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ミステリの祭典

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教皇の手文庫

作家 中村正䡄
出版日1998年06月
平均点6.00点
書評数1人

No.1 6点
(2019/10/16 06:16登録)
 ローマ陥落が間近に迫った一九四三年十月、イタリア首相ムッソリーニの勢威のもと国家主権を得たばかりのヴァチカン市国は、自身の将来に危惧を抱きはじめていた。戦後の国際社会で枢軸国との濃密な関係をソ連に糾弾されれば、ただの宗教本山の地位に突き戻されることも十分にあり得たのだ。
 同じころキリスト教徒の守護を目的とする世界結社「地下墓洞の守護者たち(ザ・ガーディアンズ・オブ・ザ・カタコーム)」は、敗戦迫る枢軸圏からの教徒脱出を請願するため、時の教皇ピウス十二世に密使を送り込む。使者となったドイツ陸軍少将フランツ・フォン・カルルスブルッフは首尾良く教皇に面会し密命を賜るが、帰途戦闘機ムスタングに撃墜されアドリア海の藻屑と消えたかに見えた。
 それから五十数年後、二十一世紀まで僅かな年数を残すのみとなったヴァチカンでは、コンクラーベに選ばれたばかりの新教皇が執務区画の書庫から黒檀の美しい手文庫を発見していた。教皇は情報機関プロ・デオ総長マウリツィオ・ゲリ枢機卿に、手文庫の銀の鍵に結び付けられていた筒状の紙片の解読を依頼する。ラテン・アメリカ班パオロ・ナオト・ナカウラ司祭の手によって部分的に判明したその内容は、故ピウス十二世とカルルスブルッフの戦中秘話と、ヴァチカンと「地下墓洞の守護者たち」との繋がりを示すものだった。さらにゲリの耳にはこのところラテン・アメリカ諸国で、カルルスブルッフの署名と符合するF.v.K.ファンドなる資金の動きが聞こえていた。
 麻薬取引の疑いにより連行されたプロ・デオ神父を救うと同時に事の仔細を探る命を受けたナカウラ司祭は、一路南米コロンビアの首都サンタ・フェ・ボゴタへ飛ぶが、奇妙な偶然から「イベロ・アメリカ先住民権利回復運動(IMF)」指導者のラモン兄妹と、アメリカ人旅行者ブライアン・ヘンダースンに邂逅する。そして彼らそれぞれの目的はラテン・アメリカと「地下墓洞の守護者たち」の現在の活動に、奥深くで結ばれていたのだった・・・
 『アリスの消えた日』に続く著者4作目の長編小説。雑誌『宝石』一九九三年六月号から一九九四年一月号に連載されたものを改稿し、後半部分を加筆したもの。最初に描かれる第二次大戦中のヴァチカン秘話はすぐ背景に退き、その後は現代ラテン・アメリカを舞台にした活劇がメインになります。
 ペルーの共産ゲリラ、センデロ・ルミノソによるハイジャック事件を掻い潜り、絡まりあい結びつくナカウラとヘンダースン、そしてラモン達。基本テーマは前短編集『四つの聖痕』の延長ですが、ヴァチカン国章を暗示する金銀二つの鍵(金は信仰を、銀は富を表す)と「賜りし聖なる御物」「それを奉じる者」の謎が、最後に壮大なプロジェクトとなって明かされます。
 ベネディクト16世が辞任し名誉教皇となり、アルゼンチンから南米初の現教皇フランシスコが誕生したのが2013年3月。作者七十歳時の作品ですが、その年齢で的確に時代を先取りした慧眼は賞賛されてよいでしょう。

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