home

ミステリの祭典

login
デリケイト・エイプ

作家 ドロシイ・B・ヒューズ
出版日1955年03月
平均点7.00点
書評数1人

No.1 7点 人並由真
(2019/03/17 20:49登録)
(ネタバレなし)
 我々の現実とよく似たもう一つの世界。そこでは第二次世界大戦が12年前に終結。敗戦国である日本という国家は消滅し、ヒットラー率いるナチスが滅び去ったドイツは国際連盟の監察下に置かれていた。しかし今現在、穏健な仮面の下でタカ派ドイツの再興を目論む連中が暗躍を開始し、世界情勢の鍵は人口が加速的に増殖する黒人たちの国家連合「赤道アフリカ」の動きが大きく影響することになっていた。そんな緊張下、人類の平和を祈念する国際機関「平和局」の局長サムエル・アンストルーサーは世界の危機を回避するため、赤道アフリカの代表であるファビアン国務卿のもとに向かうが、その途上で暗殺者の標的となった。平和局の次官のひとりでアンストルーサーの意志を託された青年ピアズ・ハントは、近日中に迫る世界平和会談の日まで上司の死を秘匿したまま対策を図るが、そんな彼の前にドイツのタカ派たち、さらには平和局内部の軋轢、そして……さまざまな障害が立ちはだかる。

 1944年(!)のアメリカ作品。つまり作者ヒューズは第二次世界大戦のまだ継続中、ヒットラーもまだ健在な時期に、連合国側が勝利した前提の戦後の近未来設定で、さらなるナチス(的な)ドイツが再興する脅威と、それに挑む諜報員の苦闘を書いた訳で、この文芸設定を認めたときはちょっと驚いた。
 とはいえまあ日本でも戦時中の児童向けSF冒険間諜小説なんかで、今後の未来性を予見したり願望した内容のものなんかはありそうだし、そういう流れで考えればそれほど驚異ではないのかもしれない。それでもマクロイの『逃げる幻』なんかがほとんど終戦と同時に刊行されたことと合わせて、当時の欧米の作家はやはり余裕があった、という感じも強いが。日本なら、岡山で終戦と同時に快哉を上げた横溝正史の姿と心情の方がピンとくる。

 作中の時代設定は明確にされていないが(この世界の第二次大戦がいつ終結したかはさすがに明記されていないので)、まあ現実に則して1950年代の終盤あたりの出来事か。そんな時局のなかでの主人公は平和局次官の一員であるピアズ・ハントであり、彼が親善を装うドイツ側と腹の探り合いをしながら(ピアズ自身のプライベートな過去にからむドラマも語られる)、一方でそんなピアズから、公式にはまだ行方不明なままの局長アンストルーサーについての情報を聞き出そうと、ドイツ側、平和局の同僚、さらにはアンストルーサーの実の娘ビアンカやNY警察までが接触を図ってくる。やがて読者はある種のマクガフィンの存在や、ピアズが局長の死をぎりぎりまで隠蔽する事情をテンションの中で少しずつ小出しにされ、その辺がエスピオナージュとしての本作の読みどころになっている。
 作品そのものが書かれた現実的な時局、さらには世界平和を求める主題が相乗して独特の迫力を放つ一冊。本書刊行の背景には、悪く取れば、もちろんある種の国策的・プロパガンダ的な一面(もっと?)もあるんだろうけど、クライマックスのピアズそしてファビアンの描写など、問答無用に魂に響く。ミステリフィクションの中に当時の時代性の一端を探りたい人は、一回は読んだ方がいいだろう。
 解説では本作と作者を語るなかで「文学的スパイ小説」の見出しがついているけど、こういった準SF設定を盛り込んだスパイ小説+人間ドラマとして確かに読み応えはあった。
 ちなみに題名の「デリケイト・エイプ」とは、小説の終盤でピアズの想念に浮かぶ「上品な体裁や贅沢さを忘れることができず、葉のしげる安全な高い木の上にいて(自分たちの欲望や思想を満足させるために)戦争を駆り立てる猿人(のような人間)」の意味。ポケミスの表紙はすごい印象的な具象画だけど、さすがにこのニュアンスまでは拾い切れてないねえ。
 翻訳は古いものながら、時代を考えればかなり読みやすい方だと思う。冒頭のウールリッチを思わせる叙情的な雰囲気なんか結構いい味を出してる。

1レコード表示中です 書評