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ミステリの祭典

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死はやさしく奪う

作家 栗本薫
出版日1986年01月
平均点5.00点
書評数1人

No.1 5点 おっさん
(2011/11/01 00:13登録)
『行き止まりの挽歌』と『キャバレー』の作中キャラがゲスト出演する本作は、昭和61年(1986)初頭に角川文庫で書き下ろされ(この年、角川春樹事務所創立10周年記念作品として『キャバレー』が映画化されることになっており、それに合わせた戦略だったはず)、のちにカドカワ・ノベルズにも編入されました。
今回、埃を払って一読したのはオリジナルの文庫版で、じつに25年におよぶ“積ん読”本の消化です。
タイトルは、作中で効果的に使われている、夭逝したジャズ・シンガー、セアラ・プレストンの The death takes love off so softly から採られていますが――ちょっと調べたかぎりでは、その歌手も曲名も発見できず、それ自体、作者の創作のように思われます(情報をお持ちのかたがいらっしゃれば、掲示板でご教示いただければ幸いです)。

気鋭のサックス奏者・金井恭平の仕事場へ、刑事がやって来る。友人の新藤浩二・麗子夫妻が不可解な失踪をとげたのだという。何の心当たりも無い金井だったが・・・帰宅したマンションで何者かに殴り倒される。
電話のベルで目覚めると、
「恭平――あのひとを、とめて・・・」
切迫した一言で切れた、その電話の主は、麗子だった。十五年間、手ひとつ握ることなく恋し続けてきた女の声を、聞き間違えるわけもない。
やがて彼にもたらされたのは、夜明けの自動車道で中央分離帯に乗り上げ、大破、炎上したポルシェの車中から、新藤夫妻の黒こげの死体が見つかったという知らせだった。暴力団がらみのトラブルに巻き込まれていたらしい二人に、いったい何が起きたのか? 
真相を突き止めてやる――決意して動き出した恭平の前に、新たな死者が・・・

いや~、困った。
いや面白いんですよ、この小説は。情に訴える力と読ませるテクニックは、半端じゃない。レイモンド・チャンドラーとミッキー・スピレインが交錯したような終盤の演出は、『行き止まりの挽歌』『キャバレー』と続いて来た、栗本流ハードボイルド路線の到達点といっていいでしょう。くわえてその三作の中では、もっともストレートに“ミステリ”している。
が。おいッ!
栗本薫は、江戸川乱歩賞作家でありますよ。にして、この支離滅裂な謎解きは何だぁ!

犯人は、主人公に事件に関与されたらマズかった、と。じゃ、なんでわざわざ××でちょっかいを掛けたりしたの?
それに本当に邪魔だったのなら、頭を殴った夜に、なぜそのまま彼を殺さなかったの?
鍵のかかっていた金井の部屋に、犯人はどうやって侵入したかがなぜ問題にされないのかな?
あとさあ、どう考えても、かなりのスピードで走っている車から飛び出して、犯人が無事で済むとは思えないんですけど・・・

執筆前にプロットを作らないと公言していた栗本薫は、書きながら考え、小説そのものの勢いにまかせて解決をつける、(E・A・ポオとは対極の)天才肌の作家でした。
その方法論は、鮮やかなシーンの創出に結実するも、構造の美しさや細部の整合性に欠けがちという弱点をともないます。
本当なら、第一稿を書きあげたあとで客観的に見直し、修正すべきところを修正したうえで、決定稿とすべきなのです。
あるいは、デビュー当初はなされていたかもしれない、その作業が、あきらかに軽視され、書きっぱなしになっていく。
面白ければいいじゃん、と開き直って、推敲作業の努力を放棄したことが、この稀代のストーリーテラーの零落の一因か、と、改めてそんなことを感じさせられる作ではありました。

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