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ミステリの祭典

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おれの中の殺し屋
旧題『内なる殺人者』

作家 ジム・トンプスン
出版日1990年11月
平均点6.50点
書評数2人

No.2 7点 人並由真
(2020/04/26 16:23登録)
(ネタバレなし)
 1952年のウェスト・テキサス。その田舎町セントラル・シティで、保安官補として勤しむ「おれ」こと29歳の独身男ルー・フォード。人当たりの良い好青年として町の人々から慕われるルーは、実は少年時代から、心の中に巣くう獣性を飼い慣らしていた。ある日、ルーは、町の大物である建築業者チェスター・コンウェイから、コンウェイの息子エルマーが岡惚れしている美人の売春婦ジョイス・レイクランドを追放する要請を受けた。だがルーはこの件に乗じてジョイスを強姦して自分の女とし、さらに彼女を使い捨ての道具にしながらエルマーを惨殺する。ルーにとって、コンウェイは6年前に自分の義兄マイク・ディーンを事故に見せかけて殺した黒幕だったのだ。何食わぬ顔で完全犯罪をやりおおせたつもりのルーだが、彼の内なる暴力性はなおも鎮まらず、一方でエルマー殺人事件も妙な方向に流れていく。

 1952年のアメリカ作品。
 なんか妙にノワール系のクライムストーリーを読みたくなったので、部屋の本の山の中からだいぶ前にブックオフで105円で買った、2002年の河出書房新社のソフトカバー版『内なる殺人者』を取り出す。しかしこの本、先に文庫で翻訳刊行されたのちに全書判の書籍に格上げされているのだな。『ナイルに死す』『白昼の悪魔』やハイムズのエド&ジョーンズシリーズみたいだ(クリスティーは正確には、文庫ではなくポケミスからの格上げだが)。

 で、本作の中身だけれど、J・M・ケインの諸作と初期の大藪春彦作品群、その2つと本作を並べると綺麗に正トライアングルが築けそうな<文学的な香気を感じるコテコテのパルプ・ノワール>であった。

 評者の場合は自分が読んだ全書判の57ページ、後ろから2行目のジョイスの台詞で最初にそそけだったけれど、どこで一番初めにゾクリと来るかはたぶん人それぞれであろう。こういう本こそ、老若男女のメンバーを募って読書会とかやってみたい。

 一番気に入ったのは、馬鹿息子エルマーが売春婦ジョイスと殺しあったように偽装を終えたあと、町の大物コンウェイに向けて主人公ルーが胸中で呟くモノローグ

 彼の息子は売春婦を殴り殺し、息子もまたその売春婦に殺された。彼はその汚名を決してそそぐことはできない。たとえ、彼が百歳まで生きても無理だ。おれは、彼が百歳まで生きることを切に願った。

 でもって&とはいえ全体を読むと、商業作品のミステリとしては、miniさんの言われるように、割ときちんと仕上げられていて、その辺が破格さを減じた感というのはわからないでもない。
 ただまあ、それってトンプスンという作家のカルト的な器が見えてきている? 今だからこそ言えるような話でもあり(評者はまだトンプスン作品はこれでようやく二冊目だが)、単品で読むならやはりなかなか腹応えのある長編だとも思う。あくまでパルプ・フィクションなのですが。
 トンプスン作品にハマっていく人の気持ちは、なんとなく分かるような気がするよ。こういう作家、作品ばかり読み続けることは評者にはまずできないけれど、一方でこういう作品が無ければたぶん(ミステリの読書人としての自分は)生きていけない、とも思う。

No.1 6点 mini
(2011/04/15 09:32登録)
明日16日に映画『キラー・インサイド・ミー』が日本公開となる予定
テアトルシネマ系列での上映なので、PARCO併設みたいな旧セゾン系などの限られた映画館でしか観れないのは残念だが
『キラー・インサイド・ミー』、そう原作は邦訳題名は直訳そのままだがジム・トンプスンの「おれの中の殺し屋」である

トンプスン初期の代表作の一つ「おれの中の殺し屋」は、内に狂気を秘める半狂人的な警察官が主人公にしては割とまともなミステリーである、ラストにどんでん返しも有るし
これも代表作の一つ「死ぬほどいい女」が、主人公が一介の市井の民間人なのに、イカレた小説であるのと対照的だ
どちらもノワールっちゃぁノワールだが、陽の「おれの中の殺し屋」、陰の「死ぬほどいい女」と言っていい位印象が違う
でも地味な「死ぬほどいい女」の方が実はブッ飛んでいて、案外と「おれの中の殺し屋」の方がミステリーとしてきちんと決着を付けている
「死ぬほどいい女」は作者の持ち味は出ているが初心者向きじゃないから、トンプスン入門には「おれの中の殺し屋」の方が無難だと思う

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