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ミステリの祭典

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狂った弓

作家 南部樹未子
出版日1978年02月
平均点7.00点
書評数1人

No.1 7点 人並由真
(2019/06/09 02:09登録)
(ネタバレなし)
 短大を卒業して大手事務機会社「東洋堂」に就職した木元久美子。20歳の彼女は職場で女子社員たちの憧れの的である年上の上司・浜名健一郎青年に出会うが、彼はおよそ10年前に若妻に自殺されたという悲劇の過去の噂が聞えてきた。だがそれから1年後、成り行きから健一郎との距離を狭めた久美子は彼の後妻となり、さらに数年を経た今は、浜名家の26歳の主婦として過ごしている。だが浜名家には結婚当初から息子をまるで恋人のように溺愛する姑の貞(さだ)が同居しており、久美子は自分をあたかも恋敵のように見やる貞の陰湿な仕打ちにもずっと耐え続けてきた。しかしそんな中にも、浜名家の周辺の地獄模様はひそかに開放の時を待っていた。

 昭和33年に「婦人公論」の第一回女流新人賞に佳作入選し、作家デビューした南部樹未子(初期は「南部きみ子」の筆名表記も使用)の書下ろし長編ミステリ。それなりの数の作品は書いている作者だが本サイトではまだ一本もレビューがなく、さらに中島河太郎の「推理小説事典」などでの作家項目でも話題にされた長編の諸作がそれぞれ推理要素は薄い、ミステリ的な興味は多くない、などといった主旨の、低めの? 評価をされている。
 じゃあ実際のところどんなかな、と興味が湧いて、比較的あとの時期の作品である本書を読んでみたが、個人的にはこれがなかなか面白かった。
 湿度が高く描写が精緻だが、そのくせ平明な文章が実によく、しつこい叙述で紡ぎ上げられていく登場人物たちの錯綜図はレンデル、ジェイムズ、はたまたシムノンかグレアム・グリーンあたりを思わせる。

 実は、70年代に書かれた旧作なので、当初の評者は本作の内容について<息子離れできない姑のゆがんだ愛情に、息子の方の健一郎もマザコン的に応じ、その爛れた愛情の中で久美子が苦しみ悩む>ふた昔前(もっとか)のテレビドラマ『ずっとあなたが好きだった』風の世界かとも予期していた。
 だが相応の紙幅を費やして語られる健一郎の内面描写は意外なほどに健全で、うっとおしいばかりの母の偏愛にもまともな感覚での嫌悪感をきちんと抱いている。けれどもこの一方で物語は、そんな健一郎にまだ、読者には開かされない秘密があることを終盤まで暗示し続けており、その意味でなかなか底を見せようとはしない。そのかたわらで久美子にも貞にも、実はそれぞれの思惑や秘密があるらしいことが匂わされていく。この緊張感の盛り上げ方が絶妙で、作者の筆力はその大半がこのテンションの獲得のために奉仕されているといっていい。
 一見、一般小説のような流れの筋運びに触れ、他所の家庭の内側を覗き込む背徳感さえ覚えながら、一方でいつか最後にはこの物語はきちんとミステリとして着地することを約束されているような盤石の安心感……そんな心地よさがこの作品にはあった。
 終盤の二転三転の逆転劇、そして「(中略)」のパターンに居を定めるストーリーの落着具合もかなり鮮烈で、これは作者の格段の筆力ならばこそなし得た秀作であろう。
 他の作品がそれぞれどのくらいミステリとして楽しめるかはまだまだ未知数だが、この作品を読む限り、南部樹未子侮りがたし、である。

 なお評点に関しては、読み応えから言ったら8点あげてもいいかな、とも思ったけれど、小説の構造上、あとの方まで秘匿されているある事項が、一部の登場人物同士の間で話題にもならないのはどうなんだろ? と思えた箇所があったので1点というか0.5点くらい減じてこの点数に。充実感があったのは確実だが、疲れるので少しまた間を置いてから読みたいようなタイプの作家&作品でもあった。

 ちなみに題名の「狂った弓」とは巻頭から引用の出典が記載されているが、もともとは旧訳聖書の一節。人間は本来は誰もが正しい行為をしようと思って狙う的に矢を放つものの、弓=人間そのものにそれぞれの何らかのひずみがあるから、的を外してしまう(しまいがちな)悲しい生き物だ、そんなような意味だと、作中で登場人物の口を借りて説明されている。

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