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ミステリの祭典

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少年船長の冒険

作家 ジュール・ヴェルヌ
出版日1981年10月
平均点7.00点
書評数1人

No.1 7点 Tetchy
(2021/05/31 23:37登録)
1878年に書かれた本書はヴェルヌ作品の中期に当たる作品で2部構成となっている。

前半の第1部はニュージーランドからアメリカに向けて出港した捕鯨船が途中で出くわしたナガスクジラとの漁で船長と船員を亡くし、たった1人の船員となった弱冠15歳の少年が船長となって未知なる海域を航海する冒険譚となっているが、後半の第2部は打って変わって奴隷売買の商人に騙されてアフリカに漂着した一行が奴隷商人たちの追手から逃れつつ、コンゴ川の河口のポルトガル人の町エンボマを目指す手に汗握る逃避行が語られる。

本書は『インド王妃の遺産』の前年に発表されている。従って少年船長という、後の『十五少年漂流記』を彷彿とさせる夢のある題材でありながら、後半は人間の卑しさが前面に押し出された暗欝な展開を見せるのはどこか厭世観に浸っていた頃だからだろうか。

タイトルから想起するには実にシビアな内容で少年少女の読み物とするには残酷な描写が多く、思わず二の足を踏んでしまう。
私が特に考えさせられたのが自分たちを奴隷商人たちに囚われることになった原因を主人公の少年船長ディックが悪党を撃ち殺さなかったからだと自分を責めるシーンだ。弱冠15歳の少年が悪人とはいえ、人殺しを躊躇したことを悔やむのである。
今では少年に将来まで人を殺めさせて十字架を背負うことをどうにか食い止めようとするだけに時代の苛酷さを感じた。

また囚われの身となった一行のアフリカでの道中を綴ったディックのノートの抜粋がまた実にシビアだ。黒人の集落を襲い、十数人もの人が死ぬ。川を渡ればワニに襲われ子供を抱いた女性が子供もろともワニに食われる。天然痘に罹って幾人死んだ。とても15歳の少年が絶えられるような出来事ではない。

その後も敵味方の死が続々と描かれる。この死の呆気なさは環境の苛酷さゆえにアフリカでは人の死が普通であると語っているようにも思える。とにかく人が死んでいく。しかも容易に死んでいく。

本書の終わり方を読んだ時に私はある有名な映画を想起した。そう、『猿の惑星』である。このあまりにも有名過ぎてセンセーショナルな結末がもはや公然にネタバレになっている映画の最後のシーン、主人公が猿が支配する惑星に不時着したかと思っていたのが、最後倒壊した自由の女神像を見つけるに至って、地球に戻っていたことをショッキングに悟るシーンと重なる。『猿の惑星』の作者は本書を読んでいたのではないかと思うのは勘繰りだろうか。

しかしヴェルヌの描写はいつも見てきたかのような正確さがあるが、今回はクジラ漁の描写が実に真に迫っていて思わず手に汗握ってしまった。メルヴィルの『白鯨』の影響を大いに受けたかのような細かい描写と迫力に満ちている。これだけ事細かに捕鯨の仕方を書いた小説があったのだろうか。

またヴェルヌ作品の特徴の1つに専門的な内容の説明がふんだんに盛り込まれていることが挙げられるが、本書では特に16世紀から始まったヨーロッパ諸国のアフリカ各地の植民地化の流れとそれに伴う奴隷売買の成り立ちについて筆が割かれている。
奴隷売買が始まったのがスペインを追われてアフリカに渡ったイスラム人たちに起因する。彼らが当時アフリカ沿岸地方に住んでいたポルトガル人たちに捕まり、一族が代わりにアフリカ土人―現在なら差別用語になるが原文を踏襲する―を奴隷に差し出したことから一大奴隷マーケットが始まる。温暖低湿な気候になれたヨーロッパ人にとって暑くて湿度の高いアフリカの開発は苛酷であったので、彼らを労働力として金で買うことで代わりに開拓させたのだ。

本書の物語の時代の19世紀後半にはアメリカの南北戦争も決着が着いて奴隷制度の廃止の傾向にあったがアフリカ奥地ではまだ横行しており、本書の登場人物たちはまさにその渦中に巻き込まれる。従って彼らにとってアフリカ上陸はこの人身売買のメッカであり、更には人喰い人種もいたり、猛獣も跋扈する地でありまさに恐怖以外何物でもない。

しかしだからと云って黒人奴隷に対する白人の上位主義が消えているわけではない。これまでのヴェルヌ作品でも所々で見られたように黒人の人権の低さを感じさせる描写が少なくない。

とまあ、ある意味ヴェルヌの明るい部分と暗い部分が同居した実に珍しい作品である。そしてこのディックの活躍が後期の傑作『十五少年漂流記』に繋がると云われているがあながち誇張でもないだろう。

最後の結末はちょっと駆け足で取ってつけたようなハッピーエンドとも思わなくもないが、本書は復刊するに値する冒険小説だと感じた。特に当時未開の地であったアフリカに白人が迷い込んだ場合の恐怖とそんな苦難に立ち向かう15歳ながらも苛酷な運命を背負ったディック・サンドの冒険は少年少女向けではなく、寧ろ大人向けの内容で今でも読まれるべきだろう。

夢と過酷な現実の入り混じった冒険譚。大人になった読者は当時15歳の自分とディック・サンドを重ねてみてはいかがだろうか。

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