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ミステリの祭典

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グルメを料理する十の方法

作家 栗本薫
出版日1986年12月
平均点5.00点
書評数2人

No.2 4点 おっさん
(2011/12/01 16:38登録)
夜な夜な大東京の食の巷を流れ歩く、女ふたり組。私、ことキャリア・ウーマンの鮎川えりか、そして、職業不詳、130キロ以上の巨体に原色のドレスをまとい、リンカーンを乗りまわす、小林アザミ。
「食べる」という一点で結びついたこの親友コンビが、今日も今日とて、イタリア料理店で脅威の食欲を発揮していると――
店内に居合わせた、有名な美食評論家が、食事の途中になぜか席を立ち、調理場へと入っていき・・・そのまま消失。連れの冴えない小男も、即効性の毒をもられ、その場で死亡するという、一大事件が突発する。
成りゆきから謎を追うことになった二人の前に、増え続ける死者。「さいしょが毒殺、次に絞殺、それから刺殺(・・・)さてさて、グルメを殺すに、いろんな方法があるもんだねえ?」
しかし、そんなアザミさんのうえにも、犯人の魔手は迫り・・・

雑誌『EQ』1986年11月号に、一挙掲載された長編です。すぐカッパ・ノベルスにも編入されましたが、雑誌で目を通し「あ~あ」と思ったので、当時、そちらには手を出しませんでした。
今回、たまたま古書店で光文社文庫版を見かけ、ま、この際だしねと購入し、再読。
いちおうノン・シリーズではありますが、単に続きが出なかっただけで、これは完全にシリーズもののノリで書かれています。
作者が愛してやまなかった、レックス・スタウトのネロ・ウルフもの、その女性ヴァージョンを意図したとおぼしく(『EQ』はウルフ譚の復権も推進していました)、ウルフとアーチー・グッドウィンならぬ、アザミとえりかのキャラ立ちは強烈。マイナスの要素を集めて(語り手のえりか嬢なんて、食べること以外、男とヤることしか考えてないw)それを愛すべき個性に転じる作劇は、お見事。
でも。
真相を承知して読み返しても、謎解きに、あまりに無理が多すぎるんだよなあ。
そもそも発端となる消失劇が、トリックはもとより、その演出意図が理解不能ですし、投毒の経緯も、読者(と日本の警察)を莫迦にするなレベル。
連続殺人の核となる動機の処理も、ズバリ無神経と言わざるを得ません。せめて伏線を張れよお。犯人が、まるでそういう設定の人物に書けてないじゃん。嗚呼。

というわけで、まったくダメダメなんですが、今回、じつは妙に心に残るものもありました。
それは――奇妙な懐かしさ。
バブルの時代の空気感を、本当にひさしぶりに実感したというか。
「一期(いちご)は夢よ、ただ狂へ」
「そういう時代でありましたよ」
――うん、幻想のノスタルジーかもしれないけど、たしかにいっとき、筆者はその風を感じていました。
感傷的かな? 
その酔い心地なりとも、評価しておきたいというのは・・・。

No.1 6点 okuyama
(2003/01/26 16:03登録)
『グルメを料理する十の方法』
食い道楽の女主人公と助手が良い。実名スレスレの登場人物達のキャラクターが分かりやすい。
トリック自体は大したことないが、面白く読める。(むかーし読んで再読したので、少しひいき目もあるかもしれないけれど…)

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