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ミステリの祭典

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地の群れ

作家 井上光晴
出版日1963年01月
平均点7.00点
書評数1人

No.1 7点 クリスティ再読
(2022/05/02 18:05登録)
たまには反則したい。でも評者的には念願のネタである。
一度「ハードボイルド」という視点で井上光晴の小説を読んでみたかったのである。登場人物に対する感情移入を「これでもか!」というくらいに排除する独特の突き放し具合に、評者はずっと「ハードボイルド」らしさを感じてきたのだ。そして虫眼鏡で覗き込むようなミクロな視点で描写されることから、苛烈な現実感が異形で悪夢的なものに膨れ上がり、現実感が現実でありながら崩壊していく感覚....三人称的な「ハードボイルド」ってこういうことではないんだろうか。

まあ、井上光晴だと、多視点が交錯しあい、現実描写がいつのまにか過去のトラウマにすり替わって、現実感が空間的も時間的にも相互に侵食されるわけで、「意識の流れ」と言えばまあそういう面もあるんだが、この「意識」には「立ち入り禁止」の札がかかっている。読者がその「流れ」に乗ることは拒絶されるのだ。そうしてみると、この「意識」はあたかも不透明なモノのようなもので、そこに転がっている。だから登場人物の心理状態は、読者はわかったようで、わからない。さらにトラウマな記憶はずいぶん話が進行してから、やっと明かされることも多い。

しかも現実は苛烈だ。「地の群れ」ならば、少女の強姦事件をめぐって起きる殺人と暴動の話だが、強姦した男は長崎の被爆者で真夏でもケロイドの腕を隠すために手袋をしている青年。少女は被差別部落の子。被差別者が互いに差別をしあう地獄絵図である。この強姦事件に濡れ衣をかけられた別な不良青年は、やはり被爆者部落の出身で、被爆した浦上天主堂のマリア像の首を盗んで破壊したことで、信者たちにリンチを受けて逮捕される。などなど、幾重にも差別が重なりあり、誰もが有罪な暗黒の生と性を生きる。「差別は悪いことだ」なんて気安く言えないような、それこそ「差別こそが生きること」とでも開きなおさざるを得ないような世界が描かれるのである。

この苛烈な現実に心を閉ざして生きる人々の群像を描くのが井上光晴ならば、それはハードボイルド、と呼ぶべきなんだろう。

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