764)を、氏の訳文で読もうとして(恐ろしいことに、擬古文で訳してみせた思潮社版『おとらんと城奇譚』というヴァージョンも存在するようですが、筆者が齧ろうとしたのは、もちろん現代語訳のほう、であるにもかかわらず……)大仰なノリについていけず挫折したのが、トラウマになったのかもしれません。
しかし、前掲の『幽霊島』のページをペラペラめくり、付録の、生田耕作とのゴシック小説対談の気炎――「オトラント」を巡る部分だけでも相当に熱い――に当てられているうちに、平井訳の「オトラント」は、やはり一度、ちゃんと読んでおくべきだな、という気にさせられました。筆者は基本的に、古典の読みなおしは新訳に依るようにしているのですが、そういうわけで、今回は例外となります。
幸い本サイトには、最新訳の研究社版(千葉康樹訳)を読まれた人並由真さんの、まことに行き届いた書評が投稿されていますから、万一、未読の向きがあれば、合わせてそちらも是非、ご高覧いただきたいと思います。

さて。
覚悟していたとは言え、読みやすくはありません。1764年という原作の発表年は、我国では明和1年、江戸時代の後期(ちなみに上田秋成の『雨月物語』が本になったのが、1776年の安永5年)のことですし、しかも舞台が中世ということで、作者のウォルポール(初版は匿名出版)が古語を駆使した怪奇時代小説(初版は実話めかした序文を付した“偽書”)を、凝り性の平井翁が腕によりをかけて訳しているわけですから、灰汁(あく)の強さは半端じゃなく、さながら読む歌舞伎か人形浄瑠璃といった趣。
単純に、エンタテインメントとしての怖い小説を期待していた、学生時代の筆者が、???となったのも、やむなしですが、さすがに今回は、覚悟ができていたので、ウォルポールの原作をもとにした再現芸術として、平井演出を受けとめることができました。いまさらながら、語彙の豊かさは凄い。そして、その豊富な語彙を武器にして、原作を日本語で語りなおしていく。平井呈一以外には、誰も平井呈一のように訳さない。訳せない。好き嫌いは別にして、これはやはり偉業と言っていいでしょう。
ただ、ひとつ、どうしても気になる“意訳”箇所があるのですが、それについては、あとで触れることにします。

肝心のお話は――
天から降ってきたとしか思えない、巨大な兜が人を押しつぶす、冒頭のシュールな(ギャグと紙一重な)シーンに象徴される、“巨人幻想”のユニークネス(日本の本格ミステリ・ファンなら、その“奇想”が島田荘司ばりに合理化されることを期待してしまうかもしれませんが、これはガチの超常現象なので悪しからず)を除けば、怪奇小説としてはとうに賞味期限を切れています。
自宅をゴシック様式に改築するほど、中世を愛したオタク貴族ウォルポールが、ある晩に見た夢(「(……)夢の中でわたしは古城の中におり、大階段のてっぺんの柱から甲冑の中に巨大な手がのぞいているのを見たように思います」作者の書簡より)からインスピレーションを受け、憑かれたように書きあげた、できそこないのシェイクスピアのような(実際、作者の真意はシェイクスピア史劇をもじったノンセンスな茶番劇を書くことだったのでは、という解釈もあるようです)、短めの長編。しかしそれが、当時のイギリスの、リアリズム路線の長大な小説に飽きていた読者に受けたと。
そして、刺激された後続の作家たちによって“ゴシック・ロマンス“として確立されることになる、ジャンル小説の基本フォーマット(中世、異国、城、超自然、悪漢、迫害される乙女etc.)がここに用意されたと。
そして近代に入り――いったんは廃れたそのゴシック・ロマンスのアメリカン・ルネッサンスとして、かのエドガー・アラン・ポーが登場してくると。
歴史的価値で評価するなら、「オトラント」は満点ですよ。
ただまあ、いま読んで面白いかとなると、ちょっとキビシイ。
ましてや「ホラー」を期待するとね。
前述の“巨人幻想”と、オトラント城主マンフレッドの、不思議な魅力――後続の多くのゴシック・ロマンスにおける、ヒロインを迫害する“悪漢”のモデルになった存在でしょうが、でも「オトラント」における彼は、じつは悲劇の主人公なのです――を勘案して、6点としましたが……「新訳」で読むと、また変わってくるかもしれません。

最後にまた、翻訳の話。
作中、オトラントの城には、代々ある予言が伝えられています。
平井訳では、こう。「オトラントの城およびその主権は、まことの城主成人して入城の時節到来しなば、当主一門よりこれを返上すべし」。でもこれって、ネタバラシじゃね(笑)。
そして、“巨人幻想”の暗示がまったく消されてしまっています。
原文はこう。

 The castle and lordship of Otranto“should pass from the present family, whenever the real owner should be grown too large to inhabit it.”

最新の研究社版、千葉訳をネットでチラ見してみると、ここは、こう。「真の城主、容(い)れ能わざるほど巨大になりしとき、偽りの城主とその同胞(はらから)オトラントの城を去らん」。
うん、謎の予言っぽい。でも present family を「偽りの城主とその同胞」って、ネタバラシじゃね(笑)。
まこと翻訳は難しい、というお話でした。

No.1 6点 人並由真 2019/08/23 00:22
(ネタバレなし)
 11~13世紀の欧州(たぶんイタリア)。地方領主で古城オトラント城の城主であるマンフレッドは、15歳の息子コンラッドを溺愛。その一方で、彼の心優しき妻ヒッポリタと美しい18歳の長女マチルダ姫への愛情は薄かった。マンフレッドは妻の反対も聞かず、病弱のコンラッドを、貴族フレデリック公爵の娘イザベルとまだ子供の内に結婚させようとする。だがその挙式の日、コンラッドは、どこかからか出現した巨大な甲冑の頭部の部分に圧殺されて惨死した。狂乱したマンフレッドは、事態に私見を述べた土地の青年セオドアに難癖をつけて八つ当たりのように拘禁。かたや長年連れ添った良妻ヒッポリタとの婚姻は実は無効だったと言いだし、自分が、頓死した息子の代わりにイザベルを花嫁に迎えると言い出す! そんな中、城内には幽霊、そして巨人の影と、妖しい怪異が生じ始めていた。

 1764年の英国作品。奇妙な味の名作短編『銀の仮面』の作者ヒュー・ウォルポールのご先祖にあたるホレス(ホーレス)・ウォルポール(1717~1797年)が、実際には存在しない中世の小説を発掘したようなスタイルで著した長編。なおオトラント城のモデルは、ホレス・ウォルポール本人(実家は貴族で当人は国会議員でもあった)が、その生涯をかけて増築を繰り返した英国建築史に残る大邸宅「ストロベリー・ヒル」だそうである。
 広義のミステリとはいえるゴシックロマンの系譜ながら、当然、ポーの『モルグ街の殺人』(1841年)で近代推理小説が誕生するはるか以前の作品であり、冒頭にかなり刺激的な殺人劇が起きるものの、推理や捜査の要素はまったくといっていいほど見られない。それどころか……(中略)。
 とはいえ、本作が本当の意味で先史ゴシックロマンの元祖的な作品ではないにせよ、18世紀半ばの英国読書界に相応の反響を巻き起こし、ミステリ分野が確立したのちまで含めて、後年の多くの作品に影響を与えた名作というのは間違いないところのようである。
 評者は大昔に、ミステリマガジンのたしか70年代初頭の頃の、夏期の「幻想と怪奇」特集号、そのバックナンバーを古書店か早川からの通販で入手。その誌面に掲載されていた当時の時点までのオールタイム「幻想と怪奇」小説ベストリストみたいなもので、初めて本作の名前に触れた。初見の印象は、えらく響きのいいタイトルだな、というものである。勝手な観測かもしれないが、作品そのものは未読でもこの題名にある種の心地よさを覚えて意識しているミステリファン、怪奇小説ファンはそれなりにいるのではないか。

 その後、講談社文庫版の実作などを手にすることもあったが、その際には狭義のミステリではない怪奇小説に分類されるものとしてスルー。
 それから興味が広がってモダンホラーも推理要素のゆるやかなゴシックロマンも積極的に楽しむようになってから、いつか改めてきちんと読みたいと思っていたが、このたびようやっとその思いを果たした。

 邦訳は、複数ある翻訳のうち一番新しい2012年の研究社版で読んだので、物語は大きなストレスもなくごく潤滑に追えた。
 ドラマを動かす主要登場人物は何人もいるが、一番のキーパーソンといえるのはやはり城主のマンフレッドであり、周囲の人間に迷惑をかけまくるものの決して極悪人ではなく、その辺のさじ加減を心得たキャラクター造形もなかなか良い味を出している。
 聖母的な良妻ヒッポリタとその実の娘マチルダ、さらにはマチルダの友人でもあるイザベルたち女性陣がそれぞれ連携めいた動きを見せるのも妙に面白かった。全体的にストーリーテリングとしては好テンポで悪くない仕上がりである。

 一方でホラーというかスーパーナチュラル要素の導入は相当に大雑把というか大味で、最後は混迷した事態を強引に決着をつけるために、かなり……(中略)。
 それと主舞台となるオトラント城も、物語のロケーションとしてそれほど活用されているようにも思えない。

 研究社版の詳細な解説を読むと、かのラヴクラフトなどは本作をかなり低めに評価していたようで、まあその言い分もわからないでもない(具体的にどこをどう言ってるかは、できればこの作品本編と、その研究社版の解説の実物を確認してください)。

 ただし個人的には、最後の「ああ、そっちの方向に……」という感じの小説的なまとめ方には結構、好印象を抱いた。切ないけれどそれでも前を向かなければならないある登場人物の思いに時代を超えた普遍性を認め、そこから生じるなんとも言えない余韻を感じる。

 近代のゴシックロマンに至るまでにはまだまだ長い道のりを控えた原石という感じの古典ではあるけれど、一度くらいは読んでおいてもいいでしょう。


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ホレス・ウォルポール
1972年01月
オトラント城綺譚
平均:6.00 / 書評数:2