緑の無人島 |
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作家 | 南洋一郎 |
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出版日 | 1953年03月 |
平均点 | 6.00点 |
書評数 | 1人 |
No.1 | 6点 | 人並由真 | |
(2022/11/08 03:26登録) (ネタバレなし) 昭和初期。世界的な真珠の産地である、オーストラリア西海岸の町ブルーム。そこで9年前から現地人や日本人を相手に雑貨商を営み、成功を収めていた日本の実業家・山田正造(45歳)。彼の家族は妻の春子(36歳)、そして「僕」こと15歳の長男・康男をはじめとする三男一女の子供たちだ。正造は今後のことも考えて、幼い娘・玲子(8歳)を除く三人の息子を祖国にいる父母(康男たちの祖父母)のもとに預け、日本で勉強させようと考えた。山田家の6人は、雑貨店の店員でマレー人の青年トミーとともに客船で太平洋を渡航するが、途中で大嵐に遭い、避難が遅れた山田家は難破船と化した客船に乗ったまま、近隣の孤島に接近。島でのサバイバル生活を始めることになった。だがその島は、数メートルの体躯を持つ巨大な爬虫類「巨竜」が何匹も棲息する世界でああり、さらに島にはまだ大きな秘密が秘められていた。 昭和12年に「少年倶楽部」に連載された、ジュブナイル秘境冒険譚。本作登場の前年昭和11年の「少年倶楽部」では、あの遠藤平吉さんもデビューしており、これやそれやの少年少女向けエンターテインメントがいくつも掲載されていれば、そりゃ当時の国民的な雑誌になるわけだわな、という感じである。 家族そろって孤島での生活を始める山田家は「ロビンソン・クルーソー」譚に倣ってサバイバルの日々を送るが、山田氏が話題にしたデフォーの『ロビンソン・クルーソー』(1719年)は、すでに江戸時代の幕末から日本に紹介されていたようで、60年以上経過した当時の昭和初期ならすっかり日本人になじまれたものになっていたのだと、本作の読了後に改めてざっと再確認した。 なお評者と本作『緑の無人島』の最初の接点は、少年時代に読んでいたミステリマガジンの石上三登志の連載エッセイ「男たちのための寓話」の冒険小説を語る回で。そこで戦後版の本作の書影が紹介され、それが密林のなか、二本足で直立する恐竜めいた怪獣(つまりは本作の「巨竜」だ)の表紙画で、怪獣ファンとしてエラく心を惹かれたこと。 しかし実際の本作の作中に登場する「巨竜」は実のところ、どのような恐竜なのかどのような生態系で生きていたのかの観測もされない、とても地味で大雑把な扱いでしかも最後には、ほとんど登場人物たちの念頭から忘れられてしまう。……まあ、いいか(苦笑)。 それでも細かいイベント(今の目で見れば、おおむねのどかなもの。一~二件だけ悲痛な箇所はあるが)を続発させていく作者の手際は、なるほどのちの南洋一郎ルパンの作者だけのことはあり、後半の展開など、良い意味で秘境冒険ジュブナイルのお約束要素を並べた印象。 登場人物同士の内面のわずかな機微の動きで、主人公一家が窮地に陥ったり、また逆の流れになったりする辺りは、ちょっとだけながらテクニカルな作劇の妙を感じたりもした。 物語の舞台となったこの島の最終的な扱いは今の目で見るとなんだかな、ではあるが、昭和初期の日本の見識からすれば、ソンなもんだったのだろうとは思うので、文句には当たらない? あくまで当時の国風なども踏まえながら、楽しむべし。 クラシックジュブナイルなのでお話そのものが古いのは当然として、もうちょっと(中略)のキャラクターは描き込んでほしかった感じはある。 その点、何のかんの言っても乱歩の少年探偵団シリーズは全般的にキャラ立てがうまいので、時代を超えて読まれるのだとも思う。 評点は、少しだけオマケして、この点数くらいで。 まあ戦前からの少年小説の体系をごく大雑把にでも探る気があるなら、一度は読んでおいて無駄ではない作品だろうとは思うけど。 |