大空港 |
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作家 | アーサー・ヘイリー |
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出版日 | 1973年01月 |
平均点 | 8.00点 |
書評数 | 1人 |
No.1 | 8点 | 人並由真 | |
(2024/04/12 20:05登録) (ネタバレなし) 1968年1月。その夜、イリノイ州のリンカーン国際空港は雪嵐に見舞われていた。記録的な降雪の影響で、空港最長の滑走路「スリー・ゼロ」に旅客機が停車し、動かなくなるというトラブルのなか、44歳の空港長メル・ベーカスフェルドは当該の件を含む複数の難事に対応。だがそんなメル自身も実は、妻シンディや義兄で「トランス・アメリカ航空」の旅客機機長ヴァーノン・デマンストとの間に、悩みの種を抱えていた。そんななか、メルたち空港のスタッフは空港を離陸した欧州行きの旅客機内に、爆弾が積み込まれている可能性を認めた。 1968年のアメリカ作品。 いうまでもなく、20世紀アメリカ・エンターテインメント小説作家界の巨匠アーサー・ヘイリーの代表作。文庫版の上下二冊で二日かけて読了。元版は1970年のハヤカワ・ノヴェルズ版。 悪天候による旅客機離着陸の不順とその対処、巨大旅客機の整備と保全、航空管制、タダ乗りとその対策、空港スタッフの抱える種々のストレス、騒音公害、その被害に関してカネを儲けようとする弁護士、JFK暗殺事件の後日譚、航空保険、恋愛と不倫と妊娠、墜落事故、そして爆弾騒ぎ、機内の医者先生……と、正に<航空業界を舞台と主題にした社会派&ヒューマンドラマ娯楽小説>の、その関連ネタのデパートのような内容。 そしてその上でスゴいのは、そういった大量のネタの相互の錯綜、絡ませて有機的に発酵させる書き手の作劇や構成の手際である。 いやまあ、たしかに執筆から半世紀経った現在としては、もはや「王道!」と言い切れるものも大半ではあるのだが(クライマックスの一大サスペンスのシチュエーションの組み立て方など)、たぶんこの手の作品の源流となったものも、本作の中にはいくつかあるんじゃないかと思う。そのくらい、てんこ盛りで特上上乗せのサービス精神がすごい。 (主要キャラは魅力的な連中が多いが、中でも、無賃飛行常習犯の「ネコ婆」クォンセット夫人と、作品後半に意外なもうけ役となる、デマレストの脇のあのキャラが特にスキ!) で、十二分に面白い一大エンターテインメント絵巻ではあったが、ネットで知ったところによると(←今風に言う「聞くところによると」じゃ)、この早川の翻訳本(元版とその文庫版~他にはないはず)は悪訳・誤訳の見本市で、何千何万という翻訳小説本の中でも最高級にえーかげんな、翻訳&編集仕事の中身だという(え~!?)。 とはいえ評者は鈍いのか、ところどころ引っかかったものの<ソコまで>ヒドい翻訳だとは思わなかった? まあ、原書と比較して読んだわけではないので、その辺はね(日本語の国語としてもおかしい箇所も、いくつか指摘されてるが)。 気になったのは訳者あとがきが、上下巻の二冊ものなら通例下巻の巻末にあるところ、上巻の巻末に据えられていたりしたことだが、これに関しては二人の訳者が上下巻でほぼ分担して(厳密にはきっちり上と下の分業ではないようだけど)翻訳作業を実働し、中盤で訳者が交代する旨、読者に向けて上巻の最後で断ったということだから、まあ、そういうのもアリかな? 程度のもの。 かたや、悪い意味で「アレ」と思ったのは、実質的な主人公のメルが下巻の会話文のなかでいきなり一人称に「わし」を使い出したりすることで、なんじゃこれは? であった。こーゆーのは訳者の連携もそうだけど、いわゆる「編集者不在」もいいとこだと思う。 (どーも常盤&太田時代のハヤカワって、今の目から見るとダメさが目につくな。少年時代の信奉の念が21世紀になってから、逐次、揺らいでいく。) ネットでもちょっと検索すれば識者の方が、具体例を丁寧にあげて悪訳ぶりを指摘・説明しており、素人のこちらはその見識に異論を挟む余地はない。 ただしソレでも、作品そのものはべらぼうに面白かったという自分の評価に揺らぎはない。 80年代のジャンルミックス型作品<ネオ・エンターテインメント>の源流のひとつは、まちがいなく本作だと思う。筒井康隆も「みだれ撃ち涜書ノート」の書評のなかで、アーサー・ヘイリー作品のなかの「面白い」部類に入れていたのを思い出す(雑誌「(新)奇想天外」の連載時に読んだのみだから、記憶違いかもしれんが)。 だからできるなら今からでも、信頼のおける翻訳家に新訳を出してもらえばイチバンよいと思うんだよね。20世紀の新古典エンターテインメントとして、今後も読み継ぐ価値は十分にある作品だと思うぞ。 |