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ミステリの祭典

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狂った殺意

作家 ロバート・M・コーツ
出版日1962年01月
平均点6.00点
書評数1人

No.1 6点 人並由真
(2022/10/09 15:34登録)
(ネタバレなし)
 第二次世界大戦直後のニューヨーク。28歳のアマチュア詩人リチャード・バウリイは、41歳の女店主ジェニイ・カーモディの書店で働く。そんなリチャードは流行らない骨董商を営む50歳前後の未亡人フロレンス・ハケットと、その妙齢の娘ルイザとエリナ、そんな女性三人の一家と親しくなった。ハケット家はフロレンスの稼ぎが不順で、脇役の役柄が多い美人女優ルイザの稼ぎに生活費を依存している。ルイザは家族の輪に不躾に入り込んできたリチャードに多少の警戒感を抱くが、それでもリチャード当人は積極的にハケット家に出入り。リチャードは、その夏、郊外で家族で避暑バカンスを過ごしたいというフロレンスのために、格安の別荘ウィステリア荘を世話した。そして、惨劇が起きる。

 1948年のアメリカ作品。
 作者は「ニューヨーカー」などに美術評などを寄せる文筆家として有名な人物らしいが、本作はその長編小説の第4作。

 本作は、かのハワード・ヘイクラフトのオールタイムミステリ名作表の戦後増補分(EQやバウチャーなどが選定に協力)に選ばれた作品のひとつである。
(他の追加作品は『フランチャイズ事件』(テイ)『墓場への闖入者』(フォークナー)『断崖』(エリン)など。)
 この事実に興味を惹かれて読んでみる。
 
 なお本作はポケミス686番。やがて来るスパイ小説大ブームの波を前に、007やら87分署やらカーター・ブラウンやらおなじみの昭和海外作品勢の熱気で、国内のミステリ界隈もそういった形で活気づく時期の一冊だが、今ではひっそりと忘れられている。
(21世紀のインターネットの記事などでは、小森収が本書について独特の見識を語っているが、それ以外にはあまりミステリファンの感想なども見当たらない?)
 その辺の現実も、さてどんな作品だろう? 読んでみるかと評者の背中を押す一因になった。

 内容は、前述の小森評で『異邦人』(カミュ)との比較がなされ、一方でリアルタイム時の小林信彦の書評「地獄の黙示録」などではハイブロウで退屈な犯罪を描くもの、と語っており、その辺から推して知るべし。
 主人公リチャードは決して女系一家を狙うサイコキラーなどではなく、今風に言えば発達障害めいたところのある、一応は普通の? 青年。ただしその精神には常にどこか危ういところがあり、大半の読者(もちろん評者もふくめて)はたぶん、絶えず読み手と彼との距離感を問われる、ザワザワした気分を味合わされることになる。
 途中まではうっすらとサイコスリラーの要素がある普通小説という感じ。このへんで、たぶんマーガレット・ミラーのようにどこかでミステリっぽく転調することもなく、シムノンの多くのノンシリーズもののように広義のミステリで広義のノベルに含まれる種類の作品に帰結するのだろうな、という観測ができる。

 小林信彦のいう「退屈」というのも分からなくもない。が、中盤、避暑地ウィステリア荘へハケット一家とともについていったリチャードが現地で、社交的なルイザのボーイフレンドのひとりと出会い、社交辞令的に「僕もニューヨーカーなのでそのうち遊びに来てください」と言われたら、空気も読まずに本当にいきなり向こうの就業中に押しかけ、先方を戸惑わせながらも応対してもらうシーンなど、なかなかリアルで怖い。
 SNSをふくむネットの普及などもふまえて、他人との距離感のとり方がややこしく面倒になっている21世紀の現在、こういう叙述を読むと改めてかなりの普遍性を感じる。

 なお原題はズバリ「ウィステリア荘」で、これはある意味で、リチャードの精神を崩壊させるひとつの力の場になった別荘を、本作のストーリーの象徴としたタイトリング。

 7点をつける気はないが、ある種の充実感を覚えてこの評点。
 まあ前述のようなミステリ文学史的な「名作」であることも踏まえて、読んでおいて良かったとは思う。

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