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ミステリの祭典

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ハード・ラック・ウーマン

作家 栗本薫
出版日1987年05月
平均点5.00点
書評数1人

No.1 5点 おっさん
(2012/07/09 10:28登録)
オレの名はシン、三十三になって定職にもつかず、年下の仲間とロック・バンドをやってる。
そんなオレたちのバンドの追っかけだった、家出娘のライが殺された。犯され、メッタ刺しにされて工事現場に転がった彼女。誰も、本名すら知らなかった女。
警察は、バンド・メンバーを疑ってやがる。
なぜオレは、死んでから、こうも彼女のことが気になるんだ。知れば知るほど、オレと似た匂いのする女――ハード・ラック・ウーマン・・・

読み残しの栗本薫作品から、昭和六十二年(1987)の単発長編――「ぼくら」シリーズの脇を固める、長髪のギタリスト・石森信のスピンアウト作品――を手にとり、既視感にアレレ、と思いました。
こりゃー、あれだ、中編「ライク・ア・ローリングストーン」(以下「ライク」)の長編化だ。
「ライク」には、通称ネコというバンド少女が登場して主人公を翻弄するのですが、それを殺人の被害者にすることで、全体を探偵小説ふうに構成しなおしたのが本書。
「ライク」を表題作にした中編集は、この前年(昭和六十一年)に文庫化されていますから、その際に自作を読み返した著者が、あ、これ長編でいけるな~、彼女のキャラを謎にして、探偵役が調べていくことで次第にそれが明らかになる形なら・・・バンドマンの主人公ならシンが使えるか・・・三部作ラストの『ぼくらの世界』もそろそろ文庫になるから、番外編を出すタイミングも悪くないだろうし・・・と思ったかどうか。
筆者が読んだ講談社文庫版には、「あとがき」がありませんし(断わり書きは必要でしょ、栗本センセ)、解説(ミュージシャンの難波弘之氏。同時代の、作者の友人の証言として興味深い)もその意味では役に立ちませんが、上記の推測は、当たらずといえども遠からずでしょう。

それにしても。
一般社会のルールから外れたダメ人間であっても、好きなことにしゃにむになって、いまその瞬間を完全燃焼しようとするキャラを立てさせると、栗本薫の独壇場ですわ。シンにしてもライにしても、なんでこんな連中のベタなドラマに感情移入させられてしまうのか。
チンケな客観を吹き飛ばす、強烈な主観のマジック。これはもう、文章力のなせるわざとしか云いようがありません(それはまた、文章の劣化が、たちまちドラマの説得力の低下につながる危険をはらむわけですが・・・)。

被害者の人間性を理解する旅路が、そのまま主人公の自己再発見につながるプロセスは見事で、旭川(ライの生まれ故郷)の夜の町での石森信の心の叫びは、ROCK小説としての本書の、見事なクライマックスになっています。
その旅路の果てが、犯人探しのゴールになり、同時に犯人の人間性の理解にまでつながれば、これはもう、それこそシムノンのメグレ警視シリーズやルース・レンデルのウェクスフォード警部シリーズのセンにつらなる、立派な現代ミステリになったのでしょうが・・・

そうはならなかったw
ミステリ・プロパーの読者ほど、この結末に腹を立てるだろうなあ。確かに現実の殺人事件なんて、そんなものかもしれない。リアルっちゃあリアル。でもね、探偵小説としては、それはただの逃げですよ、栗本センセ。
それに、“あの”シチュエーションだと、ただそれだけで犯人を理解した気になるシンが、急に上から目線の決めつけ野郎になってしまう。もし、作り物のミステリに対するリアルで押し切る(開き直る)つもりなら、犯人はもっと普通――「なぜあんな奴が? わからない・・・」――)でよかった。

採点は難しいですね。
ミュージシャン小説としてなら、満点。純粋にミステリとしてなら、零点近いw ただ、パズラーを意図したものでないことは自明で、微妙な狙いが空回ったと、好意的に見られないこともない。
苦肉の策で、あいだをとっての5点認定としました。

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