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ミステリの祭典

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A型の女
アルバート・サムスン

作家 マイクル・Z・リューイン
出版日1978年06月
平均点7.67点
書評数3人

No.3 10点 Izumi
(2015/07/12 21:35登録)
ネオ・ハードボイルドの旗手リューインのデビュー作であり、アルバート・サムスンシリーズの一作目。
そもそも「ネオ・ハードボイルドってなに?」ということだが定義は難しい。もの凄いざっくりと説明すれば庶民派の主人公を据えたハードボイルドだろうか。サムスンも健康のため煙草は吸わず、酒やコーヒーよりもオレンジジュースを好み、バスケットボールチームペイサーズの大ファンであり、依頼人を待つ間は昼寝とクロスワードパズルで時間を潰すというなんとも親近感溢れる人物だ。もちろん暴力は怖く事件現場でもすぐ怖気づく。フィリップ・マーロウやサム・スペードのようなタフで孤高を誇る超人的な探偵とは雲泥の差である。
しかしそうであってもサムスンも正統ハードボイルドの継承者なのである、どんなに怖気づいても正義の信奉者であり、弱者の味方であり、自分の仕事に誇りを持っている。
そのサムスンの元にやって来た十五歳の少女の依頼が「わたしの生物学上の父を探してほしい」というものだった。彼女の血液型はA、父親はBで母親はO、少女は両親の元からは生まれることのない血液型だった。サムスンは調べをすすめるうちに大富豪である少女の家の醜悪な争いに巻き込まれていくのだが、結末までよく練られたプロットでありストーリーのおもしろさも申し分ない。
またこの物語は依頼人の少女の成長物語という側面もあり、それを見守るサムスンも同時に探偵として成長していく点も見逃せない。
硬派すぎるハードボイルドはちょっと苦手という人に是非読んでもらいたい一冊である。

No.2 7点 mini
(2015/01/20 09:59登録)
本日20日にヴィレッジブックスからマイケル・Z・リューイン 「神さまがぼやく夜」が刊行される
昨年の『このミス』の”我が社の隠し玉”コーナーにも掲載が無く、ヴィレッジはミステリー出版から手を引いたのかと思っていたのであれっ?だけど、内容紹介を見るにどうやら風刺小説のようでミステリーじゃないみたいだな

当サイトの空さんの御書評の通りで、感情を主観的に吐露する語句が客観描写主体なはずのハードボイルドらしくない、空さんの御指摘は私もそんな疑問が出ても当然だと思います
そして空さんの疑問に対する明快な解答を私は持っています
文学的な意味でのハードボイルド文学とミステリー小説との関連性は戦前のハメットあたりまでなのだと思うのですよね
戦後のハードボイルド派まで”ハードボイルド”というジャンル名称で呼ぶのはおそらく日本くらいのもので、アメリカでは戦後のハードボイルド派を”私立探偵小説”と呼称します
つまり探偵役がアマチュア探偵ではなく、さりとてプロはプロでも公務員という立場の”警察官”でもない、”私立探偵”という意味ですね
つまりアメリカでは、探偵役がアマチュアなら日本で言うところの本格派かサスペンス、プロの警察官なら警察小説、私立探偵なら私立探偵小説と分類するわけです
何だ探偵役の職業だけで決めるのか?、とお思いの方も居られるかも知れませんがそうなんですね、でも単純ながらこの分類法は分り易い
だから戦後のハードボイルド派は主役が私立探偵であれば何でも日本で言うところの”ハードボイルド派”なわけです
こう解釈すれば戦後に流行した”通俗ハードボイルド”なども説明出来ますし、そもそもチャンドラーも文体だけだとあまりハードボイルドっぽくない、彼は英国で教育を受けたせいかも知れませんが

そしてビル・プロンジーニと並んで”ネオハードボイルド派”の旗手マイケル・Z・リューインですが
70年代にハードボイルド派に根底から大革命を起こした”ネオハードボイルド”ですが、これも日本で発明したジャンル用語らしいです、アメリカではやはり私立探偵小説の一種
ネオハードボイルドの数多い探偵達も職業上は私立探偵です
私は以前からその辺は、ハードボイルド派というジャンル呼称は単なる形式的用語で、実体は単に職業が私立探偵というだけの意味しかないと割り切っています

で話をリューインに戻すと、二枚看板のシリーズが私立探偵アルバート・サムスンとパウダー警部補だが、リューインはネオハードボイルドのブームが終息した80年代以降はノンシリーズの比率が増えてきて、中にはミステリー小説なのか怪しいのさえ有る
冒頭で述べた今回のヴィレッジの新刊もそんな1冊かも
そう考えると作者の第1作であるサムスンもの「A型の女」は、ネオハードボイルドらしさと従来型とのバランスがよく取れていると思う

No.1 6点
(2009/08/22 16:30登録)
リューイン初読ですが、これって「ネオ」という言葉はついているにせよハードボイルドなんですか?
私立探偵の一人称による語りという、たぶんハメットによって創始された形式は確かに守られています。その主人公が少々臆病であっても、それはかまわないと思うのです。しかし…
「ちょっとがっかりした」「憂鬱になってきた」「好奇心がわいてきた」「少しショックだった」等々。もちろん「考えた」「思った」といった言葉もひんぱんに現れるのです。ハードボイルドって、そのような思いや感情を直接的に書くことを意識的に排除するものではなかったでしょうか。
私立探偵小説としては、15歳の少女からの依頼という意外性もあり、全体的に地味なわりにおもしろく読んでいけたのですが、最後の犯人の行動に至る経緯はちょっと急激すぎ乱暴すぎという感じがしました。

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