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ミステリの祭典

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シルバービュー荘にて

作家 ジョン・ル・カレ
出版日2021年12月
平均点6.00点
書評数1人

No.1 6点 人並由真
(2022/01/13 05:43登録)
(ネタバレなし)
 ロンドンの金融街で第一線の証券マンだった33歳のジュリアン・ローンズリー。だが過酷な業務の日々に疲れた彼は転職して、海沿いの町イースト・アングリアに書店を開く。だが商売はうまくいかず、弱っていたところに、60がらみの地元の男、エドワード(テディ)・エイヴォンが来訪。エドワードは、ジュリアンの父ヘンリー・ケネスの旧友と称し、そのヘンリーがかつて起こした醜聞も知っていた。そしてそれらの出来事と前後して、英国情報部「部
(サービス)」の国内保安責任者スチュアート・プロクターのもとには、とある人物が発信した情報が寄せられる。

 2021年の英国作品。
 2020年の暮れに物故した巨匠ル・カレの遺品として見つかった遺作。日本でもすでにミステリ作家としての活躍が知られるル・カレの息子ニック・コーンウェル(ペンネーム、ニック・ハーカウェイ)は、自分が適宜に手を加えて刊行しようかと一度は思ったものの、実物を読むとその必要はないと判断。最低限の編集・校訂のみ行って、刊行したそうである。

 物語は、ジュリアンを軸とする地方の町イースト・アングリアでの群像劇と、もう一人の主人公プロクターを核とする「部」サイド、二つの方向から語られるが、やがて読者視点で双方の物語に共通する、本作の本当のキーパーソンといえる人物の半生が、そしてその人物に関わる数名のまた別の重要人物の挙動が浮かび上がってくる。

 情報は少しずつ断片的に語られるものもあり、また伝聞を介して明かされる過去の事実なども多い。それゆえこの物語世界の過去に生じた、そして現在進行中の事象の全貌がわかりやすく説明されることは決してないが、その辺は読者がなんとなく全体像を組み上げられるようになっている。
 そしてそのようにドラマのベクトルが提示される一方で、靄(もや)の中を歩き続ける迷宮感のようなものを味わうのも、おそらく本作の醍醐味だ。

 語られる主題は、確固とした行動原理が見えにくくなってしまった英国諜報部の現状を背景に、組織とスパイ個人の対峙、さらには任務を積み重ねていく諜報・工作員の疲弊などといった、きわめて普遍的なものが読み取れる。

 スマイリー・サーガは先の最終作『スパイたちの遺産』で文芸設定を一部破綻させながら(ある意味でパラレルワールドに行ってしまったともいえる?)一応の完結を語ったが、そのあとに遺された遺作の最後の本作はノンシリーズ。
 そこで改めて、エスピオナージの巨匠は、敵味方がわかりにくくなってしまった21世紀の世界で、もしかしたら何を使命とすべきかすらも見えにくくなっている、諜報組織内外の人間ドラマを語っていった。

 キーワードは「抵抗」。的を得ているかどうかはわからないが、読み終えた評者の頭には、今はその一言が浮かぶ。

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