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ミステリの祭典

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屍海峡

作家 西村寿行
出版日1976年03月
平均点7.00点
書評数1人

No.1 7点 人並由真
(2019/07/26 03:26登録)
(ネタバレなし)
 オイルショックに震撼した1970年代の半ば。都内の旧式アパートで大企業「日南化成」の守衛・安高恭二の毒殺死体が見つかる。残留品の指紋から、安高の故郷の瀬戸内海で遺恨があった真蛸の養殖家・秋宗修に嫌疑がかかるが、彼の精神は平常を欠いていた。一方で秋宗の元学友で公害省の調査官・松前真吾は、その秋宗が上京時に洩らした謎の一言「青い、水」が気に掛かる。かたや警視庁の変人刑事・中岡知樹は事件を追う内にいくつかの奇妙な点に気がついていた。

 西村寿行の第三長編。推理小説作家、ハードロマン作家、動物作家、綺譚作家といくつもの創作者の顔を持つ西村だが、初期はデビュー時にはそういう作風の方が反響も良いからという計算(あるいは編集のアドバイス)もあって、清張から森村誠一ほかの系譜を想起させる、社会派ミステリ路線で謎解き要素の強い作品を書いていた。
 本作はそういう時期の渦中の一冊で、のちにハードロマン路線が主流となった作者の作品群の中ではマイノリティーに属するだろうが、そんな反面、謎解き社会派ミステリというジャンルの枠組みのなかで弾けるような勢いの寿行自身の作家的な素質がたぎり、非常に読み応えのある熱いハイブリッドな作品になっている。実を言うと評者もこの辺の初期作品(第四長編『蒼き海の伝説』あたりまで)はいまだあまり読んでいないのだが。

 本作の冒頭の、いかにも昭和後期っぽい地味めな殺人事件の発生を受けて語られる、海洋を埋め尽くす鯔(ぼら)の群れと行った壮大な自然・動物描写。そのへんは、まんま後続の作者の最高傑作『滅びの笛』の先駆的なエネルギッシュさだし、その舞台となる瀬戸内海の漁場たる大海を汚していく海洋汚染、自然の乱開発の叙述も実に骨太い。本作が水上勉の『海の牙』の後輩格の作品なのは日本ミステリ史の里程標的にも間違いないだろうが、社会派メッセージ的な面では負けじ劣らず、そしてストーリーテリングや謎解きミステリとしての練り込み、さらには物語のクライマックスに見えてくる壮大なビジョン、などそれらすべての点で『海の牙』を軽く凌駕しているのではないか。

 さらに加えて、こんな(社会派&自然派)作品で、あの名作(中略)ドラマ(中略)みたいな、ある意味でぶっとんだ(中略)系の殺人トリックが登場するのか! と度肝を抜かれた(大胆な手掛かりの手際も、いかにもある分野に強い寿行作品らしくて良い)。
 そういえば寿行はこの少し後の『君よ憤怒の河を渡れ』でも、場違いとも思えるような、ある種の専門分野にちょっと肩を借りた特殊トリックを導入している。長編を5~10冊も書く頃にはさすがに、この辺の謎解き志向の持ち味は薄れてしまうが、今にして思えばこの人は一般読者が思う以上に、正統派ミステリっぽい謎の提示やトリック、そして真相が暴かれる際のサプライズのときめきなどに、当人の方から傾注していたのかもしれない?

 たしか北上次郎なんかは、初期の西村寿行作品を作家として熟成する前のあくまで助走期間くらいに見ていたような気がするが(こちらの読み取るニュアンスが違っていたらごめんなさい)、むしろこの初期作品群にこそ長大な寿行作品の系譜のなかでほんの刹那的にしか味わえない、多様な物語・ミステリ要素が掛け合わさった稀少な輝きがあるのかも。これは正に、そんなことを感じさせてくれた一冊でもあった。

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