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ミステリの祭典

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異次元を覗く家
ボーダーランド三部作

作家 W・H・ホジスン
出版日1972年05月
平均点6.00点
書評数1人

No.1 6点 人並由真
(2021/06/10 03:15登録)
(ネタバレなし)
 20世紀の初め。「わたし」こと作家ウィリアム・H・ホジスンは、釣り友達のトニスンとともに、アイルランドの西外れにある小さな村クライテンに出かけた。ホジスンたちの目的は釣りの穴場の確認だったが、やがて霧に覆われた原野に巨大な廃墟を見つける。そしてそこに残されていたのは、かつて老嬢の妹メアリーとともにこの地で暮らしていた50歳の男「わたし」による、驚くべき手記であった。

 1908年の英国作品。
 オカルト探偵「カーナッキ」の産みの親で、映画『マタンゴ』の原作短編『闇の声』(またの邦題は「夜の声」「闇の海の声」「闇の中の声」など)の作者として知られるホジスンの第二長編。
 ホジスンの初期長編3冊は、物語の設定も主人公も違うが<(広義の)怪奇冒険もの>という主題で姉妹編となり「ボーダーランド三部作」と称されるが、これはその二作目にもあたっている。

 作中のリアルで残された「手記」を見つけたホジスンの述懐が、プロローグとエピローグをブックエンド風に構成。その狭間で、ホジスンが若干の注釈を付記した「手記」の本文が読者に公開され、その手記の部分が小説の幹となる。

 大筋は、どういうわけか、その「わたし」(手記の主人公)の邸宅が異次元? の空間にリンク。通常の物理法則を凌駕して何万年も先の未来に繋がり、向こうの世界を覗く一方、19~20世紀? のアイルランドにも異形の怪物(頭部がある動物の姿に似た亜人種で、未来人らしい)が来襲する。さらに手記が進んでいくと、今度は主人公「わたし」のかつての恋人が昔の姿そのままで異空間に現れ、どうやら単純に未来世界とリンクしただけでなく、主人公のインナースペースにも繋がっているのか? と思えるようになる。

 まあ正直、手記で語られる異世界の解釈はしてもしなくてもよいような小説で、評者などは映画版『2001年宇宙の旅』の後半のような、奔放に無限に広がりながら、一方でどこかに収束の糸口を求めているような、そんなパワフルな世界像の展望を楽しんだ。

 悠久の時の彼方の荒廃した未来世界のイメージは、ウェルズの『タイム・マシン』(1895年)の影響などもあるのかもしれないのかな? と一瞬、考えたが、評者はまだ『タイム・マシン』の実作をきちんと読んでいない(ジョージ・パルの映画版はさすがに何回か観ているが)ので、厳密なことは言えない。もっと英国のSF、幻想文学の大系をきちんと探求すれば、さらにはっきりしたものが見えてくるだろう。

 いずれにしろ、手記の中の主人公「わたし」は主体性は随時見せるものの(現実の現代では、妹を気にかけたり、愛犬の心配をしたりする)、一方で異世界に繋がる異次元との接点や、来襲する怪物たちから決定的に逃げ出す意識などは見せず(それこそ「普通」の感覚なら、助けを呼んだり、大都会に避難したりすればいい)、怪異な状況におびえる面を見せながらも、どこかこの運命に魅せられているらしい? 気配が覗く。
 手記が終わったのちに語られるホジスンのエピローグもまた、手記の主人公にならう異世界へのおびえと裏表の憧憬の念を吐露。そしてそんな想いはそのままさらに、作品を読み終えた読者の心へと、多かれ少なかれ継承されてゆくことになる。

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