白きたおやかな峰 |
---|
作家 | 北杜夫 |
---|---|
出版日 | 1966年11月 |
平均点 | 7.00点 |
書評数 | 1人 |
No.1 | 7点 | 斎藤警部 | |
(2022/09/04 20:55登録) うへあーーー なんだ、 このエンディングの、 どういう余韻だよ、 これは。 戦争でもなければ、組織や個人と闘わざるを得ないのでもないのに、わざわざ高山の凄まじい自然に襲われるのを良しとする、命を賭けた趣味人たちの物語。 目標はパキスタン・カラコルム山脈のディラン(1966年当時処女峰)。 天候の凄まじい不安定さは、人生に喩えるのもおこがましいほど。 群像劇だが、仮の主人公は医者として隊に参加した酒飲みの兼業小説家(著者本人の体験を投影)、とは言え主役感は薄い。 「猫よりましってわけか」 「まあ、そんなところです」 肉体の脆さを憂う者、精神の衰弱に気づけない者。 山頂に立つのを諦めない者、諦めざるを得ない者。 非常時の余裕と安定を保つため、週刊誌のバカ記事を愛読する隊長。 律儀な副隊長。 支払われた高額紙幣を見たことがない現地ポーター、クレヴァスを無防備に飛び越える現地ポーター、信頼出来る連絡将校、油臭い羊肉カレーを嬉々と提供するコック、等々が、時に静かに、時に激しく、総活躍。 ミステリと地続きの「冒険小説」とはちょっと違う「山岳小説」。 だが終盤近く、急に手に汗握るサスペンス展開を見せる所はミステリの片鱗が見えて嬉しい。 妻からの手紙、一本だけの蝋燭、16ミリ撮影機。。このあたり、サスペンスの勢いでミステリ流儀に化けてくれる事を期待した。。。。 特に、読むのを後回しにされたあの「手紙」は.. “そういった一切の記憶と体験が忘却の中に霞み去ったと思える或る晩年の一日に、彼はひょっとしたら書けるかも知れない。おそらくは架空の幻想の山を。しかしその中には、たしかに真実の山が含まれている筈だ。” ディランの女神視も適度な所で引き返したのは吉。 さて、コックのあの「一言」は、一体どっちを暗示させているのか。。? 必ずしも「実話」の通りとは限らないんだから。。 |