home

ミステリの祭典

login
群狼の海
別題「死の波を越えて」

作家 高橋泰邦
出版日2000年02月
平均点8.00点
書評数1人

No.1 8点
(2019/12/23 11:30登録)
 太平洋戦争も敗戦の色濃い昭和十九年十二月の半ば、商船長・高村栄次郎は東神奈川の陸軍輸送司令部へ出頭を命ぜられた。アメリカの機動部隊に制海権を握られた海上を突っ切り、石油を豊富に産出するスマトラ島のパレンバンから、航空燃料を積み取りすみやかに帰港せよというのだ。
 いまや死地と化した太平洋を往復せよとの無茶な命令――かねてからのシーレーンを軽視した軍部の無知に憤りを覚えていた高村は激高するが、輸送司令・堀越中佐とのやりとりに矛を納め任務を受諾する。中佐は油送船・燦洋丸乗組員の人選その他にも便宜を図ってくれた。副官の東堂一等航海士を始め村岡二等航海士、三好甲板長、小川機関長、いずれも気心の知れた仲間だ。加えて息子泰光の同級生・熊谷見習士官。だが肝心の船は貨物船を改造した、急ごしらえの油送船でしかないのだ。
 こうなれば彼らが愛する者たちと共に暮らせるように、再び平和な海を航れるように、経験と能力のあらん限りを尽くして、この船を無事に帰港させてみせる!
 そして特攻油送船・燦洋丸は敵B29の三機編隊が来襲する中、五十五名の乗組員を乗せて軍用棧橋を出航した。はるかインドネシアの石油精製基地・パレンバンへ向けて――
 2000年発表。軍事雑誌「丸」誌に平成十年一月号から平成十一年八月号まで、『死の波を越えて』と題して連載したものを、ふたたび推敲し加筆した上で改題刊行したもの。作者高橋泰邦は翻訳・著作家で、訳書にはC・S・フォレスターの〈海の男ホーンブロワー・シリーズ〉をはじめ先に挙げた87分署シリーズ「電話魔」など多数。作家としては海洋ものの大御所として知られています。
 本書はその最晩年、作者七十二歳の時に完結し、七十四歳で改訂刊行されました。ただし「作者あとがき」にも〈五十余年来の夢がようやく叶った〉とあり、ある意味これを世に出せるようにするために今までがあったというだけあって、枯れた気配は微塵もありません。
 船団ではなく独航(単独航海)の利点を生かし、常識の逆を行く高村船長。わざと海面の荒れる時化を狙い、また潜水艦の攻撃を避ける為に、座礁の危険を覚悟して徹底した迂回と沿岸航法を試みる。短時間のうちに舵手を次々交代させる〈のたくり航法〉、さらに夜間航行を主とするフクロウ・ワッチ。加えて航空機の視認を逃れるため船体を塗り替える保護色戦術。
 ここまでやって運悪く敵に直面した場合でも常識に囚われず、とっさの判断で回頭・転針を行い、臨機応変に作戦を立案し、少しでも生存確率を高めようと努力する・・・
 出発時に「死の宣告」と形容されるほどの任務ですが、乗組員のみならず読者にも〈これなら生き残れる〉と確信させるのが船長たるところ。精神論ではなく、経験と状況判断からくる〈確立論〉を船員たちに提示し、分岐点では必ず決を取りかつ普段の人身掌握も怠りません。人事を尽くし、策を練った上であとは全てを天命に任せます。
 作者の父親をモデルにした半ノンフィクションであり国産海洋文学の傑作。アイデア豊富なサバイバル戦記小説としても読めます。掲載誌の関係で文体は大時代ですが、敬遠するのは少々勿体無い。著者の五十年にわたる文筆生活のすべてが集約された作品です。

1レコード表示中です 書評