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ミステリの祭典

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鳥獣戯話

作家 花田清輝
出版日1962年01月
平均点8.00点
書評数1人

No.1 8点 クリスティ再読
(2019/09/02 11:29登録)
山田風太郎「室町お伽草子」の面白ネタを提供した作品が本作なんだが、山風以上に強烈に面白い「小説」である....とは言ってもね、花田清輝、である。「小説」と名乗ってはいるが、「〇〇は言った。」とかそういう描写はゼロな、エッセイに近い読み心地のもので、司馬遼太郎のウンチク部分だけが続くようなものだと思えばいい。それでも虚構と史実をないまぜに、というか、史実・でっち上げ文献による虚構・戦国時代の庶民が夢見た「幻想」・花田の戦後社会批判の間を自在に飛び回る「超・小説」と言っていいような「歴史小説」である。
しかもね、「意地悪ジイサン」花田だ。山風が採用したゲームマスター無人斎道有(武田信虎)といえば、ナミの歴史小説だと信玄の引き立て役くらいの悪役なんだが、本作では戦国武将なんぞ自分からドロップアウトした、「乱世を生きるもう一つの修羅」、将軍義昭のバックの辛辣な口舌の徒として、上洛した織田信長と機知の戦いを演じた、信長包囲網の影の立役者として描くのである。

ところが、とくに戦国時代をあつかう段になると、わたしには、歴史家ばかりではなく、作家まで、時代をみる眼が、不意に武士的になってしまう気がするのであるが、まちがっているであろうか。

と、司馬遼太郎の戦国ものがイマドキ親父のコスプレ芝居にしか見えない評者の、マイナーなニーズに存分に応えてくれる。しかも、本作の軸になるのは「鳥獣戯話」というタイトルからしてその通りの、猿・狐・ミミズクといった動物たちなのだ。

父親(信虎)の猿中心のものの見かたを、不肖の息子(信玄)はあくまでも人間中心のそれに置き換えようとするのである。たとえば信玄が、城らしい城をつくらなかった理由を説明するさいに、しばしば、引用される「人は城人は石垣人は堀、なさけは味方あだは敵なり」というかれの和歌にしても、あるいは信虎の「猿は城猿は石垣猿は堀、なさけは仇あだは生き甲斐」というような和歌からきているのかもしれないとわたしは思う。なぜなら、あらためてくりかえすまでもなく、猿のむれの戦略・戦術にもとづいて豪族たちの反抗に終止符をうち、それ以来、甲斐の国に城らしい城をつくるのを禁じた最初の人物は、息子のほうではなくて、父親のほうだったからだ。

猿になり狐になりミミズクにと多彩な変身を遂げて、人の小賢しい知恵をあざ笑う無人斎(それはヒトデナシ、という意味だ)の肖像に評者なんぞ強烈にイカれたものだった....「歴史小説」や「歴史ドラマ」がシタリ顔でお説教して、心の「ケモノ」を調教しようとするのを強引にひっくり返す力業が最高。そうしてみると、「日本史の通説をひっくり返す」過激な歴史ミステリかもしれないか(苦笑)。
評者は高校生の頃に「復興期の精神」を読んで以来、花田清輝を自分の師匠と思っている。評者に与えた影響、というのならもちろん10点。しかし本サイトのニーズからは外れているので、8点にしておこう。
(実は花田清輝、ミステリ論もしているし、時評の中で触れていることも多い...「時の娘」評も書いてるよ。そうだね、そのうちやろうか)

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