ボーン・マン |
---|
作家 | ジョージ・C・チェスブロ |
---|---|
出版日 | 1991年04月 |
平均点 | 6.00点 |
書評数 | 1人 |
No.1 | 6点 | 人並由真 | |
(2019/08/28 20:38登録) (ネタバレなし) 1980年代末。ニューヨークにひしめく四万人のホームレス。その中に、人間の大腿骨を握った30歳代と思われる寡黙な男「ボーン(ボーン・マン)」がいた。NYの公的ソーシャルワーカーのアン・ウィンチェイルは、そんなボーンの中に秘めた高い知性と雌伏する生命の活力を認めて支援を図るが、当のボーン自身は一年前から記憶を失ったホームレスとなり、さらにこの一週間程前から改めてまた現在の記憶を失っていた。そんななか、謎のシリアルキラーによるホームレスの首切り殺人事件が続発。警察は、そしてボーン自身は、記憶を失っていた最中のボーンが殺人鬼でないのかとの疑念を抱きはじめる。そして自分自身の中に潜むもうひとりの見知らぬ者(過去の本当の自分)を探し求めるボーンは、たとえ最悪の結果になっても、その真実を知りたいと願うが……。 1989年のアメリカ作品。作者G・C・チェスプロは日本でも何冊か翻訳が紹介されているが、大昔に評者は、作者のシリーズキャラクターである小人の私立探偵モンゴ(リチャード・フレデリクソン)ものの第一作『消えた男』にいたく感銘。ネタバレになるので何も言えないが、とにかくこれが破格の一作でいろんな意味で心の琴線にひっかり、エラく大好きな作品となった。 時期的に言えばネオハードボイルドの渦中の一作なんだけど、たぶん総数100冊以上は絶対に読んでいる同ジャンルの中で、コレ(『消えた男』)が五本の指に入るくらいスキである。(しかし翻訳はあまり出ないので、シリーズ第二作目の『囁く石の都』は手をつけずにずっと未読で取ってある~気がついたら、同じ本を二冊も買っていた(汗)。) そういうわけで数年前にミステリファンに復帰し、この20~30年間ほどの翻訳ミステリ界の状況を探求したところ、こんなのが出てると知ったときのうれしさ。モンゴものじゃないよ、ノンシリーズだよ、でもあちらこちらでカルト的に評判いいよ、という感じで読むのをすごく楽しみにしていた一冊である(ちなみにこれも同じ本を二冊買ってしまった~ああ、しょーもない~汗~)。 それで内容は、Amazonのレビューではクーンツっぽいという声もあるが、まあ確かにクーンツとかキングとかの非スーパーナチュラル系作品、あの辺の重量感とそれを意識させないリーダビリティを備えており(文庫版でほぼ500ページ)、主要登場人物は決して多くないものの、殺人鬼の犠牲になるホームレスたちをふくめて劇中キャラはそれなりに多く、シーンの転換もかなり多い(特にストーリーの本当のメインステージとなる、NYの(中略)世界の広大な描写は圧巻)。 この物語の主題となるのは主人公ボーンの記憶喪失(そしてその当人の過去の謎)と、大都市ニューヨークのホームレス問題だが、特に後者は社会派ミステリ的な視線も導入。中でも作中人物の語る、自由の国アメリカは最低限の生存だけは保障するが、その上はない煉獄、という主旨のメッセージ性は心に響く。それでもホームレスの中からそのままでいるものと、やり直す努力に向き合う事のできるもの、その双方をなるべく等しい距離感から語ろうとする作者の姿勢には、ある種の誠実さを感じるが。 ただしミステリとしては、かつての『消えた男』の「はああああ~!?」という衝撃をいまだに覚えているものからすれば、かなり期待外れ。少なくとも謎の殺人鬼の正体を追うフーダニットとしては完全に勝負を捨てている。わたしゃ……(中略)。 とはいえ、ページ数がどんどん減じてくる中で、一体どういう感じでこの作品は山場を設けるんだ? とやきもきさせるあたりとか、確かにエンターテインメントとしてはうまいことは上手いのよね。そういうところで世の中から評価されているんだとしたら、それはアリだとは思う。 期待値が高すぎたため、ちょっと及ばすというところはありますが、素で読めば相応に面白い作品だとはいえるでしょう。 チェスプロはまだ翻訳があるようだから、そっちもいずれ読みたい。 |