獅子の湖 |
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作家 | ハモンド・イネス |
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出版日 | 2002年02月 |
平均点 | 8.00点 |
書評数 | 1人 |
No.1 | 8点 | 人並由真 | |
(2020/07/11 04:47登録) (ネタバレなし) その年の9月の英国。「私」こと、地方で実務中だった23歳のエンジニア、イアン・ファーガスンは、ロンドンの母からの電報で父ジェイムズが危篤と知った。実家に急行するファーガスンだが、すでに父は死亡。ジェイムズは第二次大戦から帰還した傷痍兵で、晩年は不自由な体でハム無線のみを生きがいに日々を過ごしていた。そしてその父の通信記録に、数日前にカナダのラプラドル地方の奥地という辺境からの救助要請の受信があった旨、書かれていたという。だがすでに当局がその発信者を調べたところ、その当人=ラプラドル奥地探検隊の隊長ポール・プリフェは、くだんの交信があったという日より前に、かの探検隊が向かった先の奥地で死亡していることが判明していた。当局が父ジェイムズの記憶の混乱や正気を疑うなか、人生の最後の力をハム無線に傾けた父親を信じたいファーガスンは現地に向かい、半ば成り行きもあって、自らラプラドルの険しい奥地に分け入ることになる。だがそんなファーガスンの行動をなぜか止めようとするのは、他ならぬ彼の母親だった!? ファーガスンは、探検隊の唯一の生還者で、父の通信記録と食い違う証言をしたパイロット、バート・ラロウシュとも対面するが……。 1958年の英国作品。 すでにこの時点で代表作といえる複数の長編を執筆し、押しも押されもせぬイギリス冒険小説界の巨匠になっていたイネスの19番目の長編。 作者自身のあとがきを参照すると、イネス本人の二度にわたるラプラドル探訪(取材旅行)を経て執筆された作品だそうで、大御所の諸作の中でも終盤に主人公を苦しめる自然・辺境の描写はトップクラスに容赦がない。その過酷さというのも、密林や山岳地帯の険しさなど結構、複合的(ロケーションはまったく違うが、マクリーンの優秀作『北極戦線』後半のひたすら主人公を苛む自然描写を思い出した)。 主人公の年齢が23歳とかなり若年なのには軽く驚いたが、たぶんこれは「父親がまちがってないことを証明したい」という原動をコアに突き進む物語を紡ぐため、その若さが必要だったからであろう。 実際、この物語では、決して悪人でない何人かの登場人物が主人公ファーガスンの「亡き父のために尽くしたい」という親思いの心情を認め、理解の一端を示すが、その一方で「もう事態はとにもかくにもすでに決着がついてるんだから、そっとしておいてくれよ」的になだめにかかる。 それでも父がまちがってないことを証明したい、と躍起&頑固になるのは、正に若さのエネルギーありきの行動で、老成や現実的な妥協の意味を知った30代以上の人間には似合わない態度だ。 (そういう意味でも作者は、今回も人物造形がきちんとしている。) ところで作者の著作リストを見て少し驚いたのが、本作の直前の作品があの秀作『メリー・ディア号の遭難』(1956年)だったこと。 物語の舞台は海洋と内陸と異なり、主人公の年齢設定も違うものの、本作と前作では、いくつかの点で共通要素も大きい。 なるべくネタバレにならないように書くなら、一番の共通項は主人公と読者の視点から見て、何やら秘密を抱えているキーパーソンの登場(本作の場合は、ひとりだけ生還した探検隊のラロウシュが該当)。 こういう立場のキャラがわかりやすい悪党で、何やら自分が為した犯罪を隠しているのなら話は早いし、物語の求心力にならない。 だがストーリーを読み進めるうちに、当人は悪人でないものの何か事情があるらしいことが段々と明らかになってきて「じゃあ、一体どんな秘密が……!?」という興味がクライマックスまで持続する。この辺りの作りは『メリー・ディア号』とほぼ同様。 もちろん、それがどんな秘密かはここでは書けないし、『メリー・ディア号』からあるいは本書から先に読んでいても、もう一方の興を削ぐことはない、まったく別の種類の真相なのだが。 ほかにも人物配置の面で『メリー・ディア号』の再生産(というか本当に前作のすぐ後に書かれたリメイク編)的な趣もうかがえたり。 勝手な類推ながら、二作連続で似たような作劇を為したのには、当時のイネスにこういうプロットへのある種の執着があったからだとは思う。そしてそんな一方で、両作品には、楽しみどころを棲み分けた差別化も十二分以上に認められる(本作にのみ用意された作劇上の興味としては、主人公の実家の過去にからむ、ある因縁とか)。 だからどちらか一方を読めばそれで事足りる、などということは決してない。 むしろイネスファンにとっては、この両作品を読み比べる作業は、巨匠の創作の本質を探る上での良いケースワークになるのでは? とも思いを馳せる(そして何よりまず、両編とも、一本の冒険小説として、すごく読み応えがあって面白いんだけどね。) ただし本作『獅子の湖』は、クライマックスの山場のあとに、私的に見て小説作りの上で3つほど、小技的な趣向が設けられており、そのうちのひとつはイネス愛読者なら「ああ、こういうところもイネスっぽいよな」と得心のいくものではある。が、残りのほかの2つの文芸ポイントに関してはちょっと新鮮な感じで、その辺はなかなか興味深かった。 さらにもっともっとイネス作品を読んでいけば、他でも似たようなことをやっている事例が見つかるかもしれないが、現状で記憶するかぎり、この作者としてはちょっと変わった? ことをやっているようにも感じられた。 (まあなんにしろ、その軽いヒネリが小説の厚みを増しているのは間違いないと信じるのだけれど。) というわけで、今回も期待に応えた秀作。 あまり詳しくは言えないし、言ってはいけないんだけれど、自然の果てしない険しさを存分に描きながら、同時に人間の心の不器用さもまた、ある意味で同じくらいに時に一種の険しさを生むよね、と言いたげな文芸もとてもいい。そんな一冊でもある。 あと末筆ながら本作『獅子の湖』は、主人公と父との深い相関、それと対照される母との関係(母親なんか最後までまともな名前すら出てこない)など、やはり父親ばかりに重きを置いたイネス作品『レフカスの原人』との相似もうかがえて興味深い。この辺はさらにもうちょっとイネス作品を読みながら見つめてみよう。 |