home

ミステリの祭典

login
三文オペラ

作家 ベルトルト・ブレヒト
出版日1977年01月
平均点7.00点
書評数1人

No.1 7点 クリスティ再読
(2022/04/23 09:35登録)
そいから鮫だ、鮫にゃ歯がある
その歯は、つらにあらァ
そいからマクヒィスは、どすを呑んでる
だがそのどすを、見たやつァねえ

どすのマクヒィス(マック・ザ・ナイフ)はいなせなギャングだ。マクヒィスは物乞いを組織化した商売人のビーチャムの娘ポリーを親から奪って結婚するが、ビーチャムはマクヒィスを警察に密告する。しかし、警視総監のタイガー・ブラウンはマクヒィスとは戦友で腐れ縁の仲だったが、居場所を娼婦たちから密告されたマクヒィスを裏切って逮捕する....

登場人物はすべて暗黒街の住人たちで、裏切りは日常茶飯。いやこれ、本当に「ワルいヤツらばっかり」の通俗ハードボイルドの世界なんだよ。それこそカーター・ブラウンとかハドリー・チェイスの世界そのまま。「ワルくなけりゃ生きていく資格がない」のが、この世界の実相なのであり、道徳だって常識だって、一皮むけば成功したギャングに他ならない「エラい奴ら」の道具に過ぎない。だったら「ハードボイルドに、ワルく生きようぜ!」

...今だったら、こんな風に読む方のが、実は生産的なんだと思うんだ。もちろんブレヒト、サヨクのブンガクシャで、新劇じゃ神のように崇められてた劇作家なんだが、もうそういう読み方から離れても、いいんじゃない?
実際、アヴァンギャルドな唐突さで挿入される「ソング」によって、読者は物語に「立ち止まる」。演出も「これみよがし」に麗々しくやれ、と指示している。「自然な感情が盛り上がって歌になる」というミュージカルとは正反対に、パフォーマンスがウケればウケるほど、話の寓意性を「物語に流されることなく、自分の話としてピンとくる」ことを要求されるのだ。

これって、実はきわめてモダンなことなのである。わざと仕掛けたギクシャクに立ち止まって、主体的に「愉しむ」という「観客の態度」が求められるのだ。今風の「ネタ消費」だってこの客観性に近いものがあるのではないのだろうか? そんな「冷酷でハードボイルドな観客」というものを創造したことが、ブレヒトの芝居の最大の功績なんだとも思う。

いや、ハードボイルドはアメリカだけじゃなくて、同時期のドイツの「即物主義」にも強く表れていると、評者は思うんだよ。
ブレヒトだって、実はハードボイルドだ。

1レコード表示中です 書評