ジゴマ Z団首領ジゴマ VS パリ警視庁治安局刑事長ポーラン・プロケ |
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作家 | レオン・ザジ |
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出版日 | 2022年07月 |
平均点 | 8.00点 |
書評数 | 1人 |
No.1 | 8点 | 人並由真 | |
(2022/09/05 16:52登録) (ネタバレなし) 20世紀初頭(おそらく)のパリ。その夜、ル・ペルティエ通りで、「モントルイユ銀行」の頭取モントルイユが何者かに襲われて重傷を負う。パリ警視庁の捜査の結果、容疑者は、事件の深夜に頭取宅を個別に訪れた青年実業家アルベール・ロランと、社交界の伊達男フォスタン・ド・ラ・ゲリニエール伯爵のいずれかに絞られた。やがて重態のモントルイユはその一方が犯人だったと指摘するが、なぜかその直後に態度を変えて容疑者の推定を撤回。そのまま弱るように死亡する。この状況に不審を覚えたのは頭取の遺児で弁護士のラウールと医師のロベールの兄弟。そして警視庁治安局の敏腕刑事長ポーラン・ブロケだった。そして彼らは事件の陰に謎の強盗団「Z団」とその黒幕らしき怪人「ジゴマ」の存在を認めるが。 1910年のフランス作品。1909年から翌年まで大衆向けの新聞「ル・マタン」に連載された新聞小説。 今回が初の完訳で、紙幅はハードカバーの上下本でほぼ1000ページにも及ぶ大冊。 日本ではかつて久生十蘭の手で一応の翻訳が出ていたが、実際には原書の6分の1ほどの長さの半ば創作訳だったようである。 古典ミステリ史を嗜もうという原動、数年前に完訳が出た類作『ファントマ』が面白かったという記憶、そして何よりこういうジャンルの作品そのものに関心がある評者は今回の完訳出版を機に大部の長編に挑戦してみたが、邦訳の本文はやや大きめの級数の活字で一段組、そして場面によっては会話もかなり多めなのでスラスラ読める。何といっても翻訳が滑らかなのが、まずよろしい。誤植の類も少なく、気づいた限りではこのボリュームで脱字が一字だけだったから、かなり優秀な編集で校正だろう。 物語は謎の怪人ジゴマ率いる闇の強盗団Z団と、パリ警視庁随一の刑事と評判をとるプロケ率いる警視庁治安局との戦いを主軸に、メインキャラであるモントルイユ家の青年兄弟、さらには同世代の女子・令嬢たちのロマンス譚や苦境ドラマなどにも広がり、そのパノラマ感は並々ならない。(ただし表の顔であいつが謎の怪人ジゴマの正体ではないか? と目をつけられる人物は早々と登場し、以降は絶妙な緊張感のなかでストーリーが進行する。) 不屈の念で何度も何度も凶賊に挑んでいくプロケのキャラクターもかなりスゴイ。 ミステリ的にはドイルやルブランなどから影響を受けたか? と思われるようなトリックやネタがふんだんに登場し、後発作品として原典からのアレンジ具合もなかなか楽しい(ここまでなら、ぎりぎりネタバレには、なってないと思うが)。 物語そのもののパワフルな起伏感と合わせて、複合的なミステリロマンに触れる楽しさが満喫できる。 さらに解説でも指摘されているが、警視庁治安局のプロケの部下の面々の活躍ぶりは、フランス警察小説の歴史の上で見落とせないものなのだとも実感する。 愉快なのは本作の物語世界はホームズやニック・カーターも実在する世界観という設定らしく、劇中の人物は嘘か本当か彼らとの関係性まで披露する。この辺は数年前にホームズ(ショルムス)を自作世界に呼び込んでいた先輩ルブランに倣ったものか。 終盤では作中世界に秘められていたかなり衝撃的な真相が明かされて読者の度肝を抜く一方、受け手目線で実に大きな関心のひとつが明かされず次巻以降に持ち越される。最終的に本編6冊、新世代編的な別巻1作の長期シリーズになった「ジゴマ」だそうなので、作者も連載時の反響の良さを見てこれはしばらく飯のネタになると、シリーズの長期化を図ったのであろう。詳しい事は丁寧で読み応えのある、下巻の巻末の解説で。 で、その解説は本国での文学史的事実、映画を介した日本での大反響ぶり、さらには昭和末期の特撮少年探偵団もの番組『じゃあまん探偵団 魔隣組』の話題にまで触れていて楽しいが、あとできれば『オバケのQ太郎』のQちゃんがテレビ出演する回についても言及してほしかった。やはり世代人にとって「Z団」と言ったら『オバQ』の名セリフ(?)「おれはZ団だ」だよね?(笑) ちなみに本作は国書の新叢書「ベル・エポック怪人叢書」の第一弾。続刊にガストン・ルルーの怪人シェリ=ビビ(評者は現状、ほとんど知らない)や、数年ぶりの完訳登場となる「ファントマ」シリーズなどが予定されていて、それぞれ楽しみである。 評者なんかその名前のみ知る(実は大昔に日曜映画劇場で、現代設定の映画版だけは観たことがある)「ロカンボール」ものなんかも出ないかと期待しているので、関係者には叢書の継続の検討もぜひぜひ願いたい。 【追記】 大事な? ことを書き忘れていたので、ちょっと。Amazonのレビューですこし触れている人もいたが、20世紀初頭のほぼ現代文明のフランスでは、まだ「決闘」が公式な文化的な社会行為として公認されていたのに、かなり驚いた。改めてしっかり読めばルブランの諸作などにも書かれていたのかもしれないが、評者的にはそちらではそんなに出会った記憶はない。本作では物語の要所でポイント的に決闘の描写が散在し、モノを知らない評者をびっくりさせる。この辺りの文化事情をちょっと調べてみようか。 |