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ミステリの祭典

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哀しきギャロウグラス

作家 バーバラ・ヴァイン
出版日1993年11月
平均点8.00点
書評数1人

No.1 8点 Tetchy
(2021/05/22 01:03登録)
ヴァイン名義の作品はミステリ要素よりも人間心理をメインにしたミステリ要素の薄い、どちらかと云えば純文学寄りのものが多いが、本書は今でいうBL小説だ。
列車への飛び込み自殺をすんでのことで止められた鬱病の青年ジョーとそれを止めたモラトリアムな青年シャンドーがそれをきっかけに同居生活を始め、やがて富豪の妻の誘拐計画を企てる。
ただそれだけではなく、彼ら2人がターゲットとしている富豪の妻側にも恋物語がある。離婚し、娘を男手1つで育てるシングルファーザーのお抱え運転手ポールと富豪の妻ニーナがやがて心通わせ、恋に落ちる。
片や同性愛片や身分違いの道ならぬ恋と、90年代初頭ではまだ前衛的な恋愛と恋愛小説の王道がないまぜになった作品である。

誘拐を企てる者と誘拐されようとする者。この2つの相反するグループには奇妙な符号が見える。
題名のギャロウグラスは作中の登場人物シャンドーの話ではアイルランドとスコットランドの西高地で使われていた言葉で族長に仕える家来のことを指す。これは富豪アプソランドの妻の誘拐を企てるシャンドーが命を救った鬱病の青年ジョー・ハーバートがこのギャロウグラスになるが、実はもう1人ギャロウグラスがいる。それはアプソランドの運転手ポール=ガーネットだ。
更にシャンドーとジョーのコンビに新メンバーとしてジョーの姉ティリーが加わるが、このティリーとシャンドーがお互い求め合う関係になる。そしてジョーは一旦蚊帳の外に置かれる。
しかしこの三角関係は堅牢なものでなく、ジョーを要としてそれぞれが自分の立ち位置を誇示するかのように、つまりシャンドーとティリーは我こそがリーダーであると自らの賢さを誇示するかのようにマウンティングが応酬されるのだ。

ジョー・ハーバートといい、シャンドーといい、ポール=ガーネットといい、そしてニーナの夫アプソランドも加え、総じて本書に登場する男は大人としての未熟さをどこかしら備えている。対照的に登場する女性陣、ニーナ、ティリー、そしてポールの娘ジェシカまでもが達観した考えを持っている。やる時にはやる、そんな覚悟を備えた人たちなのだ。いやあ、女性は強い。

やがてニーナの誘拐をどうにか成し遂げた後、我々は本書に書かれた真のギャロウグラスが誰だったのかを知る。
それはシャンドーだったのだ。
彼はかつてイタリア人と組んでニーナを誘拐した際に彼女に惚れてしまったのだ。その時に交わした再会の約束こそがシャンドーの生きる原動力となった。彼のそれ以降の人生はニーナと再会して結ばれることだけに捧げたものだった。
しかしニーナはその時シャンドーの自分に対する恋心に気付き、それを利用して自分を解放させただけだった。従って再会の約束など反故にし、その後何通も送られてきた手紙も全て捨ててしまっていた。彼女にとってシャンドーへの思いは自分が助かるためだけの手段にしか過ぎなかった。
それを思い知らされ、シャンドーは絶望のあまり、急行列車に投身自殺する。ああ、彼こそはまさしくニーナというプリンセスにその身を捧げた哀しきギャロウグラスだったのだ。
そしてそのニーナにも運命の皮肉が待っていた。

ヴァイン=レンデルの運命の皮肉がここに繰り広げられた。困難を乗り越え、新たな人生を掴もうとした矢先に訪れる悲劇。男を手玉に取った女性には真の幸せなど訪れないということなのか。

人は誰かを必要とし、そして誰かに必要とされて生きている。そう思って生きている。
ジョー・ハーバートはシャンドーに必要とされて生きていると思っていたし、ティリーは金を必要とし、そのためにシャンドーを必要とした。しかしシャンドーは実はプリンセスを手に入れるためだけに彼らが必要であり、プリンセスだけを必要としていたのだ。
そしてシャンドーに必要とされたプリンセスはポール=ガーネットを必要とした。シャンドーは単に自己生存のための道具にしか過ぎなかった。

誰しも誰かのギャロウグラスなのだ。それを生き甲斐にしている。しかし本当に誰かのギャロウグラスなのかを知ることは実は生き甲斐を奪う危うさを孕んでいることを本書はまざまざと見せつけたのである。

貴方には必要とされる人はいるだろうか?
そしてその人は本当に貴方を必要としているのだろうか?
それを知ることは止めた方がいい。それはとても恐ろしい事だから。

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