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ミステリの祭典

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新しい人生

作家 ジョルジュ・シムノン
出版日1969年11月
平均点8.00点
書評数1人

No.1 8点 クリスティ再読
(2022/07/15 09:39登録)
集英社の12巻のシムノン選集はメグレ以外のシムノンをまとまって紹介した最初のシリーズなので、評者は全作品やるつもりである。もう残りは本作と「妻のための嘘」の2冊。このシリーズ、ミステリ的な色彩が強いものもあれば、全然ミステリじゃないものもあって、シムノンの幅の広さを窺える。本作は...まあタイトルから察しもつくけども、「ビセートルの環」と並ぶ「非ミステリ」の傑作である。

食品会社の会計係デュドンは、会社の金を誤魔化して週一で通う娼家の帰りに交通事故に遭った。デュドンを跳ねたのは大手の葡萄酒メーカーの経営者で市議会の有力者のラクロワ・ジベだった。この事故でデュドンの人生は一変する。ジベの手配で高級私立病院に入院し、至れり尽くせりの看護をしたのが、魅力的な看護婦のアンヌ・マリー。退院したデュドンはアンヌ・マリーと結婚し、ジベの会社で働くことになる。その会社でデュドンは意外な才能を発揮して重用されるのだが....

とこうやって梗概をまとめると、シムノンらしからぬ「ドリーム小説」みたいだ(苦笑)ウダツの上がらぬ主人公が、交通事故をきっかけに「新しい人生」、美女と社会的地位を手に入れる話....いやいや、それでもこの小説のテーマは「罪」だったりする。シムノンだもの。そして原題のニュアンスも「新しいがごときの人生」で、ずっとビミョー感がある。

デュドンが会社の金を横領して娼家に通ったのも、「罪」を通じてしか人生を実感できない人間であることの証だったわけだ。「罪」を犯さなくてもやっていける「新しい人生」に放り込まれる、という予想外の出来事に遭遇しても、「罪」を抱えたデュドンはまたさらに自ら「罪」を求める衝動を抑えれない...そういうカトリック的なテーマが主題なのだけども、実のところこういうキャラクターは、たとえば「男の首」のラディックやら「雪は汚れていた」のフランクと共通する。ラディックやらフランクのヒロイックな部分を排除して、小市民の立場で改めて造型しなおしたのがこのデュドン、というだ。
だから、このデュドン、「罪」に対する強い感受性があるために、他人の罪に対しても鋭敏なのである。それが実はシムノンの「名探偵の資質」だ、とも読める。メグレの方法論を示唆するのも重要だろう。

本作は、ロマンの味わいがないと成立しないエンタメではない。だからこそ、本格小説として「小市民的立場での罪」、新しいようで「新しくない人生」が延々と続いていくことでしか、デュドネの「罪」は贖えない。ミステリなら解決があるが、人生には解決はない。

それもまたシムノンらしい。シムノンだもの、は「人間だもの」ということでもある。

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