もの言わぬ証人 ソーンダイク博士 |
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作家 | R・オースティン・フリーマン |
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出版日 | 2020年03月 |
平均点 | 6.00点 |
書評数 | 1人 |
No.1 | 6点 | 弾十六 | |
(2021/05/08 21:35登録) ソーンダイク博士ものの長篇第四作。出版1914年。初出は英雑誌の連載か、と思ったが当時ソーンダイクものを掲載していたPearson’sやNovel Magazineではない。FictionMags Indexには米国週刊誌All-Story Cavalier Weekly 1914-6-20〜7-18(5回)連載との記録があった。この米誌が初出であっても不思議は無い。 私家版の電子書籍(Kindleで安く入手可能)だが、翻訳は流麗。日本語が良く、会話も上手い。訛りの処理も素晴らしい。以下では数か所、翻訳上の異論を書いたが、気になったのは挙げているほんの数カ所だけ。自信を持ってお薦めできる翻訳です。 内容は、面白い巻き込まれ型の冒険談。結構起伏に富んだ流れ。でも解決にいたる部分がちょっと残念(なんかモタモタしている)。フリーマンはこういう構成があまり上手くない印象。本格ミステリ味は薄い、と思ってください。 以下、トリビア。原文はWikisourceによるもの。H. Weston Taylorのイラスト4枚付き。米国人画家なのでAll-Story誌連載時のものか。Wikisourceの元本は米初版The John C. Winston Company, Philadelphia 1915、と記載されている。 翻訳には欠けているが献辞あり。 To, Dorothy Cuthbert and Gerald Bishop [二人が何者かは調べつかず] In Memory of Labors that are Past and in Token of Friendship that Endures (拙訳: 過ぎ去りし労苦の思い出と変わらぬ友情の証しとして) 冒頭「私の学生時代の最後の年、九月のある夜に(a certain September night in the last year of my studentship)(前編p38/3531)」とあり、数年前を思い出して語っている感じだが、どのくらい前だかどこにもはっきり書いておらず、日付と曜日を同時に明記している箇所もない。しかし年代確定のヒントが結構あり(以下の各トリビア参照: 前編p531, 638, 695, 1257, 後編p2881)作中年代は1901年9月であることがわかる。後編第16章の記述から冒頭は9月18日深夜だろう。 貨幣換算は英国消費者物価指数基準1901/2021(126.08倍)で£1=19149円。 前編p38/3531 ハイゲート・ロード(Highgate Road)... ミルフィールドの小道(Millfield Lane)... ハイゲート低地からハムステッドの高台まで(from Lower Highgate to the heights of Hampstead)♣️舞台はロンドンの自然保護区域Hampstead Heath近郊。フリーマンの描写が良く、作者お気に入りの公園だったのだな、と思われる。私は新宿御苑をイメージしました。 前編p198 ハムステッド小道の入口のいわゆる『キス・ゲート』(the “kissing-gate” at the Hampstead Lane entrance)♣️キッシングゲートが定訳か。人は通れるが家畜は通れない構造の門。もしかして訳者さんはロマンチックな門だと勘違いしてる? (2021-5-10追記: 「地球の歩き方」公式Blogで以下の記述があった。 “ところで、だれが思いついたのか。このゲートには名まえがついています。その名も、「キッシングゲート(Kissing Gate)」、つまり、「キス(Kiss)して(ing)通るゲート(Gate)」。 このゲートを通過するときばかりはレディファーストではなくて、男の子がひと足先に通ってしまうのです。そして、向こう側からゲートを押して、手前にいる女の子を通せんぼして言うのです。「キスをしてくれたら通してあげるよ」って……” 嘘くさい由来だけど、こーゆーロマンチックなエピソードもあるんだね。Wikiには別の由来が書いてあり、このネタは出てこない。でも訳者さんはご存知だったのだろう。) 前編p226 自分の髭剃り用カップになみなみと熱いグロッグを(a jorum of hot grog in my shaving pot)♣️なぜ髭剃り用のを使う? 若い独身男の自由な生活の描写か。Grogはラム酒の水割り。英国海軍Vice Admiral Edward Vernon(1684-1757)のあだ名Old Grogに由来。 前編p439 かなりオーソドックスな服装の(Quite the orthodox get up)♣️試訳「全く型通りの身なり」 前編p439 スケッチ用の眼鏡を掛けてたわ。ほら、半月型のやつ(sketching-spectacles–half-moon-shaped things)♣️近くを見る用か。 前編p449 チラ見(snooper)… 学生の間で使われているスラング♣️オランダ語snoepenから。スパイする、の意味のようだ。1891年に米国New Englandでこの意味のsnoop(動詞)が使われている。Cookies, Coleslaw, and Stoops: The Influence of Dutch on the North American Languages (2009) by Nicoline van der Sijsによる。コールスローってオランダ語由来だったのか。 前編p488 態度にはほんの少し上流階級らしさを感じさせるところがあった。が、だからと言って彼女への好感度が薄れることはなかった(with just a hint of the fine lady in her manner; but I liked her none the less for that)♣️反感を覚えるとしたら、ちょっとすまし気味の、貴婦人を気取った感じ、だろうか。 前編p494 マトンのカツレツとフライドポテト(mutton cutlets and fried potatoes)♣️昼食のようだ 前編p506 十一月も半ば(It was getting well on into November)♣️「十一月に入っても良い天候は続いた」というような意味か。「半ば」だと後々の時間経過の描写と合わない。 前編p531 メンデル… 誰ですか? そんな名前聞いたことがありません… 彼の発見の重要性がようやく今になって評価され始めたところなのだ♣️英国ではWilliam Bateson(1861-1926)が再評価を推進。1902年にメンデルの論文を英語に翻訳(Principles of Heredity: A Defenceの序文には1902年3月とあった)、1908年ケンブリッジ大学の遺伝学教授に就任。1910年にReginald Punnett(1875-1967)とともに"The Journal of Genetics"を創刊。 前編p573 昔の教え子(our old students)♣️「医学部の同窓生」という意味か。この後出て来るのは結構ベテランの医者な感じなので、ソーンダイク博士の「教え子」ではなさそう。 前編p638 電気普及以前のこととて、チリンチリンと鳴りながら走る乗合馬車(the jingling horse-tram of those pre-electric days)♣️試訳「チリンチリンと走る電化以前の馬車鉄道」馬車鉄道(horsecarでWikiに項目あり)は英国で19世紀初頭に登場。ロンドンでは1870〜1915に採用、最初の電車(Electric tramway)は1901年。別のWeb記事でロンドンでは1912年にはほとんどの馬引きの乗り物が自動車などに代わった、とあった。交通の発達で馬の数が急激に増えるので、1894年にThe Timesが「50年後、ロンドンは厚さ9フィートの馬糞に埋もれる」という記事を載せたという(Great Horse Manure Crisis of 1894)。 前編p638 『ミカド』の中の曲を…♣️時間通りに(Punctual to the minute)現れたので、Act I, Part XIのPooh-Bahの台詞To ask you what you mean to do we punctually appearからの連想? 前編p649 壜の封の仕方(how to wrap up a bottle of medicine)♣️ここは「包み方」だろう。最後は封蝋(sealing-wax)で留めている(セロハンテープの代わり)。「封」と訳すと壜の口のシーリングだと誤解される。 前編p676 バンブルの言うことはもっともだ。法律なんてクソだよ(Bumble was right. Law’s an ass)♣️DickensのOliver Twist(1838)から”...If the law supposes that," said Mr. Bumble, squeezing his hat emphatically in both hands, "the law is a ass — a idiot...” 前編p676 生きているうちに埋葬されるなんて、小説の中だけ(Premature burial only occurs in novels)♣️このネタ、ポオが嚆矢か。"The Premature Burial"(The Dollar Newspaper[Philadelphia]1844-7-31) 前編p695 火葬(cremation)… それについて新しい法律が制定されるという話もある... 墓地株式会社はそれ自体が法律だから(there is some talk of new legislation on the subject, but the Company are a law unto themselves)... ロンドンの近くにはウォーキング以外には火葬場がない(there is no crematorium near London excepting the one at Woking)♣️サリー州Woking火葬場は1878年開設。ロンドンでは1902年11月、Golders Green Crematoriumが初。1年間で全英で1000件に達したのは1911年が最初で、そのうち542件がゴルダース・グリーンで実施(当時の死者数は50万人程度、火葬率0.2%)。言及されているthe Companyは1900年創立のLondon Cremation Company Limitedのことだろう。 ロンドン近くの火葬場がWokingだけ、とあり、「新しい法律」はCremation Act 1902(1902年7月22日に成立、火葬に英国法律上の根拠を与えたもの)のことだろうから、作中年代は1900年以降1902年7月以前と思われる。 前編p809 検死解剖は行ったか?(Have you made a post mortem?)♣️死因をきちんと確定する検討行為の事だろう。解剖するほどの手間までは要求していないと思う。 前編p810 七十ポンド 前編p868 せっかちな男というのは、自分自身より他の人間の神経を疲れさせるものだ 前編p937 葬式♣️当時の火葬の情景。A Francis Frith postcard of Woking Crematorium, 1901とWeb検索すれば当時ものの絵葉書が見られる。 前編p1121 ポケットナイフの中には工夫に富んだタイプのものがある。主に食卓用ナイフ・フォーク業界(the cutlery trade)のために考案されたものだ… コルク抜き、手錐、まごつくほど多種の刃、鉄へら(蹄に喰い込んだ石などをほじるもの)、爪楊枝、毛抜き、ヤスリ、ねじ回し、その他諸々の道具がセットに♣️VictrinoxのSwiss army knifeの特許は1897年から。「大抵、女性が薦めて男に贈るプレゼント」という観察が面白い。 前編p1236 ハンサム♣️長い訳註あり。思い出した!『二輪馬車の秘密』の評も書かなくちゃ! 前編p1257 私はジャービス。ソーンダイク・オーケストラの第二バイオリンさ。(my name is Jervis. Second violin in the Thorndyke orchestra)♣️第一バイオリンはポルトンか。ジャービスの感じから『赤い拇指紋』(1901年3月9日の事件)の後であることは確実。 前編p1434 入念な予防措置を講じておいても、現場ではこのざまだ… 火葬の危険性がここにある。毒殺者に安全を与えてしまう♣️規則と現実の実態との差をフリーマンは嘆いている。 前編p1473 警察の仕組みというのはプロの犯罪者に合わせて作られている。押し込み、贋金造り、文書偽造、そういった犯罪だ。 前編p1819 私はバイアダクトの手摺に寄り掛かって立っていた。それは見栄えの良い煉瓦造りの高架橋で、私は名前を知らないが、ある建築家によってアッパーヒースを越えたところにある池の上に架けられたものだった♣️建築家はJoseph Gwilt、当時の地主Sir Thomas Maryon WilsonがViaduct Pondにかかるred brick viaductを設置した(1844-1847)。Web検索: The Viaduct Hampstead Heath 1906で、当時の絵葉書が見られる。 前編p1855 ハムステッドは---当時のハムステッドは---奇妙に田舎風で辺鄙な感じがした。しかし、森の中からでさえ、信じられないことに、教会の鐘の音や弾丸の射程距離の範囲内であるほどにロンドンの市街地はすぐ近くなのだ。(Hampstead–the Hampstead of those days–was singularly rustic and remote. But, within the wood, it was incredible that the town of London actually lay within the sound of a church bell or the flight of a bullet)♣️こういう表現(those days)は一昔前(10年ほど前)の回想に感じられる。ガンマニアとしては、教会の鐘の聞こえる範囲と銃弾の有効射程を同列にしているのが面白い。生粋のロンドンっ子はSt Mary-le-Bowの鐘が聞こえる範囲(半径5kmくらい?)で、そこからハムステッド・ヒースまでは7.7km。ここではa churchなので特定の教会は想定していないのだろう。当時のライフルはMauser Gew98を例にとると最長射程3735m。 前編p1948 ミルフィールド小道の回転木戸、別名キス・ゲートを通りかかった(I passed through the turnstile, or “kissing-gate,” at the entrance to Millfield Lane)♣️「回転木戸、というか“キッシングゲート”を」と言い直した感じか。「回転」しないので。 前編p2095 名刺(a card)… カッパープレート書体で印刷された文字(at the neat copper-plate)♣️Copperplateは17世紀初期ヨーロッパで生まれた書体。書体習字の見本帳が銅版印刷だったことから、この名前となった。 前編p2105 ジョン・オ・グローツからランズ・エンドまで(from John o’ Groats to Land’s End)♣️Wikiの項目ではLand's End to John o' Groats、英国本島の南西端から北東端まで。直線距離だと603 miles (970km) だがアイリッシュ海を渡る。伝統的には陸路で歩いてその距離874 miles (1,407km)、自転車で10日から14日が普通。走って9日というのが記録(英Wiki)。 前編p2556 彼らの言葉を借りると『大洞をかます』(to “pitch them my yarn,” as they expressed it)♣️船員がそう言ったのだろう。 前編p2574 ブリキの紅茶ポット、二個の卵焼き、そしてタラの皿を♣️朝食 前編p2611 所持金は四、五ポンド 前編p2655 金貨(a gold coin)♣️当時の最低額の金貨はヴィクトリア女王の肖像でHalf Sovereign, 重さ4g, 直径19mm。0.5ポンド=9575円。 前編p2683 弱き器の方は説明のつかぬ病気を引き起こしたりする[以下、差別的表現があるため削除]。(the weaker vessels develop inexplicable diseases, with a tendency to social reform and emancipation)♣️with以下を訳者さんは削除。だが、取り立てて酷い表現ではない、と思うのだが… 一応、他の電子版も見たが同文であった。 「弱き器」は聖書から。1 Peter 3:7(KJV) Likewise, ye husbands, dwell with them according to knowledge, giving honour unto the wife, as unto the weaker vessel, and as being heirs together of the grace of life; that your prayers be not hindered. 文語訳「ペテロの前の書」夫たる者よ、汝らその妻を己より弱き器の如くし、知識にしたがひて偕に棲み、生命の恩惠を共に嗣ぐ者として之を貴べ、これ汝らの祈に妨害なからん爲なり。 前編p2740 朝刊を持って喫煙コンパートメントの窓際の席に腰を落ち着けたとき、よく言われる英国人の非社交性でもって、私はコンパートメントを独り占めできそうだ、しめしめと思っていた。(when I had established myself with the morning paper in the off-side corner seat of a smoking compartment, I began, with an Englishman's proverbial unsociability, to congratulate myself on the prospect of having the compartment to myself)♣️この感じだとコンパートメントは廊下で繋がっていない古いタイプの客車。off-sideは英国表現で「右側」。 前編p2821 サンドフォードとマートンに出て来てもいいような言い回しだ(It might have come straight out of Sandford and Merton)♣️訳註では英国のベストセラーだった教育的児童書Thomas Day作 The History of Sandford and Merton (1783–89)としているが、もっと読みやすくした多くのリライト版が出ており、Sandford and Mertonもの、として流通していたようだ。(Lucy Aikin編Sandford and Merton: In Words of One Syllable 1868など) 前編p2841 年齢約二十六歳、身長六フィート強、平均的な顔色、髪は褐色、目は灰色、鼻はまっすぐで、やや細い顔、髭は剃ってある(about twenty-six years of age; is somewhat over six feet in height; of medium complexion; has brown hair, grey eyes, straight nose and a rather thin face, which is clean-shaved)♣️人相書の例。 上巻p2942 私はね、地方の旧家で女中頭をやっていて、亡くなった夫は御者をしていました。その私が… 淑女を区別できないとお思いですか?(I who have been a head parlour-maid in a county family where my poor husband was coachman, don't know a real gentlewoman when I meet one? ) 前編p2952 お昼… ポーターハウス・ステーキ(your lunch. It's a small porterhouse steak)♣️T-boneステーキのこと。サーロインとヒレを骨で挟んだ部位。ポーターハウスはヒレ多め、との説あり。 前編p2961 求婚に行くカエル(the frog that would a-wooing go)♣️Charles Henry Bennett(1829-1867)の絵本“The Frog Who Would A-Wooing Go”(1864)から。Gutenbergで文章も絵も見ることが出来る。 前編p3061 ミス・ヴァイン♣️ミス呼びの風習に基づく楽しい場面。私は『ノーサンガー・アビー』で初めて知った。親族に広げると最年長者が、になるのだろう。 前編p3064 アメンホテップ三世が座ってサンドイッチとビールで食事(the seated statue of Amenhotep the Third in the act of refreshing itself with a sandwich and a glass of beer)♣️英国が1823年に獲得した座像。 前編p3064 まるでオセロを演じてでもいる気分(feel like a very Othello)♣️熱演の独白だからか。 前編p3147 伯母は自分の鼻を利用している(she trades on her nose)♣️意味がわからない。ジョークらしいが… 前編p3312 スパークラー氏(訳註: ディケンズの『二都物語』に出てくる人物か)ならば「浮っついたとこなど、これっぽちもねえ」と言うところだろう(a girl—as Mr. Sparkler would have said—"with no bigod nonsense about her.")♣️残念ながらDickens作 Little Dorrit(1855-1857) Book 1, Chapter 21から。she was 'a doosed fine gal--well educated too--with no biggodd nonsense about her.' 前編p3413 わが君は考え事をしておられる(My lord is pleased to meditate)♣️何かの引用?調べつかず。 後編p86 黒蠅(a bluebottle)... オオツノ黄金虫(a Goliath beetle)♣️bluebottleはアオバエが正解だろう。後者はゴライアスオオツノコガネが一般的か。 後編p190 現代版ミュンヒハウゼン(a sort of modern Munchausen)♣️Baron Munchausen's Narrative of his Marvellous Travels and Campaigns in Russia(1785)は英語で書かれた独逸人Rudolf Erich Raspeの作。元は実在のホラ吹き男爵Hieronymus Karl Friedrich, Freiherr von Münchhausen (1720–1797)のエピソード(ベルリン1781年、著者不明)にRaspeが色々付け加えて英国で出版したもの。 後編p228 曲がり角のない一本の道(it is a long road that has no turning)♣️「たまたま今までは全然曲がり角の無い道だったのですよ。」いずれ良いことがあるでしょう、という意味(「どんな真っ直ぐな一本道でもいずれ曲がり角は来る」英語には続く苦労を慰める似たような表現が多数。Every cloud has a silverlining, After night comes the dayなど)だが、じゃあThe Long and Winding Roadっていうのは、沢山の良いことがあった、という含意あり? 日本語だと「曲がり角」は波瀾、トラブルの比喩なのだが。 後編p268 「女は悲しい依存的な生き物です... 依存的というのは、自分の幸福が周囲の人々に依存しているという意味です... 男の人は... 仕事があって、野心があって、それで他人に依存することなく生きて行けます。ところが女の方は、人生にはより大きな目的があるなどと口ではどんなことを言おうと、夫と家庭と可愛い子供が一人か二人いれば、それで野心は満たされるんです♣️フリーマンの女性観。当時の英国男性は皆そうかも。 後編p317 羨望の緑の目(the green eyes of envy) 後編p596 トラップドア(the trap)♣️訳註「ハンサム馬車には屋根の後方に上げ蓋式のドアがあり、それを開けて御者に指示を与えた」TVシリーズRaffles(1977)第三話に映像資料あり。 後編p660 帽子に封筒を二枚挟んで(stuffing a couple of envelopes into the lining of [個人名]'s hat)♣️帽子の中の「ビン皮(lining)」に挟んだ、ということ。 後編p710 グリーン・ルーム(the green-room)♣️楽屋 後編p747 チャーリーの伯母さん(Charley's Aunt)♣️Brandon Thomas作の喜劇。初演はTheatre Royal (サフォーク州Bury St Edmunds) 1892年2月。連続上演記録を塗り替えたヒット作(1466回)。ブロードウェイやパリでもヒットとなり、数度の映画化(1925他)、ミュージカル化がなされている。 後編p1391 アン女王と同じぐらい死んでいた(as dead as Queen Anne)♣️アン女王の死(1714-8-1)は、当初王室で秘密にされていたが、その情報は早くから漏れており、皆に知れ渡っていて誰も驚かないよ、という歴史上の逸話から出来た言葉。 後編p1391 死亡を証明する唯一の決定的指標は腐敗だということだ。確かテイラーだったと思う(the only conclusive proof of death is decomposition. I believe it was old Taylor who said so)♣️Alfred Swaine Taylor(1806-1880)のことだろうか。英国の毒物学者で英国法医学の父と呼ばれている。 後編p1401 最初の疑問:ラインハルトは生きているのか?にはイエスだね(You answer his first question: 'Is Reinhardt alive?' in the affirmative)♣️これは誤読を誘う翻訳。試訳「彼の最初の疑問〜に君はイエスと答えたね」 後編p2094 通常の五ギニーの報酬(the usual fee of five guineas)♣️医者への報酬の相場なのか。1ギニー=1.05ポンド、報酬として良く使われる単位。今までの印象としては1ポンドと同じに使われている感じ。 後編p2326 近頃の小口径の連発ピストルは殺傷能力は高いのに、音は非常に小さいものですよ。特に弾頭部分を開けておけばね(these modern, small-bore, repeating pistols make very little noise, though they are uncommonly deadly, especially if you open the nose of the bullets)「リピーティング・ピストル」という言い方は1900年ごろには残っていたが1910年ごろには廃れている(オートマチック・ピストルという用語が一般的になった)。open the nose of the bulletsはソフトポイント弾みたいなものか。でもそれが消音効果を持つというのは聞いたことがない。 後編p2662 『復讐するは我にあり』とは主の言葉(Vengeance is mine, saiz ze Lordt!)♣️原文では最後が訛ってるが引用元はRomans 12:19 (KJV) Dearly beloved, avenge not yourselves, but rather give place unto wrath: for it is written, Vengeance is mine; I will repay, saith the Lord. 文語訳「ロマ人への書」愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』とあり。 後編p2691 骨壺... それは側面が長方形の粘土の素焼きの容器で、高さ約十四インチのものだった(the urn—which was an oblong, terracotta vessel some fourteen inches in length) 後編p2881 一八七〇年頃のシャスポー銃(a chassepot of about 1870)♣️普仏戦争(1870-1871)でフランス軍が使用。プロシア軍のドライゼ銃(当時の日本では普式ツンナール銃と呼ばれた)に比べ、最新式で長射程(最長1200m)だったが、フランス軍は惨敗し、銃の評判も下がった。このライフル銃はソーンダイクもののとある短篇にも出てくる。それから「三十年以上前に(more than thirty years ago)後編p2881」ということなので作中年代は1901年以降か。 |