home

ミステリの祭典

login
時間割

作家 ミシェル・ビュトール
出版日1964年01月
平均点3.00点
書評数1人

No.1 3点 人並由真
(2024/06/02 20:05登録)
(ネタバレなし)
「ぼく」ことフランス人の青年ジャック・ルヴェルは、イギリスの地方都市ブレストンにやって来た。ルヴェルは一年間の契約で土地の商社「マシューズ親子商会」に勤務。フランスとの折衝のための通訳や翻訳の業務に従事するはずだった。ルヴェルはやがて会社の同年代の同僚や土地の者たち、アン&ローズのベイリー姉妹や気のいい黒人の工員ホーレス・バックと親しくなるが、そんな彼は周囲の人物のなかのある秘匿された真実に気づいてしまう。

 1956年のフランス作品。
 推理小説としても読めるアンチ・ロマン文学として、1964年の初訳当時にミステリマガジンの連載月評「極楽の鬼」(同年6月号分)で石川喬司が大絶賛。

 ちょっと以下にその評を引用してみる。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

(前略)しかし、ぼくにとって一番面白かったのは、前回でちょっと触れた、フランスのアンチ・ロマンの作家ミシェル・ビュートルの書いた『時間割』(L’Emploi du temps, Ed.Minuit 56).だった。これは推理小説仕立ての秀作で、ぼくは一週間をこの長編に没頭して過ごした。
 ジャック・ルヴェルというフランスの青年が、イギリスの地方都市ブレストン(マンチェスターがモデルらしい)の商社に一年契約で赴任してくる。滞在がなかばを過ぎてから、彼はそのスモッグに閉ざされた灰色の都市での体験を綿密に再構成しようと試みる。その試みをビュトールは凝りに凝った手法で、主人公の日記の形をかりて描いているのである。たとえば五月の日記に十月の記録といったぐあいで、日記の欄外には、それを記述している現在時と、そこに描かれている内容の時点とが「五月(十月)」というふうに記入されており、こうした時間の二重構造がしだいに素晴らしい効果を生み出してゆく。
 この物語の本当の主人公は「時間」であり、作者は、記憶によって変貌してしまった時間の迷宮の奥深くヘともぐりこんでゆくのだ。その面白さは、複雑な人間関係にさぐりを入れて犯罪の真相をあばきだす探偵の努力に似ており、事実、『時間割』の中では『ブレストンの暗殺』という推理小説が大きな役割を果たしている。(以下略)

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 ミステリマガジンのバックナンバーと『極楽の鬼』の書籍版を古書で入手し、この評に釣られて、シンドそうだけど面白そうだ? と最初に思ったのが半世紀前の少年時代。
 その後、ずっと放っておいたけど、このたびふと思いついて、最寄りの図書館にサルトルの『嘔吐』とカップリングになった世界全集版(たぶんこれが初訳の元版)があるのを確認。じゃあ……と思って借りてきた。
 が……ダメだ、まるで歯が立たない。面白さがわからない、良さも感じない(汗)。

 各章の構造は基本的に、いつの内容のものをいつ書いたのか、実はそれも定型のフォーマットとして表記されてるわけではない(石川喬司とは違う版の訳文を読んだのか?)。というわけで黙って読み進むが、もともとこの手の、作者のメタ的手法による時間錯綜ものは『赤い右手』とか、最高級に苦手である。
 ただし本書の場合、とにかく情報を拾って話を繋げていくことが可能で、その意味ではギリギリなんとかなる? のだが(ただしそれでくだんの時間の錯綜構造の意味を正確に拾っている自信はまったくない)、一方でとにかく日常描写がしつこい。
 こーゆーのがそのアンチロマン派文学か? と言いたくなるくらい(よく知らないが)読み手にはどーでもいい、もちろんストーリーの流れとも関係ない主人公の一人称視点での見たもの、接したものの情報が延々と羅列される。これだけで相当に疲れる。

 中盤でお話が動き、とあるメインキャラというかキーパーソンに目が向けられるあたりでちょっとこっちにもようやっとフックがかかるが、当然のごとくそこに向かってストーリーのベクトルが切り替わるわけでもなく、相も変わらずの日常描写が続く。
 さらに主人公とほかのある登場人物たちの関係性の推移がポイントということもやがてわかってくるが、決してそこは話の芯にはならない!? 

 最大級の退屈を感じながら、最後まで名前が出て来る登場人物全員のメモを取りつつ読了したが、うん、まあ……ミステリかな……よくわからん、というのが正直なところ(大汗)。

 で、読後にヒトの感想が気になってTwitter(現Ⅹ)を覗くと、かなりのホメ言葉があちこちで目につく。
 で、先にちょっと触れた主人公と別のメインキャラの関係性の話題など、うん、まあ、そういうことなんでしょうね……と言われて理解はするものの、一方で、ダカラナンダヨ、と言いたくなるようなホンネも芽生えて来る。

 そんなTwitterの感想のなかにひとつ「この作品をまだ推理小説として読んでるのか?(=それって違うだろ)」という主旨の声もあって、結局は、門外漢の自分にはお門違いの作品だったのかとも思ったり。
 いずれにしろ、ミステリとしても、自分の範疇で捉えられる限りの文学としても、あまり接点はなかった。
 ただまあ、読むヒトが読んだら、なんか得られるのかなあ……というなんとなくの感触はなくもない。
 ある種のインナースペース作品と思えば……それがいちばん呑み込みやすいところかな。

 そんなこんなで、ひたすら疲れました。とにかく現在の自分にはほとんど何も得るものがなかった、ということでこの評点。まあ気になっていた作品をひとつとにもかくにも(読み方が浅かろうか何だろうが)通読したという達成感だけはある(苦笑)。

 本サイトでのほかの人の声は……チョットだけ、聞いてみたい。まあ、なくてもいいけど(汗)。

1レコード表示中です 書評