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ミステリの祭典

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薄桜記

作家 五味康祐
出版日1965年05月
平均点8.00点
書評数1人

No.1 8点
(2019/12/02 08:25登録)
 元禄年間。旗本中二人とおらぬ剣の腕を持つ武士・丹下典膳は、大坂城番組を命ぜられたため、新婚わずか二月で愛妻千春と別れて暮らすこととなった。が典膳が大坂に赴いたあと、千春の身に芳しからぬ風評が立つ。千春の幼馴染で上杉家の侍・瀬川三之丞が足しげく見舞いに通ううち、あやまちを犯したのではあるまいかというのだ。
 大坂勤番を終え江戸に戻った典膳は事の成り行きに苦慮するが、帰府祝いの謡の席でかねて捕らえおいた狐を斬り捨て、すべては妖怪の仕業と言いくるめる。世間の疑惑も晴れ、夫婦の仲もむつまじく全てはなにごともなく終わったかに見えた。
 だがそれからわずか一月。典膳は突然千春を離縁する。上杉家留守居役を務める舅・長尾権兵衛を訪れ話を切り出した典膳だったが、居合わせた千春の兄・竜之進に一刀を浴びせられ左腕を斬りおとされる。彼は声ひとつあげず、じっと座りつづけたまま斬撃を受けた。禄三百石の旗本丹下家は、無抵抗を咎められそのままお取り潰しとなった。
 忠僕・嘉次平に助けられ深川八幡町の浪宅に居を構える典膳。小石川中天神下の一刀流道場の同門・中山安兵衛はかれの行為に人知れず感銘を受けた。その後高田馬場の決闘で江戸市中の人気者となった安兵衛は居宅を訪れ交誼を結ぼうとするが、なかば世捨て人として暮らす典膳に会うことはかなわない。
 そんな折、富岡八幡宮の社殿で出会った天下の豪商・紀伊国屋文左衛門のはからいで、安兵衛と典膳は遂に席を共にすることとなる。数奇な運命で繋がれた二人の、これが初めての邂逅だった――
 『産経新聞』夕刊紙上に1958年7月から1959年4月にかけて連載。「忠臣蔵異聞」ともいえる内容に加えて二度の映画化、TV化、加えて複数の舞台化など、一般には五味康祐の代表作とされる作品。柳生連也斎、松尾芭蕉、オランダ人の血を引く混血娘・ヘレン等彩りも鮮やか。特に海外雄飛の野心を抱き、典膳に惚れ込んでパートナーに迎えようとする大物・紀伊国屋は強い印象を残します。放蕩の末零落れたと言われる彼が、なお四万両の資産を蓄えていたことは知りませんでした。本編でも良い役回りです。
 ミステリとしての謎は〈なぜ何事も無く終わったと見えた後、千春を離縁したのか〉〈なぜ無抵抗のまま斬られたのか〉ですが、これは最後まで説明されません。およその見当は付きますが。
 途中まで憎々しげに振舞っていた千春の兄・竜之進も、よんどころなく仇役を演じていたことが判明。世間になじられながらも必ずよき理解者を得る典膳ですが、それにもたれかかろうとはせず常に孤高を保ちます。ただ一度だけ千春を忘れ、口入れ稼業の元締め・白竿長兵衛の妹お三と夫婦になろうとしたのが最後の迷いでしょうか。これを振り切った後はただひたすら、己の武士道に殉じます。
 格調高い文章からふくよかな美学の匂う作品。考証癖もこの作者としては比較的少なくおすすめです。

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