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ミステリの祭典

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猫町 他十七篇
清岡卓行編

作家 萩原朔太郎
出版日1995年05月
平均点7.00点
書評数1人

No.1 7点 クリスティ再読
(2024/01/28 10:52登録)
以前ボードレールの散文詩集「巴里の憂鬱」を「ショートショートみたいに読んでみたらどうか?」という試みでやってみたが、この本の編者の清岡卓行も似たようなことを考えた。萩原朔太郎から「小説らしさ」を感じる散文詩や、朔太郎自身も「小説」という意識があった「猫町」などを集めて本にしたわけである。

でもね、萩原朔太郎といえば、乱歩との交遊も深く「人間椅子」を絶賛していたりする。評者も以前「月に吠える」収録の詩「殺人事件」を本サイトで取り上げるという暴挙をしてみたことがあるが、朔太郎が模範としたのはポオにボードレール。まさに「プレ・ミステリ」と呼んでもいい体質のある詩人なのである。

この短編集(あえて)だと、朔太郎自身が「小説」と銘打った「猫町」「ウォーソン夫人の黒猫」「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」はもちろん小説カテゴリで「猫町」なら幻想小説で問題ない。また「ウォーソン夫人の黒猫」は一種の「密室」を扱った作品だ、と読んだら面白い。本書には収録していないが水族館の水槽の中で自分自身を食べて消失する蛸の話の「死なない蛸」だって「密室物」である(苦笑、ちなみに初出は「新青年」だそうだ)。閉鎖された自室にいつのまにか居座る黒猫に悩まされるウォーソン夫人の話。もちろんこれポオの「黒猫」の本歌取りみたいな面もあるなあ。幻想小説のラインでまとめているわけだが、やはりポオの「群集の人」にインスパイアされた散文詩「群集の中に居て」も収録。

で問題はやはり表題作「猫町」。乱歩も本書の編者も指摘しているが、この話がブラックウッドのゴーストハンター、サイレンス博士物の一編「古き魔術」に「猫の町」の趣向が似ている。「古き魔術」はオーソドックスな黒魔術黒ミサ譚で、町中の人間が黒ミサに参加するために猫に変身する話だ。朔太郎の場合には田舎町に迷い込んだ主人公が、美しいが「街全体が一つの薄い玻璃で構成されている」危ういバランスが崩壊する局面で、町中が猫であふれかえる幻想を見る。でもこれは実は主人公の方向感覚の悪さから、見慣れた街なのに「知らない町」と錯覚して街を「裏側から」眺めていたことから起きた奇現象だそうだ。

このような錯覚を楽しむ感性は、たとえば谷崎潤一郎の「秘密」に見られるような「探偵の視点」とも共通性が高いわけだ。物事を見る視点をズラしてみると、ありふれた日常も冒険に変わる....こういうセンスはもちろん、シュールな感性とも親しいのだが、ミステリの抱える「ロマン」の部分とも極めて類縁が深い。そりゃ乱歩と朔太郎が精神的な兄弟みたいなものだというのも、頷ける。
国産ミステリの登場以前に、大正の日本にはミステリを受容する素地というのは形成されていたんだろう。

(あといえば、「猫町」といえば水木しげるの「河童の三平」で三平の死を描くエピソードが「猫町」を舞台にしている。ますむらひろしだってデビュー作は猫が人類を滅ぼすための会議を開く「霧にむせぶ夜」だもんなあ。猫擬人化は浮世絵からあるから、ニッポンの伝統芸でさえもある)

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