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ミステリの祭典

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R・チャンドラーの 『長いお別れ』 をいかに楽しむか
山本光伸

作家 評論・エッセイ
出版日2013年12月
平均点6.00点
書評数1人

No.1 6点 弾十六
(2020/05/02 04:06登録)
2013年出版。清水俊二先生は名訳者、という印象をずっと持っていました。でも、本書を読んでみると、ところどころでかなり意訳してます。これならこなれた日本語になりますね。全体的には、概ね原文に即しているようだが、文章によってはかなりばっさり削って訳している。現代なら手抜きと言われかねないレベル。
村上訳は、たいてい原文の意味を正確に把握(柴田先生のおかげ?)してるけど、いつもの締まりのない日本語。まあそこは好き嫌いなのでしょう。(私は大嫌い。←公言する必要無いでしょ?) 時々、誤魔化しも暴露されています。(柴田先生に聞いてないところなのかな?)
英語翻訳のお勉強になる本。でも文章を周りから切り離して取り出してるので、全体の流れを無視してしまいがち。時々、原文で前後を確認した方が良いと思います。正確な文章の把握には大きなコンテキストも必要ですから…
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実例を最初の方から2例ほど。(ページは原書のもの。以下山本解説は一部要約してます。)
【Chandler】第1章p5 へたばったテリー・レノックスを見おろして金持ちの若い女が言うセリフ。
“Perhaps you can find a home for him. He’s housebroken — more or less.”
【清水訳】
◆「家を見つけてやってちょうだい。家もないのとおんなじなんだから」
【村上訳】
◆「おうちを見つけてあげてちょうだい。トイレのしつけはできているから--おおむね」
【山本解説と訳】
housebrokenは大小便のしつけが出来てるの意。more or lessは「まあまあ」くらい。山本訳の提示はなし。
【弾十六のイチャモンと試訳】
女はテリーのことを前段で「迷子の犬みたい」と言っている。なので犬の家捜しっぽく訳すのもありだと思う。文学者さんはこの女が「トイレ」なんて口にするタイプだと思ってるのかな?
◉「飼い主を見つけてあげて。最低限のしつけは出来てる—はず」
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【Chandler】第5章p28 テリーのポケットから自動拳銃を取り出して調べるマーロウ。
I sprang magazine loose. It was full. Nothing in the breach.
【清水訳】
◆弾倉をしらべた。弾丸は一発も撃たれていなかった。
【村上訳】
◆マガジンもはじき出してみた。弾丸はフルに装填されている。乱れひとつない。
【山本解説と訳】
breachの部分は辞書を引いても不明。ブリーチ(breech, 薬室)にはマガジンから送り出された次の弾丸が入る。空なのだから発射された形跡がないという意味だろう。
◆マガジンを抜き出してみた。フル装填されている。薬室にも弾は入っていない。
【弾十六のイチャモンと試訳】
breach(破ること、など)はbreechの誤記?誤植?村上訳はbreachとして、山本訳はbreechとして解釈。私もbreechの誤記か誤植だと思う。
拳銃の薬室(弾丸が収まるところ)はchamberと言う。breechの銃世界での正確な意味は「銃の後ろ側の開口部で弾丸などを込めるところ、大砲の場合なら銃尾の閉鎖機構」反対語はmuzzle。オートマティック拳銃の場合、後ろの開口部はスライドに空いた排莢口から見える薬室後部なので、薬室とほぼ同意。(リボルバーならbreech=シリンダの後ろ側)
原文で描かれてるのは初見の自動拳銃を扱う際の基本中の基本を省略して描いたものだろう。まず銃口を安全な方に向け、マガジンを抜き、スライドを引いて薬室に何もないことを確認する。これでその拳銃は確実に無害であるとわかる。拳銃を扱い慣れてる者ならほぼ自動的にやる動作。
つまり、拳銃の安全確保を行った、というのがこの文章の主たる意味。もちろん、ついでに発射の有無も確認している。(厳密に言えばマガジンと薬室の状態だけを根拠にして、発射の有無はわからない。発射した後で弾を補充する細工は簡単だ。まー上述の状態を見たら、この拳銃は使われてないな、と普通思うが。)
なので意訳せず、愚直に訳せば(上述の意味を理解してる)分かる人には分かる翻訳になり、それで充分な気がする。sprang... looseはマガジンの解除機構を押したら、マガジンがビヨーンととび出した感じの表現。
◉マガジンを解除してはじきだした。全弾装填してある。薬室は空だ。
原文では、この文の直前に拳銃の種類が書いてある。It was a Mauser 7.65, a beauty. I sniffed it. マウザー(モーゼル)の7.65ミリ(=.32口径)、候補はM1914かHSc。どっちも私にはbeautyだが、時代的にシンプルでモダンなHSc(1937)かな。次の文の訳は【清水】私は銃口を嗅いでみた。【村上】匂いをかいでみた。【山本】私はにおいを嗅ぎ…
安全動作を考えると清水訳は不適当。そんなことしてたらいつか怪我するよ。まず拳銃を無害化してから銃身や銃口を確認しましょう!多分、マーロウは顔の近くに銃口を持ってきたくなかったので、大袈裟に鼻を吸って(sniffed)硝煙の匂いがするか確かめたのだろう。
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著者は「文法に拘る方で翻訳家として一本立ちした人を見たことがない。… 文芸作品の文章をすべからく文法で、つまり理詰めで理解しようと…[いうのが]…理解出来ないのだ」(p174) あんまり文法に頼るな、と主張してるのだが、文法苦手なのかな?まずは正確な文章の把握が大切で、ちゃんとした文法は非常に重要な手がかり(良い友達)だと思うのだが… (もちろん私は非常に文法苦手です)
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類書で『3冊の「ロング・グッドバイ」を読む―レイモンド・チャンドラー、清水俊二、村上春樹―』(2010)という本があり、こっちには銃の話が出てくるらしい。翻訳家では無い素人の感想文(←あんたと同じだよな?)という評がアマゾンにあったが、銃のネタがどう書かれてるのか気になる。

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