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ミステリの祭典

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工学部・水柿助教授の逡巡
工学部・水柿助教授シリーズ

作家 森博嗣
出版日2004年12月
平均点3.00点
書評数1人

No.1 3点 Tetchy
(2020/07/23 00:36登録)
水柿助教授シリーズ第2作目。前作に劣らず、本書でも森氏は自分の思いの丈を存分に語っている。これほど作者の嗜好が、思考がダダ洩れしている作品もないだろう。まさに気の向くまま、思いつくままに書かれている。
これは作者に全てを委ねることを許した幻冬舎だからこそ書けた作品集である。
いやあ、実際作者に好き勝手やらせ過ぎである。本書の出版に際して編集会議がきちんとなされたのか甚だ疑問だ。いやもしくは当時そんな反対意見を差し込めないほどに森氏の作家としての権威が既に高かったということなのか。

今回全体を通して読むと、やはり本書は森氏の私小説と云えるだろう。第1話では理系思考の作者がなぜミステリィ作家になったのか、そのギャップを埋めようと云う意図で書かれているとさえ吐露している―しかしあまりに自由奔放に書き過ぎて全く成功していないようだが―。
結局この企みは成功せず、物語の主軸は一大学の一助教授だった森氏が経験した小説家になったことでの生活のギャップが綴られていく。

また本書の中での水柿君のある心境の変化が興味深い。
助手時代は好きなことをして賃金ももらえるなんて幸せだと思っていたのに、助教授になって研究以外の仕事が増え、特に会議が増えたことで苦痛を覚え、これだけ我慢して嫌な時間を過ごしているのだからお金を貰えて当然だと思うようになったこと。ただ助手時代は好きなことができたが給料は安かったのに対し、助教授では助手時代の2倍以上の給料をもらうようになったのは嫌なことをしなければならない対価が増えたのだと考えているところだ。
私は労働報酬とは嫌なことを我慢してやったことへの対価であり、生活のためにその我慢をしているのであるという考えの持ち主なのでこの水柿君の後半の考えには全く同意だ。
一方で社会人になって一度も好きなことをさせてもらってその上給料まで貰って幸せだ、なんて思ったことは一度もない。かつて勉強させてもらった上に給料も貰っているんだから幸せだと云っていた上司がいたが、当時はサーヴィス残業当たり前の風潮だったので何云ってんだ、コイツと思ったものだ。

おっと作者の心情ダダ洩れの作品だっただけに私の心情も思わず露出してしまったようだ。

さて本書は大学の助教授だった水柿君が奥様の須磨子さんの何気ない提案から小説を書くようになり、それが出版社に認められ、あれよあれよという間に売れっ子作家になって貧乏から脱け出し、お金持ちになったところで幕が引く。

しかし私はこの件を読んで、売れる作家と売れない作家の境界とは一体何なのだろうかと考えてしまった。

ここではもう敢えて水柿君と呼ばず森氏と呼ぶことにするが、森氏が特に小説家になりたいと願ったわけでもなく、偶々手遊びで小説を書いたらそれが編集者の目に留まって一躍売れるほどになった。しかも森氏は自分が小説を書きたいと思って書いてるわけではなく、依頼が来るから書いていると非常にビジネスライクだ。
一方で小説が好きでいつか自分も小説家になりたいと願い、何度も複数の新人賞に応募して落選を繰り返し、ようやくその苦労が実を結び、晴れて作家になれて、自分の創作意欲が迸るままに作品を書いて発表しながらもさほど売れない作家もいる。
熱意があってもその作家の作品が売れるとは限らないが、逆にさほど熱意もないのに書いたら売れている作家がいるというのは何とも人生とはアンフェアだなと感じざるを得ない。それは森氏は天才であり、このような書き方は森氏しかできないことなのだ。つまり一般人が、いや少しばかり才能があっても天才には敵わない現実を知らされた思いが本書を読んでするのである。

本書を冷静に読める作家は果たして何人いるのだろうか。私が同業者ならば自分の境遇と照らし合わせて身悶えするはずだ。ある意味本書は作家殺しのシリーズだ。
さて残りはあと1冊。しかし宣言通りに3作書き、それがきちんと刊行されたということはそれなりに売れたということか。売れる作家は何書いても売れる。やはり作家殺しだ、この本は。

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