夜の謎 レオ・カリング 『新青年』昭和2年6月号~12月号 |
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作家 | S・A・ドゥーセ |
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出版日 | 不明 |
平均点 | 2.00点 |
書評数 | 1人 |
No.1 | 2点 | おっさん | |
(2021/04/01 15:50登録) スウェーデン最初の探偵作家と言われ、1913年から1929年にかけて、14冊の私立探偵レオ・カリングものの著作を残した、S・A・ドゥーセは、戦前の我国で、おもに小酒井不木の尽力で長編の翻訳――ドイツ語訳からの重訳――がおこなわれました(そのうち幾つかは、筆者も本サイトで紹介してきました)が、ドゥーセの短編――著作リストでシリーズ九冊目にカウントされている、1923年の Leo Carrings dubbelgångare というのが、どうやら短編集らしい―― はもっぱら斎藤俊という訳者が手がけていました。 その斎藤俊の、唯一のドゥーセ長編の翻訳が、『新青年』昭和2年(1927年)6月号~12月号にかけて分載された、この『夜の謎』になります。 原題を Nattens gåta といって、1922年作の、レオ・カリング・シリーズ第八長編ですが、先に『新青年』で訳された『スミルノ博士の日記』や『夜の冒険』(ええい、題名が紛らわしいぞっ)と違って、連載終了後に本になっていないので、いまとなっては、この存在を知る人はまれでしょう。 筆者は別段、ドゥーセ愛好家というわけではないのですが、たまたま本サイトへの初投稿が「スミルノ博士」だったこともあって、キリ番の100作目のレヴューをドゥーセにした(そのとき採りあげた『生ける宝冠』が意外に面白かった)経緯があり……ええい、じゃあ、ようやく迎える200番目も、どうせならドゥーセで飾ってしまえ、と。幸い、資料を提供してくれる強力な助っ人の存在に恵まれて、幻の作品にチャレンジすることが出来ました。 面白ければ、万々歳だったのですが―― ――その夜、法学界の権威リッテル教授の客間では、「私」や私立探偵カリングを含む旧知のメンバーのあいだで、教授の亡くなった義兄が家主をしていた、スツレ街のアパートで先日おきた、奇妙な暴行事件が話題になっていた。アパートの門番と、街路を巡回中の警官が、頬に火傷の痕のある謎の男に誘い出され、気絶するほど殴打されたのである。犯人の目的は何だったのか? 教授宅をあとにした「私」も、たまたまスツレ街に足を向けたところ、火傷の男に遭遇し殴り倒されてしまう(先刻、教授の娘に失恋したばかりで、まさに踏んだり蹴ったりの「私」なのであった)。 そこに通りかかったのが「私」の旧友で、彼がたまたま問題のアパートの住人だったことから、「私」は彼の部屋で少し休んでいくことにするが、例の門番が、上の階からアパートの昇降機(リフト)を降ろすと、中には女の死体が横たわっていて―― う~ん。 物語の大部分、舞台を、謎を秘めたアパートに限定し、時間も、夜明けまでと限定したうえで、殺人事件の捜査と宝探しの冒険譚を展開していきますが……強引にリンクさせてはいますが、じつのところ、殺人(レオ・カリングの捜査)と宝探し(「私」の冒険)は別々のエピソードなんですよ。たまたま同じ場所が舞台になっているだけ。別々に短編で書けばよかったのでは? 宝探しパートは、まあ、種明かしされてフーンという感じではありますが、ドロシー・L・セイヤーズの「因業じじいの遺言」みたいで悪くない。遺産相続人のお転婆娘が出てくるあたりも。こちらはクロスワード・パズルではなく、「謎絵」の絵解きが中心興味になっています。 ただ、殺人事件パートの出来が壊滅的にヒドイ。 犯人は一応、嫌疑を免れるためトリックめいたものを使っているのですが、なぜか、あとで小道具を片付けるのを忘れていますし、読者のあずかり知らないところで、偶然、それを発見したというカリング自身、「犯人がどうしてこれを残して行ったのか、これだけはどうしても合点が行かない」と、のたまう始末。いっぽうで、犯人を追いつめるためならなんでも正当化されるといわんばかりの、カリングの強引な探偵法も、相当にどうかと思います。犯人から、自分がカリングだったら、その卑怯さに「それこそ赤面の至りですがね」と吐き捨てられる始末。 本作が『新青年』の「連載終了後に本になっていない」のも、出来を考えれば止む無し、ですね。 『スミルノ博士の日記』や『夜の冒険』は、1910年代という発表年代を考えれば、欧米の水準に照らしても、それなりの評価は可能でしょう。 しかしこちらは、1920年代に入ってからですから……かなりキビシイ。 エンディングがラブコメみたいで、そこはニヤリとできたので、1点オマケしておきます。 |