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ミステリの祭典

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氷のスフィンクス

作家 ジュール・ヴェルヌ
出版日1979年05月
平均点5.00点
書評数1人

No.1 5点 Tetchy
(2020/07/13 23:43登録)
本書はヴェルヌ作品の中でも今までにない変わった内容となっている。それはエドガー・アラン・ポーの小説『アーサー・ゴードン・ピムの冒険』が下敷きになっているのだが、それはこのポーの創作と思われる作品が事実であるという前提で、しかもそのポーの作品の登場人物たちが本書の登場人物に浅からぬ縁があり、さらには身分を偽って登場するという展開を見せる。
即ちこれはヴェルヌによる先述のポー作品の続編ともいうべき作品なのだ。

さてこの特殊な構造の作品について色々考えるところがある。

1つはポーの件の小説にインスパイアされたヴェルヌが自身も南極を舞台に物語を紡ごうと考えた時に―私は原典の作品を読んだことはないが―自らその世界観の中での話を書きたいと強く願ったことが動機になったこと。恐らくはこれが本当の理由だろう。

もう1つ思うのはシュリーマンのエピソードだ。トロイの木馬という神話を史実であると信じてそれを証明した彼の姿が本書の登場人物ジョーリングと重なる。無論登場人物たちがポーの作品の登場人物そのもの、もしくは所縁の者たちであるとの違いがあるが、ジョーリングがポーの作品の読者であり、その作品に魅了された彼が偶然その所縁の人物たちと出逢うところが何とも創作から出た真実に導かれる、その流れがシュリーマンの話を想起させてならない。
てっきり作り話だと思われていたことが実は本当にあったことだった、という展開は冒険好きには何とも堪らない設定だ。

また本書はヴェルヌの極地探検小説の集大成とも呼ばれている作品で、19世紀末当時の船舶設備と航海術での南極行の困難さと厳しさが描かれているのもまた特徴的だ。その極寒の地で次から次へと訪れる苦難とそれに加えて南極行のために新たに雇った船員たちによる叛乱と彼らにほだされた船員たちの裏切りといった自然のみならず人間間の戦いのドラマが描かれており、それはさながらアリステア・マクリーンの小説を読んでいるかのようだ。
特に最終、氷山に打ち上げられた彼らの乗るスクーナー船、ハルブレイン号が氷の融解により支えを失い、複数の船員を巻き添えにして転落していくシーンは今までのヴェルヌにない現実的な地獄絵図を見せつける。

さて題名ともなっている氷のスフィンクスとは一体何なのか?
この不思議な言葉は2回物語に登場する。

最初はジョーリングの夢の中で南極点で出遭う、最も高い視座で南極を見下ろす、不可侵的存在。

次は物語の最終で彼が南極から脱出しようとしている時に立ち塞がる氷の山塊として。そしてその山塊は強力な磁力を持っており、それによって逃げることが叶わなかったポーの小説の主人公アーサー・ピムの亡骸とダーク・ピーターズが再会するのだ。
つまり氷のスフィンクスは数々の冒険者を葬ってきた絶対的存在、つまり南極点そのものの象徴であることを示しつつもそこから生還することがいかに困難かを思い知らす試練そのものであるとも云えよう。

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