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ミステリの祭典

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天上の青

作家 曽野綾子
出版日1990年09月
平均点7.00点
書評数1人

No.1 7点 クリスティ再読
(2020/03/16 23:44登録)
曽野綾子というとねえ...エッセイを読むかぎりでは愚論家・暴論家としか思えないのだが、いや小説家としては上出来。そもそも良い小説を書く能力と、時事に対して公正で洞察に富んだ発言をする能力とは、全然別、というかひょっとしたら反比例するのかも?と評者は思うくらいだから、小説が面白いことを認めるのにやぶさかではないな。で本作は新聞連載されて当時評者面白く読んだこともあって、今回再読。
湘南の海辺の町に和裁で生計をたてるオールドミス雪子の家に、一人の男が訪れた。「きれいな青だなあ」と男は雪子が育てた「ヘブンリー・ブルー」という品種の朝顔の花をほめた。これをきっかけにその男はしばしば雪子の元を訪れては、とりとめもなく話をして帰るような交流が続いた。この男、宇野富士夫は詩人を自称して、両親に寄生して仕事もせずぶらぶらと暮らす一方、女性をマイカーに誘って殺して埋める殺人鬼だった...
1971年に発覚した大久保清事件をもとにして書かれた小説である。ヒロインのオールドミスの雪子が、富士男に狙われるか...というと全然そうじゃないあたりにこの小説の面白味がある。なのでいわゆるサスペンスはゼロ。この雪子は作者らしくカトリックの信仰があるが、自然体で「のほほん」とした、普通の生活者だがどこかしら超俗的な女性。富士男は小説中で3人の女性と1人の少年を殺し、2人の女性を遺棄して結果として死に至らしめるなど、欲望と歪んだ復讐の念から勝手気ままな蛮行を尽くすのだけども、何というのかな、妙に「人がいい」。ガールハントした女でも、話を聞いてやって食事をおごってそのまま帰した女もいて、必ずしも殺人が目的というわけでもないのだ。行き当たりばったり、「適当でいい加減な殺人鬼」だというあたりにリアルさがある。
こんな富士男と雪子の交流が小説の主眼になる。雪子は「のほほんとした聖女」といえばその通りで、富士男も雪子を殺そうという気には少しもならない。しかし、雪子の人格や信仰が富士男に何か影響を与えたか...というとそういう話でもない。浅いと言えば浅い付き合いだが、それでも雪子は逮捕された富士男の運命を気遣って、弁護士の手配やら手紙のやり取りやら、かかわりを持ち続ける。この浅くて淡白な関係性が、なかなかユニークで、いい。
この二人の関係については特に事件らしい事件も起きないのだが、それでも最後まで雪子は富士男の運命を見つめ続ける。そこに批判も非難も、ましてや愛による弁護があるわけでもない。センセーショナルな題材をまったくセンセーションなしに描こうとした、立ち位置のうまさがこの小説の持ち味。いいじゃないか。

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