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ミステリの祭典

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氷柱
別題『氷柱 身代り殺人事件』

作家 多岐川恭
出版日1958年01月
平均点7.00点
書評数1人

No.1 7点
(2019/12/29 06:13登録)
 人口十万から十五万のどこにでもある日本の小都市・雁立市。しかし、この町に一人の変った男が住んでいた。元中学教師ながら他界した両親から数十万の遺産を譲られ、自然のままに放置された三万坪の敷地を「私の王国」と称して、女中の政と二人きりで隠棲生活を送る中年の男・「氷柱」こと小城江保。人との交わりを絶ち、完全なる傍観者としてただ自然と音楽だけに親しむ静かな日々。
 だがそんな生活も、散歩の途中自動車にはね飛ばされた女の子を見つけたことで終わりを告げる。その場は無関心に立ち去った小城江だったが、人形のように静かな死体は彼の心にもさざ波のようなものを残していた。
 翌朝社会面の片隅の記事を読んだ小城江は、少女――花房ルリ子の轢き逃げ捜査の難航を予測する。彼は発見者兼目撃者として警察へ助言に赴くが、それは彼女の母親・登喜子との出会いと、彼が奇妙な役割を務めることになる一連の殺人の始まりだった・・・
 昭和三十一(1956)年、河出書房『探偵小説名作全集』全11巻の別巻として出されるはずだった一般書き下ろし次点作品で、多岐川恭の処女長編。ちなみにこの時の当選作・仁木悦子『猫は知っていた』は、江戸川乱歩の勧めで公募新人賞の江戸川乱歩賞に回され、翌年見事に小説作品としての初受賞となりました。
 本編はそのまた翌年の昭和三十三(1958)年、『濡れた心』での作者の第4回乱歩賞受賞に伴い、改めて河出書房から刊行されたものです。この年『点と線』『眼の壁』がベストセラーになったばかりの松本清張が激賞し、乱歩と探偵小説文学論を展開した木々高太郎が序文を寄せています。いわば社会派ブームが巻き起こる直前に発表された、異色のデビュー作。
 何よりも特異なのは主人公の造型と性格設定で、上記のようにとにかく自分を無感動に律しようとする。ただ無能力かといえば大きな誤りで、その観察力や推理力は捜査課長の由木警部が一目置くほど。普通はここで彼が探偵役となるのですが、ひねくれた作者のことですからそうはなりません。なんと話はここからクライム&倒叙物に突入します。
 それも小城江の性格ゆえの遅々たる展開。自動車事故が三月で、行動を起こすのは夏になってから。荒んだ登喜子を家に引き取り、何をするでもなく身近に棲まわせる。彼女に惹かれながらも決して手を出すことはせず、キレた登喜子が捨て鉢にアタックしてきてもそのまま。彼はこの状態を〈凪ぎの日々〉と形容しています。
 こういう男が〈弱い者への愛〉のために、法で裁けぬ罪を犯した者たちに私的制裁を加える。それも衆人環視の場所で相手を拘束し、素っ裸にして晒し者にするといった奇矯な方法で。これが描かれる犯行過程もなかなかですが、さらに便乗殺人が行われることにより小城江が最終的に探偵役となるのがまた異色。犯人→探偵の役割転換が行われる作品は他にもありますが、その性格描写も手伝って本書はとりわけ複雑な余韻を残します。
 トリックとかは付け足しぽいですが、海外にも類の無い作品ということで7点。一風変ったラブロマンスとしても読めます。木々先生は惜しがっていますが、真情を秘め隠したこの結末の方がキャラに合っているでしょう。

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