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ミステリの祭典

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テスト氏
別題「ムッシュー・テスト」

作家 ポール・ヴァレリー
出版日1967年05月
平均点7.00点
書評数1人

No.1 7点 クリスティ再読
(2020/02/02 15:58登録)
ポオをやった余勢を駆って、というか、その直後くらいじゃないとさすがにこれ、取り上げられないよ~というのも、ホームズがデュパンの子供であることは言うまでもないんだど、デュパンの子供はもう一人、いる。それがこのエドモン・テスト氏である。
ただし、このテスト氏、デュパンと同じく透視的な知性を持ちながらも、犯罪事件・捜査にはまったく関心がなく、それを自分と他者の「認識」についてだけ適用する、という「思索家としての探偵」なのである。

限度をこえた鍛錬を加えられあのようにきびしく自分自身に向けられた魂のなかにはあるのでなければ、おそらくは悪もその原理的な点で言わば無力化してしまうほど正確に認識されているのでなければ、まったく憎むべきもの、ほとんど悪魔的なものにもなりかねぬあの傲慢だ

と、推理家の傲慢が、悪へと誘惑されがちなのに対して、それを跳ね返すだけの「認識の鍛錬」が強調されている。これこそが「探偵の形而上学」である。傲慢にも鍛錬の基礎があるために、

おのれの感動を、愚劣、衰弱、無用事、愚鈍、欠点と見なすこと、―船酔いとか、高いところで目をまわすとか、屈辱的なことがらと見なすこと。

とこの鍛錬にはもれなく「無感動の美学」がついてくる。これがダンディズムというものだ。
というわけで、このテスト氏の肖像は、いわゆる「名探偵のカッコよさ」というものを正確に意識して、その基礎から丁寧に説明したようなものである。それゆえ「名探偵とは何か?」を考察するうえで、必要不可欠な本の一つだと評者は思う。

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