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ミステリの祭典

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たった一人の海戦

作家 セシル・スコット・フォレスター
出版日1979年10月
平均点8.00点
書評数1人

No.1 8点 人並由真
(2019/08/29 02:31登録)
(ネタバレなし)
1893年の英国。青果販売業で財を為した実業家の長女で29歳のオールドミス、アガサ・ブラウンは、知人の家に宿泊に向かう途中、車中で知り合った英国海軍中佐の青年R・E・S・サビル=サマレイと、ほぼひと目ぼれ同士の恋に落ちる。そのままサマレイに処女を捧げたアガサは五日間の同衾ののち、平静を装って帰宅。その時に懐妊していた彼女は、やがてシングルマザーとして息子アルバートを生んだ。アガサはその後、サマレイに二度と会うことは無かったが、彼の素性を調べて知り、息子アルバートに英国海軍軍人となる道を歩ませる。やがてアガサとサマレイの出会いから長い歳月が経ち、海軍の一等水兵として巡洋艦カリプティス号に乗艦したアルバートは、第一次世界大戦の戦役に就くが、乗船はドイツ海軍の巡洋艦ツィーテンに撃沈された。ツィーテン号の捕虜となったアルバートだが、同船が洋上の孤島で中破した船体を修理する隙をつき、ライフルと銃弾を持って脱出。島の入り組んだ自然を利用しながらツィーテン号の乗員を次々と狙撃し、敵巡洋艦の出航を阻む。

 1929年の英国作品。評者はフォレスター作品は、かの「ホーンブロワーシリーズ」や、本作と同様のノンシリーズ編『アフリカの女王』など何冊か購入だけはしているが、長編小説の実作を読むのはたしかこれが初めて。(『終わりなき負債』は読んだような、まだのような……はっきりしない(汗)。そのうち改めて確認してみよう。)
 まあ映画なら『アフリカの女王』も『艦長ホレーショ』も観ておりますが(笑)。
 
 しかし部屋に積んだ本の山の中から出てきて、なんとなく読み始めたこの作品、予想以上にエラく面白かった。
 確かパシフィカ版(今回もコレで読了)の刊行当時に「小説推理」だったかの月評で北上次郎が本作を激賞していたような記憶があり、その時のキーワードが「母親」だったのは今までなんとなく覚えていた。しかし母親キャラがキーパーソンっていったってどういう意味だろ、まさか子持ちの母親が英国海軍に入って海戦に出るわけじゃあるまい? と思っていたが、一読してあらすじのような内容と認め、疑問は氷解した。
 これは第一次大戦時の英国海軍版『巨人の星』だったのである(いや、母親だから同じ梶原一騎作品でも『柔道賛歌』か? まあ、どっちでもいいが(笑))。
 自立する女性としての矜持から、息子の父である男性にも実家にも頼らず、シングルマザーとして生んだ息子を育て、そしてその上で父親から受け継いだ資質の海軍軍人として成長させようとする強烈なまでの意志の強さ。本作の中盤は回想形式でもうひとりの主人公アガサの人生と、そんな母親から訓育を受けて成長するアルバートの親子ドラマが描かれるが、ここだけでこの作品は充分に面白い。

 しかし作品はそこで終点を迎えようとはせず、リアルタイムでのアルバートの孤高の戦い、島でのツィーテン号への妨害戦に後半の物語を宛てていく。この二段組三段組の小説の跳躍感はなにものにも変えがたい。そして迎えるエピローグ。このクロージングが提供する感銘は、未読の人に絶対に明かすわけはいかないが、緊張と高揚、切なさと苦さ、さまざまな思いのつまった見事な一冊を読み終えたという充実感で胸がいっぱいになる。
 アガサの思惟とサマレイのDNAを受けて海軍の水兵という焦点の定まった道に向かって歩んでいくアルバートの生き方も星飛雄馬なみにいびつなんだけど、この小説は目指すところゆえに、そんな彼が主人公じゃなければ達成できない最終的な観念と文芸がある。こういう力業が許され、価値を持つのが小説(またはフィクション)というものの存在意義であろう。すごいロマンである。

 娯楽戦争冒険小説でありながら、小説の品格そのもので戦争の愚かさをおのずと訴える反戦作品の形質を築いているのもとてもよい。送り手が声高にそんなもの(反戦テーマ)をメッセージとして掲げるのでは無く、この作品のなかから読者がそれを読み取るのを待っているような、そんな上品さがある。
 遅ればせながら、クラシック系の英国冒険小説を嗜む者の末席の一人として改めて、フォレスター作品は少しずつ味わっていきたいと思う。

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