ユドルフォ城の怪奇 |
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作家 | アン・ラドクリフ |
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出版日 | 2021年09月 |
平均点 | 9.00点 |
書評数 | 1人 |
No.1 | 9点 | 人並由真 | |
(2022/01/27 06:21登録) (ネタバレなし) 1584年。フランスはガスコーニュ地方。知的で善良だが世渡りの下手な貧乏貴族ムッシュ・サントペールは困窮の中で、妻の実弟だが悪辣な性格の資産家ムッシュ・クネルに先祖伝来の家督の一部を売却する。その後、愛妻を熱病で失ったサントペールは、知性と感受性に富んだ美貌の一人娘エミリーとともに、傷心を癒す旅に出た。途上でエミリーは風来坊の若者ヴァランクールと知り合い、互いに恋に落ちるが、旅のさなかで貧困に苦しむ土地の人を救ったサントペールは路銀の予算が少なくなり、父娘はヴァランクールと別れて帰途についた。だがその帰路、山腹のルブラン城の麓でサントペールは病に倒れ、エミリーに謎の遺言を伝えてこと切れた。両親と死別したエミリーは、父の実妹でパリの社交界での名声を尊ぶ俗人の叔母マダム・シェロンに後見される。そして数奇な運命は、やがてエミリーをイタリア山中の妖しい古城ユドルフォ城へと誘ってゆく。 1794年の英国作品。 ゴシック怪奇小説の始祖とされるウォールポールの『オトラント城綺譚』(1764年)の30年後に、4冊の分冊形式で順々に刊行された同ジャンルの作品で、当時の大ベストセラー。ゴシックロマン黎明期に、このジャンルの魅力を一般読者に広く厚く浸透させ、多数の模倣作品を生み出した文学史上に残る名作とされる。 翻訳は400字詰めの原稿用紙に直すと2500枚前後に及ぶらしい大長編で、書籍もハードカバーの上下巻の二分冊、合計の総ページは本文だけで優に1000頁を超えるもの。 で、昨年、ついにコレが本邦で初めて完訳された(以前に抄訳めいたものはあったらしい)と、読書人たち&広義のミステリファンたちの間で話題になっていたので、ミーハーな評者もチャレンジしてみる(せっかく以前に、同じゴシックロマンの先駆『オトラント』も読んでいるということもあり)。 しかしまあ、手に取って驚き! 初版から二か月でもう再版でしたよ、奥さん。この出版不況の時代に、合計8000円前後の二冊本が! なんのかんの言って、日本の文化度はまだまだ高いよね(笑)。 で、評者自身もページを開いたら憑りつかれたように読み進め、実質二日半でイッキ読みです。 いやもう、メ・チャ・ク・チャ・面白い! ゴシックロマンの始祖がどーのこーの言うよりは、もはやキングでクライトンでシェルドン、<あのクラスの作家たち>の脂の乗り切った時期の諸作、そういった最強クラスの作品のリーダビリティに匹敵する。 日本語としてこなれきって平明な、しかして雰囲気のある訳文も素晴らしいが、やはり次から次へと事件を起こし、読み手を飽きさせないページタナーの大冊クラシックという作品の中身そのものが最強である。 オカルトホラー&幻想ショッカー的な描写を随所に挟み込みながら、主人公の少女エミリーの変遷をメインドラマに据えて、鮮やかなストーリーテリングぶりを発揮する。 もちろん、ソレらの怪奇要素、ミステリ的な謎の数々が最終的にそれぞれどーゆう真相や作中の秘密に至るかは、ここでは書かない言わないが、叙述の視点を器用に自在に細かく切り替えながら「(とにかく)何かが起きたのだ」とか「何らかの怪異があるらしい?」とか、読み手の興味を飽かさず繋いでいく作法は、あざといまでの勢いがある。 (あとあんまり詳しく書けないが、下巻の中盤、サブストーリー的な方向に物語の流れの舵が切り替わったと思ったら、さらにまたドラマの主流の方に転調するあたりとか、ウマイ、と唸らされた。) なお本作は大部の作品だけあって登場人物はさすがに多く、名前が出たキャラだけで総勢80人前後になるけれど、それらのキャラクターについて、髪の色がどーのとか、眼の色がどーのとか、その手のビジュアル的なことはほとんど叙述していない。なんかこの辺は、のちのフレデリック・フォーサイスの『悪魔の選択』みたいに、膨大な頭数のキャラクターを割り切って合理的に捌いて使う、思いきりの良さみたいなものを感じさせる。 とはいえ、だからといって登場人物たちに血が通ってないわけでは決してない。良い意味での大衆小説として、善人は善人らしく、悪人っぽいけど結局は悪人になり切れない人もまたそんな微妙なキャラらしく、的な厚みは、小説のうま味として必要十分以上に、ちゃんと書き込んである。当初は凡庸な役割キャラかと思ったら、妙に印象的な芝居をしてきたり、とかの興趣も多い。 何しろ、味のあるサブキャラクターがいっぱいだ。ちょっとしか出てこないけれど、偏屈そうに見えて実は本当にいい人の、アマチュア植物研究家ムッシュ・バローなんかすんごく萌えキャラ。 (あと何人か、もうけ役やおいしい役回りのキャラクターの名前をあげたいが、ネタバレになりそうなので、残念ながら割愛)。 ……あ、エミリーが亡き父から受け継いだ愛犬マンションの描写だけは、いろんな意味で雑だったな。作者が途中で、その存在を忘れちゃった感じ(涙)。 全体としてはとても満足。まあもちろん、二世紀以上前の古典として割り引く部分もそれなりにあるけれど、その辺の時代性を相殺しても十二分以上に楽しめた。あんまり後味についてどーこー言っちゃいけないんだけど(ホラーやサスペンスの場合、ネタバレになりかねないから)、すごく心満ちた思いで本文最後のページを閉じている。 (もしも2020年代の現在でも、日本アニメーションが全4クールシフトで「世界名作劇場」を製作放映していたら、これを原作にしてほぼ忠実に映像化すれば、絶対に面白いものができるであろう(よほどスタッフがハズさない限りは)。そんな感じである。) なおゴシックロマン分野に本格的に取り組んでない評者としては、これといい『オトラント』といい、なんで英国作品で物語の舞台が他国なんだろ? という素朴な? 疑問があったりする。この辺は本ジャンルの作品の数を読んでいけば何となく見えてきたり、実感したりするのかね。ある種の異国性は、この分野の本来の必須要素なのかとも思うが。 ……で、本作への返歌がジェーン・オースティンの『ノーサンガー・アビー』ですって? 下巻の解説を読んで改めて意識した(そっちは本サイトでもすでに、弾さんとおっさん様のレビューがあるね。さすが!)。原典のこっちを先にきっちり読んだことだし、そちらも近くチャレンジしてみることにしよう。 |